宇都宮市不動前-小幡 日光街道(現在ノ國道四號ニ當ル舊々々道) 【後篇】

2674年 10月 20日 探訪

 【前篇】からの續きであります。

 歴史的物件の反對側には斯う云ふ立派な松が生て居りまして、如何にもな風情は未だ殘つてはゐるのであります。
 【現在地】

 唯一寸寂れた感は否め無いでありますが、松を植ゑてゐる家が在つたりと、矢張歴史を感じる部分は御坐います。
 庭木に松は良いでありますね。

 嗚呼、さう云へば拙と同時に一組の御夫婦が矢張此方、日光街道としてか奧州道中としてか歩いて居りました。

 とびだし注意の邊から左側、用地が廣く取つて有りますが、間も無く擴幅される豫定なのでせうか。
なのでせうね。

 此邊、右手に天滿宮が在りますので、其處に大黒樣が奉られてゐるのでせうか。
 間も無く一番の見處、桝形なのでありますが、其が消失するのも時間の問題の樣であります。

 まあ、現代では不要な造りでありますから仕方が無い事でありますね。
 目前のもみぢ通との交叉點が桝形なのでありますが、嗚呼、之はもう完全に桝形を解消する爲の用地でありますね。
 【現在地】

 現在でも可也解消されて居りますが、元々は左手、ガアドレイルで塞がれてゐる邊迄向つてゐたと云ふ譯であります。

 きつと街道筋らしい立派な桝形だつたのでせう。

 と云つても、其つて軍事的な意味合ひつて事、でありますよね、多分。
 もうほぼ原型を留めてゐ無い、且つ可也擴幅されてゐる樣であります。

 此處から材木町通と云ふ名稱に變る樣であります。
 ええと、日光街道新道以西の此處はいてふ通と呼んで良いのかな、との交叉點であります。

 此緩い曲りが桝形解消の爲と、もう後年に成つては誰も思は無く成るのでせう、ね。
多分。
 江戸時代にはきつと商工業の中心地だつたのでせうか、材木町と云ふ字名が在る通り。

 四車線化されてからは今囘初て通りました、拙。
 此交叉點で横切る道が桝形に成つてゐるのが可愛らしいであります。
 して、裁判所前の大通に到着であります。

 現在の日光街道、國道一一九號は左折でありますが、本來の日光街道、奧州道中は其々右折であります。
 【現在地】

 大通とは云へ、以前は此邊つて狹かつた儘でありました。
其が今では立派な通に成りました。

 して、一つ先に見える信號を左折し、現在の清住町通に入るのが元々の日光街道、此儘眞直市内を進むのが奧州道中、元々の國道四號であります。

 詳しくは動畫を製作されて居られる方を初め、一杯居られるでせうから拙は省略致しますが、之が江戸時代から今でも續く道筋だつたと云ふ事に感動でありました。

 まあ、改て地域を見直して見るのも面白い事でありますね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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