松下幸之助 博物館

  "松下幸之助 博物館(パナソニック・ミュージアム)"へは、京阪電車 西三荘駅が最寄り駅です。松下幸之助 博物館は、門真市の外れの守口市との境界近くにあります。

  松下幸之助 博物館のゲートの写真です。松下幸之助 博物館は、門真のパナソニック本社のすぐ隣にあります。

  ゲートを抜けると、左手にはいよいよ博物館が、右手には松下幸之助さんの銅像があります。

  松下幸之助さんのポートレートです。松下幸之助(1894年11月27日-1989年4月27日)さんは、松下電器産業の創設者です。現在、残念ながら松下の社名はなくなり、Panasonicに一本化されました。

  和歌山県海草郡の
裕福な家に生まれましたが、父が米相場の失敗で破産したため、和歌山県本町に移転しました。しかし、ここでも父が始めた下駄屋が失敗し、松下幸之助さんは9歳で大阪の丁稚奉公をしました。

  館内には、モニターが数多く設置されていて、松下幸之助さんとパナソニックのことを学ぶことができます。上の写真は、9歳時の宮田火鉢店での奉公のイメージです。

  松下幸之助さんは、15歳で大阪電灯に入社し、6年余り勤務しました。ソケットの改良に取り組みましたが、上司に受け入れられずに自分でソケットを作りたいと考え退社しました。

  独立しましたが、ソケットは売れませんでした。夫人が質屋に通うほど生活は困窮していたそうです。1917年の暮れに、川北電機から、扇風機の碍盤1000枚を受注して窮地を脱することができました。

  左上が創業当時の松下幸之助さんで、上中央が義弟の井植歳男(三洋電機創業者)さん、そして右上が夫人の むめの さんです。

  ナショナル製品の中でも、かなり有名なのは、この白熱電球ではないでしょうか?恐らく全ての人が一度は目にしたことがあるでしょう。

  National は現在の Panasonic のことです。写真は、三種の神器と言われるテレビ、洗濯機、冷蔵庫です。1953年ごろ始まったテレビ放送ぐらいから、電化製品が急速に普及し始めました。

  ラジオです。ラジオも Panasonic を代表する製品ではないでしょうか?1955年に、アメリカ向けハイファイスピーカーの愛称としてPanasonicブランドを考案しました。PAN(汎く、グローバルに)、SONIC(音、進歩的な)からきています。

  ナショナル製、初のビデオデッキ”マックロード”です。今はもうDVDに移行され、ビデオデッキにお目にかかれる機会は、ほとんど無いと思いますが、日本ビクターと共同開発したナショナルのこの初代ビデオデッキはかなり大きな製品でした。お値段もかなり高額でした。

  館内には、年代物のパナソニックの製品が年代別に展示され、多くの昭和の製品を見ることができます。

  1952年製のナショナルハイパー号です。松下幸之助さんは、1905年の10歳当時、五代自転車店に奉公されていたことがあります。自転車にも、たいへんな知識を持っておられたことでしょう。なお、この自転車の56か所にナショナルのロゴが刻まれています。

  松下幸之助さんが、1965年に自転車を試乗されていた時の写真です。

  1980年に発売された日本初の電気自転車です。電動アシスト自転車の先駆けとなりました。当時、83歳の松下幸之助さんが試乗して、高齢者でも乗車できるとアピールされました。販売価格は78、000円でした。

  夫人の むめの さんが自ら店員のまかないをし、彼らを家族同様に世話をしていました。夫婦共々、社員をとても大事にされていたようです。その時の鍋と釜です(写真右上)。

  1933年当時の松下電器製作所の所主室を復元したものです。松下幸之助さんは、1937年までこの部屋で指揮を執っておられたようです。

  1989年4月27日、守口市の松下記念病院にて、94歳で息をひきとられました。
死亡時の遺産総額は約2450億円で、日本で最高とされています。

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