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フリードリヒ大王によるカール12世とそのロシア遠征への批評

"Many Road to Moscow"にあった英訳抜粋および「我が時代の歴史」から抜粋

翻訳の正確性は保証しません

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 歴史は我々に、軽率に企てられた余りに多くの戦争の実例を示している。 最も近い時期においても、スウェーデン王カール12世が君候の頑迷と誤った決心とによって、臣下に与えた悪結果に関して最も痛切な実例を示している。
 グスタヴ・アドルフとカール12世の精神とは、時間と不運とでも打ち消すことができないほど、国民の気持ちの中に深い感銘を残していた。スウェーデン人はあらゆる君主国家の運命を経験した。
 スウェーデンはグスタフ・アドルフのもとで、最も光り輝いていた。この国はフランスと共同して、ウェストファリア平和条約を指揮した。カール12世のもとで、この国はデンマーク人やロシア人を征服して、一時ポーランドの王位を自由に処理していた。この強国は当時、全力を集中して、あたかも彗星のように、非常な光輝を放って出現したが、それが無限の空間に消え失せたかのように見える。敵国はこの国を細分して、エストランド、リーフラント、公爵領ブレーメンとヴェルデン及びポンメルンの大部分を奪い去った。

 カール12世は、多くの検討材料から言って、兵術を極められなかったことについて、弁解することができる。この難しい術は人が生来持ち得るものではない。自然は我々に優れた天与の才能を与えるであろうが、その最も有望なる特質を伸ばす上で、深遠なる学究と長い経験が必須でないはずがない。軍人がその経歴を始めるには、偉大なる指揮官の教導の下につくか、あるいは多くの経験と危難から戦いの諸原則を学び取ることが不可欠であり、そうして後に多くの教訓を得るのである。

 カール12世は真っ先に軍の先頭に立つ己自身を示し、敵を真っ先に見た。私はここで、折を見ては、次のように言っておきたい。若くして軍の指揮をとることになった者たちは、勝利に必要なものが勇気と性急さのみであると想像する、と。ピュロス王に大コンデ公、そして我らが英雄も、その一例だ。しかし火薬が発見されてから兵術は変化し、関連するあらゆる物事も同じく変化した。古代の英雄たちにとって最初にあげられた資質である肉体の強さは、現在において考慮の外にある。計略が力と勇気の術に打ち勝った。将軍の思慮は、戦場の武勇よりも、戦役の幸運な、あるいは不運な成り行きに多くの影響を与える。行軍には慎重なる準備と、その実施には剛胆さを発揮せねばならない。大胆さは実行の段における導きでなければならず、幸運ではなく、その能力のみが良く知る者の称賛を我々にもたらすのである。
 これらの資質をスウェーデン王は欠いていた。なるほど、カールは一般に技術に拠るところなく、すべて天与に負うと言われている。彼の才能とは、身につけた知識による輝きではなく、有り余る無謀という印を押された精神と揺るがぬ勇気が故に形作ることを可能とした強固な意志であった。名声はすべてを生け贄にした偶像だった。彼の戦闘はそれのみで計画が被る損失と殆ど完全に比肩すると思われた時に行われた。不運に直面した時の断固たる態度、彼の為したあらゆる企図における倦むことを知らない活力、危険への無頓着たる英雄的勇気、それらはこの非凡なる君主の特性である。

 彼は不断の幸運によって驕っていたのだろうか? あるいは彼は自らを遮るものなど何もなく、学ばねばならぬ術もないと思っていたのだろうか? あるいは大いなる称賛に値する彼の勇気は、長所ではなく無分別となり、かくの如き軍人の欠点を彼に負わせ、誤った方向へと導いたのだろうか?
 それまで、カールは防衛する側にあって戦いを強いてくる敵に対してのみ、その軍を向けてきた。しかし、ドヴィナの戦い以降、我々は彼が指し示す明確な道筋を見失う。彼の数多くの企てには関連もなく全体計画もなく、そこには輝かしい戦闘が混ざり合うも、しかしそれは、戦争の遂行における合理性を持たず、偉大なる結果を生みだすことにも寄与していないということを、我々は理解している。

 一般に言って、カールは兵士たちの血を浪費した。

 スモレンスク公領とウクライナを目指した計画に関し、最小限の予防策もとらなかったと彼は非難されえると思われる。彼がモスクワでツァーリを退位させていても、その計画の実施そのものは、彼に如何なる栄誉も与えなかったであろう。何故なら、そのような成功は思慮の賜物ではなく、偶然の産物であっただろうからである。

 私にとって、彼の王はロシアへと侵入するに最も簡単な進軍経路を用いるべきで、それが強力なる敵を打ちのめす最も確かな方法だったと言うことは、明らかである。その進軍経路は疑いもなく、スモレンスクでもなければウクライナでもなかった。どちらも半耕作地帯に侵入し、軍がモスクワに辿り着く前に、手に負えぬ沼沢地や広大な荒野、そして大河を越えねばならないからだ。どちらの進軍経路を取ろうとも、それはカールから彼がポーランドあるいはスウェーデンから受け取ることを期待したあらゆる物資を奪った。ロシアへと進めば進むほど、彼は自分の王国から更に遠ざかった。このような企図を完遂するには1回の戦役では足りないのだ。何処で食料を獲得するのか? 補充兵たちが進むべき道は? モスクワ人あるいはコサックの直中で、安全な場所をどうやって作るのか? 何処から軍において絶え間なく更新していかねばならぬ武器と衣服を、そしてその他の、価値は劣るが、絶対的に不可欠な軍需品を獲得するのか?
 数多くの乗り越えられぬ困難は、彼にスウェーデン軍が間違いなく疲労と飢えによって自滅に晒され、そして数をすり減らし、例え勝利に彩られても、溶け消えざるを得ないという予感を与えたであろう。

 無謀を伴う数多くの困難、数多くの障害を物ともせずに進む代わりに、もっと自然で、苦もなく思いつき、実行できる計画がある。カールはリーフラントとインゲルマンラントを抜けて、速やかにペテルブルクへ進むべきだった。スウェーデンの艦隊と不可欠な輸送船団は、補給物資を積み、フィンランド湾に向かうことができただろう。補充兵たちと他の必要物資もこの艦隊に載って輸送されるか、フィンランドを抜けて行軍できたろう。王国内で最良の領土を彼の王は守り、そして国境から動くこともない。成功はより輝かしきものとなり、極限の困難が降り掛かり彼を絶望的な場所へ追いやる事もなくなるだろう。彼がペテルブルクを占領したならば、それはツァーリの新たなる都を破壊したということであった。ロシアはヨーロッパへの窓を失い、人々は打ちのめされたことであろう。この大局的視点に立てば、彼は成功から利益を得て、それを更に推し進めることができただろう。やはり、私は彼がモスクワで講和条約を締結することが、何であれ不可欠であったとは認めていないのである。

 麾下の兵士たちの生活を最低限度保証することは、将軍として第一に気をかけねばならないことである。軍を宮殿に例えるなら、胃袋はその礎石である。この根幹における彼の王の無頓着さは、その不運と名声を大いに損なうに、最も大きな要因となった。……余は、彼の王がレーヴェンハウプト将軍に対して多数の輜重を率いて後を追うように命じたことを除いて、軍の生活を最低限度保証することに対して全く用心していなかったことを知っている。それ故に、彼はこの輜重を、それを欠いては軍として何もできぬそれらを、後方遠くに置き去りにしてはならなかったのである。これから遠ざかるほど、彼は更に自らを敗北の運命へと晒したのである。

 カールは輜重を待つべきであり、あるいは時間通りに到着していなかったなら、リトアニアへ引き返して、彼らを迎えに行くべきであった。だが反対にカールは更に前進し、かくして軍の損失を加速させた。兵術のあらゆる法則に真っ向から対峙する振る舞いは、それだけで破滅を招くに充分であり、これに不運が加わればもう致命的な結果となるしかない。ツァーリはレーヴェンハウプトを二度に渡り攻撃し、遂に彼をして輜重の凡そ大半を破壊させることを余儀なくさせた。

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