〜人物列伝〜
Carl Gustav Rehnskiöld
カール・グスタヴ・レーンスケルド伯爵にして元帥(1706年昇進)
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[略歴]

小伝

レーンスケルドは1651年8月6日ストラルズンドにて生誕した。若くして軍隊に入り、1673年12月2日にNärke-Värmlands 歩兵連隊の少尉に昇進し、1675年7月26日にはウップランド歩兵連隊の中尉になっていた。

そして彼は、1675年から1679年のデンマークとの戦争に参加し大きな成功を収めた。レーンスケルドはこの戦争で、ねばり強い指揮と勇敢さを示し、1676年2月12日、近衛親衛隊に所属、1676年8月24日にはドロットニング歩兵連隊の大尉、1677年11月5日には中佐という非常に速いスピードで昇進した。

しかし戦争が終わると彼の昇進のスピードも幾分か落ち着きを見せる。1689年6月26日にテスカ近衛連隊の大佐に昇進し(この時若干26歳)、同年にはランドスクローナ要塞の指揮官となっている。

1690年代に入るとレーンスケルドは軍中央においてその重みを増してゆき、カール王太子の教師であったスチュアート少将やアルヴィド・ホルンらと親交を持つようになった。このことは後に彼がスチュアート少将の後継者になる時に生かされた。そしてこの間、彼は再び昇進のスピードを速めている。それを追ってみると1693年5月9日ノーラ・スカニア騎兵連隊の指揮官になり、1697年7月27日には騎兵少将、1698年7月4日には騎兵中将及びスカニア総督(1707年まで)にまで上りつめ、1698年7月8日には叙爵さえされている。また注目すべきは、この時期に彼が歩兵将校から騎兵将校になったということである。こうしてこれ以後彼は優秀な騎兵指揮官として名を馳せてゆくのである。

1699年になるとのホルシュタインとデンマーク間の緊張激化にともない彼はスウェーデン軍の動員準備を始め、8月の終わりストックホルムに呼ばれカール12世の下、ドイツにあるスウェーデン領の防衛計画を作成した。そして戦争が始まる。

この時、レーンスケルドは騎兵中将で、若年な王の軍事面での側近の一人になっていた。そして1700年6月17日、彼はカールスクローナからカール王(Kung Karl)という名の戦艦に王と共に座乗し一路バルト海峡へ向かった。この時のカールの大胆な海上機動とその後の上陸戦の計画はレーンスケルドを驚かせ、若年の王の軍事的才能を高く評価するようになった。もっとも、最終的に出来上がった作戦計画は王一人が考えたものでなく、王の軍事学の教師だったスチュアート少将やレーンスケルドとが王と議論を重ねて立案したものであった。

その後海峡を突破したカールはランドスクローナに上陸軍を待機させ、レーンスケルドはその場の統制指揮官として軍の指揮にあたった。そして7月25日の上陸戦で、彼は左翼指揮官として奮戦し敵の抵抗拠点を奪取し、カール12世の初陣を勝利で飾る重要な役割を果たした。しかしこの戦いで、レーンスケルドの運命を変える一弾がスチュアート少将に襲いかかっていた。彼は王と共に真っ先に上陸しその為、肩に銃弾を喰らったのである。重傷ではなく、負傷後も指揮をとり続けたが、彼はその後、戦場での第一線から身を退くことになった(もっともその後も彼は1702年程まではカールの司令部にいて、後方を担当していた)。こうして初戦において右腕と頼んでいたスチュアートに去られた王は新たな右腕として信頼を増していて階級的にも相応しいレーンスケルドを登用することとなったのである。こうして後に「カールのパルメニオン」(パルメニオンとはアレキサンドロス大王麾下の名将)と頌えられる右腕が誕生した(ちなみに左腕とも目されていたのは政治家のピーペル伯爵)。この時レーンスケルド49歳、血の気を失わずそれでいて老練さをかけ備えた年齢だった。この上陸戦の後、デンマークはトラヴェンタールの講和に応じ、第一次デンマーク戦役はスウェーデンの勝利の内に終了した。しかし大戦は始まったばかりである。

スウェーデン軍は主力を大陸に向けることとなった。対する敵はロシアとサクソン・ポーランドの2国である。カールやレーンスケルド等の軍首脳部は次なる敵をロシアと設定し、当時ナルヴァの町を包囲していたピョートル大帝指揮下のロシア軍を打ち破るべく大陸に上陸した。この時レーンスケルドは王より二日遅れて(1700年10月8日)、リヴォニアにある町ペルナウに上陸し、その後王と共に集結地点としたウェーセンベルクに前進した。そして大陸の戦況と周辺の敵状を調べ終わった11月13日に王と共にレーンスケルドはナルヴァに向けて前進した。そして20日の朝、スウェーデン軍はラゲナよりレーンスケルドの指導の下、縦隊を組んでナルヴァに向けて前進、午後2時、吹雪の中カールの号令で攻撃が開始された。このナルヴァ会戦でレーンスケルドは王のいる左翼を指揮し敵右翼を突破、大勝利に貢献した。後に元帥となる同僚のステンボック大佐はそのレーンスケルドの活躍をこう言って表している。

「是ただ神の御業である。しかしその中にただ少しでも人の為し得たことがあるならば、それは我が王の固くして動かし難き決心と、レーンスケルド将軍の熟達した部隊運用であった」

レーンスケルドは名実共にカールの右腕となった。

工事中

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