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カール12世の騎兵
Chandler, David G.
The Art of Warfare in the Age of Marlborough(New York:1997), pp56-57

適当な翻訳ですのであしからず。

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 1722年以前、真の乗馬抜剣戦闘を行い得たのは、当時同じように評価されていたマールバラを除くと、スウェーデン王ただ一人であった。この兵隊王は、騎兵に必要とされる勇気や勇猛さ、精神力と決断力と言ったものの極めて優れた体現者であった。仮にこの情熱への献身さの行き過ぎにより、慎重さを欠き、最終的な破滅に繋がったという見解が広まっているとしても、彼があの時代における最高の騎兵指揮官であったことに変わりはない。マールバラと同じく、彼は騎兵の装備や維持に多大な情熱を注いだ。そして彼は、騎兵に騎銃やピストルを撃つ時間を与えなかった。竜騎兵を除いて彼の騎兵は、それら火器の使用を完全に禁じられていた。彼らは通例、長い直剣を用い、なぎ払うよりも突き刺すよう指導された。しかしながら、マールバラとは違い[訳注1]、カール12世は繰り返し、スピードこそが騎兵戦術における最も重要な要素であると強調している。その為、最終的にスウェーデン騎兵は、あらゆる種類の胸甲の使用も禁じられた。カールの騎兵にはどんな障害物であれ突破することが期待された。そして彼の指導の下、当時のヨーロッパ諸国軍ではこれまで到底為しえないとされていた迅速な機動を行うための訓練が行われた。もっとも熟練した騎兵ですら、この躍動的な指揮官について行くことは難しかった。1707年には閲兵中のカールが2頭の馬を乗りつぶし死なせてしまったことが知られている。
 ポルタヴァ(疲弊したスウェーデン軍はこの戦いでピョートル大帝の大軍とそれに支援された堡塁の前に壊滅させられた)に至るまで、カールと彼の騎兵は無敵だった。ポーランド軍、ザクセン軍、ロシア軍は、猛烈でしかも規律の取れた青色の騎兵たち[訳注2]の前に屈服させられた。クリッソフ会戦(1702年7月19日)では、21個のスウェーデン騎兵大隊が、抜剣突撃により、ピストルを使用したザクセン軍31個騎兵大隊に勝利した。突撃にあたり、カールは騎兵大隊の隊形を楔形にした。「踵の隣に踵」を置いて直線隊形を取る代わりに、スウェーデン騎兵は「踵の後ろに踵」を置くような、旗手をその頂点にした2列の左右に大きく開いた楔形の隊形[訳注3]を取った。この隊形は多大な戦術的優位をスウェーデン騎兵に与え、特に密集した目標に対して絶大な優位を発揮した。しかしながらそれは中央に位置する旗手の損害を極めて高くした。
 カール12世の2つ目の偉大な革新は、戦勝後の計画的な追撃を戦闘教義として取り入れたことにある。ラミーユ戦勝後に生起したマールバラによるスペイン領低地地方の征服が鮮やかなものであったにもかかわらず、多くの同時代人にとって、自身の成功を拡張することはまれであった。何故ならば実施上の難しさと精神的な嫌気が現実問題として存在していたからである。しかしナポレオンが後に「la poursuite à l'outrance」"限界に至るまでの追撃"と呼んだものは、カールの軍において通常の行動であった。彼は敗走する敵に、全く休息を与えなかった。実例を挙げると1704年、敗走するシューレンブルク元帥[訳注4]のザクセン軍に対し、スウェーデン騎兵は9日間、一度も馬の轡を外さず追撃し、ついにサニッツにおいて彼らを追い抜いている。そして更に、まったく躊躇わず、何の支援も受けていないスウェーデン軍2個騎兵連隊は、10,000のザクセン軍に突撃した。ザクセン軍歩兵は圧倒され、ザクセン軍騎兵も敗走した。その後とって返したスウェーデン騎兵は、砲兵と残っていた歩兵を打ちのめした。結局のところ、夜の闇だけがシューレンブルク軍の残骸を救った。しかし国境を越えての彼の退却は、それと引き替えにすべての砲を失うことを意味した。
 デニソン[訳注5]がスウェーデン騎兵に対して感動的に「彼[カール]の大胆さと騎士的精神の真の成果」によるものと書いてあることは、驚くに値しない。
 この時代においてカール12世に率いられたスウェーデン騎兵の突撃に比肩し得たのは、訓練を欠いてはいたが、オスマン騎兵だけであった。

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◆この頁の参考文献及び引用箇所◆

引用箇所
  • [訳注1] マールバラの騎兵もピストルを使用せず剣での白兵攻撃を行ったが、その前進速度は速歩が限界であった。何故なら、大抵の場合、騎兵の隊列の間に銃兵隊を混合し、速度を犠牲にして火力を増強して攻撃を行ったからである。これはグスタヴ・アドルフがしばしば行ったものと同様の方式である。back
  • [訳注2] 原文では"blue-coated horsemen"back
  • [訳注3] 図示するなら"《 "のようになる。back
  • [訳注4] これは原文の誤記。実際には1704年時点でシューレンブルクは中将であった。back
  • [訳注5] 「騎兵の歴史」を書いた軍人歴史家。原文はこの内容にかなり依拠している。いずれHPで訳出予定。back

主要参考文献
Chandler, David G. The Art of Warfare in the Age of Marlborough. New York, 1997. pp56-57

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