危険な所にわざわざ写真を撮りに行く報道写真家。彼らはどうして危険を冒しても行くのか。ファインダーから覗く世界は恐怖を軽減するとでもいうのか。
しかしキャパの写真を見るとなんといい男なのでしょう。俳優にしてもいいくらい。どうしていい男が、41歳という若さで死ななければならないの。なんて私のくだらない感情なんてどうでもいい。

ジョン・スタインベック(1962年ノーベル文学賞受賞 「二十鼠と人間」 「怒りの葡萄」 「エデンの東」 「われらが不港の冬」)がキャパに捧げた文がある。


キャパが遺したもの
ジョン・スタインベック

私は、写真のことについては何も知らない。従って、私がキャパの仕事について述べようとするのは、唯、素人としての立場からである。
専門の方々は、どうぞ、この私を許して下さるように----

キャパが、----カメラとは、決して冷たいメカニックなものではない、ということを、なによりあきらかにしたことは、何人も同意するであろう。あたかも、ペンのように、カメラを使うひとによって、総てが、きめられるのだ。それは、じかに、人間の理性と感情につながっているものである。キャパの写真は、彼の精神の中で作られ、カメラは単に、それを完成させただけだ。すぐれた画家のカンバスのように、キャパの作品は常に、あきらかな表現をとっている。キャパは対象について、どのように見て、どのように為すべきか、をよく知っていた。例えは、戦争そのものを写すことは不可能であることを、彼は知っていた。何故ならば、戦争は激情の、果しない拡がりであるから---。然し、彼はその外にあるものを撮って、その激情を表現する。一人の子供の顔の中に、あの民衆全体の恐怖を、彼は示した。彼のカメラは、そのとき、その激情を捉え、且つ、展げたのだ。

キャパの作品は、それ自体、偉大なる心の画であり、その故に、圧倒的な共感を、いつもよびおこすものである。何人も彼にとって代わることは出来ない。すぐれた芸術家にとってかわることは、いつも、でき難いものであるが、幸いにわれわれは、少なくとも、彼の写真の中に人間の本質なるものを、学ぶことが出来るのだ。

私はキャパと一緒に、しばしば、仕事し、旅行した。彼は多くの友人に愛されていたが、彼は、常にそれ以上に友人を愛していた。彼にとっては、自分の仕事が、何気なく受けとられることが一つの喜びであった。が、その彼自身は、決して、何気なくどころではなかった。彼の写真は、偶然からは生れない。その作品のもつ感動は、ふとした拍子などから出てくるのもではない。彼は、動きと、明るさと、哀しみを、写すことが出来た----彼は、思想も写し得た。彼は、一つの世界を作った。それは又、キャパ自身の世界でもあったのだ。

キャパの偉さには、二つの面がある。一つは彼の写真---芸術家の心をもって、われわれの時代の---醜く、或は美しい---真実で、生々とした記録を残した。しかし、キャパはもっと重要というべき、もう一つの仕事をしている。彼は、自分の周囲に若い人々を集めて、勇気をづけ、教え、ときには、食事を恵み、着物を与えた。然し、彼が教えた一番大切なものは、彼等の芸術を尊敬し、しかも、その芸術を創りあげる一つ一つの過程---生活の総てを、疎かにしてはならない事を教えたのであった。彼は若い人々に、人間はそのように生くべきであり、又、それだけが真実であることを、身をもって証明した。彼は自分の仕事の仕方を、ひとに、決して強制するような事はしなかった。然しながら、キャパの影響は、必ずや、彼と共に仕事をした人々の中に残るであろう。そして、人々はキャパの、或るものを、一生忘れないであろうし、きっと、次の時代の人々に、そのものを、伝えるにちがいない。

キャパが、もはや、いない、とは考えられない事だ。私には、まだ、その死が信じられない。私は、今、キャパが遺していった無限のものに、感謝する心でいっぱいである。
1956年 9月22日
ニューヨーク 
「ちょっとピンぼけ」 冒頭より

キャパとジョン・スタインベック
1947年 モスクワ

ロンドン 1943年

シシリー 1943年

パリ開放 1994年

ナチに協力した女は髪を刈られ町を追放された

米軍第4機甲師団をワインで迎えるフランス人

スペイン内戦

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