哲学カフェ “問答連” 第五期

第4回 学校唱歌とわたしたち ―なつかしさとあやうさと―

中西光雄さん(ゲスト )

8月24(土)2時から4時までの予定です。




 私たちにとって学校唱歌とは何なのでしょうか?老人介護施設で暮らす認知症のお年寄りが「故郷」や「春の小川」は大きな声で歌いだすといいます。小学生の記憶が歌とともに甦る。それはなつかしく胸が熱くなる瞬間です。しかし、同時に唱歌は、富国強兵の旗印のもと国民国家の建設を目論んだ時の政府の意向を、端的にこどもたちに伝える道具でもありました。「蛍の光」には千島や沖縄が歌われ、「我は海の子」の少年は最後には軍艦に乗るのです。なつかしくてあやうくもある唱歌の歴史的な意味を、ご一緒に歌いながらひもといてゆきたいと思います。

【前川喜平さん・京都新聞掲載書評から】 本書は、明治以来学校で教えられてきた唱歌の中に、国民国家の形成や帝国主義的拡張への国民の動員といった国家の意図が秘められていたことを解き明かしてくれる。唱歌は国家意思に国民を絡め取っていく役割を持っていたのだ。それは、実は戦後に持ち越され、現代にもつながっている。例えば「兎(うさぎ)追いし」と始まる「故郷(ふるさと)」は「『ふるさと』についての国民共通の「心性を形づくつていった」が、その「愛郷心が愛国心に再編威されて」いったのだという。改正された教育基本法の第二条第五号は、「教育の目標」として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…態度を養うこと」を掲げた。そこには、愛郷心と愛国心を一体視する観念の復活をみることができる。(略)文科省は、唱歌教育強化の理由を、「我が国で親しまれてきた唱歌」を「子どもからお年寄りまで世代を超えて共有できるようになること」と説明している。世代を超えた「なつかしさ」の共有ということだ。しかしそこには、唱歌を紐帯(ちゅうたい)とする国民精神の統合という政治的意思の「あやうさ」が潜んでいることを忘れてはいけない。