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とある少女が見たカール12世

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 権力者の実像を見ることは難しい。崇拝者は限りなく理想化し、敵対者はあしざまに罵る。歴史上の人物ともなれば、時代を経る毎に評価もまた変わり、それに合わせて照らされる側面も変わる。
 カール12世もその類からは逃れられない。ヴォルテールの有名な伝記を持ち出すまでもなく、18世紀から20世紀初頭まで、カール12世と言えば、無学な軍人王の代表例であり、人の痛みに無頓着な、好戦的な人物として描かれてきた。
 しかし、ここに一つの興味深い記録が残されている。時は1807年。ナポレオンがまだロシアに遠征をする以前。カール12世が単純にも軍人王の典型としてしか見られていなかった時代。リトアニアにいた一人の老婦人がカール12世について語っていた。

 彼女の名前はパニ・オンホフスカ(Pani Onjuchowska)。この時、およそ110才であったという。折しも寡婦となって過ごす彼女の家に、年若い縁者タデウシュ・ブルガリン(Thaddeusz Bulgarin)が訪れていた。彼女は言う。あれは99年前、まだ11才の少女であった1708年3月のことだったと。

 その日、スモレンスクの王領地代官であった彼女の父は、明日、スウェーデン王が彼の家に寄宿する意向であることを知らされた。そして親衛隊から24名の兵が派遣されてきて中庭に警備の陣を構えたと言う。翌日になり、2名の士官が現れた。そしてドイツ語で、国王に割り当てられた部屋の確認を願い出た。彼女の父は二人を王の副官であると考えたが、その実、二人の内の若い方が国王その人だと知れた。それが2日間の逗留の始まりだった(Hattonの著作に従うと4日間)。彼女は言う。

「彼は子羊のようにおとなしく、そして尼僧のように、はにかみ屋でした。若々しく見え、顔の造作は整ってはいませんでしたが、その深い青色の瞳は煌めくほどに輝いていました。お顔は、少し背が高く、スラリとした体つきでしたので、比率的に小さく見えました。その剣や肘まで届く手袋、大変大きな長靴、そして特大の拍車は、ほっそりとした身体にはとても不釣り合いで、私たちのような少女には、おかしく思えたものです。……両親は私たちに、彼はヤン・ソビェスキあるいはステファン・バートリのような偉大な男であるから、しっかりと見ておきなさいと言っておりました」

 彼女の母は、女主人として国王の好みを把握する義務があった。そこでフルトマンと思われる王の侍従に、カール12世の好物を訪ねたていたと彼女は思い出を語っている。侍従の答えは次のようだったらしい。

 陛下の好みは「猟肉あるいは豚肉、ほうれん草、パセリにヘンルーダとなります。加えてレモンのような果物や、あるいはリンゴがあれば尚、良いでしょう」

 幸いなことに彼女の母は、猪肉やリンゴを夕食の席に提供することができた。初日の夕食は豪勢なものだったようである。普段は女性と話さないカール12世であったが、女主人として見事な差配をした彼女の母に、庭で取れた素晴らしいリンゴについて謝辞を述べていたと彼女は語っている。
 また夕食の席における興味深い風景についても、このリトアニアの夫人は語り残している。

「三人のスウェーデン軍の将軍たちも夕食の席についていました。彼らは注がれたワインへの称賛を口にしつつ、国王の御前にあっても自由に会話を交わしていました。その間、彼は水だけを飲み、パンを咀嚼して食べ、物静かに過ごされておりました」

 カール12世の対外的な印象との落差、そして部下に許されていた自由な風潮など、この記録から感じ取れるものはどれも貴重である。
 もっとも彼らしいエピソードも残されている。彼女の母は、王の従僕から初日の夕食後に、夕食について陛下は大変満足されましたが、食事にはそんな長い時間は必要ないので、陛下におかれては明日の品数が四品以下であることを望まれていると伝えられたという。
 この辺りは、イギリス外交官ステップニーの記録と一致している。このような簡素さは夜食にも現れている。彼女によれば「彼は1杯の牛乳を飲み、小さなパンに塩を振って食べた」とのことである。

 政治的な事柄については11才の少女には難しかっただろうし、カール12世も軽々しく語ったりはしなかったろう。しかし彼女の父に対してカールは次のように述べたという。

「この戦争は直ぐに終わるでしょうし、これまでの間にポーランドが被ってきた何もかもが良くなる方法を必ず見つけましょう」

 二日間の逗留は、カール12世にとって心休まるものになったと思われる。去り際に彼は一家に対するお礼として、王の記章が彫り込まれた小箱を贈った。
 一方、彼女の一家に与えた印象もまた良いものであった。彼女の言葉を引用しよう。

「彼のポルタヴァにおける不運を知らされた時、私たちは心から彼に同情しましたし、それでも尚、この状況から彼が立ち直るだろうことを望みました。けれど、遂に彼の死を聞くに及び、私たちは皆、涙を流したのです」

 パニ・オンホフスカが語るカール12世は、世に流布する軍人王とは似ても似つかない。そこには、物静かで優しい青年がいる。部下に寛容で、節度ある指導者がいる。勿論、これだけをもってカール12世を、そのように規定するべきではない。ただ、間違いなく、かくの如き素朴な人間性なるものも、彼の王の複雑な心性の内部には存在していたのである。

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