カール12世の人となり


◆優しき武人◆

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 カールは幼い頃から、約束を守り、民には優しく接しなければならないと教えられ育った。

それが証拠に幼い頃のカールにはこんな逸話があった。

それは、カールが6才になるかならないかのある日の夜。
その日の当直の乳母はまだ若く、ある中尉と婚約している仲だった。恋人同士として蜜月の期間にあってその乳母は、突然夜の別れの挨拶を恋人に一言でよいから言いたくなった。幸いなことに時間を見れば、母后がカールを夜の礼拝に連れて行くまでには、まだ間があった。しかしその場を離れて幼い王子の身に何かあったら大変である。そこで乳母はカールと約束をすることにした。

「殿下、私がここに戻るまで絶対にこの椅子から動かないでください。よろしいですか?」

カールはこれに快く応じ、固い約束を乳母と交わした。こうして乳母は喜び急いで恋人の下へと向かったのである。
しかし、その日はどうしたことか、いつもより早く母后がやって来てカールを夜の礼拝に連れて行こうとしたのである。だがカールは動かない。母が怒って何度も急かしても動かない。理由を聞いても全く答えない。カールは約束を完璧に守り、且つ乳母との約束をもらそうともしなかったのである。結局、母后が事の顛末を知ったのは、乳母が恋人の所から戻ってきた時であったという。

また、ある日のこと、カールが犬にパンを与えようとした時、犬が誤ってその小さな手を噛んでしまった。
尋常な子供であれば直ぐさま声を上げ泣き叫ぶ所である。しかしカールは犬が罰せられることを気遣い、痛みに耐え、己のハンカチで傷を覆い誰にも告げなかった。その事が知れたのは、出血が甚だしくついには貧血で倒れてしまってからである。原因を知った大人たちは大いに驚いたと伝わっている。

このように剛毅な内にも優しさと思いやりを持った少年は、長じてもその心を失わなかった。

それはカールが女性に対し常に優しかったと言う証言や、また結婚に関しても当時の王侯らしからぬ考えを持っていた事からも明らかである。

それはつまり、結婚には愛が必要であるという考えであった。それが証拠に、カールはある身分違いの結婚を支持したというエピソードがある。

ある若い恋人たちが、親の承認なく結婚しようとしているとして裁判にかけられた。ここで特に問題となったのが、二人の身分差であった。
男性は軍の兵士、女性は高位の貴族であったという。そのため彼らは自らの結婚を祝福してくれる聖職者を見つけることも叶わなかった。
この恋人たちはその結果、軍の下士官に結婚の見届け人となってもらい事実的な結婚をおこなった。
この話を聞いたカールは愛の前には身分差など重要ではないと強硬に主張、そして聖職者の祝福がたとえなくても結婚は聖書によって祝福され承認出来るとして二人の仲を認めたという。

拷問についても、カールはその効果に疑問を呈し、廃止を訴えている。実際にドルパット法廷からの、大逆罪容疑者に対しての拷問許可要請を拒否している。スウェーデン知識層全体として、拷問への懐疑は広まっていたとは言え、カールの考え方はある程度、先駆的と言えた。

また、彼の優しさは臣民に対してだけのものではなかった。家臣に対しても彼は厳しく接するだけでなく、優しさを示している。

王の身代わりとなってトルンで死んだリーウェンの死を悼み、その柩の蓋を自らの手で閉めたこともある。そして、死を悼んだのは、リーウェンだけではなく、すべての部下、兵士たちに向けられた。

力戦虚しくロシア軍にフィンランドを明け渡したリューベッカーがストックホルムでの裁判で3つの別々の罪(私欲をはかった、任務を怠った、王を非難した)を総合して死刑宣告を受けたと聞くと、私欲をはかったのは重大な犯罪であり、任務を怠ったのは悪いことであるとしながら、王を非難したという罪に関しては笑いながら、「もし私を非難する者たち全てに死罪を与えるならば、スウェーデンにおいては多くの者が生きてはいられまい」と述べ、今までの忠節と努力を鑑みて、遙かトルコから判決の取り消しを命じ、領地に隠棲することを許可してもいる。

また、訓練中の過ちで、カール自らの手で殺してしまった馬術の教師ホルドの命日には、毎年食を断ち、その死に対する責任を生涯忘れることがなかった。
ちなみに、カールはその人生において毎年4回の断食を行っていた。その内の一つが、このホルドの命日であり、もう一つがナルヴァの戦勝日であった。(他2つは不明)
カールは神への感謝と懺悔を断食という行為で、示そうとしていたのだろうか。

また、無謀な行為で知られるベンデルのカラバリクの時も、後世に流布されているような、部下に不要な戦いを強要する、と言うことはしなかった。彼は戦いが始まるまでは自分の陣営にいるように命じたが、いざ戦いが始まれば降伏するように命令していたのである。

そしてカールはある意味部下に甘かった。例え失敗したとしてもそれが積極的な行動による結果であったら、その失敗を責めると言うことはさほどなかった。
例えば、1700年春にリガ救援に赴き、追撃を怠ったために撃退されたフィリングは、手紙の中でカールに、慎重なのは重要だが、慎重すぎれば勝利することはできない、と強く叱責されている。
彼が問題としたのは常に怠惰であり、臆病であり、約束を違えると言うことであった。

これら行動は、まさに、幼き日に、ノルデンヘルムに言ってみせたあの言葉、
「紳士は、内に剛毅の心を持ち、しかも寛大親切に、敵に向かっては獅子の如く猛烈に、家にあっては、全ての人に子羊の如く優しくあるべきである」
を実践して見せたものであった。

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