アメデオ・モディリアニ

1884年7月12日、イタリアのリヴォルノでユダヤ系市民の家に生まれる。彼の生涯に関して、確かな記録はごくわずかしかなく、作り話めいたところからモディリアニの実像を知ることは、容易なことではない。ボヘミアン、芸術家の宿命的な貧困、激しい情熱といったイメージが常にまとわりついている。アルコールと麻薬、愛と詩に酔い、モンマルトルとモンパルナスの隙間風の吹き抜けるアトリエで制作するといった芸術家の原型である。第一次世界大戦時、芸術の都パリで暮らし、同時にベル・エポックの片隅に孤立して存在していた。ヨーロッパの前衛の都で、パブロ・ピカソ(1881〜1973)、ジョルジュ・ブラック(1882〜1963)、アンリ・マティス(1869〜1954)、コンスタンティン・ブランクーシ(1876〜1957)らに囲まれながらも、モディリアニは確固とした独自の道を歩んだ。今では伝説になった酒場で、座っている客を手早く描いた似顔絵でなんとか勘定を済ませる事もあった。この青年は35才の若さで結核に冒され、へとへとになって燃え尽き、芸術に全てを捧げた人生に別れを告げた。その人生の悲劇をいっそう強調するかのように、出産を間近に控えた若い婚約者、ジャンヌ・エビュテルヌは彼が死んだ日、後を追うように両親の住む6階のアパートから飛び降り自殺し、後に彼らの幼い娘が孤児として残された。

アレクサンドル・コレクションから約400点ほどの素描画と一緒に一枚のメモが公開された。それはモディリアニが1907年、一冊のスケッチブックに書き込んでいたものである。
「わたしが求めているのは現実でも非現実でもなく、無意識なのだ。人類が持つ本能的無意識の神秘なのである」。

モディリアニ、ピカソ、アンドレ・サルモン(左から)1916年

「ピカソとの一日」。戦時中の1916年8月のある日曜日に3人はモンパルナスのロトンドで会い、ジャン・コクトーが写真を撮った。モディリアニはピカソの左側に立っている。その前年、モディリアニはピカソの肖像を描いている。右側のアンドレ・サルモンは、後に「モンマルトル モンパルナス」という小説で、モディリアニの人生について書いている。

パブロ・ピカソの肖像 1915年

写真・文
「瞬間の詩情 アメデオ・モディリアニ」
タッシェン出版より抜粋

 

「モンパルナスの灯 58仏」

モジリアニの伝記映画(監督・脚本 ジャック・ベッケル ・ 出演 ジェラール・フィリップ(ジェラール・フィリップは、映画公開翌年にモジリアニと同じ36才で亡くなった)/アヌーク・エーメ/リノ・バンチェラ)

使用した作品

大きな帽子のジャンヌ・エビュテルヌ

マリオ・ヴァルヴォーリの肖像

寝椅子に座る裸婦

黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌから

黒い紳士から

農家の少年から

自画像

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