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展示「福良の昭和写真館」



展示「福良のお宝展」


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瀬戸の潮みず交流広場 (福良地区県民交流広場)
福良公民館 〒656-0501 南あわじ市福良甲512-2
TEL:0799-50-3048  FAX:0799-50-3068

























第6回福良芸術文化展における福良学教室時代描写写真展示の記録


平成26年11月22(土)〜24日(月振休)
南淡公民館3階講堂



【全体の展示テーマ

「福良の昭和写真館」〜のどかで、元気のあった福良



【出展品目及び点数】

時代描写写真 12点(写真B4、額装A2)



【出展の趣旨・あいさつ】

  ようこそ「福良の昭和写真館」にご来臨いただき、ありがとうございます。

 福良学教室は、平成23年度から開設の「瀬戸の潮みず交流広場」事業の一環として、多くの方々の参加を得て、福良の歴史や文化を中心とした「何でも学」を通して、福良への誇りと愛着を育み、もって地域自慢のできる人を増やし、地域の活性化や豊かなふれあいを図る教室活動を行っています。

 今回は、その学習成果の発表も兼ね、「福良の昭和写真館」と題して、昭和の福良を懐かしく偲べる写真を学級委員会で持ち寄り、選定のうえ、ここに展示いたしました。 ご高覧のうえ、かつての福良ののどかさや元気に触れて、懐かしんでいただければ幸いに存じます。 

  なお、ほとんどの写真は学級委員が撮影或いは所蔵のものを展示いたしておりますが、何点かは作者が判らず、当該写真が多くの人に見てもらえる良い機会になればとの勝手な判断をし、断りなく展示させていただいています。 どうか、ご容赦をお願いいたしますと共に、作者が判ればと思っていますので、ご連絡をお願いいたします。

 それでは、ごゆっくりとご鑑賞ください。

   平成26年11月22日



瀬戸の潮みず交流広場 福良学教室学級委員会
南岳利英、徳田壽春、村野保司、小池春六
中西英夫、富永博雄、太田良一 







   
展示写真


 

上町の町割り跡(昭和3年撮影)



  

 大橋(明九橋)から一直線に八幡神社を望む。江戸初期、徳島藩によって、一丁目から五分一町まで町割り(区画整理)が行われ、上町はこの当時も、現在も、店や家の構えは違えど、一直線のメインストリートである。





敦盛祭りの舟橋(昭和16年4月8日撮影)



    

  煙島には、平敦盛の首塚が祀られている。福良の人びとは紅顔の若武者の死を哀れみ、毎年4月8日に敦盛祭りを執り行い、仁尾から煙島まで漁船を並べ、板を敷き、お神輿が渡御していた。この祭りは昭和16年で途絶えてしまった。






厳寒の素麺づくり(昭和29年厳寒期撮影)



   

素麺づくりは、江戸期に大和の三輪(奈良県桜井市)から福良に伝わり、戦後復興の中、約50軒の製造家を誇る一大地場産業となり、厳寒期を中心に、製造が盛んに行われた。(主銘柄は、「御陵糸」。往時の最大生産量は、年間約5万箱)






淡路島一周駅伝(昭和31年2月撮影) 



   

  昭和23年から昭和39年までの毎2月、淡路島一周西日本府県対抗駅伝大会(10区間、128.0q、由良S〜洲本〜岩屋〜阿那賀〜福良〜洲本G)」が行われ、福良にも東一丁目に中継所が置かれ、町中の人が応援した。





弁財天奉迎大祭(昭和34年12月7日撮影) 



  

  江戸時代に始まる「淡路廻り弁天」は、島内最大の祭りである。 昭和34年の奉迎は、数えて5回目であった。小学校の運動場には、近郷近在から壇尻50台が集結するなど、町を挙げての奉迎行事で大いに賑わった。






奉迎大祭の帰路(昭和34年12月7日撮影) 



   

  奉迎大祭には、地区外からも33台(遠くは市・榎列から)の壇尻の参加があり、無事行事を終え、夕闇迫る中、帰路行列をなし、淡路交通線路敷と並走する国道を中山峠付近に差しかかった。お疲れ様!お気を付けて!






大交通渋滞(昭和39年頃撮影) 



  

  昭和38年の休暇村開村や国道の開通等を受け、モータリゼーションの波が一気に押し寄せた。 当時、地区を貫通する道路は上町だけであったので、日常的に大渋滞が発生した(写真は波止の浜)。昭和44年の南淡路有料道路(バイパス)の開通によって、解消することになる。 







盆踊り審査会場(昭和42年8月16日撮影) 



 

  商工会・観光協会などが中心となって、伝統の盆踊り(阿波踊り)が賑やかに行われていた。この当時は、町内会と職場の連が主体で、町中を練り歩いていた。写真は、築地阿淡汽船前での審査会場の様子。







初地蔵(昭和43年1月7日撮影) 



   

  福良には、十数ヵ所の地蔵祠堂がある。写真は、福良小学校プール北脇の原田地蔵で、近くの人々による護摩焚きが終わったところ。かつては、町のあちこちでこのようなのどかな光景が見られたものであった。







南辺寺山の凧揚げ(昭和46年1月14日撮影) 



   

  かつて、子どもの正月の遊びは、凧揚げ・かるた・双六が定番であった。毎一月、南淡町子供会などが凧揚げ大会を催し、南辺寺山頂でも元気な歓声がこだましていた。なお、本写真の背景には、今は懐かしい福良港の埋立て前の姿がくっきり。







阿淡の浜(昭和50年代前半撮影) 



  

  今も昔も、福良の観光の目玉は、何と言っても観潮。OKマークの阿淡の浜は観光客等で溢れかえり、黒山の人だかりであった。この頃の最大旅客数は、昭和42年度で何と約62万人を誇った。(撫養への定期航路分を含む。)







蛇ノ鰭の潮干狩り(昭和56年3月撮影) 



   

  春は楽しみの潮干狩り! 3月、大潮の日曜日ともなれば、洲崎や蛇ノ鰭へ家族揃ってアサリ掘り、肌寒さに加え、冷たい潮と人口密集に苦闘しながらも、楽しい時間を過ごしたものであった。






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第7回福良芸術文化展における福良学教室の展示記録




日時:平成27年11月7日(土)〜8日(日)
場所:福良地区公民館1階茶室


【出展品目】
 
  文化(学術、宗教、民俗、生活)資料

  芸術(絵画、絵皿)作品


【出展の趣旨・あいさつ】

 「福良のお宝展」をご観覧いただき、ありがとうございます。
  福良学教室は、平成23年度から開設の「瀬戸の潮みず交流広場」事業の一環として、多くの方々の参加を得て、福良の歴史や文化を中心とした「何でも学」を通して、地域への誇りと愛着を育み、もって地域自慢のできる人を増やし、地域の活性化や豊かなふれあいを図る教室活動を行ってまいりました。
  今回は、その学習成果の発表も兼ね、「福良のお宝展」と題して、福良が生んだ偉人たちの作品や由緒のある品と文献資料、世界に誇る福良の景色など、いわゆる「福良のお宝」を学級委員が探して持ち寄り、ここに展示させていただきました。 どうぞご高覧のうえ、福良の素晴らしさを味わっていただければ幸いに存じます。 
後になりましたが、今回の展示に際し、貴重な所蔵品等を出していただいた方々に深く感謝を申しあげます。
  それでは、ごゆっくりとご観覧ください。

    平成27年11月7日



瀬戸の潮みず交流広場 福良学教室学級委員会
南岳利英、徳田壽春、村野保司、小池春六
中西英夫、富永博雄、太田良一  






展示品



 ●「経典(慈眼寺五所車収蔵)」


 

 慈眼寺境内にある五所車はお経を納める藏であり、享保12(1727)年に建造された。当時、七千巻の経巻が納められていたが、展示の大般若経はそのうちの一巻である。 彫りやすい明朝体を用いた木版で印刷されており、「20字×20行」の形式となっており、現在の原稿用紙の原型となった。



 

 ●「慈眼寺五所車収蔵の仏像」


 

当時五所車には正面に三体の仏像が祀られていた。 その内の一体が展示の仏像である。





 ●「納め札(慈眼寺収蔵)」


 

往時、納め札は木製で、札所の建物に打ち付けていた。 四国霊場を「札所」、巡礼を「札打ち」というのは、その時の名残りである。





 ●「四国霊場巡回納経帖」(村野保司氏所蔵)

 

 






 
  ●「箱入り重箱」(平瀬 忍氏所蔵







 ●「箱入り平鉢」(平瀬 忍氏所蔵)







 ●「福良古事記(萩原伊平著)」・「福良旧記(萩原伊平著)」(萩原幸治氏所蔵)


 

※ 萩原伊平(郷土史家、事業家)
   号を半翠という。 文化11年、福良浦一丁目に生まれる。 生来、好学の人で、趣味も広く、多くの文人墨客(頼山陽や藤本鉄石)などとも交わったという。 明治32年没。





 ●「貝類収集資料」(平瀬與一郎氏助手の持ち物)・「貝類図譜(平瀬信太朗著)」・「西宮貝類館資料(パンフレット・展示標本の写真)」・「如舟詩鈔(平瀬守一郎著)」(平瀬いつみ氏所蔵)





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※ 平瀬與一郎(貝類学者、事業家)
   與一郎は、介堂と号し、安政6年、父守一郎(如舟と号す。)の長男として、福良に生まれる。 太子屋平瀬家は、代々福良の豪商であったが、明治20年、與一郎が28歳の時、京都へ転住し、家禽業を営み成功した。 傍ら生物学への思い入れから、貝類、特に陸貝に興味を持ち、集めるようになった。   現在、日本の陸貝は800種と言われているが、その約50%が彼の関与によるものであり、彼の偉大さが窺われる。 長男信太朗も與一郎の後を継ぎ貝類学者となった。





 ●「竹島考(発行者:福良町史蹟保存會 代表者:宮崎正範)」


 

※ 宮崎正範(考古学研究者、福良八幡神社宮司)
   明治27年、福良で生まれた。 号は直日園という。明治45年、福良八幡神社宮司に就任した。社務の傍ら、考古学や歴史学の研究に幾多の成果を挙げた。 昭和43年没。





 ●「南辺寺山からの三原郡鳥瞰絵図(第九代坂東半左衛門(南汀)作」(坂東顯郎氏所蔵)



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※ 塩浜坂東家
  永禄年の初め、阿波美馬郡脇町猪ノ尻から福良に移住し、元禄年間に、阿波藩公の許可を得て海浜の干拓・新道の造成・塩田開発を行い、以来、明治43年の塩業整備法による閉田まで塩田経営を行っていた。





 ●「屏風2点・壁掛け絵・短冊(久留米竹平作)」(久留米幸子氏所蔵)













 
「色紙4点扁額(久留米竹平作)」(平瀬いつみ氏所蔵)


※ 久留米竹平(電気技師、画家(南画))
   竹平は雅号。 滝吉と称し、明治20年福良に生まれる。 玄人はだしの絵を描き、能書家で陶芸、俳句、雑俳などにも多才であった。 東京時代には、電気技師としての仕事の傍ら、南画の大家柳田斗墨先生に就いて修行。 大阪時代には、同じく矢野橋村に入門し、腕を磨いた。 福良に帰郷後、電気工事店を開業し、傍らに絵筆を取り、掛け軸、扁額、色紙、画帖等に多くの作品を残した。 昭和44年没。




 
  ●「掛け軸(菅井雲樵作)」(浦瀬悦子氏所蔵)


※ 菅井雲樵(日本画家)
   雲樵は雅号で、通称は圭介。 明治22年福良で生まれた。 幼くして画を好み、東京で森脇雲渓の門に入り、南宋派を修め、後に岸浪柳渓に師事し、山水を研究した。 明治39年以降、日月会や日本美術協会などに出展し、優賞を受ける。 昭和53年没。





 ●「壁掛け絵【鳴門海峡】(中原清隆作)」(徳井唯男氏所蔵)










 ●「壁掛け絵【海老】・絵皿【黒潮の娘】(中原清隆作)」(徳井 理氏所蔵)




※ 中原清隆(洋画家)
   中原清隆は、明治23年福良で生まれた。 生来絵が好きで、京都の関西美術院に入学し、鹿子木孟郎に師事した。 その後上京、水彩画会に入り、石井柏亭、白滝幾之助に学ぶ。 彼の画風は感情や動作を表現するため、当時の自然主義に反し、受け入れられなかった。 そんな時、独立美術協会が誕生し、十数回の独立展に出展して、いよいよ頭角を現す。 昭和13年から従軍画家として活躍し、戦後、流動美術の新ジャンルを切り開いた。




 ●「壁掛け絵【福良の絶景(岡尾山からの福良湾・ホテルプラザからの鳴門の潮すじ)2点】)」(木村ま知子作・所蔵









      
下記のように神戸新聞に掲載されました。


地域の歴史伝える美術品 南あわじで「お宝展」 2015/11/09【神戸新聞】

 「兵庫県南あわじ市福良地域の歴史を伝える美術品を集めた「福良のお宝展」がこのほど、南あわじ市福良甲(向谷)の南淡公民館で開かれた。 

 同地域の歴史を学ぶ「福良学教室」を実施する住民団体「瀬戸の潮みず交流広場」が主催。教室は2011年度から隔月で開き、毎回約40人が郷土史への知識を深めている。

 和室の会場には、古いびょうぶや掛け軸、焼き物がずらり。日本初の貝類学定期刊行物を発行し、京都市内に貝類博物館を建設した平瀬與一郎氏(1859〜1925年)の採取資料など、同地域が生んだ偉人の功績を伝える書物も。豪快な筆遣いで鳴門海峡の荒波を表現した絵画は、同地域出身の洋画家、中原清隆氏(1890〜1962年)の作品だ。

 普段は住民らの自宅に眠っている“お宝”を前に、訪れた人は感心した様子で見入っていた。 同団体の男性(80)=南あわじ市福良乙=は「普段は資料で勉強していたが、実際に目にすることでより理解が深まった」と話していた。(長江優咲)」









 




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