カール12世の人となり


◆兵隊王カール12世◆

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 カール12世は戦う指揮官だった。同時代において彼に比肩する戦う指揮官は、寄せ集めの最後のフランス野戦軍の陣頭に立ってサヴォイ公子オイゲンをドゥナンで打ち破ったフランスのヴィラール元帥だけであっただろう。彼らは滅多に突撃しろと部下に命じなかった。必要なとき必要な場所に彼らはいて、そして「付いて来い」と命じたと伝わっている。このような指揮を陣頭指揮といい、その代表格としてはドイツのロンメル元帥がいる。陸上自衛隊の幕僚であった松村劭氏は「指揮官は、戦況の全般が見渡せるところで指揮せよ」と主張する”指揮の素人”がいるが、それは机上の空論である。勝利の女神は戦場のあちこちを走り回っている。そのたびに勝利を左右する戦局の焦点が動く。指揮官はその戦局の焦点に先回りして女神の前髪を掴まなければならない。勝利の女神の動きは、戦場に臨んだときに「戦局眼(クードィユ)」や「戦さの匂い」によって一瞬に把握するものである。戦況全般の動きを後方から眺めていても女神の居所は見えない(1)と述べて、その重要性を強調している。
 カール12世自身は、このスタイルを取るようになった理由について、スペイン継承戦争で経験を積んだスウェーデン士官アクセル・フォン・ローエンに向けて次のように語っている。
傭われ兵ではなく、「平凡な」スウェーデン人を指揮する者には、会戦計画を立案した後に、作戦の進展を戦場を見渡せる位置から観察し、戦闘には指揮下の士官に命令を下すことにより介入していくという西欧の指揮官たちの先例に則った指揮を真似ることはできないだろう(2)と。
 意外なことに後世の歴史家たちが精強無比と伝えているスウェーデン兵に対して、カール12世は確たる信頼を置いていなかったのである。
 実際、スウェーデン兵士はカール12世に盲目的に従ったと一般には思われているが、後年のフランス元帥サックスの著作には、カール12世が1701年に発布した戦闘教義に従わず、しばしば騎兵と同じく射撃をまったく許すことなく、そのまま敵に突撃することを望んだが、兵士は決してその通りに動かなかったことが記されている。
[カール12世]は[この戦術]について数回語っており、そして軍はこの方式への彼の好意的態度を知っていた。従って彼は、ロシアとの戦いにおいて彼が攻撃のために歩兵連隊を前進させたとき、しっかりとこの方式を兵士たちに言い聞かせた後、下馬して軍旗の前に身を置いて、自ら突撃を指導した。しかし兵士たちは敵との距離が30歩になるや否や、彼がそこにいて彼の命令があったにも関わらず、一斉射撃を行った。そのため彼はロシア軍を敗走させ、完璧な勝利を手にしたにも関わらず非常に立腹し、兵士の列を通り抜けて再び馬上の人になるや一言も発することなくその場を去った(3)
 つまるところ、カール12世はスウェーデン人が特別に好戦的で勇敢であるとは見なしていなかったし、実際に彼らは大抵の場合において普通の農民だった。カール12世は、兵士たちが国王の日常について抱くものとまったく同じく、兵士たちは無気力(4)であると感想を述べている。そしてだからこそ、指揮官は実際の戦闘において積極的役割を果して模範を示す必要があり、祖国を守るためだけに戦争に赴いている兵士たちの士気と団結を高めるために、彼らと同様に危険に身をさらさねばならないと言っている。カール12世はこの陣頭指揮の方法が後方からの作戦の監督指揮よりも勝っているとは考えていなかったが、この方法は自分の状況におかれたスウェーデン王にとっては必要不可欠であったとローエンに語っている。
 この考えの影響はカール12世の服装にも見られる。カールは初陣であったデンマーク戦役までは、鬘をつけていたが大陸に上陸すると戦陣には似合わないとして以後、鬘をつけることはなくなり、服装は初陣から戦死するまで常に簡素な軍服姿であった。これは確かにある意味では華美な服装への単純な忌避であり、スウェーデン王家にはクリスティナ女王を筆頭にこの傾向が強い人物が多い。しかし一兵卒とさして変わらないカール12世の服装は、金刺繍をふんだんにあしらった制服を纏うドラバント隊の直中や、鬘をつけ華美な服装を纏う取り巻きの将軍連の中では逆に自らを著しく目立たせ、陣頭に立つ王の存在を兵士たちに印象づけることを可能とした。
 おそらくは、当初は単純な好みの問題ではあっただろう。だが鬘をやめたことや、部下には華美な服装を許していたこと。敵の象徴である赤色を決して身に纏わなかったこと。見た目は兵士と変わらない服でも使われていた生地や下着は上等なものであったことなどは、彼が衣装が持つ意味を自覚していたことを表している。そしてこの服装は次第に、兵士と危険を分かち合う国王というイメージを、全将兵に知らしめる象徴となった。
 こうして彼が「無気力」と称した国民兵は「カールの兵士」と呼ばれ、その武勇は伝説となった。兵士は結婚していない方が望ましいと述べ、自らも戦争が終わるまでは結婚しないと明言していたカール12世は、理想を自らで体現して陣頭で指揮を執り、士気を高めて巧みに戦機を掴んだ、真の意味での「兵隊王」であったのである。

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◆この頁の参考文献及び引用箇所◆

引用箇所
  1. [松村劭『名将たちの指揮と戦術』PHP新書 2005]pp156-157
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  2. [Hatton, R.M. Charles XII of Sweden. New York, 1969.]p164
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  3. [Nosworthy, B The Anatomy of Victory. New York, 1992.]pp107-108 (原文はサックスの我が幻想より)
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  4. [Hatton, op.cit.,]p164 ("Phlegmatic"が原文)
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