私は、大きな教会の前に来る。

それは聖キリスト教会の‘全インド教会‘であった。

素晴らしい扉、わたしのためにコンクリートで作られ、盲目の骸骨のようで、底のコンクリートが曲がっているところに聖なる心を持つ扉 。

私が聖なる心にキスしようと身をかがめると、弔いの碑銘が読めた。

「では、ちょっとキツすぎるけれど、さようなら」

私はしあわせだ。それは、死を通じてわたしのところへやってきたひとつの合言葉のようだ。

宇宙的な冗談が、しあわせなやりかたで現実になった。

人間は夢見る存在であることを知ることのできる不思議な国。

私は広場を通りすぎる

アレン・ギンズバーク
  「インド日記」 1962-1963 より

本のカバー写真
  渡辺 眸


アレン・ギンズバーグ  Allen Ginsberg
(1926〜1997)

1926年、ニュージャージー州のピータースンに生まれる。

ギンズバーグは、高校を卒業すると、コロンビア大学に学び、その後、商船乗り組み員、地方新聞の編集助手、皿洗い、書評書き、市場調査など、アメリカ各地を放浪しながらさまざまな経験を積む。

1956年 長詩「吠える」を発表し人びとに衝撃を与え、アメリカの、そして人類の危機を警告した。その「吠える」に寄せた序文で、ウィリアム・カーロス・ウィリアムスは次のように書いた。「この詩にえがかれている人生から恐るべき経験を、自分の肉体を通して味わったのが詩人アレン・ギンズバーグである。驚嘆すべきことは、彼がそういう経験から生き永らえたということではなく、彼が、どん底から自分の愛することのできる人間をみつけた出したということである。人に何を言おうと、彼は、はにかみもせず、堂々と、ほめたたえている愛をみつけたということである。人がなにを言おうと、彼はわたしたちに証明してくれた。/たとえ人生というものが、人間に与え得るかぎりもっとも下劣の経験を積もうとも、もしわたしたちに機知と勇気と信念と ── そして、それを押し通すだけの芸術 ── があるならば、愛の精神はいきて私たちの生命を気高くするものだということを。」

詩人ギンズバーグは、母親の狂死にあい(長詩「カディシュ」1960、は母親に捧げる愛と祈りの絶唱である。)友人たちの挫折に出合い、かつアメリカの果てしない堕落を目撃して、彼らにとっての母なる国ヨーロッパへ、さらにはインドへと、肉体と魂の放浪を続けた。

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