Alfred Stieglitz
アルフレッド・スティーグリッツ
1864-1946

アメリカの写真家。
ニュージャージー州の裕福なドイツ系ユダヤ人移民の家庭に生まれる。幼少時代を ニューヨークで過ごし、1882年に父親の勧めでドイツのベルリンに機械学を勉強しに留学する。1887年にロンドンの“アマチュア・フォトグラファー”誌のコンテストでP.H.エマーソンに認められ賞を受ける。1890年にニューヨークに戻り、写真家として制作活動を展開すると同時に『カメラ・ノーツ』誌(1897-1902)や『カメラ・ワーク』誌(1903-1917)を創刊・編集。近代芸術としての写真の確立期であった時期に写真の本質に迫る表現への道を模索し1902年写真を絵画との関係の中で捉えるのではなく、独自の様式と表現法の中で捉えようとするフォト・セセッション(写真分離派)運動を起こした。この運動に加わっていたオキーフと結婚。1905年にはギャラリー291を開き、機関紙「291」を発行する。自ら主宰するギャラリーや雑誌でヨーロッパのアヴァンギャルド美術を紹介するとともに、写真家や美術家、評論家に発表の場を提供し、アートとしての写真を確立した。前衛美術の推進者であった。
1917年から1937年に写真家アルフレッド・スティーグリッツによって撮影された、ジョージア・オキーフの81枚のポートレイトが現在メトロポリタン・ミュージアムで展示されている。

オキーフは、才能ある女流画家として認められたが、作品に対する評価は、エロッチックな表現と捕らえられることが多かった。オキーフ自身は画家としての自由で創造的な視点に根ざすものであると主張していた。年をとり、妻を所有物と考えるようになったスティーグリッツからの独立を保つのは困難な事であったらしい。スティーグリッツの死後、余生の大半を家事や公務に煩わせることなく、ひとり砂漠で暮らした。自分の作品については語らない方針を頑として守り、旧来の社会的要請に対しては、大胆にはっきりと抵抗する生き方を貫いた。社会が期待することは無視し、心の目でものをみながら自分の道を進む孤独な強い女性、創造的で多作な画家として生涯をまっとうした。

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