カール12世の人となり


◆戦争論におけるカール12世◆

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 カール・フォン・クラウゼウィツによって記された「戦争論(Vom Kriege)」は不完全に終わった書物であるにもかかわらず、不朽の価値を持つ軍事思想書である。この中で著者クラウゼウィッツは、自らの思想に基づいて歴史的実例を引用し、主張の妥当性を示した。カール12世の事績もこの実例の中で僅かではあるが言及されている。従ってこれを抜き出すことにより、「戦争論」の思想に即したクラウゼウィッツによるカール12世の評価を、ある程度であるが示すことが出来ると思われる。
 まず「戦争論」においてクラウゼウィッツは、軍事的天才を考察する中で、カール12世をフランスのアンリ大王と並べて次のように述べている。
例えば、かのカール一二世のような人物は天才とは呼ばれない。なぜなら彼は武力を行使するにあたってそれを高次の見識によって導くことを知らず、そのために輝かしい勝利を手に入れることができなかったからである。またかのアンリ四世のごとき人物も天才と呼ぶにはふさわしくない。なぜなら彼は短命にして世を去り、軍事上の勝利を数々の国家関係に影響させ、それをもってより高次の領域で己の立場を築こうとして話せなかったからである。けだし高貴な感情も騎士道精神も、内敵を服させると同じようには外敵を服させることができないものである(1)
 ここには軍事的天才と呼ばれるには戦場における勝利だけでなく、高次の国家関係に対する洞察と見識から戦場の勝利を政治的な成果に繋げなければならないとするクラウゼウィッツの考えが明確に反映されている。そして彼はその考えに従い、カール12世は天才ではないと断言した。
 続いてクラウゼウィッツは戦略を述べる中で、限られた力で偉大な目標を追求するにあたって、己の力に適さないことは何も企まず、目的を達成するのに充分なだけのことしかしなかった(2)フリードリヒ大王とアレキサンドロスになろうとしたカール12世を比較し、適切な戦争目的と戦略的目標を持つ重要性を示し、次のように記している。
講和条約によってシレジアを確保することが彼[フリードリヒ大王]の目的であった。
 多くの点で他の諸国と類似し、二、三の行政部門でそれらに優位しているにすぎぬ一小国の元首の地位にあって、彼はアレキサンダーになることはできなかったし、もしカール一二世のごとくそれを望んだとすれば、同じように頭を打ち砕かれていたであろう
(2)
 以上を見る限り、クラウゼウィッツは国家最高指導者としてのカール12世については低い評価しか与えていないことが分かる。しかしながら、純軍事の分野に限るとその評価は変化する。例えばクラウゼウィッツは軍の武徳について記している章において、偉大な将軍と偉大な軍隊の関係性を述べる中でカール12世の名を一例としてあげている。
軍隊の武徳は戦争においても最も重要な精神力であり、それが欠けている場合には、最高司令官の圧倒的な偉大さや国民の熱情といった他の精神勢力がこれを補うのでなければ、戦争の成果は費やされた労苦に釣り合わないものとなる。粗鉱のごとき軍隊が精錬されて純粋になったとき、その精神が偉大な事業を成就したという例は、アレキサンダー治下のマケドニア人、シーザー治下のローマの軍団、アレキサンダー・ファルネーゼ治下のスペイン歩兵、グスタフ・アドルフとカール一二世治下のスウェーデン人、フリードリッヒ大王治下のプロイセン人、ナポレオン治下のフランス人、のもとに見出される。これら最高司令官の驚くべき戦果と、苦境にあっての彼らの偉大さが、強力な軍隊のもとでのみ発揮されたことを認めようとしないのならば、あらゆる歴史上の証拠に故意に目をつぶるほかはないことになるだろう(3)
 この記述から推測すると、クラウゼウィッツは純軍事的な将軍としてのカール12世については一定以上の評価をしていたと思われる。このことは、勝利を利用するための戦略的手段について論じる中での評価からも推察される。クラウゼウィッツは、敵戦闘力の殲滅を目指すために戦略的追撃が重要であると主張する流れの中で、次のように述べている。
だが追撃によって蒙る戦闘力のさらなる損失が敵の損失とは比較にならぬほど小さいことが明らかである限り、この計算は誤っている。そのような考えは、戦闘力が中心的な問題であると見なされてたために生じたものにすぎない。往時の戦争で勝利確定後に強力な追撃を続けたのがカール一二世、マールボロー、オイゲン、フリードリッヒ大王のごとき本来の英雄のみで、他の最高司令官が普通戦場の占拠だけで満足したのはこの誤った打算のためであった。最近では、用兵に伴う事情が多端になり用兵に費やされるエネルギーが大きくなったために、こうした伝統的な制約は打破されている(4)
 ただし、クラウゼウィッツはナルヴァの戦いについては、数の優位についての記述において見ることが出来るように、あまり評価していない。彼はヨーロッパでは、軍隊の武器、編制、種々の技術などは極めて類似していて、わずかに軍隊の士気や最高司令官の才能に相違があるだけである(5)から、圧倒的少数が多数を打ち破る戦例は、ロイテンとロスバッハの会戦を除いて、ほとんど見出すことが出来ないと述べて、次のようにナルヴァの戦いを評価している。
カール一二世のナルヴァの会戦は引用するに適切な例ではない。当時のロシア人はヨーロッパ人と見なすことができなかったし、それにこの会戦の状況そのものがよくわからないからである(5)
 だが軍事指揮官としてのカール12世へのクラウゼウィッツの評価は、作戦計画(草案)で戦史全体を概観する中で、より明確化している。
この時期[近世ヨーロッパ]にはまた三人の新しいアレクサンダーが登場した。つまりグスタフ・アドルフ、カール一二世、フリードリッヒ大王の三人がそれである。彼らはいずれも兵員数は少なくとも完成度の高い軍隊に助けられて小国家から大君主国を建設し、目前の障害物を倒滅しようと意図したのである。もし彼らがアジア帝国をもっぱらの敵として戦っていたならば、彼らの役割はアレクサンダーのそれと似たものとなっていたであろう。いずれにせよ、彼らはその厖大な戦争計画から見て、ナポレオンの先駆者と見なすことができるのである(6)
 このようにクラウゼウィッツは、国家の軍事指導者としてのカール12世については、国家最高司令官は政治家を兼ねなければならないとの考えに基づき、その才能に限度があったと評価する一方、純軍事的に限った領域に関すれば、敵戦闘力の殲滅を戦争の目的とする彼の思想からも、数々の戦場における勝利からも、高い才能を持った英雄的人物であったと評価していると見られる。
 そしてカールを含む新アレクサンドロスが大きな成功を収められなかった理由については、当時の国家形態と国際関係、それらと密接に結びついた戦争の形態を理由にして次のように結論づけている。
かくて、優れた最高指揮官にして優れた君主であったグスタフ・アドルフ、カール一二世、フリードリッヒ大王の三人にして一般的水準を擢ん出ることができず、月並な成果で満足しなければならなかった原因は、当時のヨーロッパの政治的均衡状態のうちに求めることができる。かつて多数の小国が乱立していた時代には、直接的でまったく自然的な利害、国土の接近、不断の接触、婚姻関係、個人的知己等が個々の国家の速やかな発展を妨げていたのであるが、国家が拡大し、その中心が互いに遠く離れるに至った当時にあっては、国際関係の発達がこれを妨げることとなったのである。政治的利害、牽引、反発の関係は非常に純化され、一発の砲声が轟けば、各国の内閣がそれに関与せざるを得なかったというわけである。
 したがって、新時代のアレクサンダーは文武両道に通じていなければならなかったが、たとえ両道に通じていても、古代のアレクサンダーのごとき征服を望むことはできなかったのである
(7)
 以上に示されたクラウゼウィッツによるカール12世の評価には、当然のことながら異論があると思われる。しかし、後年のカールはもとより若き日のカールにおいても国家関係をよく考えて戦争を遂行していたとの主張があるとしても、暗殺されたアンリ大王と同じく、道半ばで世を去り、大北方戦争において最終的敗北者となったカール12世を国家指導者として天才と呼ぶことが出来ないのは、やはり適切であると思われる。また、軍事的な評価についても、彼は父から受け継いだ軍事大国を指揮したに過ぎないとして、高く評価され過ぎているとの見解もあるが、達成した軍事的業績を考えると、やはり相応の評価をせざるを得ないため、この二つの分割的評価は広く一般に受け入れられるものではないかと考えることが出来るのである。

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◆この頁の引用◆

  1. [クラウゼウィッツ『戦争論 (上)』訳:清水多吉 中央公論新社 2001]pp121-122
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  2. [クラウゼウィッツ『戦争論 (上)』訳:清水多吉 中央公論新社 2001]p250
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  3. [クラウゼウィッツ『戦争論 (上)』訳:清水多吉 中央公論新社 2001]p267
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  4. [クラウゼウィッツ『戦争論 (上)』訳:清水多吉 中央公論新社 2001]p392
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  5. [クラウゼウィッツ『戦争論 (上)』訳:清水多吉 中央公論新社 2001]p279
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  6. [クラウゼウィッツ『戦争論 (下)』訳:清水多吉 中央公論新社 2001]p492
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  7. [クラウゼウィッツ『戦争論 (下)』訳:清水多吉 中央公論新社 2001]p495
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