カールとその家族


◆家系図◆

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 この家系図は、幾人かの早世したり、有名でなかったりした子供の名前などが些か信憑性が薄い。そのため、誤謬を見つけた場合は、是非、掲示板やメールなどで報告をお願いしたい。しかし、多くの人間が知りたいと思われる、血縁関係は正しく結びついていると考えている。
 また、よく日本の史書などで、カール9世の娘カテリナの結婚相手であるクレーブル公ヨハン・カシミールがジギスムンドの子供となっているのを見かけるが、これはジギスムンドの次男で後にポーランド国王になるヤン・カジミェシュと混合した間違いで、2人はまったくの別人である。おそらく、そのような間違いが日本で起きた背景には、ヤン・カジミェシュが英洋書でJohn Casimirと紹介され、クレーブル公のヨハンも同じくJohn Casimirと記述してあった事があると思われる。

 個人的に、最も分からなかったのは、カール12世の教母の一人、ホルシュタイン・ゴットルプの王女(王妃?)ドロシアについてである。
 カール12世が生まれた1682年当時、スウェーデン王家と近しい血縁関係にあったホルシュタイン家は、もう一家、ホルシュタイン・ソンダーブ(Holstein Sonderb)家があった。
 これはフレデリック2世の弟、ヨハン(ハンス?)の子供たちがデンマーク王からもらった(と思われる)もう一つのホルシュタイン公爵家と言える。
 このヨハンの跡取りで、正式に公爵になったのがヨアヒム・エルンストである。彼の妻はホルシュタイン・ゴットルプ公爵ヨハン・アドルフの娘ドロシア・アウグステである。当初私は彼女がカール12世の教母であると考えた。しかし、この女性は1682年3月31日に亡くなっており、カールが生まれたのは同年の7月であるから、カールの教母とはなりえないと分かった。しかしながら彼女には当時6才の孫ホルシュタイン・ソンダーブ公女ドロシア・ヨハンネ(1676-1727)がいた。但し、年齢から考えると教母となるには若すぎると考えられた。
 そこで、その他のソンダーブの血族に目を向けると、ドロシア・ヨハンネの他に4人のドロシアが存在しており、この内のホルシュタイン・ソンダーブ公爵ヨアヒム・エルンストの3人の妹たちは、1682年の段階で既に他界していることも判明した。
 存命の2人はブランシュバイク・ヴォルフェン家からホルシュタイン・ソンダーブ家に嫁いできたドロシアと、Aichelberg家から嫁いできたドロシア・クリスティーネである。
 しかし彼女たちは、他家からホルシュタイン・ソンダーブ公爵家に嫁いできており、イギリスの外交官の報告書にあるPrincess Dorothy of Holsteinではないと思われる。また、年齢で考えると、Aichelberg家から嫁いできたドロシア・クリスティーネは、1682年当時は10歳であり、おそらくまだホルシュタイン家に嫁ぐ前であったと考えられる。
 そこでさらに世代調査をしたところ、ホルシュタイン・ゴットルプ公爵フレデリック3世(1597-1659)とマリエ・エリザベス(1610-84) の娘にホルシュタイン・ゴットルプ公女アナ・ドロシア(1640-1713)という女性がいることが分かった。彼女ならば、1682年においても42歳であり、当時のホルシュタイン公クリスティアン・アルブレヒト(1641-95)の姉にあたり、またカール12世の祖母であるホルシュタイン公女ヘドヴィク・エレオノーラの妹であたることから、申し分ないと思われる。

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