瑞典国内状況
17世紀末から18世紀初めのスウェーデン国内事情



三冠城炎上

1697年5月7日、帝国の中心たる王宮「三冠城」は燃え落ちた。先王の死から僅か一月足らず後のことである。しかし不幸中の幸いにも人的被害は皆無であり、中央行政に必要な公文書の大半は消失を免れていた。また、この突発事態に発足したばかりの摂政政府は迅速な対応を見せ、行き場を失った各行政機関の執務室や在所を様々な貴族の屋敷内に確保し、炎上の翌日には火災原因の究明を指示し、ニコデモス・テッシン伯爵に王宮の再建を命じていた。

このテッシン伯爵が計画した新王宮は、前の様々な時代に建て増しされた建物が多かった王宮に比べ、調和が取れていて、堂々とした立派なものだった。この計画は6月中旬に完成し、直ちに着工された(もっとも初期には6年ぐらいで出来上がるとの甘い見通しがあったが、広く知られているように、その工事速度は非常に遅く、また戦争が始まると工事は全面停止され、結局1720年からまた再開された工事は1754年までかかった。故に新王宮はテッシン伯爵とその息子カール・グスタフ・テッシン、そしてさらにその息子も手伝うという、3代にわたる努力の結晶なのである)。そして摂政政府はその間の王宮を、1693年の火災以来使われていなかった、リッダルホルム島にあるウランゲル宮殿(現在は裁判所になっている)とした。この後、新王宮が出来るまで、この宮殿はKungshuset(the King's House)と呼ばれるようになった。もっともこの宮殿は古くさく、そのままでは実用に耐えがたかったので改装されることになった。特に必要だったのが大きな儀式用の大広間である。ここは荘厳な国会の開会と閉会のセレモニーを行うのに絶対必要だったのである。こちらの工事は迅速を極めた。なにせ故王カール11世の国葬と、それと同時に招集される国会が11月5日と迫っていたからである。この改装工事の間は、太后やカール王子を含む王家の一行はカールベルグに移り住むこととなった。

こうして突貫で進められた改装工事は、テッシン伯爵とその部下たちの素晴らしい働きにより、見事な出来映えとなってウランゲル宮殿を再生させた。燃え残った財宝は焼け跡から回収されて宝物庫におさめられ、大広間はピカピカに磨かれ、最新設備とも言える配管が取り付けられたのである。こうしてこの宮殿は王の御座所となった。もっともカール12世がこの宮殿を使ったのはその治世の前半、たったの3年間でしかない。

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