ベトナム、ホーチミン。サイゴン川のほとりに建つマジェスティックホテルに泊まる。ここの最上階のスカイバーは小さいけれど最高。(階段が螺旋なのでずうずうしく上に登って行かないと最上階までいかない)部屋のベランダも小さかったけれど、なにしろ眺めがすばらしい。
が、すばらしいとだけの表現でいいのか・・・・

サイゴンは今、一番美しい季節である。仏植民地時代の面影を伝えるヴィラの白壁や植え込みは、南国の花々にいっそう明るく色どられている。ブーゲンビリア、ハイビスカス、夾竹桃----。

「あの輝く入道雲の白さを見るだけでも、サイゴンに行く価値があるよ」
何代か前の特派員の言葉を思い出した。 
私はほんのしばらく、この国が今、‘終末’に直面している事実を忘れた。
1975年4月26日

川岸の方から知り合いの米国人カメラマンがやって来た。
マジェスティック・ホテルにロッケット砲弾が命中し、6階食堂がやられたという。
700メートルほど先のマジェスティック・ホテルに行ってみる。フランス植民地時代からのもっとも格式の高い堅牢なホテルである。
広い室内は完全にぶざまなガラクタの物置だ。川向こうから飛んできて、屋根を直撃したらしい。天井が半分ほど内側にまくれ、広い青空がのぞいている。壁板は剥がれ落ち、イスもテーブルもクズ鉄のようにひしゃげて、部屋の隅になぎとばされていた。
こんな凄い砲撃が10日も続けば、町中が恐怖で狂い出すのではないか。
1975年4月28日
一部中略)
「サイゴンのいちばん長い日」
近藤 紘一

大晦日はこのホテルにいた。外が騒がしいので下を見るとたくさんのオートバイや車が海岸の通り(トン・ドゥック・タン通り)で立ち往生している。よく見ると左右からこの道に殺到したのか真ん中でお互いにらみ合うようにぶつかっている。(画像の道なりの光はバイクと車の明かり)何時間もこのホテルの下はそのままの状態が続く、そのうち車の屋根でリラックスしだす者やしぶしぶとUターンして帰るものがいる。そうこうする内、12時。申し訳ないが外のそんな様子を見ながらビールなどを飲んでいた。そして港から船の汽笛が高らかに 
ボゥー 
としたかと思うとつぎつぎに停泊している何隻もの船からあらゆる汽笛が鳴り出した。それがしばらくつづく・・・・ 
涙が出た。

翌日、昨日の騒ぎは本当かはわからないが、対岸で花火が上がるとの情報で皆が殺到したらしい。
花火は上がらなかったけれど昨日の汽笛に立ち往生していた人たちも歓声を上げていた。

もう一度見る

ホームへ戻る