哲学カフェ “問答連” 第五期

―今年最後の哲学カフェです―


第5回 <差別ごころ>からの<自由>を

中島 勝住 さん(ゲスト )

9月28日(土)2時から4時までの予定です。




 差別に関して明らかなことは、差別される側が初めから存在することはないということです。差別される側は、差別する側が差別する対象を極めて恣意的に創り出すことによって初めて顕現します。つまり、差別という問題は、差別する側次第なのです。

この明らかさにもかかわらず、私たちは、差別される存在が、あたかも、いつでも差別されることを待っているもの、であるかのように考えている節があります。この浅薄な心性が、差別問題を考える際に大きな混乱をもたらしています。それは、「差別されても当然」といったもの言いに代表されるでしょう。こうした差別する存在とその行為を覆い隠してしまうような無定見な勘違いがある限り、「差別問題の解決は国民的課題」であると幾度となえても、解決には程遠いでしょう。

 私たちにとって居心地の悪い自己認識、つまり、差別は私たちが起こしているのであって、その可能性は誰もが持っているのだという地点に立つ必要があると思います。ありきたりですが、差別問題は「ジブンゴト」なのです。逆に言えば、だからこそ、解決の可能性も大きいとも言えるでしょう。これがタイトルの意味するところです。