信仰によって
新しく生まれます。
●人が生まれた時に、神様によって与えられた人の「霊」を新しくするためには、修行をしたり、訓練を受けたりする人間の努力によって得られるのではありません。神様によって全く新しいものに替えられなければならないのです。イエス様は、このことを「あなたはもう一度生まれ直さなければ、絶対に神の国へは入れません。」(新約聖書/ヨハネの福音書3:3)と語りました。私たちが生まれる時には、自分自身はなんの努力もしませんでした。ただ神様の取り扱いの中で、母親の体を通って生まれてきました。このように、生まれるということは、神様の働きによるのです。ただ私たちが赤ちゃんとして生まれてきた時には、神様から事前の相談はありませんでしたが、新しい「霊」に生まれ直す時には、私たち自身が望むかどうかの意志確認が必要であるという点で異なっています。新しい「霊」の誕生を願う人は、自分の生まれつきの「霊」は、正しく機能していないことを認めて、神様に「霊」を新しくしてくださるように願い求めることが必要です。
●しかし自分の「霊」が正しく機能していないと認めることは、自分の「霊」の働きが多少鈍いという程度なのだという理解であってはなりません。「霊」とは、その人の全人格ですから、人は、生まれつきの「霊」のままでいる限りは、絶対に「神の国(天国)」に入ることができず、「地獄」に行かなければならないということを理解した上で、神様に「霊」を新しくして欲しいと求めるのです。
●最初の人間であるアダムは、その子孫となるすべての人間に、「地獄」に行かなければならない欠陥の「霊」を受け継がせました。しかし人が信仰によってイエス様の子孫としてもう一度生まれ直すことを望むならば、神様はその人に「神の国(天国)」に入ることができる新しい「霊」を与えてくださるのです。
●イエス・キリストに対して信仰を持つということは、イエス様が私の身代わりとして十字架上で死んで地獄の体験をしてくださったことを、受け入れることであり、更にその後イエス様が復活されたように、私も生まれ直したのだと信仰を持って受け入れることです。それによって、私たちの霊は、新しくなるのです。
●イエス様は、どのように生きていくべきかが分らずにいる人々を、羊飼いから離れて迷っている羊にたとえて、「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(新約聖書/ヨハネの福音書10: 10)と語っています。神様によって「新しい霊」が与えられた人は、新しいいのちを得た羊です。それは、たとえ死を迎える時になっても、その人は地獄に行くことなく「神の国(天国)」に入る約束が与えられているからです。更にイエス様は、いのちを得た羊がそれを豊かに持つ、つまり「新しい霊」によって生き生きした生涯をおくるために必要な力を与えるためにも来たのです。「神の国」とは、神様の守りの中に生きることも意味していますから、「新しい霊」を受けた人は、特別に神様の祝福と守りの中で生きることができることも約束されています。
●キリスト教とは、宗教的な規則を守り行うことによって、良い人間になることを目標としているのではなく、神様によって与えられた「新しい霊」によって、その人が内側から変えられていくことを求めます。それは、いのちの源であるキリストに触れ、キリストから与えられる力によって、自分のみならず、周囲の人々にも、神様の豊かな愛が及ぶためなのです。
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