「はな ちる にわ」


 僕は若桜。
 冬篭りから覚めると、目の前に広がっていたのはこれまで育った山の中腹ではなく、ど
こかの家の庭だった。
 あそこ、根を張るのに十分開けていて日当たり良くて、見晴らしも申し分なかったの
に・・・
 眠っている間に見知らぬ土地へ連れてこられたから、正直言って最初は少し不安だった。
でもその内この家の主らしき男が僕の前で
「あまりにも美しいから連れ帰ってしまった。どうかここでも咲き誇っておくれ」
と呟いた。
 自分勝手な理由で見知らぬ場所に連れてこられたことを知った僕は、無性に腹が立った。
だから文句を言ってやろうと――今年を最後にもう花は見せてやらないと意気込んで――
月のきれいな夜、花を咲かせ始めた僕を見に現れた彼の前に人の成りをして出た。


 その姿はまさに桜花と呼ぶに相応しく、清楚とか可憐という言葉が相応しいだろう。た
だ真っ直ぐで光の加減によっては桜色にも見える髪の長い少女めいた容姿ではあるが、
一人称が『僕』であるのは桜に性別がないが故にその性格に由来するものである。


「この家の主だな?」
「・・・桜の、精?」
 互いの質問に返事はなかったが、そんなことはどうでもいい。僕は彼が何者であっても
文句さえ言えれば構わないのだから。
 だから希望を叶えようと口を開きかけたのだが。
「ちょっと、こちらへ」
 それより早く彼に手を取られ、屋敷内に連れ込まれた。
 どうしてこうなるの? この姿で出たら即座に逃げるか腰を抜かすくらいはしてくれる
と思ったというのに。
 そして・・・
「これ、は?」
 予想に反して目の前に現れたのは色の洪水。
「あった、あった」
 長持に上半身を突っ込んで片っ端から中身を放り出していた彼が腕に掛けて立ち上がっ
たのは・・・桜色の着物。
「これに着替えてくれないかい?」
 この男は一体何を考えているのだろう。全く理解できなかった。ただ行動に圧倒された、
と言うのもあるが、その色は嫌いではなかったから無言でそれを受け取った。


 少しして――良く言えば質素、悪く言えば地味な――茶色い衣から、緋桜の襦袢に薄桜
の着物、そして若葉の帯を締めた僕を前にして彼は
「やはり。この襲が似合うと思った」
と。それはそれは満足げに頷いた。
「当たり前じゃないか、僕は桜だよ?」
 彼の行動の理由が全くわからない僕はムッとしてそう答えたけど、彼はただ笑って
「何か飲み物を取ってこよう。くつろいで待っていておくれ」
 そう言って部屋を出て行った。

 文句を言う予定、だったのに・・・おまけにくつろげと言われても、こんなのを着てい
たらくつろげるわけがない。元々着ていたのはもっとゆったりした衣だったんだ。
 だから、きっちり合わせられていた裾をよっこらしょと広げて床にぺたんと座った。
 沢山あるなぁ・・・
 目の前に残っている数々の着物、そして自分が着せられた着物を見比べて・・・趣味は
悪くないかもと思った。
 そして、その部屋の窓から見える――今は月光が降り注ぐだけの――庭を見渡して、僕
が植えられているのは庭の中でも最も日当たりのいい処だと気づいた。
 ・・・この後の態度次第ではまた来年も花を咲かせてもいいかもしれない。
 そんな気持ちで彼が戻るのを待った。


「キミはあの桜の木の・・・精霊、でいいのかな?」
 僕と同じように床に座り込んだ彼は持ってきた盆から酒を選び、少し口に含んで首を傾
げている。
 彼は盆に色んな種類の飲み物を載せて戻ってきた。誰がそんなに飲むのだろうと不思議
に思い眺めていたら『キミの好みを聞くのを忘れていたから』とばつが悪そうに言った。
 だから僕は自然にできたものならば大丈夫と答え、中でも一番美味しそうな汲んだばか
りの井戸水の入ったコップを手に持っている。
「うん、まぁ・・・そんなところ」
「そうか。ならばこれで本人にちゃんと言える」
 何を、と聞く前に彼は居住まいを正し、頭を下げた。
「勝手にうちの庭に連れてきてしまって悪かった」
 それはもう聞いた・・・そう答えようとしたけど、声にならなかった。代わりに
「このお水、美味しい。水遣りはこれでお願いするね」
 そう答えていた。
「わかった。ちゃんと汲みたてを持っていくからね」
 要求に頷き、嬉しそうなその笑みに僕は文句を言う必要がないことを悟り、詰めていた
息を吐いた。
「やっぱり!」
「え?」
「笑った方が可愛いよ」
「誰が笑ったの?」
「キミ」
「は?」
 ニコニコと彼が指差すのは僕で・・・笑ったの、かな?
 よくわからなかったけど、悪い気はしないから、まぁ・・・いいか。


 こんな風にして僕たちの付き合いは始まり・・・と言っても年若い僕が人の成りを取れ
るのは年に数日、花の時期だけだったので、そう沢山話せたわけではない。けれど彼はそ
れ以外の季節も僕の処にやってきて、時に幹に手を触れ、時に背を預け――僕は時折木の
葉を揺らす程度しかできなかったけど、それでもよかった――語り合った。
 それだけで十分幸せだった。否、幸せだと思い込んでいた。
 この瞬間までは。


「え、おばば様、今何と仰いましたか?」
 おばば様と言うのはこの庭の最長老の松の木だ。種こそ違うけど、ここへ来てまだ2年
目と年浅い僕を可愛がってくれて色んなことを教えてくれる。
 今年も冬篭りから覚め、一番にご挨拶に行った僕に彼女は眠っている間に起きた出来事
を語ってくれたんだけど・・・
「おやおや、この子たら。若いくせにもう耳が遠くなったのかい?」
 くすくすと楽しげに笑う彼女には悪いけど、この時ばかりは軽口に付き合う気分ではな
かった。
「屋形殿がご結婚なさるそうだよ」
 屋形殿って・・・彼、が?
「どうして・・・そんなの、嘘、だっ!」
 そんなのは聞いてないっ・・・だって、去年木に戻る間際に彼は、言ってくれたんだ。
『こんな気持ちをキミに告げても困るかもしれないけど・・・言わずにいられないんだ。
 大好きだよ。ずっとずっと、一緒にいておくれ』
と。だから僕も『はい』って答えたのに!
「お待ち」
 彼の元へ駆け出そうとしていたが、おばば様の静かな一喝で僕は一歩しか踏み出すこと
ができなかった。
「目覚めたばかりのお前では力が足りないよ。人の成りをできなければ、話すこともできまい」
「・・・・・・」
 その通りだ。おばば様とは同じ植物だからこそ話もできるが、今の僕では人の目に見え
る姿になることは、できない。
 悔しいけど、今はもうしばらく季節が移るのを待たねばならない。
「それに行って何を話すつもりだい? あちらは人の子、お前は桜だろう」
「おばば様、知って・・・」
 彼女の言葉にドキリとした。人間風に言うなら『全身の血が逆流した』とでも言うのだ
ろう。
「たとえ思いが通じたとしても、人の子と一緒にはなれぬよ」
「でも・・・」
「受け入れたが最後、狂ってしまうからね」
「・・・・・・」
「咲き始めるまでにはもう少し時間があろう。それまでに頭を冷やしなさい」
 彼女の言葉にもはや言い返すだけの気力は残っていなかった僕は無言で自分の場所まで
戻った。


 寒さに強い木々たちが芽吹き、草花が花を付け出し僕に語りかける者も多かったけどそ
の中に彼の姿はなく、僕は無言でその日を待った。
 そして、濃い桃色のなかに一つだけ薄い桃色となった日、僕は屋敷に駆け込んだ。


「ああ、よく来たね!」
 一年ぶりの逢瀬に彼は両手を広げて迎え入れてくれた。けれどその胸に飛び込んだ桜の
精にそれまでのような笑みはない。
「どうしたんだい?」
「・・・・・・るって、聞いた」
「え?」
「結婚するって・・・!」
 彼の衣服をぎゅっと掴んで下を向いたまま叫んだ。どうしても・・・顔を見ることがで
きない。
「ああ・・・聞いたのか」
 呟くような声に『あれ?』と思う。
「結婚しないと、この屋敷を継げないんだ」
「屋敷・・・・・・庭、も?」
「うん、そうだね」
 その答えを聞いて、初めて僕は顔を上げた。
 ・・・・・・!!
 僕は何て馬鹿だったんだろう。どうして彼の『大好きだよ』という言葉を疑ったりした
んだろう!
 ゆっくりと両手を開いて握り締めていた衣服を離した。そして震えるその手を持ち上げ
て去年よりも確実に痩せた彼の首に回す。踵を上げ、ぶら下がるようにして少しだけ身体
を持ち上げた。
「・・・・・・て」
「え?」
「一度だけでいいっ、僕を愛して!」
 おばば様、これが僕の答えです。
 そして声は聞こえなかったけど、僕の背中に強く回された両腕が彼の答えだった。


「こんなことをして、キミは・・・身体は大丈夫なのかい?」
「さあ・・・わからない。でもっ」
「でも?」
「あなたの、隣に・・・誰かが、いるところを・・・見なければならないのならっ」
「ごめんね」
「構わない・・・あなたは、あなたの方法で、守ろうと・・・して、くれた、カラ」
「うん」
「あなたは、怖くない・・・の?」
「何が?」
「ぼ、く」
「怖いものか。あの山でキミを見つけた時、そしてこの庭に現れてくれた時、どれほど嬉
しかったか・・・キミは知らないから、そんなことが言えるんだよ」
「んっ・・・・・・」
「今私が、どれほどの宝を手にしているか・・・キミは知らないんだ、よ」
「う、ん・・・だったら、教えてよっ!」
「ああ、そうしよう。ちゃんと・・・聞いていておくれ!」
 二人の宝を月だけが照らしていた。


 前日のまだ昼間の暖かい時間にやっと一つだけ花をつけた桜は、その夜月が天頂に昇る
頃満開を向かえ、そして最も寒い明け方には全ての花を散らしていた。
 屋敷の人間はこの怪奇に皆目を白黒させていたが、主のみは冷静に花びらの敷物を素足
で渡った。そして木の元に辿り着くと幹に手をつき静かに涙を零した。


 次の春、桜は花をつけなかった。


 そして、桜が狂い咲いた年より床につき勝ちになった主の婚礼は無期限で延期され、二
度花をつけない桜を見た後その生涯を静かに閉じた。
 遺言により彼の骨の一部は彼の次の主となる者の手で桜の根元に埋められた。


 桜が緋色の花をつけるのは、その翌年からである。




「ほぉ、これは見事なものだ」
 次の主となった男は満開の木から風もないのに、はらはらと舞い落ちてくる緋色の花弁
を受け止めようとその手を伸ばした。
「お前が今の主か?」
 いつからそこにいたのだろう。声に驚いて視線を転じるとそこには髪の長い美しい――
いや、ただ美しいのではない。うっすらと笑みを湛える口元などは妖艶というに相応しい
――若者がいた。
「そうだ」
 屋敷の人間以外の者が気付かぬ内に傍にいたことには驚いたが、だがこの男は目の前に
佇むモノの存在を――聞いていた姿とは幾分違うが――知っていた。
 だから慌てず騒がず、若者が口を開くのを待った。
「ならば礼を言いましょう。貴方が私に彼を下さったのですね」
「いいや、そうではない。俺がしたのは従兄(あに)が望んだからだ」
「え?」
 美しい若者の言う『彼』とは男の従兄(いとこ)に当たる存在で、幼い頃はそれこそ兄
弟のように一緒に過ごした仲だった。
「アンタのコトは従兄から聞いている」
「そう、か」
「アンタの根元に還りたいと願ったのは従兄だ」
「でも、私は・・・」
 そう、従兄が何と出会い、最期に何を望んだのかは知っている。しかし、
「俺が知っているのは存在だけで、アンタたちの間に何があって、どう思っているかは知
らない。でも、アンタが知らない従兄の最期と、どう思っていたかは知っている」
「・・・・・・」
「桜が狂い咲いた後、従兄は倒れた」
「それは・・・」
「だけど、ソレはアンタの責任じゃあない。あの人は元々身体が弱かったんだ」
「う、そ?」
「知らなかったって言いたいんだろ? だろうな。ココにいた時の従兄は調子良さそうだ
ったから。でも本当はそうじゃなかった」
「弱かった?」
「ああ。だから空気の悪い都会にある本邸ではなく、ココにいたんだ。で、こっちに療養
へ来て調子良くなった従兄を見てじい様たち、欲を出してしまったんだ」
「欲?」
「身体が良くなったなら嫁を貰って家督を継げ、とね」
「・・・・・・」
「それが丁度・・・3年前の冬頃か。で、ソレを了承したものの、結局じい様たちの願い
は叶えられず従兄は身罷った、というわけ」
「だから、それは・・・」
 どういう理由からか、この若者は従兄の死を自分のせいだと思っているらしい。でもそ
れは断じて違うのだ。それだけは理解してもらわなくては、後を託された自分は従兄に申
し訳が立たない。
「だから、アンタのせいじゃないって。亡くなる間際、よく言っていたよ『大切な宝があ
るんだけど、傷をつけてしまった』とね」
「傷なんて!!」
「でもそれは後悔していない。望んでしたことだから」
「え?」
「従兄の口癖」
「口癖・・・」
「そう。そう言う時の従兄は本当に満ち足りた表情をしてたんだ。だからアンタは・・・」
 言葉を一度切って大きく息を吸い込み、そして若者の目を真っ直ぐ見据える。
「安心して従兄を抱いて、眠っていて欲しい」
「・・・・・・あり、がと・・・」
 小さな、本当に小さな呟きと・・・一粒だけ零れ落ちた、雫。
 これが従兄の言う『宝』だったのだと納得した。
「礼には及ばない。今のアンタみたいなのにウロウロされたんじゃあ・・・」
「私が出歩くと何か不味いか?」
 今の雫は何だったんだ?
 思わず突っ込みを入れたくなるくらいの若者の疑問に男は肩をがっくりと落とした。

「大いに不味い。今アンタが欲しいのは従兄だけだろ?」
「確かに」
 頷いてクスクスと笑う様から、先程の疑問はわざとだったようだ。そして自身の容姿に
自覚はあるらしい。ならば説明も説得もいるまい。
「そういうことだ。だからアンタが従兄を忘れるまでは人前に出るな」
「そうしよう・・・ありがとう」
「礼を言われることじゃないって」
「そっちではないのだけど・・・いや、どちらでもいいか」
「ああ。・・・お休み」
 言うと同時に妖艶でありながら、どこか清々しく満足気な笑みを残した若者は春の霞の
ようにすぅーと姿を消した。
 一人残された男は月光を受け更に輝きを増した桜を、しばしの間笑みを湛えて見上げ続けた。
2006.6.15
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朝永明ちゃんからいただきました。う〜〜ん素敵・・・(うっとり)

ほんとあんな絵からなぜにこんな素敵なお話が生まれてくるんでしょうか?

毎度私のおねだり聞いてくくれてありがと〜明ちゃん!

元ネタの絵はこちら
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