カールとその家族


◆失われた王子たち◆

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 ヘードヴィク・ソフィアとカールが生まれた後、2人の赤ちゃんが王室に生まれた。1683年にグスタヴが、1684年にウルリクが。グスタヴは後に人々が「穏和で気前の良い」人気の王になったのではないかと論議するような感じの良い気質を持った魅力的な赤ちゃんだった。ウルリクは特に祖母のヘードヴィク・エレオノーラのお気に入りだった(彼女は女王が病気や疲れている時幼い彼らの面倒を見ていた)。王妃はウルリクを生んですぐにまた妊娠した。
 1685年の春は季節はずれの気候で、熱病が流行した。グスタヴ王子は病気になり四月に死んだ。両親は悲しみに沈んだ。しかし神の意志には逆らえなかった。「子を失う痛みがこれ程のものとは知らなかった」と王は近しい友人に書いている。五月ウルリクも同じような病気に掛かかり、それにとても苦しめられ、少し回復していたにもかかわらず死んだ。七月にはカールが麻疹に掛かった。王妃は彼を彼女の「最も奥の寝室」に止め、彼を看護し、恐ろしい病気ではないと思われていたにもかかわらず彼を外に出すことを恐れた。九月新しい赤ちゃんが生まれた。この赤ちゃんはフレデリックと名付けられた。彼は春の残酷な喪失を和らげる神の贈り物として悲しみと喜びとを持って歓迎された。しかし彼は数週間で死んだ。そして新たな息子カール・グスタヴも幼児で死んだ。1686年12月に生まれ翌年の二月に死んだのだ。
 両親は四人の子供の死を受け入れることが出来なかったし、祖母もウルリカの死に悲しみに沈んでいた。王は気晴らしと忘却のために仕事に打ち込んだ。王妃は活動を物理的にへらし、また病気に掛かった。彼女は「耐え難い気分」からくる歯痛、咳、熱、腹痛、リウマチの痛みに苦しめられた。評判のハーノーバーの医者、Drパーデシウスがストックホルムに呼ばれ診察すると、新鮮な空気を吸いもっと運動することを勧めた。また王家の新しい内科医の若いウルバン・イェルネも同じ意見だった。彼女はカールベリィ宮殿に移ることとなった。その宮殿は首都から近く、最近になって夫から彼女に送られた物だった。マグナス・デ・ラ・ガルディのためにフランス人の建築家ジャン・デ・バレーによって立てられた快適で居心地の良い宮殿はウルリカと二人の子供の好みだった。彼女は短い期間でも一部の辛い事実に耐えることが出来た。
 カールベリィは前述のようにストックホルムから近く、王が日中首都で働いてその後馬に乗って襲い午後に家族と共に過ごすことの出来る場所だった。1687年のほとんどを王妃は落ち着いて過ごした。時々病気で寝込み、活気なく無気力に次の子供が生まれるのを待ていた。彼女とその夫はあえて女の子が生まれても良いような準備をし、それを望んた。
 そして遂に1688年の一月それは生まれた。その子供はウルリカ・エレオノーラと厳かに名付けられ、後に女王と呼ばれることとなった。子供は長生きするように思われ、心配された王妃の健康も改善された。その時彼女は生きる意志を取り戻した。
 そのことは4人の子供の死を受け入れた象徴として彼女がエーレンシュトラールに依頼した二枚の絵が証明している。それは彼女自身が計画した物である。一つは彼女が思い描くグスタフ、ウルリク、フレデリック、カール・グスタフが天国にいる絵で、もう一つは彼女と生きている子供たちが両サイドにそして雲の上に失った子供たちがいると言うものである。
 こうして王室には再び明るさが戻った。

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