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幻の氷上侵攻

何でも氷上侵攻ってのは
スウェーデン人にとって
桶狭間とか鵯越の逆落としみたいな物らしい。
まぁあんまり真似しちゃ駄目な戦例のような気がする。
最近は温暖化だしね。

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氷上侵攻と聞くと、スウェーデン人の心は沸き立つそうである。それは、カール12世の祖父、カール10世が行った華々しい奇襲作戦の記憶が今なお、彼らの心に生きているかららしい。おそらく我々日本人が、義経の鵯越えや、信長の桶狭間と聞くとニヤリと笑うのと同じ感覚なのだろう。

そして、そのあらましは、以下のごとくであった。

1657年、ポーランドにおいて転戦していたカール10世の背後を突くように、デンマークがスウェーデンに戦争を仕掛けた。これを知ったカール10世は、1657年の晩夏、軍勢を率いて、ポーランドからデンマークの領地、ユトランド半島へと鉾を転じる。そして、カール10世は、北方のアレクサンドロスと言う綽名の通り、その年の内に、ユトランド半島を全域を制覇してしまった。

しかし、そこでカール10世の進撃は一時中断してしまう。何故ならば、デンマークの首都コペンハーゲンは、海の向こう、シェラン島にあったからである。

しかし、カール10世はここで、驚くべき作戦に打って出た。この年の終わりから翌年にかけて、この地方に猛烈な寒さがおそった。そして彼はそれを利用した。翌年1月、そのあまりの寒さに凍りついた海峡を歩いて渡り、ユトランド半島からシェラン島へ、カール10世は軍勢を進めた。

いつ割れるとも知れない薄氷の海峡を歩いて渡るという冒険的壮挙は、幸運な気象条件、カール10世の明敏なる決断力、そしてそれを補佐し得た、当時彼の幕僚だったエリック・ダールベルヒの用意周到な計画と案内が噛み合って、見事成功した。

世界戦史でも類を見ない奇襲作戦を成し遂げたカール10世は、コペンハーゲンを攻略した。彼の第1次デンマーク戦争はスウェーデンの勝利に終わった。(もっとも彼はその後ふたたびコペンハーゲンを攻め、惜しくも失敗している。そして第3次侵攻を計画中に急死した。しかし、この戦争で手に入れたスコーネなど、彼はスウェーデン史上、最大の領土を手に入れた)

かようなわけで、氷上侵攻はスウェーデン人の冒険心をくすぐる作戦であった。

それだからこそ、その孫にあたる同じく冒険心あふれるカール12世もまた、機会があればそのような作戦を行いたいと考えていた。そして、その機会は現実に存在した。

それが表題の「嵐に消えた氷上侵攻」である。

ことの始まりは、1715年秋。ストラルズンドから帰還したカールが、疲弊し、押されっぱなしの戦局を好転させるために、ヘッセンのフレデリック(後のスウェーデン王。ウルリカの夫)と語らいあい、ノルウェー侵攻を考えていた時期のことである。

ちなみに、ノルウェー侵攻は、主に牽制の役割を持つ作戦であった。

当時、デンマーク軍はユトランド半島やポンメルンなど大陸に戦力を展開し、スウェーデンの僅かに残った領地を圧迫し続けていた。また、さらに1710年に引き続き、再度のスコーネ侵攻を、今度は単独ではなく、ロシアやブランデンブルク、ハーノーヴァー=イギリスと連合する形で企図していた。

建て直しを図るカールはこれら行動を制約し、時間を稼ぐ必要があった。

そこで考えられたのが前述のノルウェー侵攻作戦だった。スウェーデン軍の強さと、ねばり強さ、そしてノルウェーの喪失を予感させることによって、スコーネ侵攻作戦の中心であるデンマークに、侵攻作戦遂行を躊躇させることが第1の目的。そして、ノルウェーに侵攻することにより、デンマークの戦力を北上させ、ドイツにいるスウェーデン軍への圧力を減らすことが第2とされた。この双方に優先順位はなかったが、目標はノルウェー南部の攻略で統一されていたため、首尾一貫した軍事作戦となる予定であった。

そしてカールはその作戦のためにスコーネに戦力を集結させていた。しかし、そこに思わぬ気象がもたらされる。1715年のクリスマスから1716年の新年にかけて、異常な寒気がエーレスンド海峡を襲ったのである。結果、海峡は58年前のように凍った。そう、軍勢の横断が可能と思われる厚さの氷が、エーレスンド海峡を覆ったのである。

祖父がやったことを今度はその逆から(カール10世はユトランド半島側から、カール12世はスコーネ側から)行うことが出来る。

そう考えたカールは急遽、氷上侵攻作戦を真剣に考えた。

無論のことそれは、軍事的に大変な利点を持った作戦でもあった。

何故ならば、前述のように戦力を南に展開させていたデンマークは、首都のあるシェラン島に大した戦力を配置していなかったからである。海軍力において勝るようになっていた連合国側にあって、彼らはよもや首都が攻撃にあうだろうとは考えていなかったからである。

カールにとってそれは最大にして最後の好機だった。コペンハーゲンをもし落とすことが出来れば、その時点で戦局は一挙に好転する。デンマークは対スウェーデン連合から脱落し、占領されていたホルシュタイン領やドイツの領土を取り戻し、戦線を立て直すのに充分なほどの猶予を手に入れられる。

また、戦力的にもノルウェーに侵攻する兵力で充分足りると思われた。となれば、カールは迷わなかった。

軍勢はランドスクローナに集結し、進撃命令を待った。ある先遣隊は、海峡の途中まで試験的に進軍し、Hven島という小島にまで到達した。

コペンハーゲンでは、悪夢の再来に怯え、東の海上を市民の誰もが見つめた。命令されたからでもあったが、首都防衛の役に少しでも立とうという気持ちが彼らを駆り立てた。そしてそのような氷上の監視は、コペンハーゲンだけでなく、シェラン島東海岸全域で行われた。

そんな緊張の中、準備は着々と進み、カール12世の氷上侵攻は時間の問題と思われた。しかし突如として、コペンハーゲンの危機、カール12世最大にして最後の好機は去った。

1716年1月9日〜11日にかけて、エーレスンド海峡を強い嵐が襲った。嵐は海峡を覆っていた厚い氷を破壊し、2度とそれは元に戻らなかった。 こうしてカールの起死回生の瞬間は去った。しかし氷上侵攻の訓練は続けられた。カールは落胆することなく、当初の計画、ノルウェー侵攻を推し進めていた。冬のノルウェーに攻め込むにおいては、氷の上を歩く訓練は必要であったのである。そして事実、それは役に立った。

かくして1716年2月に始まった、カールの第1次ノルウェー侵攻作戦は、軍事的にはクリスチャニアの占領維持に失敗し、撤退を余儀なくされるが、連合国側が1716年に企画していたスコーネ侵攻作戦を中止に追いやり、スウェーデン軍侮りが足しとの印象を敵対諸国に植え付けることに成功した。もっとも、デンマークの注意を北に引き寄せるのには少し遅すぎた。この年、ウィスマルは陥落した。

結局、カールにとって困難な戦争は続いた。もし嵐が来なければ、嵐がもう少し遅かったならば、はたまた、氷上にいる間に嵐が襲っていたら、歴史はどのように変わっていただろうか?

蛇足だが、もし、IF戦記を書くんだったら、これぐらいの時期から書くのが面白そうだと思う。ナルヴァ後直ぐのモスクワ侵攻や、1709年のロシア遠征成功物、もしくはロシアと適当なところで講和してのスペイン継承戦争殴り込み物なんかも良いが、追い詰められてからの一発逆転、バルト海どころかロンドンまで攻め寄せる莫迦戦記の方が破天荒で物語性が強いような気がするのだな。まぁどれでもよいがだれか書いてくれないかな? もちろんマールバラ様とオイゲン様は登場させてね(他力本願(^^;)

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