ヨハン・ガブリエル・バネル
John Gabriel Baner
男爵
1662年〜1706年死去




1662年12月16日生まれる。30年戦争の英雄、ヨハン・バネルは彼の大叔父にあたり、両親ともに貴族である。

ウップサラ大学で勉強を終えた後、彼はフランスに行き1685年までその国の官職についた。その後彼はフランスを離れ、バイエルン陸軍に入隊し、対トルコ戦に参加、オーフェン攻撃にも加わる。

その後、彼はオーストリア陸軍に所属を変え、1689年までそこに止まる。それから彼はフランスと戦っているスウェーデン部隊を支援するための予備部隊の指揮官に任命される。

フランスが大勝をおさめた1690年のフリュルス会戦において、彼は優れた力を発揮し敗残の味方を支えた。しかしその代償は大きく、彼の連隊で戦場から帰還出来たのは、たった4分の1だった。

1697年、ホルシュタイン公に要請され、彼の軍を指揮する少将に任じられる。1700年、大北方戦争が始まると彼は、ホルシュタイン公領を守るためデンマーク軍と戦った。しかしウィッテンベルク・ニュウエンスタッド公カール・ルドルフに指揮されたデンマーク軍の数は多く、ホルシュタイン公領の要衝はそのことごとくが占領されてしまった。バネルは4000の兵を率いて、最後に残ったテニングに立て籠もってスウェーデンの援軍を待つこととなった。この困難な籠城戦は数ヶ月に及んだが、彼らはついにこの街を守り抜くことに成功した。(時期は不明だがこの前後、彼は中将になっている。おそらくこの功績により昇進したと思われる)

その後もバネルはホルシュタイン公に仕え、1706年には対仏同盟軍にホルシュタイン軍を指揮して参加し、ネーデルラントへ赴き、そこでメニン攻囲戦などに加わっている。

そして彼は、ザクセンのカール12世の下を短期間訪れ、どこかで体を弱らせたらしく、1706年11月19日ゴットルプで世を去った。43才だった。

列伝目次に戻る