〜人物列伝〜
3Bernard von Liewen
ベルナルド・フォン・リーウェン歩兵大将(1703年昇進)
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[略歴]

小伝

1651年8月24日生まれる。父は少将で知事を務めていた貴族ラインホルド・リーウェン。母はヘドヴィク・フォン・ワルテンスレーベン。

17才頃に、当時貴族の子息の間で流行していた大陸への見聞旅行を行い、外国の魅力に心奪われる。その結果フランスで近衛隊の士官候補生となり、その後今度はオランダで、志願兵としてウルフスパレ大佐が指揮する連隊に入隊。陸戦を経験した後、なんとオランダ海軍に入隊し、1672年6月7日、有名なサウスワルド(Southwold or Solbaie)海戦に参加する。それからやっと帰国しスコーネ戦争に参加。1676年11月4日ルンド会戦にlifegardeの大尉として、また1677年6月14日ランドスクローナ会戦に同様の身分で参加する。彼はここで功績を挙げ、翌1678年少佐となる。

その後引き続いて中佐に、1686年Lifegardeの連隊長(大佐)に昇進。1696年少将に昇進し、ダル(ダラルナ)連隊の連隊長。1698年には中将となり、ウィスマルの総督の任につく。

1700年の開戦時にはニルス・ユーレンステルナ中将の指揮下に入り、ホルシュタイン戦役に参加。トラヴェンタールの和約成立後もウィスマルにとどまる。そしてナルヴァ会戦終了後、ウィスマルの連隊をそのまま残し、スウェーデン主力軍に参加。歩兵戦術の専門家としてカール12世の側近となる。

1701年ドヴィナ河渡河会戦においては、王と伴に歩兵隊の強襲を指導し活躍。その後のポーランド侵攻作戦においてもカール指揮下の歩兵隊を指揮。1702年クリッソウ会戦では左右両翼に騎兵、中央に歩兵を配置するという伝統的な布陣を敷いたスウェーデン軍の中央歩兵隊第1戦列をステンボックとともに指揮し、サクソン軍の攻撃を苦戦しながらも良く支えた。苦戦の理由は、本来この戦いにおいてリーウェン率いる歩兵隊を支援するはずであった中央第2戦列の歩兵が、突如左翼方面に現れたポーランド騎兵団に対処するためそちらに向かい、戦力不足に陥ったからである。しかしその甲斐があって、ホルシュタイン公戦死後フィリングに指揮され、その後国王自らが指揮をとった左翼は歩兵の援護の下、ポーランド騎兵を撃破、会戦はスウェーデンの勝利に終わった。

そしてそれらの功績によりリーウェンは1703年4月14日、王国陸軍歩兵大将に任命されるのである。

彼の未来は順風であるかに思われた。しかし同年に行われたトルン攻囲戦が彼の最後の戦場となってしまった。攻囲戦の最中の5月18日の夜、リーウェンは敵弾を受け戦死してしまう。享年51才であった。

もっともその戦死の様子は人によって少し描写が違う。

ヴォルテールは彼が金モールのついた水色の軍服という派手な身なりをしていたが為に自らと王を危険に晒し、王とリーウェンが争って互いをかばい合い、王が前に出た瞬間、リーウェンが撃たれたとしている。

しかしハトンやベングトソンは違う様相を描いている。

リーウェンの派手な身なりの話しはそこにはなく、ただトルン北方の警戒壕を王たちが視察していると、突然ファルコネット砲の砲撃を受けたとある。そこでは王はリーウェンの肩に手を置いて腕を休めつつ、彼と語らっている。そして砲弾はリーウェンの足を引き裂き、そのまま飛んで、同じく傍らでちょうど座って休んでいたマクシミリアンの頭上を越えていったとある。そしてリーウェンは即死ではなく少し経ってから、と言っても同じ夜に、死んでいる。

リーウェンが派手な身なりをしていたのかはわからないが(王室付き従軍牧師ノルドベリがその派手な身なりを精緻に伝えていると、ヴォルテール自身が注釈を付けている)、それのせいで狙われたわけではなさそうだなというのが、比較検討した結果の印象である。

ともあれ、リーウェンを失った王は「かけがえのない有能な男を失った」と言って深く悲しんだ。彼の遺体は柩に入れられ、その蓋は悲しむ王自らの手で閉じられた。その後、この柩は埋葬のためスウェーデンに送られ、今も祖国で永い眠りについている。


私評

同年代のレーンスケルドがカールの騎兵戦術の教師であったように、リーウェンはカールの歩兵戦術の教師であった。戦死した時点で、彼はレーンスケルドと同列であり、もし生きていれば、元帥に昇進していた可能性が高い。また、彼を1703年という序盤で失ったことは、その後大きく影響してくる。何故ならば、1708〜9年のロシア遠征において、彼の位置に座ったのが、レーンスケルドと仲の悪いレーヴェンハウプトであったからである。もし彼が生き延びてロシア遠征に参加していたら、ポルタヴァ会戦の状況はまた変わっていたかも知れない。

その果たした役割、また果たすはずだった役割に較べ知名度が低いのが、すこし残念である。

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