神様の中に、人生の    答えがあります。
●あなたがもし、聖書やキリストについて関心をもち、また少しでも理解してみたいと思われるなら、ちょっと乱暴な表現になりますが、まず最初に神様が存在するということを認めてから始めてください。えっ?聖書についてもキリストについても何の説明もないうちに神様の存在を認めろなんてそんな無茶なと思われるかもしれませんが、最初の心の置き方によって、その後の読むこと、聞くことの内容が変わってくるからです。
●ある人は、中立的な立場に立って判断することが正しいあり方だと考えますが、神様が存在するかどうかというテーマについての証明は、人類の長い歴史の中で続けられてきたことであり、未だにどちらが正しいと証明されたわけではありません。神様については、人間の思考をもって論理的に説明しようとしても、五分五分の可能性を含んだ事柄なのです。
●ですからもし神様はいるという思いをもって、このホームページを読んだり聖書を読むならば、賛同できる箇所は多くあるでしょう。また夜空の星や風にざわめく木の葉の音からも、神様はいるということを、あなたは知ることができるでしょう。反対に神様の存在を否定した思いをもって同様のことをするならば、多くの疑問を抱え込み、またその証明に納得できる答えを得ることはないでしょう。神様が人間を創造したとするならば、人間の理解で神様のすべてを知るなんてことは、どだい無理なのですから・・・。賢い方法は、まず神様の存在を認める立場で考えを進めてみてください。するとあなたの知らなかった素晴らしい世界が、開かれます。どんなにおいしい料理が目の前にあっても、口にしない限り、おいしさはわからないのです。
●人間には、確かに多くの素晴らしい力があります。しかしある時には、どうしても理解できないこと、また超えられない壁というものに直面します。そのような時、人間を超えた存在、力、価値を期待し求めます。それが神様です。このように表現すると、神様とは人間が想像した思考の中で作り上げられたもので、実在はしないのだと考える人がいるかもしれませんが、神様は最初から存在していて、私たちが生まれることを意図されました。私たちが、親から生まれて、ある時期に自分の前にいる人が、父親であり母親であることを知ったように、人間も生まれた後に、神様がいるということに気づかされたというのが事実です。
●もし神様が、人間の都合のために考え出されたものであるならば、人間が生きていくために、また死んだ後にあるあらゆる疑問に、適切な回答が出されていることでしょう。しかし人生は、未だに「なぜ」という疑問だらけで、それらに対する答えを得ていません。「私は、なぜ生まれてきたのか?」「私は、死んだらどこに行くのか?」「私は、生きている間に何をすべきなのか?」等、これらの人類の歴史と共にある疑問に対しては、神様という存在を認めなければ、私たちはどのように考えていいのか、手がかりさえつかめません。ですから私たちには、神様が必要なのです。また神様にこそ人生の多く疑問に対する答えがあるのです。
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