「ベランダに出ると、ひどく寒かった。部屋にもどって、メリヤスの下着を1枚かさね、ビロードの上着の上部のボタンを全部とめてみたが、なお寒さがしのげず、ついラシャのマントを羽織った。」

この短文のなかに、ポストガル語の単語が6個もあります。戦国期に入れた南蛮文化がいかに大きいものであったかがわかる。と

「司馬遼太郎 街道をゆく 23 南蛮のみち」

に書いてありました。

イベリア半島の西部にある九州の倍ぐらいの遠くにあるポルトガルがスペインよりも親しみを感じるのは私だけではないでしょう。
以下はこの本の中から

私は、ポルトガル人とスペイン人は似ているかと聞いたとき、
「性格?」
彼女はかぶりをふった。
「ちがっている。   顔も。 ポルトガル人の顔は・・・」
彼女は自分の顔を手にそえて、
「海にむかっていて、悲しげです」

ふしぎな暗さ-----甘酸っぱくて、どこか別れの歌でもうたうと似合いそうな色合いがあるといっていいのか。
これは彼女のことばを私が勝手に拡大してみた表現だが、いまそのように想像している。

スペインですばらしいと思ったのは、どの顔も――男と女――張りがあって、頑質なほどに自信にみちていたことだった。そこゆくと、ポルトガル人は内気でシャイなところがあるらしい。

「石美さん、日本などでは、小さい子などに声をかけたりすると、母親のうしろにかくれたりして、変にはずかしがりますね。」
と、マドリードで、石美さんに問いかけたことがある。ちょっと説明が要るが、日本人の子ははずかしがる。アジアでは、私の経験では、たとえばヴェトナム人の子ははずかしがるが、モンゴル人の子ははずかしがらない。中国の子についてはうまく記憶がまとまらない…そういう話題である。
「スペインの子はどうですか」
「はずかしがりません」
石美さんは、よほどそのことについて考えた経験があるらしく、大声でいった。かれには個人体験がある。お子さんのことである。スペイン女性を母とするふたりのお子さんを日本につれって帰ったところ、
「こちらがこまるほど、はずかしがらないんですよ」
ということだった。その理由など見当もつかないが、あてずっぽうにいえば、自分の文化を他の世界に押しつけてきた国にはそういう感覚がないか、少ないのではあるまいか。文化を押しつけてきた点では、スペインほど世界に冠たる歴史をもっている国はあるまい。
ポルトガルも殖民帝国だったが、広大すぎる殖民地を維持するには本国の人口が少なすぎたため、居丈高な態度ではやってゆけず、スペインとはずいぶんちがった姿勢をとりつづけたという事情があった。もっとも、ポルトガルのこどもがはずかしがるかどうかは、行ってみないとわからない。ただ、ポルトガルの大人たちには好もしい含羞がある、ということは、日本でしばしばきいた。私にとって、最初に見たポルトガル人は、この「リスボン特急」の運転士と車掌であった。かれらは国境の駅で、スペイン人の運転手・車掌と交代したのだが、二人はあきらかにスペイン人と違っていた。小柄で細面であるという点もポルトガル的だが、どこか物哀しそうで、それに、人と接するときにはちゃんと微笑をみせた。車掌さんなどは、ふと江戸の街のお店(おたな)の手代を感じさせた。

そして、ザヴィエルについてこのように書いています。

ザヴィエルがロヨラによって選ばれるまでには曲折があった。やがて選ばれ、法王の祝福を受けたあと、大使マスカレニャスにともなわれて、ローマから陸路リスボンにきた。ジョアン3世は、ザヴィエルに対し、「出向まであなたを手厚くもてなしたい」として、王宮に付属する住まいをあたえようとし、また身のまわりのことや食事については宮廷の大膳職にそれをさせるべくはからったが、ザヴィエルはそれらをいっさいことわり、弊衣のまま病院に泊まり、街を托鉢して歩いて食べ物を得た。ザヴィエルのリスボン滞在中、法王から親書がとどいた。極東における法王の代理人に任ずるというのである。ザヴィエルの資格は、王侯にひとしかった。しかしかれは、王や貴族たちが、せめて従僕をつけましょうと申し出てもことわり、衣服などはすべて自分で洗濯し、干した。
「それが、私どもが威望と権力を得る唯一の道なのです。」
とかれは貴族のひとりにいった。

やがて東洋への船隊(5隻)がリスボンを出帆することになる。ザヴィエルの乗船はそのうち最大の「サンチャゴ号」(700トン)であった。法王の代理人であるかれには特別室が用意されたが、ついにその部屋に入らず、つねに一般乗客と一緒にいた。わずか700トンの「サンチャゴ号」に5、7百人の人が詰め込まれていた。人間を鮒鮨にするような過密さだった。

衛生状態は極度にわるく、途中、ほとんどの人が病人になった。ザヴィエルはかれらを看護し、汚れものの洗濯をしてやったりした。当時、高位の僧職者は貴族そのものであったことを思うと、異常なありかたといわねばならない。
日本人にキリスト教を運んできたのは、このような人物だったことを考えておかねば、戦国期におけるキリシタンの爆発的な増加という事情がわかりにくい。ただしザヴィエルのように、自分の身を労してやるということに感動をうける思想的素地をもっているのはアジアでは日本だけだった。インドでは身分(カースト)の低い者と見られるだけのことであり、中国では身を労する者は君子でないという伝統があるために、むしろ軽蔑された。

「自分の身を労してやるいうことに感動をうける思想的素地をもっているのはアジアでは日本だけだった。」というのに最近はそのような行動を(身を労するなんて言葉は、もしかして死語に近い?)ただ軽蔑したり利用したり無視する。何も感じず何もない人間に限ってプライドだけ高くて何もしない。自分の身を労している人たちだからこそ、そのような人たちにたいしては何も言わないものだからなおさらそういう人間が増える。そういう人の行動のわからない中身の何もない日本人が増えている気がしているのですが。

では最後に
ヨーロッパ大陸の最西南端であるサグレス岬について

カモンイスの長大な詩は、この岬についてうたっている。
(ただカモンシスはさまざまな事情で翻訳がなく、いろいろな書物にこまぎれに引用されている詩の破片によって、察するほかないらしい。)

大陸の果つるところ

大海の始まるところ

ただそれだけのことばである。いまなら、私どもでもその程度の形容はおもいつくが、そういうことで軽んずるとすれば、後世の傲りというものであろう。後世であるということは、たとえば書店で世界地図を買うことができ、文房具店で地球儀を買うことができるということである。そのことによってごく簡単にヨーロッパ大陸の西南端がするどく三角形にとがっていることがわかるし、さらにこまかいポルトガル地図を買えばその三角形をなす地の果てが断崖になっており、そこから大西洋がはじまっていることもわかる。が、15世紀までの人びとは狭い地理感覚の中に住み、とくに地元民にとっては単に波の湧きたつ崖の連続であるにすぎなかった。カモンイスによってはじめて、ただの地理的突起状が、汝こそヨーロッパの果つるところであり、かつルジタニア(ポルトガルの古名 ギリシャ神話のなかの酒神バッカスの子ルーゾから出ているという。)の子らが乗り出してゆくべき大海のはじまるところだと頌(しょう)されたのである。

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