インドでは、「四住期」という伝統的な考え方があるらしい。

サドゥー(ヨガ行者 聖者)が生まれた時から一様に定められた人生を歩む。


それは、人生を

1. 学生期
(学びの時期)

2. 家住期
(結婚して信仰に基づいた家庭を保ち、子供を育て生活者として普通に暮らす)

3. 林棲期
(成長した子供達に家を預け自然の中での瞑想生活、修行の時期)

4. 遊行期
(求道の旅。永遠のサドゥーとなる)

の四つに分けて過ごす考え方で、ムクティという、輪廻である生死の世界からの完全な解放を求め各地の寺院や聖地を遍歴し続ける。


いかにもインド的でインドだからできるような気がする。

ちなみに私に当てはめれば、(当てはめるのも変だけれど)
勉強もまともにせず、母でもなく、妻らしき事などせず、これといった当てはまる場所などない。

唯一、未来に残された遊行期。

日本でそんなことしたらただのプーちゃんだ。

でもなんとなくそういう生き方が羨ましく、正当な生き方にも思えてくる。


生活によって失われし「生命」はいずこ?

本の中のこの1行にとらわれていたら、誰かがその発想は、贅沢な事だと言う。

この世界には今日生きるだけに精一杯でそんな事さえ考える余裕などない人がたくさんいると。

そうなのだ。

本当にそうなのだ。

わかっている。贅沢な発想だと・・・・


ジョンソン博士の『アビシニア王子ラセラス』。

王子は、幸福の谷と呼ばれるユートピア社会に住んでいる。

この社会では、あらゆる生活が統制され、追求され、秩序づけられている結果、人間は一人残らず、快楽の追求にうき身を費やし、自己の精神を持つ少数者も骨ぬきにされ、無価値な自然に残された唯一の有用な要素も奪われてしまう。

王子は、なぜ自分が次第に倦怠と焦燥をおぼえるのか理由がわからない。

ただ、次のように考える事によって、うすうすそれを感づくにすぎない。

『人間には、第六感というか、感覚以外の機能があって、これを満足させぬかぎり、完全に幸福とはなれぬのではないかと思われた。』

王子は「幸福の谷」から脱出し、「かたくなで御しがたい現実」に直面すべく世界のただなかにはいっていく。

「アウトサイダー」
C.ウィルソンより抜粋

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