軍隊と兵器
◆スウェーデンの軍事制度◆

今死んでも惜しくはない。今後末永く俺の政策がスウェーデンを統治するのだから
- J.Gyllenstierna -

1.国民兵と志願兵
2.国民兵
3.志願兵
4.士官と下士官
5.高級将校
6.結果

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国民兵と志願兵

 カール12世の父カール11世は、少ない人口に比して極めて広大な環バルト海領土を防衛するために巨大な軍隊を保持しなければならなかった。また当時の軍隊は各兵科の専門化が進み、更に横隊戦術のようなある程度の訓練を必要とする隊形戦術が進化してきたことから、プロフェッショナル(専業兵士)の必要性が増大し、以前よりも金がかかる存在になっていた。
 しかしスウェーデンにおいては、領地の広大さ、そしていまだ貨幣経済が地方にまで浸透していない等という理由から、それらプロフェッショナルたちを維持する資金が何処を見ても存在していないという問題が生じてしまった。この結果、従来、ヨーロッパ大陸で取られていたような莫大な資金がかかる常備軍をつねに備えることが出来ないことが明らかになった。
 カール11世は、少ない資金でこれに変わる軍隊を生み出さねばならなかった。しかしこうした問題はグスタヴ2世・アドルフ大王の時代から存在し、カール11世にはある程度の方向性が示されていた。
それが国民兵(Indelta)と志願兵(Varvade)と言う2種類の兵士による軍隊である。もっともVarvadeはヨーロッパ大陸で利用されていた傭兵と同じものと受け取ってもらって構わない兵士である。つまり志願兵は真の意味で、常に軍隊に勤務し、兵役に従事していたからである。
 しかし国民兵の方はそうではなく、平時は農業を営み(演習や訓練は欠かさずおこなわれてはいた)、戦時になるとスウェーデン諸州から集められ、スウェーデン軍の骨幹を為す州連隊を形成する兵士となったのである。

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国民兵

2.1:国民兵概説
 国民兵制度の元は1620年代に作られた徴兵制ともいうべき州連隊システムである。しかし、カール11世は、多少時代遅れになったこの国民皆兵の考え方をもう一歩進め発展させることに成功した。それがIndelningsverkとknektehallと呼ばれる制度である。国民兵を支えるシステムを知るにはこの2つを分かっておく必要がある。

2.2:Indelningsverkについて
 Indelningsverkと呼ばれるシステムは日本ではよくインデルニング制として取り上げられているが、専ら誤解されていて、軍隊のためだけの制度だと思われている節がある。しかしこれはもっと広範囲にわたる給与給付制度であった。
 この制度によって機関あるいは個々の官吏(兵士を含む)は収入出所(ほとんどの場合、土地)から直接(間接的でないところが重要)収入を得ることが出来たのである(通常は土地賃貸料あるいは税の一部として)。そしてこれらは、常に国家予算の中においてこれ専用の枠に組み込まれていた。かくして受取人は出所(土地)から直接収入を集めることが出来るようになり、貨幣経済の導入されていないスウェーデンにおいても、官吏への給付が滞りなく行えるようになった。
 カール11世下の改革案で、この制度は、まず軍隊に融資するために、そしてその次に公共事業(平時においては国民兵がこれら労働に従事した)に対する報酬をこの方法で支払うとして普遍化していく方策を、取ったようである。

2.3:knektehallについて
 次にknektehallについて説明する。これはあまり日本では知られていない制度であり、インデルニング制とは違い、純粋に歩兵のために作られた制度(契約)である。
 この制度(契約)は純粋に歩兵を雇うためだけに使用された。つまり、王が徴兵を要求すると言う政府の持つ従来の権利を放棄する代わりに、州の農民たちと、指定された数の兵士(1200人前後、つまり地方連隊1個分の兵員)を準備させ、維持すると言う契約を結んだのである。この契約の名前がknektehallである。

2.4:国民兵、歩兵の場合
 knektehallの契約とインデルニング制は、スウェーデンとフィンランドの至る所で適用された。(適用外は後述)
 各州連隊は、通常1200名で構成された(場所により100〜200の減少もあるが)。そのため、それぞれの州は1200の[rote](単数は[rote]、複数は[rotar])と呼ばれる区域(割り当て)に分割された。
 それぞれの[rote]内の農民たちは、その州の連隊のために、1人の兵士を供給した。そして前述したように、その代わりに農民たちは兵役からの免除を手に入れた。
 [rote]の最も近い英語は[military ward]である。[rote]内の農民の1人(通常は最も大きな農地を持つ者)が[rote]の責任を負った。彼は[rotemastare](英語ならwarden)、日本語にするなら「兵士雇用管区責任者」とでも呼ぶべき責任者とされた。
 また、1[rote]ごとの農地の総数は[mantal]に左右された。
 この[mantal]は租税の1つである。そして税金を支払わなければならないすべての農地は[mantal]が割り当てられた。また、[mantal]は、農夫一家と農業人足の生活に支障を来さない範囲で、農地の収穫に課税されるものであった。
 というのも、スウェーデンの北では、1[mantal]の農地(1[mantal]に相当する収穫を生産することのできる農地)は、寒い気候や痩せた土壌のため、非常に大きい必要があり、スウェーデンの南では、良好な気候と豊かな土壌のために、1[mantal]の農地は北よりもかなり小さくてすんでしまうからである。
 であるから、すべての農地が1[mantal]の課税をかけられたわけではない。簡単な例を挙げれば、ある農地には1/2[ mantal]が課せられたし、またある農地には5/8[mantal]が課せられたのである。
 そして[rote]においては、これら農地の合計の[mantal]が、1[rote]ごとに2[mantal]とされた。つまり1[rote]が1兵士を提供出来るようにするためには、2[mantal]の収穫が必要であると見積もられたのである。
 その結果、ある地方では2つの農地で1[rote]を割り当てられ(つまり2つの農地の合計の収穫が2[mantal]であった)、またある地方では、5-6の農地で1[rote]が割り当てられたのである。
 もちろん裕福な農地も存在し、1つの農地で2[rote]つまり4[mantal]の収穫を生産し、2人の兵士を提供した例も存在する。
 とは言え、一般的には1[rote]は2つの農地によって賄われたようである。
 募集された兵士は、政府から自分のコテージおよび小さな土地が支給され、軍服と賃金が与えられた。また平時において兵士は、給料を貰うために農地で働き、また必要に応じて公共事業等の労働に駆り出された。とは言え、自分の生活を自分で維持することができた。戦時においては、兵士達は州ごとに集められ州連隊を形成し前線で戦った。[rota]は、戦いで失われた兵士を供給することが出来た。
 これらの契約は法律的に縛られ変更出来なかった。また、補充や兵士の維持に対する責任は農地が負った。また、士官や下士官に任命された自営農民や貴族の荘園、そして国家の治安維持者、例えば郵便配達人や宿屋の主人と言った人々はこれらの契約の対象外だった。
 結果、集められた歩兵は土地を持たないが貴族の物でもない、農地の農民の息子や農地で雇われている人足(兵士になる為に雇われた)がほとんどだった。何故なら彼らは激しい労働や命令に慣れていたし、軍事の訓練を行うことも困難ではなかったからである。むしろ賃金がもらえると言う長所の方が魅力的だったのであろう。加えて国家からのその他の家族のための物質的給付も魅力的だった。
 彼らの定年は40才だった。したがって、家族が彼らの生活を維持するために、息子が父親の制服を継承し、兵士となって家族を養うことは一般的に行われたことであった。また、彼らは国家の公僕となったことによって、その地域において一種のエリートとも見なされるようになった。

2.5:国民兵、騎兵の場合
 次は騎兵についてだが、これは少し歩兵とは違った。Rusthallという制度が彼等には適用された。彼らの多くは自営農民で、馬と軍服などの準備を自費で賄う代わりに税金が基本的に免除された。そして平時においては給料を貰うために政府の農地で働かされたりした。
 また、補完的措置として、請け負う農民が一人で維持できない時は、支援するよう命じられている自営農民から援助を受けられた。
 ただし、州ごとに集められ連隊を形成するのは歩兵と同じだった。また定年も40才であった。

2.6:国民兵制度の結果
 こうして国民兵は本国の諸州(フィンランドを含む)から集められるようになり、国家は個々の兵士を支援する地方教区に基づいた兵隊を維持できるようになった。
 このシステムを維持するにおいて国家はほとんど何の臨時的処置を必要としなかった。そして戦争勃発時このシステムは、スウェーデン-フィンランドから1200人前後からなる15(22?)の歩兵連隊、および10(12?)の騎兵あるいは竜騎兵連隊を供給することが出来た。

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志願兵

 彼らはバルト諸州のスウェーデン人、フィンランド人およびドイツ人等で構成され、おおよそ24,000人(歩兵と騎兵、その他合わせて)いました。彼らは常に軍務につき、国境線近くの要塞や都市の守備隊として配置されました。
 また、砲兵の様な専門的な兵科では常に訓練をほどこす必要があることから多くが志願兵でした。さらに、常設する必要のある近衛連隊やドラバント親衛隊、王宮守備隊などはスウェーデン本国から、特に人口の多かったダーラナ州から志願兵が集められました。こう言ったことから彼らは一般的な常備軍と見なして良いと言えます。
 また、北欧大戦中占領地のザクセンに志願兵による守備連隊が設置されたこともあり、彼らは兵員を補充する重要な役割を果たしました。言うまでもなく給料は国家が支払いました。

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士官と下士官

 彼らはその階級と地位に適した農地が貸与され、任務を果たしている限り、その土地の地主として振る舞うことができ、そこに住まわされました。おそらく彼らは部下との関係を円滑にするために勤務する部隊の近くに住まわされていたことだろう。

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高級将校

 彼らは、士官らと同じようにその階級と地位に相応しい農地が貸与され、その土地の地主として振る舞うことができました。さらに彼らには王室や国家の農地から追加の州に勇を得ることが出来ました。ただし、その土地は彼らに貸与されたものではなく、地主のように振る舞うことは出来ませんでした。

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結果

 このようにして組み上げられた制度はもっぱら現状を維持するためのものであった。これを作り上げたカール11世は極力戦争にかかわらないように中立政策を掲げており、戦乱の局外に立って、軍の役割を槍から楯に変えた。しかし軍制的に防衛的だからと言ってその軍隊は防御的ではなかったと言うことは忘れてはならない。兵士たちは非常に規律正しいルター派プロテスタントで構成され、死をも恐れぬ攻撃的な精神を内に宿していた。「神が選ばれた時、それを拒むことは出来ない」の精神に従う彼らは、欧州でも指折りの精鋭となり得たのである。
 この良く組織化された軍隊は総計で6万余を数え、30余りの戦列艦と10余の小型戦闘艦を持つ海軍の経費を含め、およそ2,800,000dsmの予算によって維持された(4,580,000dsm弱がおおよその国家予算)。

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