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nightsongs: 74914の日々

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2003年4月12日(Sat)

綾瀬部活動

言いたいことをぜんぶ書かれた、というか、まあ落ちつけ、というか。『美鳥の日々』は個人的には変にキャラ(=属性)を増やしてハーレム化するより、もっと綾瀬の日々に専念してほしいと思ったり。少なくともキャラを出すのならそのキャラ同士をどんどんからませていかないと、散慢かつ冗長になりかねない。単発エピソードの連結で話をつくっていくなら、ね。今はまだ単なる顔見せ段階なのかもしれないし、単純に、右手に女の子がくっついているという違いしかない、凡百のハーレムラブコメ互換なものをやりたいだけなのかもしれないから、何とも言えないけど。


ふと思ったのだが、アニメ版『成恵の世界』を見た(といってもまだ1話しかないのだが)ときに覚えた違和感というか危惧というか、そういうものが『美鳥』にもあてはまるかもしれない。アニメ版の『成恵』はどうにもテンポが悪くてよろしくないのだが、それというのは原作の、成恵の「突拍子のなさ」が、全然でていなかったからだと思う。おれは、アニメ版の『成恵』を見てからあらためて原作版『成恵』を読んで、『成恵の世界』は萌えマンガだったのだとあらためて気づいたのだが、それはすなわち『成恵』が単純な萌えだけをウリにしているラブコメではない、という証左だと思うのだよな。おれにとっては、という意味だが。アニメを1話しか見ていない状態で軽々にものを言うべきではないけど、成恵が宇宙人であるという設定は、彼女の突拍子のなさを説明するためだけのものではなく、物語の根幹に深く関わっていくべきものだ*1。アニメ版がそれを重要ととらえていないなら、「ふつうのラブコメ」としてはいいかもしれないが『成恵の世界』である必然性がないモノになる、と思う。


父親が宇宙人であるとか、右手が女の子になってるとかいうのは、世話焼きな幼なじみがいるとか、両親が海外赴任して一人暮らしであるとか、そういったありがちで散文的な(データベース化されうる記号としての)要素とひとからげに語られるべきものだろか。おれはそうは思わない。単に特定のシチュエーションを作りだすための要素として処理されるべきものではないはずだ。だからといってそれを大上段に構える必要はないが、なんで成恵が宇宙人なのか、なんで美鳥が右手なのか、それを無視して嬉し恥ずかしスラップスティックを演じたところで、即効性のある萌えデバイスにはなるだろうけど、作品としての面白みには資さないだろう。という気がする*2。そんな大仰な話でもないんだけれど、エロゲだのライトノヴェルだのでラブコメには食傷しているから(←じゃあ読むなよ)。「ただのラブコメ」ではないところで、なにかやってほしいのです。飽きたので結論なく終わり。


そういえば、最近『タイトルの魔力』(佐々木健一)という本を読んだのだが、そのなかに「ドロステ効果(droste effect)」という言葉があったのだが、それがまさしくマトリョーシカ美鳥たんのことだった。カオスだとかフラクタルだとかの世界では有名なんだろか、こういう構図は。


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*1 おれは、成恵は「幸せなウルトラセブン」だと思う。ずっと正体を隠していたセブンとちがって、成恵は最初から宇宙人であることをオープンにしているがゆえに和人くんと「幸せ」なのだが、やっぱり最後の最後には「アンヌ、実はぼくはね……」と去らねばならなかったセブンと同じように、なんらかの喪失(カタルシス)があるんじゃないか、あるはずだと思う。それじゃ「幸せ」とは言えんけど。『成恵の世界』は多分にウルトラセブンへのオマージュ的要素があるんじゃないかと、おれは思うのだけどね。
*2 あー、エロゲ(というかKanon)のSSについての文脈で、似たようなこと書いたっけ。おれは単純な「萌えシチュ」だけの作品が嫌いだったから。まあ、あれは当時のSSの風潮が、ストーリーも原作との整合性もなにもかも無視した萌えシチュが消費され、濫造され、迎合される傾向にあって、それに対する反発からそのようなことを書いたのだけれども。一言でいえば天邪鬼やね。



2003年4月20日(Sun)

無題

ADSLになった。さらばアナログモデム。


久々に御家族様と飲みに行って、大いに飲みかつ食って、いい気分でふらふらしてたら『成恵』を見逃した。おれはもうだめだ。テイルメッサーが登場する回だったのにッ。


二階堂が老けてるし気弱そうじゃない、菱沼さんがハキハキしすぎ、ミケがしゃべらない(←当然)というあたりが微妙。どうせもう見ないのでどうでもいい(←投げやり)。『成恵の世界』にせよ『Papa Told Me』にせよ『動物のお医者さん』にせよ、なまじ原作を気にいってるものはわりきって見られない。そもそも、おれは安易なメディアミックス展開(なんか懐しい言葉……)がキライだというのもあるけど。というか信吉さんに関西弁をしゃべらせたのはどこのどいつだ。許さん。


そして『イリヤの空、UFOの夏』は怒涛の終盤へ。伊里谷の例のセリフで某ジブリ作品 \ のコピーを思いだしたのはおればかりではあるまい(か)。奇をてらうことのない展開や構成のなかで卓抜した求心力を物語に与えることができる強みとか、それはECMでジャミングをくらっても強引にぶちやぶれる超大出力なレーダーみたいなものだとか、もう秋山信者を名乗ろうかしらんとか。ああもうなにがなんだか。『イリヤ』もラジオドラマ化されるらしいが、どうなることやら。


ヴィジュアルノヴェル的な繰り返しというのはマルチエンディングを前提としたものという点において、あくまで一本道の途中でなされる小節やマンガのそれとは意味を異にしている、と思います。繰り返すごとに、すなわちひとつのシナリオを終える(=あるヒロインとのエンディングを迎える)ごとに、ひとつの(いやしくも)完結した物語をつみかさねていくという構造が、ヴィジュアルノヴェル的な繰り返しの独自性じゃなかろかと思うのです。




今月のへびーろーてーしょん。
Dancing With The Moonlit Knight / GENESIS フィル・コリンズ萌え。
Thank You / LED ZEPPELIN
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