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nightsongs: 74914の日々

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2003年4月5日(Sat)

起承転結

起承転結といえば「糸屋の娘」が有名だが、序破急にもそういうのはあるんだろか。というか序破急は起承転結とは違って物語のストラクチャそのものではなく、進行や展開(の度合)を問題にしている言葉だわな。物語の三部構成という意味なら「起転結」(起承→転→結)であって序破急ではない。ような気がする。


けだし起承転結だの序破急だのは様式美だ。ある形式が美にまで高められるのは、それがすでにして美であったからだ。結果論だけどね。ようするに、物語を語る側でなく、聴く側がその構造を善しとしたから、起承転結という構造、序破急という展開が様式美として成立したんだろう。たぶん。本音を言えば、作る側がフォーマットを論じている時点である種のダメさを感じないではない。形式にそって作る、のではなく、作ってみたら形式に沿っていた、というのが理想だ。少なくともタテマエとして。


物語だけでなく、音楽でも同じ。西洋音楽、まあ要するに最近のポップスでもロックでもなんでもいいけど、そういうものはだいたい8小節でひとくぎり、というフォーマットが存在する*1。こういうのは作曲者がメロディを8小節におさめてやろう、と意図して作っているわけでない(おそらく、たいていの場合は)。耳になじむようメロディをつくれば、それが自然と8小節におさまることが多い、という話だ。物語というのもたぶんそれと同じことだと思うのだな。おれは物語を作る人間ではないからよくわからないが。


物語を読むだけの立場の人間として言うなれば、ふつうは物語の構造など読みながら意識はしないし、だいいち構造をそれと意識させる作品はあまりお上品とは言えない。展開がたやすく読めるから(無論、それを含めての「様式美」という言葉なのだけれども、様式美という言葉は便利に使われすぎているのだよね)。物語というのは形式に従うものではなく、作ってみたらその形式になってしまった、あるいはならざるをえないという、そういうものじゃなかろか。綺麗事ではあると、自分でも書いていて苦笑してしまうけど。物語が起承転結から自由であるべきだとは微塵も思わないが、起承転結を念頭に、というのも適切でないように思う*2。構造だの形式だのは、タテマエでも綺麗事でもなんでもいいから、結果論で語られるべきものである、そうであってほしいとおれは思う。作家がつくったものを批評家が形式におしこめるのはかまわないが、既存の形式にあてはめるような仕方で作家がつくるべきではない、そうあってほしくない、とおれは思う。おれは以前から「思考が言語を規定し、言語が思考を固定する」という説をもっているのだけれど、それで言えば「物語が形式を規定し、形式が物語を固定する」ということになるだろうけれど、それでは美しくない。あーめちゃくちゃどうでもいいこと書いてるよ、おれ。とりあえずはソウイウコトにしておかないと読む方も書く方もおさまりがわるい、という、それを起承転結と呼び、序破急と呼ぶ。その程度の認識です。はい。


いつものごとく本筋と関係ないのでリンクはなし。ところで単語を無作為に云々ってのは、つまりは三題噺なんだけど、それは練習として意味があるんだろかね。よほどの技術を持っていないとまったく無意味な気がする。あるいはそういう小手先の技巧を身につけるための練習なら、別だけど。


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*1 ドラマーにとってはこれをわかっていることは重要で、リズムをキープしておいて8小節ごとにオカズを叩いておけば、まったく知らない曲でもそれなりに聴けるドラミングができる。ていうかセッションしていれば誰でも気づく。
*2 後になって、「起承転結からいって、ここで盛り上がりが欲しいからこれこれのシーンを挿入しよう」とか修正するのは、もちろんありえることだけれども。



2003年4月7日(Mon)

無題

『星の王子さま』の翻訳者はずばり内藤濯(あろう)氏だったり。




今月のへびーろーてーしょん。
Dancing With The Moonlit Knight / GENESIS フィル・コリンズ萌え。
Thank You / LED ZEPPELIN
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