むずかしい事はわからないが、フロイトとユングとの最大の相違点は、フロイトが性的なイメージを文句通りに受け取ったのに対して、ユングはそれを霊的シンボルとして解釈しようとした点にあるらしい。たとえば近親相姦イメージにしても、フロイトはそれを具体的な家族の関係として受け取ったのに対して、ユングは対立するもの同士の結合のシンボルとして理解しようとした。フロイトがすべてを性的な観念に還元する因果論的な見方をしていたのに対して、ユングはその観念がどこを目指しているのかという問題意識で見る目的論的な見方をしていた。私としてはユングの救いのある心理学を信じたい。

ユングは心理学者ではあるが、旅をし、絵も描いた。

ユングは暗闇体験をした。暗闇体験とは、人が不幸や心的葛藤に苦しみ、しかもその原因やまわりの状況を理解できない状態を言う。この状態から彼を助けてくれたものがいくつかあった。一つは建築遊びという作業、第二は自分の夢や空想のイメージを絵に描き言葉にして客観化し、それらと対話するという作業、第三は心を開いて語りあえ、理解してくれる女性の友人の存在、第四は暗闇体験の原因を学問的に明らかにし、方法論的な立脚点を確立するのに役立ったタイプ論の研究であった。

心理的暗闇の中で彼が思ったことは「これほどわけが分からないのなら、思い浮かんでくることをそのままやってみよう」ということであった。最初に思い浮かんだことは、10歳から11歳の頃に夢中になって遊んだ積み石遊びだった。また家や城を作り、ピンで門や天井を支えたことを思い出した。これを思い出すとある種の感動が湧いてきた。「ああ、あのころには生きているという実感があった。あのころの少年はまだ生きているし、私に欠けている創造的な生を持っている。でも、どうやったら、そこに行けるのだろうか?」

そこで彼は湖岸へ行って石を拾い集め、家や城、ときには村全体を作った。日本流に言えば積み木遊びであり、今流に言えば箱庭療法を自分でやっていたようなものである。この作業で空想の流れを誘い出し、無意識が活発になって現れてくるようになった。


箱庭療法の実例

1914年の4、5、6月と、計3回、彼は同じ不可解な夢を見た。8月1日第一次世界大戦が勃発したとき、ユングはこれが夢の意味だったのかと悟った。夢は第一次世界大戦を予知していたのだった。この体験は、彼が苦しんでいる内的な経験が、決して彼一人の体験ではなく、人類の体験や運命と一致している、少なくとも関係しているということを教えてくれるものであった。自分の苦しみには意味があるという体験は、こののち彼が無意識との対話を進めていく上で大きな励ましとなった。

不思議な空想や夢の意味を知るために、彼は地下の世界に降りていくことを想像した。その中で「かわせみのような翼を持ち、牡牛の角を持った老人」が現れた。このイメージをユングはフィレモンと名づけた。イメージは、自分が勝手に作りだしたものではなく、それ自体で存在しており、向こうからやってくるものだということを実感させてくれた。彼はこれらのイメージと対話をしたが、それは彼の意識が語るのではなく、その人物が語っているようであった。その体験は彼に「たましいの実在」を確信させてくれた。

1918年から1919年にかけて逃亡してスイスに逃げ込んできた戦争捕虜を収容しておく収容所の指揮官としてシャトー・ドエで長期の兵役を務めた。ここで毎朝彼はノートに「その時の私の内的状態にふさわしいとおもわれる小さな円、マンダラを描いた」

自分が発見した人類共通の無意識部分である集合的無意識についてさらに研究を深めるべく、その歴史的先駆形態を過去の中に捜し求めた。最初に錬金術の本を見た彼は「ああこんなへんなものは、理解できるはずがない」と思って、絵をみるだけで放り出しておいた。ところが1928年に中国学者のリヒァルト・ヴィルヘルムがユングに『黄金の華の秘密』という道教の本を送ってきて、それについて心理的なコメントを書いてほしいと依頼してきた。ユングはそれを読んで驚くとともに感激した。そこには彼自身の無意識のイメージと同じものが語られていたし、それがまた錬金術の書に描かれていた内容とも一致したからである。『黄金の華の秘密』の中には「黄色の城」というイメージについて述べられているが、じつはユング自身が『堅く守られた黄金の城』のイメージをマンダラに描いていたのである。この体験は「私の孤独が破られた最初の事件だった」とユングは語っている。つまり自分だけの不可解なイメージだと思っていたものに、歴史的な対応物があるということが分かったからだある。


チベット
「カーラチャクラ(時輪)砂マンダラ」

ユングは自分の考えや得た知識を、石によって表現したいと思うようになった。ミニチュアではなく本物の建築物、「一人になれる場所」。彼は円形の塔の家を大部分自分の手で1923年に完成した。

「私は電気を放棄し、炉やかまどを自分で燃やした。夕方になると古いランプを灯した。流れてくる水もなく、私は自ら井戸の水を汲んだ。私は薪を割り、料理を作った。このような単純な仕事は人間を単純にしてくれる。しかし単純になるということはなんと難しいことだろう」

ユングはよくボーリンゲンの「塔の家」で石に彫刻することに熱中した。塔の傍らに置いてある石の塊には

ここに石が立っている、

見栄えのしない石が。

それは値段にすれば安いし、

愚者からは軽蔑されるが、

その分だけ賢者からは愛される。

この言葉は錬金術師の書いたラテン語の詩であった。

彼は石の表面に、小さな円形が見えてきて、それが自分を見つめている目だと感じる。彼はそこに目を彫り、その中に小人の姿を彫った。フードつきの外套を着て、ランプを下げている。それは「行く手を指し示す人」である。そのまわりにギリシャ語で言葉を書いた。

時間は子供だ

子供のように遊ぶ

盤上遊戯で遊ぶ

子供の王国。

これはテレスポロス、

宇宙の暗やみをさまよい、

星のように深淵から輝く、

彼は太陽の門に至る道を、

夢の国に至る道を、

指し示す。

「図解 ユング」
自己実現と救いの心理学
林 道義 

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