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nightsongs: 74914の日々

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2002年11月12日(Tue)

無題

『ロケットの夏(Rocket Summer)』といえばブラッドベリなのだが、実はブラッドベリに``Rocket Summer''と題された作品はふたつある。ひとつは有名な『火星年代記』の冒頭を飾る、短くも美しい掌篇だが、もうひとつ、徳間文庫から出ているアンソロジー『火星の笛吹き』に収められている短編がある。こちらは『ロケット・サマー』という邦題。その『ロケット・サマー』の方はちと意外というか、単純なロケット讃歌ではない、むしろラッダイトに近い姿を描いている。とはいえ『火星年代記』の内容も敷衍すれば方向性は同じだし、技術主義への警鐘はブラッドベリにつきまとうもうひとつの通奏低音ではある。


なにが言いたいかというに、まあ、その、『ロケットの夏(TerraLunar)』絶賛発売中、ということなんですが。ブラッドベリって意外と読まれてないんだろうか? いや、ブラッドベリとティプトリーと神林しか読んでないおれが言うことじゃないんだが。千熊屋さんが未読だったとは、意外。


過ぎた話題で恐縮ですが、カメラ付き携帯電話の仕組み(撮影時必ず音がする)を万人が知っているわけではないし、普通はまったく見知らぬ相手におもむろにカメラを向けられて気分がいいはずもないと思うのですが。少なくとも私はいい気分はしないし、多くの人がそうだろうから気をつけましょうね、という意味でそもそもシャッター音が必ずするようになってるのだと私は考えてます。



2002年11月13日(Wed)

無題

syunさんのロケットの夏リンクス。私がいつも読んでる日記で言及があったのは

あとjagarlさんが予定されています。むしろ確定?


や、だから単なる盗撮防止のためだけじゃなくて、「盗撮されたくない人」以前に「カメラをむけらたくない人」の存在があるわけで「まちなかで写真を撮る」という行為そのものに注意を払えという意味だと解釈するべきで……ああもう何が言いたいのかわからん。要するにおれはカメラも電話も大嫌いだからそれがコンボを組んでやってこられると理性でなく脊髄反射でムカつくんだよウワァァン(←逆ギレ、カコワルイ)。


天罰。桃井はるこはあいかわらずはじけておるのう。本人がわかってやってるのがわかってるのに乗せられる自分がちょと悲しい。あうあうあ。気まずい。


最近、弾幕系STGなるものをちまちまとやっている。どうやってもクリアできそうにもないものもあるが、比較的簡単なやつは自機を適当にほいほい動かしているだけで意外と被弾しないもので、そうするとまるで自分がニュータイプかなにかになったような気分を味わえる。弾幕系の魅力というのはこういうとこにあるのかもしれん。目が疲れるけど。とはいえ、多くの弾幕系STGでは自機の当たり判定が極度に小さくなっているから、地獄のような弾幕のなかでも適当に動かしていればまず当たらないものではあるが。まあ適当にやってなんとかなるのは、つまりおれのような初心者向けということだろう。レイクドリャフカだのらじおぞんでだのは、およそまっとうな人間の範疇を超えている。ああいうのを平然と(平然ではないにせよ無難に)プレイできる人間というのはいったいどういう構造をしてるんだろう。目と手が直結してるのかもしれん。怖い話だ。


Out of My Heart / BBMAK聴きまくり。1日30回は聴いている。



2002年11月20日(Wed)

ロボットな

むしろ永遠に生きないロボットというのがいるかどうか。『ロケットの夏』のはるひ先生シナリオでも思ったのだが、秋山ノヴェライズの『鉄コミュニケイション』を読んでても思ったのだが、ロボット(あるいは人工生命、人工知能 or whatever)にとって「死」とはなんだろか。ハードウェア(身体) がこわれたのなら新しいのと交換すればいい。ソフトウェア(精神) がこわれたなら再インストールすればいい。では、ロボットに、究極的で絶対的な「死」というものはありえるんだろか。


雪風はハードウェアの死に際し、FRXにのりうつってしかもFAFのコンピュータ群はそのFRXを雪風として認識している。ハードウェア的な死は、だからほとんど意味がない。ロボットが人間より優れている(少なくとも便利な)まさに要点ではある。しかしソフトウェアを動作させる依代であるところのハードウェアがなくなれば、なしくずし的にソフトウェアも崩壊せざるえない(少なくとも十全な機能はのぞめない)のだから、ハードウェア的な死は忌避すべき対象でありえる。が、それがすべてではないだろう。してみるとプログラムのバックアップがあるかぎり、ロボットの「死」はないんだろか。メインシステムのバックアップと、それを動作させるハードウェアがあるかぎり、死ぬことは、少なくとも存在が消滅するという意味でのそれは、ありえない。


ではバックアップから復元されたソフトウェア(意識)はオリジナルと同一の存在なんだろか? 同一の、というのはつまり、共時的な、という意味でだが。少なくとも『ヴァーチャル・ガール』では同一だが共時的ではなく描かれていた。そしてそれは妥当に思える。コピーされたプログラムは、オリジナルと同一でないことはありえず、かつそれらはまったく別のプロセスとなるはず。しかるに人間の意識(=魂?)ではどうだろうか。人間の魂がコピー可能だとして、それらは同じものでありえるだろか? もし同じなら自己同一性の深刻な危機だし、同じでないならなぜロボットの意識だけがそうでないのか疑問だ。


ニトロプラスの『鬼哭街』も、体験版をやったかぎりでは、こういうことをやろうとしてるんだろかね。「魂」を0と1の信号を介して、つまり情報としてやりとりできる、という。とまれ、魂が、否、意識が、情報を扱ういち形態であるならば、それ(魂)が宿る対象は、人間の脳であろうと、電子チップ上であろうと、ちがいはない。『鬼哭街』の試みがおもしろいのは、それが有名なパーフィットの人格の同一性に関するいくつかの思考実験を思いださせるからだ。遠隔転送の例で言えば、地球にのこったオリジナルと、火星に転送・再構築されたレプリカは、はたして転送前の人間と同じ人間か(=人格の連続性をもっているか)どうか。地球のオリジナルが同じなのはその身体(=質料? 魂は形相? 逆か?)における連続性であるが、火星のレプリカは「同じ人間」と言えるかどうか。同じでないのは身体的な非連続性においてだが、それでも同一の人格であると言えるとすれば、それは意識(=魂)という情報を扱うという形式においてだろう。したがって、もしその意識(=魂)を正しく扱いうるならば、その依代は生身の、人間の、この私の脳味噌である必然性はなく、一群のマイクロチップであってもかまわないわけだ。魂というのは、それの持ち主が自分の同一性を確認するための手段でしかないんですよ。「おれ」という魂が入っているのなら、それが短髪ブレザーの美少女であれ業務用電子レンジであれ、それは「おれ」であって他の何者でもないんですよ。意識が手段でしかないという概念は進化論的認識論から学んだのだがなかなか便利だ。


……何の話だっけ。虚淵氏の作品って実はひとつもプレイしたことないなぁ、という話でした(のか)。件の質問については「ロボットである必然性がない」ということでヒトツ。ドモアリガット・ミスタロボトー。




今月のへびーろーてーしょん。
Dancing With The Moonlit Knight / GENESIS フィル・コリンズ萌え。
Thank You / LED ZEPPELIN
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