山口県光市室積西ノ庄 如宝寺 盆踊り大会の紹介  2009-8-18  





山口県光市室積西ノ庄如宝寺   
盆踊り大会の紹介  
 2009-8-18(火)

   西ノ庄如宝寺盆踊り大会について


   毎年8月18日に上中下西ノ庄自治会合同で、如宝寺で続けられてきた盆踊りである。
 自治会でソーメン、焼き鳥、フランクフルト氷ジュース等の出店も出されている。

 最近では子供さんの太鼓組みも出来て練習されているとのことである。

 数年前までは如宝寺境内で行われていたが、現在は如宝寺駐車場が整備されそこで行われている。
 踊りの前に、今年亡くなられた方の施餓鬼法要が行われ、霊をお迎えする。
 賑やかな踊りで霊を慰め、最後に送り火と施餓鬼法要で霊を浄土にお送りするとのことである。
関係者にお聞きした。



 施餓鬼法要について


  「盂蘭盆経」によれば、釈尊の十大弟子で神通第一と称される目連尊者が、 餓鬼道に落ちて苦しんでいる亡母を何とか神通力をもって救おうとするもののなかなか上手くいかず、  何か手だてがないものかと、釈尊に訪ねると『お前の母の罪はとても重い。

 生前は自分さえよければよいとして、困った人や助けを求める人に対して何も施さずに餓鬼道に落ちてしまった』として、 『多くの僧が雨季の修行を終える時期に、ご馳走を用意してお経を読誦し、心から供養しなさい。』と言った。

 目連が早速その通りにすると、目連の母親は餓鬼道の苦しみから救われた。これが盂蘭盆の一つの起源とされている。
また、「救抜焔口陀羅尼経」によると、釈尊の十大弟子で多聞第一と称される阿難尊者が、静かな場所で坐禅瞑想していると 、醜い餓鬼が現れ、その餓鬼が阿難に向かって『お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』と言った。

 驚いた阿難が、どうしたらその苦難を逃れられるかとその餓鬼に問うと、餓鬼は『それにはわれら餓鬼道の苦の衆生、 あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命は延び、 我もまた苦難を脱することができるだろう』と言った。

 しかし、そのような余裕がない阿難は、釈尊に助けを求めると、『観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、 「加持飲食陀羅尼」を唱えて供養すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、 また、無量無数の苦難にある者を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができる』と言われ、 阿難が早速その通りにすると、阿難の生命は延び仏道を更に進めることができ、餓鬼道の者たち、あらゆる困苦の衆生も救われることができた。 これが施餓鬼の起源とされている。
参考・「施餓鬼・由来」フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)。

  如宝寺について


   西ノ庄の高台、瀬戸内海を眺望できる地に如宝寺(臨済宗)があ る。
 明治4年(1871年)、宝積院と如意寺を合併して如宝寺となった。

 いずれもその昔千坊山にあった妙相寺(真言宗)の末寺で、 室町期に再興されて当時大内氏の庇護により栄えた。

 現在如宝寺には、大内家伝来の能面を大内義隆が奉納したもの と伝えられる五面があり、これは大内菱金紋の箱入りで、 この大内菱が同寺の紋となっている。

 また、妙相寺より宝積院へと伝来された不動明王を彫った版木が あり、刻字に空海とあることから弘法大師の作と伝えられている。
参考・室積探訪






如宝寺遠景


出店


出店


出店


出店



出店



練習中



練習中


練習中


施餓鬼法要


施餓鬼法要


如宝寺大師堂


自治会長開会挨拶










 
            




           





 




           













施餓鬼法要 送り火


施餓鬼法要 送り火


施餓鬼法要 送り火


如宝寺住職挨拶


山口県光市室積西ノ庄 如宝寺 盆踊り大会の場所





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