会戦
◆ナルヴァ会戦◆

一般摘要
Abstract

ナルヴァの戦いの大まかな流れ

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会戦図

 1700年8月19日(ユリウス歴)にスウェーデンに宣戦布告したロシア帝国(モスクワ大公国)は、4万余りの軍を招集し9月下旬までに、当時スウェーデン領であったインゲルマンラント(イングリア)とエストラント(エストニア)の境にある街、ナルヴァを包囲した。当時ナルヴァには2,500名の守備隊がいるのみであったが、稜堡式の堅固な城壁とロシア軍の重砲輸送の遅れ、訓練不足により、包囲戦は11月になっても終わる気配を見せなかった。一方、デンマークを8月に反スウェーデン同盟から離脱させたスウェーデンは、10月上旬に軍をリーヴラント(ラトビア)のペルナウに上陸させ、ナルヴァからエストラントに進出していたロシア軍の偵察隊を撤退させていた。

 11月13日(以下スウェーデン歴)、スウェーデン王カール12世とカール・レーンスケルド騎兵中将に率いられたスウェーデン軍1万余りは、ナルヴァへの行軍を開始した。11月17日、スウェーデン軍は、シェレメチェフ将軍率いるロシア軍の前進警戒部隊を後退させた。ピョートル1世は、この知らせを聞くと、18日の夜にロシア軍の攻城陣地から姿を消した。援軍を求めるためとも、単なる逃亡とも言われている。指揮権はピョートルから、低地諸州出身のフランス系貴族、陸軍元帥シャルル=ユジェーヌ・ド・クロワ公爵に移った。スウェーデン軍は11月19日、ナルヴァから14km離れたラゲナと呼ばれる小村に到着した。

 11月20日(グレゴリウス歴11月30日)午後2時、折からの吹雪に乗じスウェーデン軍10,537名(8,140名とも言われている)は縦隊を組んで攻撃を開始した。ロシア軍約37,000名(不正規兵および非戦闘員を含めるとその総数は、8-60,000程度に上ったと言われている)は、背塁線に拠ってこれに対した。シェレメチェフ将軍は、陣地から出て野戦を挑むべきだと考えたが、ド・クロワ元帥はこの進言を退けていた(ヴォルテールによると、クロワ元帥こそが野戦を挑むべきだと考え、ロシア人士官らが反対したと逆の見解を取っている)。戦いは、吹雪を味方に付けたスウェーデン軍の縦隊が中央2ヶ所でロシア軍の陣地を突破し、その両翼を圧倒したことにより決した。ロシア軍の残余はナルヴァ河を渡って退却したが、その際に多数の溺死者を出した。スウェーデン軍の被害は死者667名、ロシア軍の被害は死傷者15,000名、捕虜12,000名、持ち込んでいた大砲のすべてを失い、スウェーデン軍は20,000挺のマスケット銃を手に入れたとも言われている。

 スウェーデンの劇的な勝利に終わったこの戦いは、しかし皮肉にも敗者の心を燃え立たせる結果となった。ピョートル1世は改革への決意をより強固にし軍制改革を断行、陸軍の西洋化・海軍の創設に成功した。その一方で勝利したカール12世は、ポーランド−リトアニア連合王国へと軍を転じ、ザクセン選帝候兼ポーランド王であるアウグスト2世をポーランド王位から退位させ、ザクセンに進撃してアウグストを反スウェーデン同盟から脱落させるなどの成功を収めたが、バルト海沿岸部ではロシア軍の跳梁を許し、ピョートルの改革に時間的猶予を与えてしまった。1709年のポルタヴァの戦いは、ロシアの大勝利に終わり、ナルヴァの復讐をピョートルは成し遂げた。このためナルヴァの戦いは、スウェーデンの没落の始まりとして後世に知られることになった。

 この戦いは偉大な戦術的勝利として知られているが、クラウゼウィッツなどは、ナルヴァの戦いにおけるロシア軍を、野蛮で規律のとれていない軍とも呼べない集団と見なして、スウェーデン軍の勝利に余り高い評価を与えていない。スウェーデン軍の勝利をたたえたヴォルテールも、ロシア軍の規律に関して同様の記述を残している。
 しかしその一方で、結果に表れたほどの差は両軍になかったとする指摘もある。当時ロシア軍に参加していたドイツ人の将軍フォン・アラートは、ロシア軍の装備や質を賞賛する手紙を戦前に書いており、また戦後においても彼は、ロシア軍将兵の勇気の無さに不平を漏らしつつも、シェレメチェフ率いるロシア軍騎兵が、陣地に突入してきたばかりのスウェーデン軍歩兵の側面に対して突撃していたら、我々は勝利していたはずだと悔しそうに述べているからである。また、新兵だらけであったと評されるロシア軍の方が対トルコ戦や対ポーランド戦などで実戦を豊富に経験しており、逆に精鋭で知られるスウェーデン軍が、兵卒に関して言えば、長い間の平和により戦闘経験を失っていたことは、事実である。また、スウェーデン軍が戦勝後にモスクワへ進撃しなかったことに対しても大きな批判が集まっているが、これに対しても、補給の状況とリーヴラントでの状況を考えると、その作戦は現実的でなかったとする主張がある。

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