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MDがPhDに嫌われる理由


 小生の基礎研究ももうすぐ6年が経ち、2002年の4月より7年目に入ろうとしている。臨床経験はまる3年であるから、小生の頭の中の思考回路はどうも最近、臨床家の考え方よりも基礎科学者に近いのではないかと思うことがしばしばある。現在もアメリカでは泌尿器科のラボに所属してはいるものの、つき合う仲間はMD(Medical Doctor:医者)ではなく皆PhD(意味的にはPhysical Science Doctor、本当はDoctor of Philosophy の略:基礎研究者)の人ばかりである。泌尿器科のレジデント達は一年間あるいは最低半年間は基礎研究に従事しなくてはならず、そのため<本来の私の同業者達>が入れ代わりでラボにやってくるので、親しくなる機会も多い。加えて本来の分野ではない<研究留学>でアメリカにやってくるMDの外国人先生とも接する機会が増えた。彼等の待遇や小生の経験を踏まえると、日本における状況と同じく、どうもMDはPhDにあまり好かれていないようだ。なぜなのか?今回はもっと突っ込み、「MDがPhDに嫌われる理由」について考えてみたいと思う。

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 我々のような異種民族がアメリカ白人社会に入っていくだけでも最初に超えねばならない壁がある。ましてやMDの身分で入って行く場合にはその眼差しはもっと複雑である。尊敬もあれば偏見もあり、その感情は決して簡単には説明できない。概して、アメリカのポスドクなどの研究者は博士過程を終了しているため研究のプロであるが、MDの研究レベルはPhD の博士どころか修士以下である。つまり研究のイロハすらしらないと思われているといってよい。実際、アメリカでは日本と違いMDが研究などすることは非常にまれである。もし本当にMD and PhDならば相当な尊敬をまわりから受けるわけだが、そういう人は極めて稀であってやはりMDなどは一般的には研究の素人と思われているようである。したがい我々日本人なら多いはずのMD and PhDが信頼と理解を得るためには日々の研究で実力を発揮し、研究発表会などでも力を入れて辛抱強く時間をかけて証明するしかない。

社会科学者のMDの感覚が自然科学で馴染まない

 本来、臨床医学はサイエンスの進歩の実践場所として申し分のない分野であるにもかかわらず、従事者達は科学的思考よりもむしろ社会科学に傾倒しているようである。世間の中には医者は社会常識がないなどという人もおられるようだがそれはおそらく間違いであろう。むしろ逆で、社会常識のある人の方が多く、<世間慣れ>し過ぎていると言った方が適格かと思う。医者は患者などの弱者と接する機会が圧倒的に多く、それ以外の医療従事者(技師や看護婦)、製薬業者や多くの同業者間の懇親会への出席、業務外の時間も多くの付き合いに時間を費やしている。そういう意味では医者には社会通念が十分ある方だと思う。別の言い方を借りれば<馴れ合い>的な要素もあるかもしれないが、どの社会でも<潤滑油>的付き合いは必要であり、アメリカなどでは日本以上につき合いは重要なものとされている。非常識な医者はもともとの個人のせいか、社会構造が医者に権力を与え過ぎ、そのため医者を取り巻く利権がそういう一部の人達を更に増幅させている場合が多いのではないだろうか。特に、象牙の塔に在籍している人に非常識と写る人物が散見されるのは、大学医学部が学問の場というよりは権力闘争の場になり下がったのも一つの原因かもしれない。すなわち、大学医学部教授になると一個人に世間が与える特権(業者の接待や個人病院からの献金など)があまりに大きすぎるのである。
 一方で、患者さんの診療後に頂く<お布施>という習慣は、収益事業を営まない坊さんなら受け取る理由が解るが、診療をして社会から十分な給料を得ている人間がまた金品を受け取るのは明らかにおかしい。これは<世間慣れ>というよりは<世間ずれ>と言った方が適格かもしれない。アメリカでは一般的にチップという制度がある手前上そういう制度がまかり通っても仕方ないとは思うが、日本の一般社会の中にはそのような習慣が無いにも関わらず、医者達は<チップ制度>に関して自己批判を避け利益享受に甘んじているのも事実である。一般社会常識を物指しにすれば医者は政治家や官僚と同様、社会的強者として<世間ずれ>している点があることは事実のようだ。おそらく、工事の受注に手を回して上げてもらう数千万円のチップが妥当と考える人は<貰う人>以外にいるのだろうか?

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 一方で、PhD研究者の方が社会常識に疎く、<世間ずれ>していると思うことが多い。一年間で数人、多くて10人を越す程度の中で人間関係を築いていればよいだけなので、むしろ独りよがり的な考え方や行動が目につきやすい。研究室に隠りがちで、人とつき合うより実験している方が楽だという感覚は小生にも実際よく理解できる。スポーツに例えれば野球やサッカーなどのチームワークを必要とする医療という世界とは違い、自然科学への取り組みは、ゴルフやマラソンのように最終的には個人の力を出し切ることに重点が置かれている。満足感は組織の連帯から生まれるより、個人の達成感(論文など)で埋められるていることが何よりの証拠である。
 組織プレーに慣れているMDにも個人としての力はもちろんあるものの、個人プレーを一貫してやってきたPhDにスタートラインで勝てるはずがない。またMDはいつもクリアーカットに出来ない灰色の部分を考慮しなければならないため(同じ治療法ですべての共通疾患が治るとは限らないことなど)、白黒をつけようとするリサーチワークは意識の上でも随分骨の折れる業でもあるようだ。医療に自然科学が必要であることにMD側も全く異論はないが、それよりも大切な一般診療(オーソドックスな知識を利用して結論を導く思考作業)により多く目を向けねばならず、それが<最新科学>から疎かになりがちになる一つの理由にもなっているのであろうと推測する。

豊かさが原因

 しかし理由はそれだけでは説明が付かない。実際、臨床から基礎研究に転身してくる先生もおられるし、その後高名になった方も数多くおられるからだ。社会科学者であることがすべての原因ではない。自然科学的感覚はサイエンスにのめり込んで行き、個人の適応能力が優れていれば、自然とそのサイエンスモードに切り替わっていくからである。
 小生が感じるMDの一番の欠点は、 職業的な長所でもある 豊かさから生まれる副産物である。第一点としては経済財政としての豊かさと、第二点としてはいつでも転身可能、一つのポジションにこだわらない気持ちの余裕(豊かさ)である。そして第三点としてはチーム医療の弊害として現れる医者の「人任せ」という点であろう。

 例を挙げる。外国からやってきたMD and PhDの先生が一向に教室に馴染めず相談を受けたことがある(日本人ではない)。溶けこもうと努力しているのになかなかうまくいかず、「自分は皆から嫌われているようだ」とまで言われた。状況を小生ながらに分析してみた結果、状況は彼の言うとおりだったがその原因が彼の主張どおりではなかった。一生懸命馴染むための努力はしたようだが、自分でパーティーを主催してラボの人を呼ぶとか、まわりに物を配るとかであって、仕事(実験)に真摯に取り組む姿勢を見せなかったことには本人は気が付いていないようであった(いかにもありがちな話である)。実験になるととたんに暗い顔になり、やる気のない<医学部の学生>にタイムスリップしてしまうようだ。場外でいくら基礎研究者達の気を引いても全く効果など出るはずもないのだが、本人は小生の忠告には何処吹く風である。さらに今度は講座の主任教授と実験の主旨で一悶着を起こした。自分は臨床家なのでマウスなどの実験はやりたく無い、もっと臨床にからんだことをやりたいと言われたようで、それがかなり心証を悪くしたようだ。MDはヒトの検体を使う実験をするのが本流だというのが私の持論でもあるのだが、臨床家が研究すべき領域は基礎と臨床の間にもあり、またその掛け橋をするのも重要な役割のはずである。大学院生の時に動物実験から始まり現在はヒトへと移行している小生の取り組む姿勢の変化は、その理由によるものなのだが、それでも6年という長い歳月の中でゆっくりと移行させていったわけである。しかし、彼は全くそういうことを経験したわけでもないのにPhDの先生を刺激する発言を平気でした。バックグラウンドの無い注文は結果的に本人のやる気の無さを表現したに過ぎず、挙げ句には教授から「そんなに文句があるなら自分の国に帰りなさい」と言われ、あわてて私に相談を持ちかけてきたわけである。どうしようもなくなったので我ボスに相談したところボスのマイクは今年は見習いとして面倒を見てあげ、翌年からポスドクで雇ってあげることとなった。しかし我ラボにきてからも小生が発言した「ラボにはいつきても良いし、いつ帰ってもよい」を額面通り受け取り、前ラボに在籍していた時以上に怠けはじめ昼の2時や3時には奥さんにお迎えコールの電話をしている有り様である。もちろん小生の言葉の裏には「その代わり結果が統べてである」という意味があるのだが、気が付いていないようである。一方で、金銭の話には一生懸命で、息子の教育費や娘の習い事にお金が掛かるといっては来年から貰う給料の額が心配のようである。このようなMD特有の<ずるい>感覚が究極の問題点ともいえるだろう。ちなみにこの先生は人間的には非常に良く、決して人の悪口を言わないし、同じ国の仲間からはとても好意的に見られているようである。

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 小生の給料はアメリカにきてかなり減った。ボスからもらう月額2○万円程度の給料で妻がなんとかやりくりしている。日本の時に比べればおよそ○分の一程度といってよい。こういう質素な生活がいつのまにかPhDの先生達との間にあった垣根を下げていったと思う。それは決して小生が貧乏になったからではなく、自分の気持ちの持ち方に大きく変化が生まれたからである。というのも慣れてしまえば金銭的に裕福でなくともそんなに困らない。経済は豊かではないがサイエンスに没頭できる方が嬉しいと思うことすらある。実は給料の額ではなく、給料の定額以上の稼ぎをしないというのが大事なのである。 本当に経済的に豊かであれば良いのだが、医者の豊かさとは本来の本業をサボってするアルバイトで得られる臨時給料に依存することが多く、一晩働けば翌日には財布の中に万札が数枚はいる、そういうはしたない金銭感覚に裏打ちされた豊かさでしかない場合が多い。MDはサイエンスよりも時に自分の懐の方が心配であるから、情熱が分散し研究において良い仕事をなかなか達成できない。アメリカに来るとよけいな副収入を考えなくてよい分、サイエンスに没頭できるしそれによってPhD達とも過ごす時間が増え、親しくなれる。金銭に対する執着心をまず無くさねば、なかなかサイエンスには入っていけないしその世界での成功もおぼつかないであろう。

 第二点に指摘した「執着心のなさ」 が実は自然科学を探究するうえではもっとも障害になっている 。MDの一時的な基礎科学の教室に在籍という感覚が嫌われる原因の主であるようだ。多くのPhDがこれしかないと思って入り込んでいる世界にいつでも脱出可能な心掛けで飛び込んでくれば、PhD が嫌がるのも無理はない。前述したごとくPhDの世界は個人プレーが主であるから、周囲の環境が<無>の方を好み、マイナス因子プラス因子のどちらも嫌う。言い換えれば、最新の科学を研究しているのにも関わらず、どちらかというと環境の変化を嫌う傾向があるということである。それゆえMDがPhDの環境に適応する努力は絶対に大事である。決してマイナスをカバーしようとしてプラスを主張してはならないのである(MDはどうしても臨床ではコウダと言いたいようだ)。一方で、毎年新しい医者を養成していかねばならない医者の方はマイナスをプラスにする仕事に従事しているからマイナスを嫌悪しない。自分の職場も何回か変わるのが普通であるからサラリーマンの感覚もある。日常的にも<マイナス>を背負ったやってくる患者さんをゼロに戻すのが仕事であることも一つの理由であろう。そういう感覚的なズレも関係あるようだが、いずれにしろ、MDの執着心のなさはPhDサイドからすれば一番受け入れられない感覚であろうと思う。したがい、MDはもっと欲を持ってPhDの世界に入ってくるべきだと思う。面白い世界と思えばPhDの先生を押し退けてでも席を確保するくらいの気合いもほしい。環境適応という点においてはまず今まで背負っていたもの、着てきた服のスタイルをすべて脱ぎ捨て、新しいPhDスタイルで望んだとすれば、きっと多少の差があったとしても決してPhDに劣らぬ研究成果を得られることも決して不可能ではないと思う。

 第三の要因は最初から最後まで自分で物事を完了しないことにあるようだ。医療の世界は古いピラミッド式の構造があり一番上にいる医者は主要な部分をするだけで後の残った部分の多くを看護婦やその他の事務に任せる習慣がある。頭とエネルギーを使い、多くの責任を負うのが医者の仕事であることに間違いはないが、医療の世界で行う「仕事を下に任す習慣」をそのまま実験室でやってしまうと反発が発生することもあるようだ。「すまんがやってくれないか?」と言いつつ、ふんぞり返って何もしない傾向はまず直さねばならないだろう。更に言うなれば、自分で後片ずける習慣もない(いつも看護婦にやってもらっている)から「やりっぱなし」が多く、ますます反感を買う。実はまず身につけなければいけない習慣が「片ずけ」「整理整頓」なのである(子供でもあるまいしと思うかもしれないが、事実である)。

MDはどこを研究領域とすべきか?

 MDはいつも「臨床に結びつけようとする」ことが良くないと言われる先生も居られるが、はたしてこれはどうだろうか?たしかに各論よりも総論に走りがちになる傾向はよくないが、何が大事なのかという点を知っていることは重要である。サイエンスは<現象>という入り口からはいるものだが、まさに臨床の現場は<現象>そのものである。こういう点は活かせれるべきだと思う。アメリカではラボでの研究発表の際、研究者は必ず自分の研究の仮説(Hypothesis)を立てそれに向かって行くために何を考え、何に取り組むのかを説明するよう指示される。これは研究する上で向かうべき目的を明確にすることがいかに大事なことか、ということを意味している。そういう意味では臨床の現場における重要度は是非知っておかねばならない問題であり、PhDが臨床の研究会にも顔を出して情報収集する一つの理由となっている。
 特に、サイエンスの世界に入ると解ることだが、PhDは自分の専門領域における臨床状況或いは専門領域以外には非常に疎いことがわかる。そういう場合、MDには<次の一手>が意外に早く見えることがあるのでその点は利点と捕らえるべきであろう。いかなる分野においても自分の専門外から学ぼうとする人は一流であり、異分野の思考を排除しようとする人は決して一流にはなれない。実際、PhDの先生の中でも優れた研究者はあらゆる人との交流を持とうとしているようだ。

 先日ボスのマイクと話したことだが、「いつまであなたはラボを持つのですか?」と尋ねたら「自分が大学を辞めるまでさ」と即答された。その理由はこうである。「多くの医者は医療が科学と結びついているのを解っていてもそれを医療に取り入れることが出来ない。その理由は簡単で自分のアイデアが本当に正しいのかどうか実証できないからだ。自分がラボを持ち続けたい主な理由は、思いついたことや臨床に応用できそうなアイデアをラボで確認する作業が出来る点である。そしていずれ自分のアイデアを医療に適応することができるようになるかもしれない。医療に還元できない研究などはMDがする必要はきっとないだろうし、PhDの先生達の研究がいくら優れた論文になろうが必ずしも医療においては実践的とはなりえない。だから臨床を知っている自分がラボを持っているのだ」という答えが返ってきた。
 なんとも羨ましい制度がアメリカにはあるものだといつも感心する。多少でもアメリカのようなラボ制度が日本にでもあればと思う。とともに、我々MD and PhDが研究すべき領域はすべて目の前に存在しているのだという、当たり前のことをこれは示しているのである。

 MDが基礎研究を進めていけば、自ずと到達するべき場所が見えてくるようだ。また、「臨床の出来る人が研究職に従事」すると、もっと面白いサイエンスが出来上がると思う。

                            2002年1月17日

訂正箇所・・・KanaP先生、ありがとう!(PhDの正確な略を教えて頂きました、小生感謝致しております)
  
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