日本の税ミナール実践編
講師 大蔵省元相談官 平野拓也
 
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講座テーマの一覧
第一回 不況の陰に亡国税制〜連載開始にあたって
はじめに―現在の大蔵税制こそ経済不況の元凶

 今から、一三〇年ほど前、徳川幕府の大政奉還からほどない明治五年、福沢諭吉が「学問のすすめ」を著しました。いうまでもなく、この「学問のすすめ」は、明治の文明開化の土台となった著書でした。その冒頭に、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と諭吉は説いたのです。しかし、この高尚な理念は当時の社会情勢とははるかにへだたっていました。この翌年、陸軍大将西郷隆盛が征韓論に敗れて下野、鹿児島に私学校を設け、旧不平士族を結集します。明治七年には江藤新平の佐賀の乱、九年に神風連の乱、萩の乱が起こり、明治一〇年には、ついに西郷が決起して西南戦争となり明治年間の最大の内戦を迎えます。ようやく、西南戦争に勝利した明治政府ですが、翌一一年には大久保利通が不平士族によって暗殺されます。結局、士族に代表される旧体制を打破した政治的な安定は、武力鎮圧を伴いながら、明治二二年の「憲法制定」まで待たねばなりませんでした。諭吉が、人の上に人を造らず、として士農工商と定められていた江戸時代身分制度の打破を唱えてから、一七年の年月を要したことになります。

 もっとも、考えれば徳川封建体制から近代国家への大転換です。お隣の中国と比較しても、大政奉還から二二年目での転換は早いほうといえるかもしれません。それにしても、諭吉の「学問のすすめ」が憲法制定に先立つ一七年前に著されていたことには脱帽の思いです。ペンは剣より強し、という西洋のことわざもあります。長い歴史のスパンでみるならば、終局的には言論の重みが世のなかを動かしていくのでしょう。

昔、陸軍、今、大蔵官僚―国を滅ぼす人たち

 「学問のすすめ」から、星移り月変わり、約一三〇年の星霜を数えて二〇世紀の世紀末を迎えました。この間、我が国は日清、日露の戦争をへて欧米列強の一角に伍しましたが、昭和になって勃興してきた軍部官僚が統帥権をたてに、独裁をすすめ、ついに無謀な日中戦争、太平洋戦争に突入し、我が国を焦土に陥れます。そのあとの戦後復興から経済大国への華やかな途もほんのつかの間で、今ふたたび、今度は大蔵官僚らの官僚主導政治のなかで、八九年から始まったバブル経済とその破綻、失われた九〇年代として二度目の敗戦がささやかれています。むろん、現代の敗戦は武力によるものではありません。いわゆる、グローバル化した経済のなかで、経済競争を闘うなかでの敗戦、という意味でしょう。とくに、我が国の場合は、九〇年代に入っての一〇年はまさに、日本経済の失われた一〇年、経済大国の面影がはるかにけしとんだ一〇年となりました。順調に発展をとげる米国、ヨーロッパ経済と比較して、G7諸国のなかで日本経済の惨状は目をおおうばかりです。さて、この日本経済の停滞、不況の陰に大蔵省の取り続けている「亡国税制」がある、というのが筆者の考えです。そして、冒頭にも申し上げたように、それからの脱出をすすめる、のが本税ミナールのテーマです。明治の先賢、諭吉先生には及びもつきませんが、二一世紀の日本の発展のために、学問のすすめならぬ、「亡国税制からの脱出」を、過激におすすめする所存です。三〇回程度の連載となりますが、御愛読をお願いいたします。

(1999年3月4日)