ポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」の映画は、言葉になかなかできない心の深淵をうまく描いていたと思う。
 最初の場面での坂本龍一の音楽がモロッコを思い出すたびタラ・ラララーと聞こえる。


ポートが言った。
 「この辺の空は実に不思議だね。ぼくはよく空を見ていると、それが何か堅固なものでできていて、その背後にあるものからぼくらを庇護してくれているような感じがする」

キットがほんのわずか身震いしながら言った。
 「背後にあるものから?」  

 「そう」

 「でも、何が背後にあるの?」

 「何もない、と思う。暗黒があるばかりだ。まったくの夜だ」

                   “The Sheltering Sky"

あと何回、私は満月を見られるのだろうか。


ポウル・ボウルズ
Paul Bowls 
1910〜1999年

1910年ニューヨーク州クイーンズで歯科医の長男として生まれる。

アメリカの小説家ポール・ボウルズについては、長年にわたってさまざまな神話伝説のたぐいが飛びかい、いっこうにその実像がわからなかったといえる。ニューヨークでの虚栄な社交に満ちた作曲家生活を捨ててほぼ半世紀、モロッコの最北端の都市のひとつ、地中海と大西洋という二つの色の異なる水の出会うタンジールに居を構えたまではわかっている。その後、キエフやマジューンといった薬物に耽溺し、自分の専門であった西洋音楽を捨ててベルベル人の奏でる玄妙な音楽に聞きいっているらしいとか、もはや創作はすっかり止めてしまって、市場に集う美少年たちの語る魔法じみた物語に耳を傾けるだけで暮らしているとか、はたまた夫人の小説家ジェイン・ボウルズがスペインの精神病院で悲惨な死をとげたとか、ともかく謎めいた切れ切れの噂が伝わってくるばかりで、日本のアメリカ文学者はおろか、故国アメリカにおいても彼の存在は曖昧なままだった。

そのボウルズの4冊めの長編小説と全短編集がブッラクスパロウ社を中心にして開始されたのが1978年。皮切りは「シェルタリング・スカイ」であったが、たちまちのうちに決定的な再評価の名誉を受け、今では、精密な伝記も刊行された。ベルトリッチ監督の「シェルタリング・スカイ」の映画化に際しては、語り手として、また登場人物としてスクリーンに姿を見せている。

1990年12月
四方田犬彦

作品
シェルタリング・スカイ

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