高校演劇の劇評

2000年


1999年


仙台工業演劇部「幽霊学校」 

お名前: 仙台アイドル評倶楽部@太田   

 

 突然ですが、プロ野球の話をします。今年のセ・リーグは巨人が圧倒的な強さで優勝し

ました。「野球は巨人」と考えている人が世の中では多数派のようで、そういう方々はさ

ぞかしお喜びのことでしょうが、世の中にはアンチ巨人という人もそれなりの数おりまし

て、そういう方々はこういった主張をよくなさいます。いわく「巨人が強いのは、金にあ

かせて強力な選手をたくさん集めたからだ。あれでは強くなるのは当たり前で、不公平だ。」

もちろん、巨人側の「せっかく金があるんだから、それを有効に使って何が悪いんだ。」

という主張ももっともな言い分であり、一概にアンチ巨人ファンの言っていることばかり

が正しいともいえないところもあるのですが、僕個人としては、お金も人材も少ないとこ

ろで、なんとか頭を使って工夫して巨人に負けないように頑張ろう、という巨人以外の各

球団の方に感情移入するところが強いのです。人間、そうそういつも恵まれた状態にいる

ことなんて少ない。むしろ、自分の思うとおりにことが運ばないことが多いもの。そう考

えると、巨人と巨人以外の球団では、どうしても自分の状況に照らし合わせると、巨人以

外の球団の方に目が向いてしまうんですね。

 なんで、演劇の掲示板で延々プロ野球の話をしているんだって?実は、今まで書いてき

たことって、高校演劇コンクールを比喩したものなんですよ。建前上は同じスタートライ

ンに立っていることになってはいるものの、実際には学校ごとに部員の数の多少とか、部

につけられている予算の多少という条件の違いというのはどうしてもあるわけです。それ

で、何十人ものキャストによる大がかりなお芝居や、お金かかってるんだろうなあ、と思

わせるものすごく凝った舞台装置を作ってくる学校も当然あり、それはそれでいいお芝居

を見せてくれるのですが、僕個人としては、どうしても少ない部員の中から一人二役など

で一生懸命やりくりしていたり、よくいえばシンプル・悪くいうとショボいセットで、い

かに観客に魅せるかを工夫している学校を見ると、ついついそっちの方に感情移入してし

まい、思わず心の中で、「がんばれ!」と声をかけてしまうのです。

 その意味では、先に書いた泉松陵が優秀賞を取ったことに、僕は心より「おめでとう」

と声をかけたいのですが、実はもう一校、少ない部員の数にも負けず、面白いお芝居を見

せてくれた学校がありました。それが、仙台工業演劇部なのです。

 この「幽霊学校」という作品は、去年の夏休みの夜に教室で幽霊を見た!という大作に

連れられて、後輩の健一、クラスメートの真理子、良子の3人が1年後の同じ日の夜に同

じ教室にやってくるところから始まります。大作は怖くなって、幽霊が出る前にトイレに

行ってしまうのですが(これは部員が少ないので、大作役の津田佑介君が幽霊に変わるた

めの苦肉の策なのです)、残り3人は詰め襟服を着た高校生の幽霊に出会います。実は彼

は戦争中に死んだ高校生の幽霊で、本当は学園生活を満喫したかったのを果たせなかった

ために、毎年命日に幽霊として姿を現すのだが、自分の死んだ時間が夏休みの夜だったた

めに、せっかく幽霊として表れても、学校には誰もいない、という笑っていいのか悲しん

でいいのか、トホホな状態にいたのでした。

 それで、3人はこの幽霊のために模擬学校を演じ、幽霊君に学園生活を楽しんでもらお

う、と思い立ちます。幽霊君は、彼らの思いやりに満足し、最後に成仏して物語は終わる、

という内容でした。

 こう書いていくと、本作は戦争の悲惨さを訴えた重苦しいお芝居だったのだろうか、と

思われる方も多いでしょう。しかし、彼らの作品は、この幽霊君を喜ばせようとする3人

の試みが、見事なまでのギャグになっていて、むしろ、最初から最後まで笑いどおしにさ

せてくれる楽しい内容となっており、いわゆる戦争モノにありがちの、重苦しさや、説教

臭さから脱することに成功していたのでした。僕は、彼らが重いテーマを選んだことより

も、むしろそういったギャグセンスのほうをを高く評価したいと思うのです。重いテ−マ

を選べば、教育的配慮から、先生方の評価は良くなるかもしれない。でも、彼らが望んで

いたことは、むしろ、とにかく面白いモノを見せることによって、お客さんを喜ばせたい、

という面の方が強かったのではないでしょうか?

 例えば、幽霊君を呼ぶために、3人は幽霊君に名前を聞きます。しかし、何しろ昔のこ

となので幽霊君は名前を思い出せないというのです。そこで彼らは幽霊に、よりによって

「ボウフラ君」という名前を付けるのです!なぜって?どこからともなく湧いてきたとこ

ろがボウフラみたいだから、だって(ヘナヘナ〜)!物語の最後の方で、幽霊君が3人に、

「みんな、僕の名前を呼んでよ!」と叫び、彼らがそれに答えて、幽霊君に名前を呼びか

ける場面があります。本当なら、とても感動的なシーンになるところなのですが、何しろ

呼びかける名前が「ボウフラ君!」なものだから、観客としては、笑っていいのか、感動

していいのか、とまどってしまうのでした。でも、そういった泣き笑いのようなシーンっ

て、僕はけっこう好きです。なぜなら、ストレートに感動を持ってこようとするのって臭

んじゃないか?というような問題意識が作り手側にあるように感じられるからなのです。

 本作はけっこうお客さんも笑っていて、会場の評判も上々だったように感じたのですが、

残念ながら予選を突破することはできませんでした。何しろ、2校しか県大会に進めない

のですから、やむを得ないのでしょうが、僕としては最初にも述べたように、例えていう

なら小林一茶の「やせがえる 負けるな一茶 ここにあり」的な気持ちがあり、このまま

本作が忘れられてしまうのは惜しいことだなあ、という思いから、こうして劇評を書くに

至りました。それにしても心配なのは、来年は今1年の津田君一人になってしまうのか、

ということです。新しい1年生が入ってきて、また来年もコンクールに出られるといいの

ですが・・・。まあ、最悪の場合は「アテルイの首」みたいな1人芝居をするという手も

ありますけどね。これからも頑張ってくださいね! 

 

[2000年10月18日 20時20分45秒]

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富谷高校演劇部「広くてすてきな宇宙じゃないか」 

お名前: 仙台アイドル評倶楽部@太田   

 

 本作で主演のおばあちゃん役を演じていた佐藤里香さんが、地区大会での演技賞を受賞

されました。おめでとうございます。高校演劇コンクールで個人賞が出たのを見たのは初

めてだったので、ちょっとビックリしてしまいました。講評でも、彼女の演技が絶品だっ

たと審査員の先生が言っていたので、異例ではあるが、あえて個人賞を出した、というこ

とだったのでしょうか?

 確かに、彼女の演技はとてもとても素晴らしいものでした。でも、彼女に対する「相手

役」ともいえるクリコ役の三浦絵理さんの演技もまた、僕には負けず劣らず絶品のものに

見えました。松陵の亀歩さんが、より生きたのが、相手役の最上純くんのとぼけた味わい

のある演技であったように、佐藤さんのおばあちゃんが生きた裏には、三浦さんの絡みが

あったと思うのです。というわけで、ここでは三浦さんの方にスポットを当てた文章を書

こうと思います。

 本作はキャラメルボックスの成井豊氏の代表作ともいえる作品であり、あらすじをご存

じの方も多いと思いますので、ストーリーは簡単に紹介します。舞台は近未来。妻を早く

に亡くしたTVキャスターが、まだ幼い3人の子供達のために最新の科学技術で作られた

アンドロイドのおばあちゃんを家に連れてきます。上2人は、最初は反発しつつも仲良く

なっていくのですが、下の娘・クリコはおばあちゃんとずっと口を利かず、やがておばあ

ちゃんを壊そうと、ある事件を起こす・・・。で、この末娘のクリコを演じていたのが、

三浦絵理さんだったわけです。

 要するに、彼女がおばあちゃんに反発していたのは、おばあちゃんとの仲が親密になれ

ばなるほど別離の時が辛くなる、という深層心理での思いが理由だったわけで、そういう

意味では、クリコって、とっても寂しがり屋な女の子なんですね。実は、富谷高の春の単

独好演「半神」も僕は見たのですが、その時三浦さんは、双子の愛されていない方のシュ

ラ役を演じていまして、自分が周りから愛されていない、という自覚からくる孤独感を、

それこそ観客の心にグサッとくるように演じていたのが、とても印象に残っていたのです。

つまり、寂しそうな表情が、とってもサマになってる娘なんですよ。そんな彼女が、3人

兄弟の仲で、一番の寂しがり屋であるクリコを演じていたのですから、これははまらない

わけがない!のです。

 と、書いても具体的に読者の皆さんには、完璧にはイメージできないでしょうね。この

辺が、文章の限界とでもいうもので、自分でも書いてて歯がゆくて仕方がないんだけれど

も、あえて、例えていうなら、サイマル演劇団という仙台のアマチュア劇団がありますが、

そこの看板女優の佐武令子さん。三浦さんは、その佐武さんをを10年若くしたような感

じの女の子なのです。最近の佐武さんは、どちらかというとバラドル的なとぼけた感じで

笑いをとる演技が多いのですが、以前に三角フラスコの「ソラシドミニカ」で客演したと

きは、それこそ、身勝手な彼氏を待ち続ける女の子の孤独感を、こちらの胸が痛くなるよ

うな表情で見せてくれたものでした。細ーい目に、顔が卵形の輪郭で、笑うとかわいい。

でも、その笑顔には、どこかしら寂しさが宿っている。そんなところに、僕は佐武さんと

三浦さんの共通点を感じます。 

 ラスト・シーン。年老いて、子供は皆独立し、孤独になったクリコは、再びおばあちゃ

んのレンタルを希望します。ひとりぼっちで部屋にいる彼女の寂しそうな表情!最後の最

後におばあちゃんがクリコに空を飛ぶところを見せるシーンが、本作の最も泣ける場面で

あることは確かなのですが、そのラストが生きるためには、三浦さんの、それこそ孤独感

が体中からにじみ出ているような演技が伏線としてあってこそ!だと思うのです。実は、

おばあちゃん役の佐藤さんは、春の「半神」では、三浦さん演じるシュラにくっついた双

子のもう片っ方、マリアを演じていたんですね。そういう意味で、この2人はきっと富谷

を引っ張る車の両輪のような存在なのでしょう。今回、富谷は3年生も公演に参加してい

たのですが、そういう意味でも、再び、この2人の絡みをどこかで見たい!という強い思

いに駆られたのでした。期待していますよ!

 

[2000年10月18日 0時13分39秒]

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白百合学園演劇部「HAPPY BIRTHDAY」 

お名前: 仙台アイドル評倶楽部@太田   

 

 仙台高校の劇評の欄で岩井俊二のことを書いたけれど、実は僕は日本映画がけっこう好

きである。それも、「踊る大捜査線」みたいなアクションものではなく、今挙げた岩井俊

二や、あるいは大林宣彦といった、いわゆる叙情性あふれる監督の作品が好きなのだ。

 そんな僕にとって長い間フェイバリット・ムービーであり続けているのが、中原俊監督

の「櫻の園」である。最近の映画だと思っていたら、もう10年前の作品になるんだね。

創立記念日には伝統的にチエホフの「櫻の園」を演劇部が上演するという、地域からはお

嬢様学校と見られている女子高演劇部の1日を描いたものである。僕はこの映画が好きで

好きで、もう10回ぐらい見てるんだけれども、今にして思うと、僕が高校演劇をこんな

に好きになったのは、この「櫻の園」を見たためかもしれない。映画を見た当時は、演劇

にはほとんど興味のない人間だったんだけれども、高校演劇が将来好きになる要素が、深

層心理にサブリミナル効果(?)として、あの映画によってインプットされたのかもしれ

ない。なんでそんなことを思い出したかって?たぶんそれは、白百合演劇部の芝居を見て

しなったためだろう。

 この「HAPPY BIRTHDAY」という作品は、誕生日の前日に仲の良い親友3

人とささいなことからケンカしてしまった1人の女子高生が、時間の止まった夢の世界に

連れていかれるものであった。この夢の世界にいれば、誰かに傷つけられることがない。

でも、現実世界のような生きた他者との関係もない。夢の世界にいるのがいいのか、現実

に戻るのがいいのか、という選択を主人公が迫られるという、まあ、わかりやすくいうと、

エヴァンゲリオンの「人類補完計画」を、少女漫画風のファンタスティックなタッチで演

劇化するとこんな感じになるんだろうな、という作品であった(ちなみに、エヴァンゲリ

オンはアニメだが、やはり「映画」版が大ヒットしたもので、僕も大好きな作品です)。

 で、なんでこの作品を見て「櫻の園」を思い出したかというと、主人公が前日の学校で

のケンカを思い出して再現するシーンの、昼休みにお弁当を食べているという女子高生の

何気ない日常を淡々と描いている場面が、なんか「櫻の園」を思い出させて懐かしいなあ、

と感じたからでもあるんだけれども、4人組の親友の中に、一人ショートカットで元気の

いい、ボーイッシュな女の子がいたんだね。彼女は「夢の世界」では、サッカー少年の役

で出てくるんだけど、僕は彼女を見ていて、なーんかどっかで見たことあるんだよなあ、

という印象を拭えなかったのだ。でも、キャスト表を見ると、彼女(倉島紗綾華さん)は

1年生なので、去年のコンクールには当然出場していない。それで、なんだろう、このデ

ジャブー感は?と、ずっと悩んでいたんだけれども、表彰式の時に、各学校の生徒さんが

それぞれの制服で着席しているのを見たとき、ハッとした。「あ!彼女って『櫻の園』の

時の、つみきみほにそっくりじゃん!」。そう思い出した途端、僕の頭の中で10年前に

見た映画の思い出が、まるで走馬燈のように巡りだし、ほとんど死を直前に迎えた人間の

ような状態になってしまったのでした(笑)。

 うーむ、なんかお芝居そのものの劇評になってなくてゴメンナサイ。でも、昨日、CU

Eの掲示板で代表の森さんが、高校演劇というのははかないから美しいという趣旨のこと

を書かれていらっしゃったけれど、「櫻の園」って、きっと櫻の花があっという間に散っ

てしまうはかなさと、高校演劇(あるいは高校生という人生の中の大きな一時期)のはか

なさを掛け合わせた映画だったんだなあ、ということを、白百合の演劇を見ていて、ふと

思い出してしまったんだ。それはきっと、倉島さんの、「この娘、ほとんど役作りしてな

いんじゃないか?地丸出しでそのまま舞台に上がってるんじゃないか?」と思わせながら

も、いや、むしろ地そのものであるからこそ、とてもキラキラと輝いて見える元気ハツラ

ツさが、僕のような30代の若年寄には、とてもまぶしく見えたからなんだね(誤解のな

いように書いておくけど、地のままで舞台に上がる=ヘタ、ということでは決してない。

だって、普通の人なら舞台に上がると、たいてい緊張するじゃん。少なくとも、地のよう

に見えるということは、そういう緊張感からくる不自然さがまるで感じられない、という

ことだから、これは実はすごいことなのだ)。

 でも、今年の白百合は残念ながら予選落ちしてしまった。そういうわけで、県大会で、

彼女たちの、なんか、懐かしい感じのする、暖かい雰囲気のお芝居を見ることはできませ

ん。まあ、倉島さんはまだ1年生だから、来年、再来年も登場されることを、今から心待

ちにするとしよう。でも、「私はやっぱり、スポーツの方が好きだあ!」、なんて、運動

部に移ってしまいそうな雰囲気があるんだよなあ、彼女(勝手に想像してすみません・苦

笑)。あるいは、泉高校の小野菜実子さんみたいに、来年になったら、カッコいいお姉さ

んに早変わり!してるかもしれないしね、それはそれでまた楽しみである(小野さんも、

去年は映画「Love Letter」でトヨエツが演じていた主人公の彼氏の役を、と

てもボーイッシュに演じていたのだが、今年は打って変わって大人っぽいインテリ女性科

学者を好演していたのでした)。

 

[2000年10月16日 22時0分4秒]

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泉松陵高校演劇部「fractional....」 

お名前: 亀の代理母   

 

温かいお励ましの御言葉本当にありがとうございました。亀がこれを読んだらまたないて喜ぶでしょう。

 

[2000年10月16日 22時9分4秒]

 

 

お名前: 仙台アイドル評倶楽部@太田   

 

恐るべき高校生(’00版)、亀歩!

 

 昨年の高校演劇コンクールで、私は、育英の大江有美さんの、あまりにも高校生離れし

た名演に感動し、「恐るべき高校生、大江有美!」という文章をこの場で書いたことは、

皆さんも覚えておいでのことと思う。今年もまた、並のアマチュア劇団をはるかに凌駕す

るような、ものすごい高校生はいないかなー、と思いながら各公演を見ていたのであるが、

最後の最後に、ついに見つけた!その名は、松陵の亀歩(かめ・あゆみ)さんである。し

かも、昨年の大江さんの場合は、役者としてのすごさに圧倒されたのだが、今年の亀さん

は、それに加えて脚本も自分のオリジナルとして書いていたのである。そういう意味では、

むしろ、昨年でいえば仙台高校の朝理恵さんに近いかもしれない。

 この「fractional....」という作品、とにかく冒頭からすごかった。舞台

は学校の食堂。主人公の高校生・川上高瀬が、悲愴な表情でカレーの皿を高く掲げている。

「ここにあるカレーは中辛ということだが、しかし、本当に中辛だろうか?もしかしたら、

辛口。いや、甘口かもしれない!」といったセリフを(台本持ってないので、正確ではな

くてすみません)、あたかもシェイクスピアの四大悲劇の主演男優のように、眉をひそめ、

この上なく深刻な表情で、朗々と語るのである!もう、この冒頭で私などは完璧にノック

・アウト。爆笑の渦に巻き込まれ、笑いすぎて目から涙が止まらなくなってしまったので

あった。

 この川上役を演じた最上純君というのも、また亀さんと息のあったギャグの応酬を見せ

てくれた。本作は優秀賞を見事受賞したのであるが(個人的には最優秀賞でもおかしくな

いと思ったが・・・)、これは亀さんのすごさに加え、最上君の味のあるボケぶりも大き

な要因であろう。実は、川上は自分で自分が何をすればいいか決められない優柔不断な人

間で、冒頭のギャグに象徴されるように、カレーの味ですら自分で判断できないようなヤ

ツなのである。彼は、親友の木元(石川泰介君)にいつも金魚の糞のようにくっついてお

り、コーラを飲むにも、コカ・コーラかペプシか自分で決められず、木元に決めてもらっ

ている有様なのであった。

 そんな川上を、未来の世界から見ていた孫娘の役が、亀さん演じる小池美紀である。彼

はこんなダメ人間のため、たぶんろくな彼女ができないだろう。でも、もっとしっかりし

た人間になれば、素敵な彼女ができるかもしれない。そうすれば、孫娘の自分も、今より

もっとスタイルの良い美形に生まれ変われるかもしれない。そう考えた美紀は、川上の人

格を前向きに改造するため、未来の世界からやってきたのであった。実は、この初めて亀

さんが登場するシーンが、またものすごく衝撃的なのだが、あえてここでは教えない。知

りたい人は、ぜひぜひ県大会まで足を運ぶのだ!絶対、多賀城まで見に行く価値はあるぞ!

 美紀の突然の登場に驚く川上だが、彼女が現代の人間では使えない特殊な能力を持った

人間だとわかると、実は自分が隣のクラスの超美人、佐藤さんに片思いをしていることを、

つい教えてしまう。しかし、親友の木元もまた、佐藤さんに片思いをしていることが明ら

かになる。今まで、木元にベッタリで主体性のない川上だったが、美紀の励ましにも助け

られ、次のマラソン大会で、見事、木元を破って優勝し、格好いいところを佐藤さんに見

せつけることによって自分をアピールし、そのチャンスに告白もしようと決意するのであ

った。

 つまり、この物語は古典的なビルドウングス・ロマン(成長物語)なワケだが、差し挟

まれるギャグの質がものすごく高く、しかも観客を飽きさせないために随所随所に効果的

に組み込まれているため、まさに、笑いあり、涙ありの、文字通りの感動ストーリーにな

っていたのであった。ギャグとして面白かったのが、電話を使ったネタだったのだが、こ

れもあえて教えない。せっかく県大会があるのだから、ここで文章としてネタを知るより、

現場で実際の演技を見た方が、絶対に笑えると確信するからだ。また、単にネタだけが面

白いのではなく、亀さん自身の役者としての個性も、また素晴らしかった。小さい体を、

それこそはじけるように元気いっぱい使っていて、ギャグに笑わされつつも、なんか、そ

の頑張っている姿がとてもけなげで、見ているこちら側の胸にしみるところもあったのだ

った。

 んで結局、川上は佐藤さんには振られちゃうんだけど、人間的には成長したことを見届

け、とりあえず一安心して美紀は未来の世界に帰る。ラストは、布団にジャージ姿で寝て

いた川上が目を覚ますところで終わるのだが、終演後の講評で古川高校の伊東先生も指摘

されていた通り、このラストはさらに改善すれば、より感動的になるだろう。例えば私だ

ったら、ダブルキャストとして、同じ学校に亀さん演じる同級生を登場させ、新たな出会

いを設定する。そうすれば、美紀が現在の美紀と同じ人間として将来生まれることのつじ

つまも合うし、川上も幸せになって、ハッピーエンドということになるわけだ。県大会で、

その辺をどのようにリニューアルしてくるか(あるいは、あのラストシーンにはこだわり

があり、そのまま変えないという可能性も、もしかしたらあるかもしれないが)、半月後

が、とてもとても楽しみである。

 と、いうわけで、私個人にとって本作は、猫原体の「アナログ・ノート」と甲乙つけが

たい、今年見た中で一、二を争う感動作であった。年末の年間ベスト10をどうしたもの

か、まだ10月だというのに、もう今から嬉しい悲鳴だよ!

 

[2000年10月15日 21時53分16秒]

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仙台高校演劇部「PICNIC」 

お名前: 仙台アイドル評倶楽部@太田   

 

 私が数ある高校演劇部の中で最も注目している高校として、仙台高校演劇部の名前を何

度か挙げていることは、既に皆さんご存じのことと思うが、その仙台高校が本コンクール

にぶつけてきたのが、岩井俊二の映画「PICNIC」の演劇版である。岩井俊二といえ

ば、昨年も泉高校が「love letter」を演劇化していたが、2年続けて彼の作

品が劇化されたということは、今時の高校生の心に通じるものが、彼の作品の中にあると

いうことなのだろう。私自身も彼の作品の大ファンなので、こういう傾向は個人的にはと

ても嬉しかったりする(まあ、私の文章はどれも、根をたどれば全て個人的な思いに通じ

てしまうのだが)。

 映画を御覧になった方はご存じと思うが、本作は精神病院が舞台の物語である。殺人な

ど重度の犯罪を犯した青少年が、おそらく精神病歴があるという理由で強制入院させられ

ている病院に主人公のココ(多田麻美、映画ではCHARA)が到着するところから、物

語は始まる。彼らは「(病院の)塀を越えては行けない」という規則に縛られているが、

それを逆手に取り、塀づたいにどこまでも歩いていくのは構わないだろう、とココと仲良

くなった男の子2人、計3人で冒険をはじめる。なぜか?世界の終わりを見に行くためで

ある。

 昨年の「今夜の君は素敵だよ」の主人公が、チョコレイト工場に幽閉された少女であっ

たように、今年の主人公達もまた、精神病院という場所に監禁されている。つまり、昨年

と同様、巨大な世間に対して常日頃私達が感じている閉塞感、が本作のテーマなのである。

そして彼らは、閉塞した状況をまさに打破するために、「世界の終わり」を渇望するので

ある。

 しかし、ココは劇中でこうも言っている。「自分が生まれたとき世界は始まり、自分が

死ぬとき世界は終わる」。確かに、「本当は」自分が生まれる前から世界は存在し、自分

が死んだ後も世界は存在し続けている。だから、ココのセリフは正確には間違っているか

もしれない。しかし、自分が生まれる前と自分が死んだ後では、自分という存在がない以

上、世界を知覚することはできない。だとするならば、自分という実存にとっては、世界

は存在しないのと同じことになるのだ!つまり、「世界の終わり」は、閉塞した現状を壊

すことを意味するが、同時に自分の存在がなくなることでもある。

 映画のラストシーンはこのことに自覚的であり、だからこそ悲しくも美しいものであっ

た。ココが、なかなか終わらない世界に苛立ち、「私が死んだら、世界も終わるのかな」

と、たまたま拾った拳銃を取り出し、衝動的に自殺する。唐突の銃声と美しすぎる夕焼け。

そして、物語はそれこそブチ切られる形で終幕を迎える(「私が死んだら世界も終わる」

のだから当然のことだ)。あのシーンは岩井ファンなら忘れがたい、まさに名場面であろ

う。しかし、今回の演劇版ではこのラストが改変されていた。主人公達3人は、死後の世

界で生き、世界の始まりに向けて輪廻の旅をはじめるのである。

 物語をオリジナルのままで上演するのでは芸がない。自分たちらしさを出すためにスト

ーリーをいじりたい、という気持ちは理解できる。しかし、この改変は本作の最も芯とい

うべき部分をアヤフヤにしてしまい、甘ったるい御都合主義に後退してしまったのではな

いだろうか?それが、私にはものすごく残念だったのである。

 「世界が終わる」ということは、自分も終わる=消えてなくなることを意味する。それ

でも、世界が終わった方がまだマシだ、というせっぱつまった究極の選択だからこそ、最

後のココの選択は濃密なものとなるのである。人が演劇を見るとき、登場人物に感情移入

しながら鑑賞するということは、作品の内容によっては、現実世界のシミュレーション・

ケーススタディとしているということを意味することでもある。現実離れした荒唐無稽な

異次元でのファンタジーや、笑いを目的としたドタバタ喜劇なら話は別だが、本作の場合

は、精神病院という状況が、上にも述べたとおり現実世界のメタファーであることを考え

るならば、特にシミュレーションとしての傾向は強いものといえるだろう。だとするなら

ば、本作の結論はつらくなったら自殺すれば別の世界に行くことができて、幸せになれる

よ、ということになってしまう。しかし、オカルトを信じている人ならともかく、死後の

世界は存在して、みんな死ねば幸せになれるという確たる証拠なんてどこにも存在しない

のだ。むしろ、現実の世界を精神病院という比喩によって、そのキツさを強いリアリティ

をもって描いているだけに、ラストシーンでオカルトをもってくるのは、その落差があま

りにも甘すぎる、という不満をだかせずにはいられないのである。

 途中までの展開は実に見事で、役者の演技力は他の高校と1ランク違う、と思わせるに

足る見事さだった。特に、「M.O+」の時に、とても高校生とは思えないと絶賛した多

田麻美さんが、今回ますます素晴らしい出来映えだったことは、特筆していい。私達は役

者を見る際、稚拙かそうでないかの判断でリアリティさを基準とする傾向がある。しかし、

道行く通行人にいちいち私達が感情移入しないように、どこにでもよくいる人のリアリテ

ィが出たとしても、それにプラスアルファがなければ、観客は役者に引きつけられないだ

ろう。しかし、多田さんにはそのプラスアルファとでもいうべき、強いオーラが感じられ

る役者となっていた。昨年、「天使は瞳を閉じて」を見たときは、1年先輩の佐藤弥子さ

んにそのオーラが感じられ、多田さんは目立たない存在であった。しかし、この1年とい

う短い期間を経て、多田さんも今回、まさにその域に達していたのである。それだけに、

あのラストシーンの改変は実に惜しい!まさに画龍点晴を欠くではないか!と思わずにい

られないのである。

 彼女たちが感じる現実が、重苦しくうっとうしいものであることには強く共感する。年

齢の差を超えて、私も同じ現実を感じているからこそ、彼らに共感するのだ。だから、救

済を望む気持ちもまた理解できる。しかし、理解できるからこそ、あまり安易な結論に走

ってほしくないのだ。なぜなら、現実の重苦しさがリアルであればあるほど、それをうち

破る救済も安易なものでは説得力がなくなってしまう、と思うからなのだ。

 

[2000年10月10日 23時41分35秒]

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宮城広瀬高校演劇部「家ジャック」 

お名前: 仙台アイドル評倶楽部@太田   

 

 実に衝撃的な芝居であった。なぜなら、本作は家族崩壊というテーマを扱っており、し

かもそれを他人事としてではなく、彼女たち高校生自身のものとして問題提起した内容だ

ったからである。

 主人公・麻子の家は母子家庭である。幼い頃に両親が離婚し、母親が女手一つで彼女を

育ててきた。しかし、どうしても仕事が忙しく、麻子の進路面談にも出席できない。夜遅

く帰ってきて、仕事のストレスから麻子につらい言葉を浴びせる。おまけに、どうやら不

倫をしているらしい。そんなこんなで母親不信に陥り、暗い表情をしている麻子を、クラ

スメートの美沙が、自分の家に遊びに来るように誘う。

 美沙は麻子と対照的に明るい性格で、その明るさが麻子にはうっとうしく感じられるの

だが、幸せそうな美沙の家族をうらやましく感じた麻子は、たまたま家庭科で使ったため

カバンに入れていた包丁をとり出し、「この家をジャックした!今日一日、この家の家族

にしろ!」と、彼女の家族を脅迫する。

 しかし、その時たまたま帰宅して来た美沙の父親を見て、麻子は驚く。なんと、麻子の

母親の不倫相手が、美沙の父親だったのだ!しかも、彼は家の中では暴君のように家族に

振る舞う人物で、美沙の母親はそんな彼の振る舞いにいつもおびえを感じていたのだった。

 表面的に幸せそうに見えていた家族も、結局は自分の家と大して違わないじゃないか、

と絶望した麻子は、「家ジャック」をあきらめ、自宅で睡眠薬をあおる。運よく、母親が

早いタイミングで発見し救急車を呼んだため、麻子は一命を取り留めるのだが、この時、

母親が麻子に「お前がとても大事なんだ!」という内容を(ちょっと、セリフうろ覚えで

すみません)、麻子に向かって泣き叫ぶシーンがとても感動的であった。

 こうして、麻子は母親と和解し、明るさを取り戻すのだが、一方の美沙の家は、両親が

離婚し、美沙自身も、「自分はつらい状況を直視するのがつらくて、無理して明るく振る

舞っていたに過ぎない。でも、もうそんなことをする必要はなくなった。」と、明るく振

る舞うのをやめるのであった。

 ラスト、明るくなった麻子にあった後、以前に麻子が自分の家で「家ジャック」をした

ときのように、携帯電話から母親に「自分は誘拐された!」と美沙は狂言をする。しかし

電話は留守電で、美沙が「ふー」とため息をつくシーンで、物語は痛々しく幕を閉じる。

 実は、公演プログラムに「演出のことば」というのが載っているのだが、そこには「今

の私達の思いです。誰もが一度は感じたことだと思います。」と書いていった。これもま

た、私には衝撃的であった。要するに、この芝居は絵空事として書かれたものではなく、

彼女たち自身にとって現にリアリティを持つ問題なのである。もちろん、彼女たちの家族

が、皆母子家庭だということはないだろう。しかし、大きな少年犯罪がおこる度に、家族

の形骸化が識者によって指摘され、あるいは「家庭」についてのアンケートで、バラバラ

に食事をとる家庭が増えている、という内容などが、よくマスコミなどで取り上げられる

ことに象徴されるように、自分の家がこの物語ほど極端ではないとしても、ある意味、仮

面家族的な側面をもっていると感じている高校生は、わりかし結構いるということなので

はないだろうか?

 そして、この作品のいいところは、結末をきれい事のハッピーエンドにもっていかず、

美沙の家を離婚という悲劇に導いていった点である。「高校演劇」に教育的側面を持ち込

もうとするなら、「家族」の素晴らしさをみんなが認識し、父親も母親もそれぞれに反省

する、という結末が「望ましい」と先生方は思われるかもしれない。しかし、それでは彼

女たちのリアリティとは一致しないのだ!

 つまり、説教によって人間は変われない、という一種のあきらめを彼女たちは認識して

いるということではないだろうか?「子供達の心の問題には、親の責任が大きい」と、評

論家達はよく口にする。しかし、両親だって人間である以上、なかなか完璧に「いい親」

だけを演じられるものではない。子供に八つ当たりをしたくなることも、気持ちが弱くな

って誰かに頼りたくなり、結果不倫に走ることもあるだろう。それを評論家が説教したり、

自分たち子供がプロテストしても、その時一瞬は反省するかもしれないが、人間なんてそ

う劇的に聖人君子に変われるものではない。なぜなら、人間とは本来不完全な存在であり、

それは自分たちの両親だって例外ではないのだ、という諦念を、私は本作から感じずには

いられないのだ。

 そういうわけで、私は本作を高く評価するのであるが、ひとつだけ気になった点を。麻

子の母親が本作では普通のOLのようであるが、かえって水商売にした方が、よりリアリ

ティが出たのではないだろうか?麻子の学費を女手一つで稼ぐだけの仕事であり、いつも

夜遅く帰ってくる状況や、また、美沙の父親と不倫をしていた、という事実も、彼女が水

商売をしていたという設定にすれば、皆つじつまが合うのではないだろうか?(つまり、

美沙の父親が客として彼女のバー?なりの常連だったとすれば、二人の出会いはより自然

だろう)なぜかというと、彼女が麻子に向かってクダを巻いているときの啖呵の切り方が、

どっちかというと、普通のOLというより、飲み屋のお姉さんが荒れている、という感じ

のリアリティが出ていて、とてもいい演技だったからである。

 昨年の広瀬高は如月小春の「DOLL」を演じていたが、’83年の作品であることや、

オリジナルの脚本でないためか、どうも役者が脚本を消化しきっていないような印象を受

けた。今年の「家ジャック」は、登場人物が同じ高校生でも、自分自身の問題という雰囲

気がより強く漂ってきて、去年の2年生には申し訳ないが、格段の進歩を感じずにはいら

れなかった。選考結果がどうなったかわからないが、ぜひ県大会まで進んでほしい作品で

ある。

 

[2000年10月10日 0時3分33秒]

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朴沢学園明成高校「馬鹿者共の夢の後」 

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お名前: 仙台アイドル評倶楽部@太田   

 

 「演劇談話室」にも書いたが、この秋、私が一番の楽しみにしていた高校演劇コンクー

ルが、いよいよ今日から開幕した(今日、明日は青葉地区予選)。いつもなら、休日とも

なると、昼まで寝ていることを常とするズボラな私ではあるが、さすがに今日ばかりは平

日と同じ時間に起床し、午前10時の「上演1」が始まる頃には、既に青年文化センター

・シアターホールの客席に、期待に胸を膨らませながら、座席にその身をしずめていたの

であった。

 「上演1」の題名が、またいい。いきなり「馬鹿者共の夢の後」である。これから県大

会を含めると、約1ヶ月半の長丁場となるコンクールの初日の一発目が、いきなり「馬鹿

者」である。この題名が、最後に終わってみれば、今年のコンクール全体を暗示するもの

だったなあ、などと思わせるような楽しいコンクールとなってほしいものだ、と切に思わ

ずにはいられない。

 内容がまた、題名に決して名前負けしない、実におバカなドタバタもので、最初から最

後まで楽しく笑いどおしで芝居を見終えることができた。今年も実に幸先がいい。明成の

皆さん、どうもありがとう。

 物語は西遊記を連想させるような、古代中国を舞台としたファンタジーである。不運な

事故によって洞窟に閉じこめられた、釈迦族の娘・ヒミコとその従者・イヨ。2人の前に、

カラスに姿を変えさせられた、この土地の土俗の神、フウギ・ジョカと、いたずら者のサ

ル(おそらく孫悟空がモデル)の美侯があらわれる。実は3人の間には遺恨があり(2人

をカラスに変えてしまったのは、実は美侯のイタズラだったのだ)、彼らのケンカにヒミ

コとイヨも巻き込まれ、5人はワアワアと言い争いを始めるのだが、そこへこの洞窟の大

家(洞窟に大家がいるのだ!、なぜか・・・)があらわれ、騒々しい彼らを「お前らはみ

んな、ダメな奴らだ、クズだ!」と一喝する。

 この大家役の森下恵さんのキャラクラターが、まったくもって強烈この上ないのだ。堂

々とした体格にかっぽう着という格好で登場し(なんで古代中国でかっぽう着?というシ

ュールさが、また笑いを誘わずにはいられない)、5人の中では一番威勢のいいヒミコま

でをも完膚なきまでに言い負かすところが、実に格好いい。まるで、女版寺内貫太郎、あ

るいは往年の京塚昌子をも彷彿とさせる、圧倒的な肝っ玉母さんぶりなのである。

 さて、大家が怒っていた理由が、実はサルの美侯が洞窟の入り口を崩して出入りできな

くしてしまったことが原因の一つだったということがその時明らかになるのだが(美侯は

カラスの2人組とのトラブルから、彼らが洞窟に来ないようにと、わざと入り口を崩した

のだ)、大家にクズ呼ばわりされたことに発憤した彼らは、大家を見返してやろう!と、

今までのケンカを棚上げし、5人で協力して出口の修復をはじめる。5人の間に友情が芽

生えるのだが、次の日にはいよいよ出口が回復と言うところまでこぎ着けた朝、みんなが

起きてみると、崩したはずの岩が、なぜか元通りに出口を邪魔していたのである!

 それでも、5人の努力で出口はその日開通するのだが、実は岩を元に戻していたのは、

美侯だったということがその時明らかになる。なぜ?美侯はねえ、みんなと別れるのが淋

しくて、わざと岩を元に戻したんだって!

 思わずヘナヘナー、となってしまうオチである。私は今まで、孤独感や空虚感をテーマ

にした演劇を高く評価する劇評を何度も書いてきた。そういう意味では、この美侯の行動

は、初めてできた大切な「仲間」を失いたくない、という気持ちから生まれたものだから、

本来なら感情移入すべきところだろう。しかし、その手段があまりにも幼稚なもののため

(だって、好きな女の子の持ち物をイタズラしてワザと隠す小学生みたいじゃないです

か!)、シリアスに感情移入するよりも先に、脱力的な笑いが、ついこみ上げてしまった

のであった。でも、そんな子供っぽいところまでをも含めて、美侯の気持ちに、「なんか

いじらしいなあ」と、胸がちょっと痛くなる思いがしたのも、また事実である。こういう

子供っぽいけど、実は寂しがり屋なキャラクターって、憎めなくっていいよね。

 結局、出口を開通させた5人は、それが縁で一緒に旅を続け、最後には日本に渡り、後

にヒミコは、あの邪馬台国の卑弥呼となった、というオチでこの物語は終わる。そう、我

々日本人の祖先は、実はみな「馬鹿者」だったのである!

 全体的に、やおい系同人マンガのような雰囲気を感じさせる、コミカルで笑わせつつも、

さりげなく心の中の寂しさを登場人物達が吐露する、とても楽しい芝居であった。役者で

は、先にも述べたが大家役の森下恵さんの圧倒的な存在感を筆頭として、広末涼子を思わ

せるようなショートカットがカワイイ、ジョカ役の山澤枝理子さん、そして宝塚の男役を

思わせるかっこよさと、まるで子供のような憎めなさを併せ持つ、美侯役の石垣さわ子さ

んが強く印象に残った。この手のコンクールって、どうしてもシリアスものが高く評価さ

れがちになってしまう傾向にあるのだが、こういうドタバタ系の面白さも、審査員の方々

には正当に評価して欲しいものだなあ、と思わずにはいられない。明日、どういう結果が

出るかわからないけど、もし不運にも予選落ちしたとしても、僕はこの高校の良さを高く

評価する気持ちは変えないつもりだ。それに、1年生部員が多い高校なので来年以降も、

今からとても楽しみである。これからもがんばって、楽しい芝居を見せてくださいね。 

 

[2000年10月7日 22時40分31秒]

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第29回宮一女演劇部単独公演

「たおやかな偏光」 

お名前: 仙台アイドル評倶楽部@太田   

 

 皆さんご存じの通り、私は最近、高校演劇にすっかりはまっています。それと同時に、

アイドル評倶楽部を名乗っていることからもおわかりかと思いますが、かわいい女優さん

が出そうな芝居にもまた、目がない人間です。そんな私が、その2条件を兼ね備えている

一女高演劇部が単独公演をすると聞いては、見に行かないわけにはいかない。そんなわけ

で、さる8月9日(水)、仙台市民会館へ足を運んだのでした。

 登場人物は4人姉妹と彼女たちの主治医、看護婦。胃潰瘍で入院していた長女が退院し、

自宅でお祝いのパーティを開こうというところから物語は始まります。この4人姉妹の両

親はともに癌で死んでいるため、4人は自分たちも癌で死ぬのではないか、という漠然と

した不安を感じています。しかも、長女は実業家、次女は女優、三女は売れっ子漫画家、

とそれぞれストレスのたまる仕事を抱えているためか、無類の酒好き。そんな中、看護婦

が持ってきた、この家の飼い犬のレントゲン写真から(実はこの犬が癌に犯されているの

だが)、実は4人のうちの誰かが癌ではないか、という疑惑が巻き起こり、勘違いが勘違

いを生みドタバタが展開する、というコメディー的作品でした。

 役者の演技については、まあ、先に書いた宮教大や企と同様、厳しい視点でご覧になる

方にとっては不満を感じさせる内容かもしれませんが、私のような、「かわいい女子高生

が一生懸命頑張ってる!」というだけで嬉しくなってしまう人間にとっては、充分すぎる

ほど楽しめるものでした。そうはいっても、同じ女子校でも以前に書いた三女高の三年生

サヨナラ公演に比べると、役者のセリフ回しが一本調子で、また、感情の出し方がやや大

げさかな、という部分はありましたけどね。ただ、この物語が4人姉妹を主人公としてお

り、また、笑いをとろうとしている作品であることから、チェーホフの「三人姉妹」やオ

ルコットの「若草物語」のパロディー的要素を持っていることも事実で、喜怒哀楽を過剰

に出した、いわゆる「演劇的」しゃべり方が、これら昔ながらの新劇的芝居をパロってる

ように見えるという点では、彼女たちの、少々大仰で臭いようなセリフ回しは、ケガの功

名かもしれませんが、いい方向に作用していたと思います。

 役者では、三女の漫画家役の伊藤智美さんが秀逸。まんまるの眼鏡をかけ、やせぎすで

髪型やファッションに無関心そうな雰囲気が、いかにも「やおい系マンガ家」的としての

役作りを見事に出していました。パンフによると、「この人が考えることがさっぱりわか

らない!」(本人談)と、役作りにだいぶ苦労されたように書かれていますが、どうして

どうして、一番役にはまっているように、こちら観客側からは感じられましたよ。

 また、対称的に元気のいい次女役の松原恵理子さんも熱演。この次女と三女が正反対の

ような雰囲気のため、二人が絡むシーンがとても面白かったです。

 秋のコンクール、この2人に特にチェックを入れて、また見に行こうと思っています。

 

[2000年8月13日 1時44分19秒]

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仙台高校演劇部公演「M.O+」 

お名前: 太田 憲賢   

 

お名前: 仙台アイドル評倶楽部 太田 憲賢   

 

昨年、僕の個人的年間ベスト10で堂々の第1位に認定した仙台高校演劇部ですが、去

年の2年生が受験のために引退し、新2年生が主メンバーとなっての今回の第1作、果た

してどれだけの成果を見せてくれるか、期待と不安を胸に見に行きました。結論から先に

言えば、若干課題は残ったものの、今度の新メンバーも、なかなかいい芝居を見せてくれ、

秋のコンクール上位入賞の有力校になるだろう、という期待を充分に抱かせたのでした。

 今回の「M.O+」という作品は、もともとは2つの別の作品を1つにドッキングさせ

たものだそうで、1つは交通事故で意識不明の重体となった少女の心の中に同居していた、

4体の霊が、事故をきっかけに他の人間にとりつきはじめる、というホラーもの。もう1

つは、あだち充の「みゆき」のような、両親を亡くし2人で同居している、実は血のつな

がっていない兄妹と、兄の勤め先(シックなバー)に現れた謎の美女との三角関係を描い

た恋愛もの。この2つのストーリーが、微妙に双方に影響を及ぼしあうドラマティックな

展開で、1時間半、最後まで飽きさせずに楽しませてくれました。

 ところで、僕が昨年の「今夜の君は素敵だよ」で、登場人物の心の中の空虚感や孤独感

に涙した、と書きましたが、今回の「M.O+」も、交通事故にあった少女は天涯孤独の

身の上で、孤独感から幽霊を自分の体の中に複数住まわせていた、という設定。そのため、

事故により彼女の体から出てきた霊たちは、やはり心の中に「マイナス感情」を持つ人達

にとりついていきます。僕はこのストーリーを見ながら、これって人類補完計画みたいだ

な、と思わずにはいられませんでした。欠けた心をもつもの同士が、お互いの欠けた部分

を埋め合っていこうという人類補完計画と、マイナス感情を持つ者同士が、お互いの心の

中に共存しようという本作。酒鬼薔薇−ネオ麦世代ならではの視点なのかなあ。でも、こ

ういう心の問題にストレートに取り組んだ作品が書けるのも、自由な校風の仙台高校なら

ではなんでしょうね。「清く、正しく、美しく」といった道徳的視点から自由でいられて、

余計なバイアスに影響されず、心の問題を正直に出してくる仙台高校のお芝居が、僕はと

ても好きです。このテーマは、実際30代の僕あたりにまで共感できるものですからね。

 個々の役者評に移ります。主役の医師役の佐藤隆一君。主役に抜擢されただけのことは

あり、なかなかのダンディーな印象でしたが、初舞台がいきなり主役というせいもあって

緊張したのか、セリフが早口で、しかもゴニョゴニョと聞き取りづらかったのが残念。去

年の劇評にも書いたけど、コンクールの審査員って、減点法的視点で見てる人が多いよう

だから、いくらストーリーやテーマで泣かせても、主役のセリフ回しが悪いとなると、減

点の対象になる危険性、大いに高しです。その点、去年のコンクールで、あの石川裕人氏

も絶賛し、僕も去年の最優秀男優にノミネートした貝山雅史君が、今回は音響に回ってい

たのが、ちょっと残念でした。ぜひ、コンクールでは、あの不思議感覚のお芝居を、また

見せてほしいものです。

 一方の女優陣ですが、三角関係の当事者2人、謎の美女(大人のお姉さん)役の多田麻

美さんと、カワユイ妹役の高橋絵理子さんは、昨年の「天使は瞳を閉じて」でも既に出演

しているキャリアからか、2人とも堂々の好演でした。はい、ここで「アイドル」・渡部

なちゅさんからも御好評いただきました、仙台アイドル評倶楽部・本作のMVP発表で

す!(なちゅさん、劇団名間違えてスミマセンでした)。今回は、大人のお姉さん役の多

田麻美さんで、決まりですね!。バーに一人で、けだるそ〜にお酒を飲んでいる役なんだ

けど、高校生に見えないのよ!ほんと、大人の女だー!、って感じで。国分町のバーあた

りで、多田さんがカウンターに腰掛けていたら、絶対20代前半のお姉さま、ってみんな

誤解するね。世の男性諸氏は、国分町でキャミソールにウエーブかかったロングヘアーの

お姉さんを見かけても、高校生かもしれないので、うっかりナンパしないよーに!(そも

そも、高校生が国分町のバーにはいないか・・・)。しかも見た目が大人っぽいだけじゃ

なくて、下がりかかったキャミソールのひもをさりげなく戻す演技とかが、すごくシック

でカックイイ演技なんですよ。しかもしかも、なんと三角関係の相手の男の子とのキスシ

ーンまであるんですよ!おいおい、高校演劇でそこまでやるかよ!、やってくれるなー、

仙台高校!と、見てるこっちの方が大いに狼狽してしまったのですが、なぜか二人がキス

しようとすると、シャキーンという謎の金属音がして、できないんですねえ(少しホッ?)。

実はお姉さんにとりついていた霊が、男の子の母親のものだったという驚愕の事実が明ら

かになるわけです(「みゆき」というより、大映ドラマだね、こりゃ)。

 一方の、実は血のつながっていなかった妹役の高橋絵理子さんは、ヒロスエとか田中麗

奈を連想させるショートカットが似合う、こちらは文字通りのカワユイ系。しかし、多田

さんと高橋さんが絡むシーンを見てると、君たちホントに同い年?本当は10歳ぐらい年

離れてない?という疑問を持たずにはいられないのでした。

 もう一人、面白かった人。看護婦役の早坂淳子さん。初出演にもかかわらず、突然キョ

エーッ??っと奇声を発したり、あるいは突然病院の中でリハビリダンス、と称する謎の

踊りを始めたり、とコミカルな三の線ぶりが見事見事!層の厚い高校では、必ず1人は、

こういう笑かしてくれる役者さんがでてくるんだよねー。彼女も初出演のためか、主人公

の佐藤君との絡みのシーンでは、彼に影響されて、早口ゴニョゴニョになっていたところ

に改善の余地ありだけど、その欠点を補って余りある面白さでした。ぜひ、秋のコンクー

ルでも三の線で登場し、大いに観客を笑いの渦に巻き込んでほしいものです。

 

[2000年7月27日 22時34分52秒]

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宮城県第三女子高演劇部「ポケット」

お名前: 太田憲賢   

 

 僕はあまりオカルト的たぐいのものは信じない方だが、それでも不思議な偶然というも

のはこの世にあるようで、例えば面白い芝居を見る時は、短期間の内に今年のベスト1と

思えるような作品に立て続けに出会うということがよくある。

 実は先週、佐々木久善さんが劇評で、ミモザは今年のベスト1だと太田と見解が一致し

た旨を書かれておられたが、その翌週に見た三女高演劇部の本作が、これまたミモザを更

に上回る出来だったものだから、佐々木さん共々ビックリしてしまったわけだ。

 本作「ポケット」は二つの短編のオムニバスであり、共通のテーマは「思い出」である。

おそらく、三年生のサヨナラ公演という趣旨から、そのようなテーマを選んだのだろう。

 最初の「たあいもない話」は、高校時代修学旅行に行った思い出を、三十年後に同じ旅

館に集まった五人が回想するという話。しかし、この「たあいもない」というところがな

かなか曲者なのである。

 よく小津安次郎映画を見る人の感想として「たあいもない日常が淡々と流れて・・・」

というのがあるが、実は小津映画って小さな事件・ドラマが立て続けに起こっていて、そ

れが見る者を飽きさせない仕掛けになっているんだね。みんな、笠智衆や東山千枝子のゆ

っくりした演技に幻惑されているんだよ。実は、この「たあいもない話」も同じような作

りになっていて、三十年後の回想としては、「たあいもない」ことだけど、当時の彼女達

にとっては重要な事件が次々と起こっているわけ。

 例えば修学旅行が片思いの彼に告白するチャンスとばかりに勇んで彼の部屋へ出かけて

いく女の子。ところが、他に好きな子がいると言われシオシオと部屋に戻ってくると、さ

っき「がんばっといで!」と応援してくれた友人の胸にロケットが。しかも取り上げて中

を開ければ、さっきフラれた彼とのツーショットの写真が入っていたりするんだな!

 あるいは、別の仲良し二人組は、突然部屋の中でエクササイズを始めたりする。今まで

静かだった旅館の一室が、突如として女子高生が踊り狂う場面に転換してしまうんだから、

これは驚きますぜ。しかも二人につき合わされて一緒に踊りだした三人目の転校生の子が

意外や踊りが一番上手かったり。けっこう細かい芸で笑わせてくれるところが見事だ。

 さっきも小津映画を引き合いに出したけど、淡々とした話を作ろうという時、勘違いし

てダラダラとした芝居を作ってしまい失敗するケースってけっこう多い。その意味で、「た

あいもない」と題名にしながらも、実際にはものすごく作り込んだ脚本を書いた三女の皆

さんは(今回初のオリジナルだそうだが)ホント、大した者である。

 さて、後半は東映戦隊モノのパロディ(オマージュ?)、ドリームレンジャー!である。

これもまた思い出がテーマになっている。学校で好きな子にフラれ、イジメに会い、と嫌

なことが続く少年が主人公。その少年に、そんな嫌な思い出なら、私達によこしなさい、

と甘くささやきかける悪役・スパイダー一味。「でも、君の思い出の中には素敵なものも

あるはずだろう。それすら捨ててしまうのかい?」と、少年の思い出を救おうとするドリ

ームレンジャー!両者の熱い戦いが見る者を惹きつけ、酔わせる!

 それで、この後半の話はキャストが豪華なんだ。レンジャーのリーダーは、昨年のコン

クール「ラ・ヴィータ」で主役を演じた「たね」こと鈴木亜矢さん。彼女は出る度に全く

違うタイプの役で出てくるが、それぞれに別の個性で完璧に演じ分ける。とぼけた銀河鉄

道の駅員−死を間際にした老芸術家−そして今度は元気ハツラツなドリームレンジャーの

リーダー。ピアスの渡辺君がいう、自分を特定の色に染めないで柔軟な役作りができる役

者って彼女のような存在ではないだろうか。だとしたら、ピアスの役者は皆、たねさんに

学ぶべきだ。

 リーダーをサポートするイエロー役が井林麻希さん。彼女は前二作では少年の役で、そ

れはそれで見事だったんだけれど、一度女の子役も見てみたいと思っていた。今回はその

念願がかない、これに勝る喜びはない。で、やっぱり女の子役が超カワイイ!しかもただ

カワイイだけでなく、演技力もあるから、ホント、いうことなしである。

 そしてピンクハウス役の沼田希実さん。ラ・ヴィータでは愛人役であり、今回は主人公

の母親役も兼ねていたのだが、おっとりした優しげなオーラを前回同様、今回も漂わして

くれていて、これも一流の折り紙をつけたい。

 このオールスターキャストが、皆三年生で、今回の公演が最後というのは本当に淋しい。

ぜひ、卒業後このメンツで新劇団を旗揚げして欲しいものだ。仙高・育英に負けない名演

を見せてくれた彼女達を、僕は決して忘れない。

 

[2000年7月10日 20時26分48秒]

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仙台育英学園演劇部『MOON』 

お名前: 佐々木 久善   

 

 今日この公演を観てきた。

 昨年の高校演劇コンクールで衝撃を受けた仙台育英高校演劇部である。

 観終わっての感情を一言で表現するとすれば、

観に来てよかった、であり、これを観ずして今年の仙台の

演劇は語れない、というところだろうか。

 それに何といっても3年生はこれで最後の舞台である。

 つまり、怪優・大江有美の演技ともこれでお別れかもしれないのだ。

 今日も15時30分から公演がある。

 観に行くことができる人は観ておいたほうがいい。

 くわしい報告は後日行う。

 

[2000年3月23日 0時37分19秒]

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1999年

古川女子高演劇部公演「タペストリー」

お名前: 太田憲賢   

 僕はこの演劇祭劇評で、高校演劇コンクールの審査結果に対して、いろいろ不満を述べ
 
ておりますが、じゃあ今から採り上げる優秀賞をとった古川女子高の「タペストリー」が
 
駄作だったかといえば、決してそんなことはありません。要は、仙高や育英のレベルがも
 
のすごく高かったんですよ。だから、普通の感覚で見れば、本作も、けっこういいもので
 
あったとは思うんです。
 
 主人公の沢村和は普通の女子高生なのですが、ある日盲腸炎になり入院します。その入
 
院先の病院で同室となった年齢の近い2人の女性、橘美晴・片桐桂と仲良くなるのですが、
 
美晴は将来アフリカに行って現地の人達の役に立つボランティアをしたいと考え、また、
 
桂は将来画家になりたいという夢を持っているのに対して、自分は将来何をしたいかわか
 
らない、ということに悩み始めます。そんなある日、いったん退院した美晴が交通事故に
 
遭い再入院してきます。美晴は既に脳死状態で、ドナーカードを持っていたことから、臓
 
器移植の対象となります(この辺、同じテーマで自分の劇団の公演中だった石川審査員は、
 
どんな心境で見ていたのかなあ、って興味ありますね)。本人の意思とはいえ、体がバラ
 
バラにされてしまうことに抵抗を示す和。しかし、偶然鉢合わせた病院の屋上で、患者の
 
生や死についての思いを吐露する看護婦・西崎の言葉に感動した和は、自分も看護婦にな
 
ろうと決意するのでした。
 
 確かにいい話ではあるんですよ。でもねえ、講評の時に石川審査員が「今年の本戦出場
 
作品には、自分探しのテーマが多かった」という話をしてたんですけど、その中で、「自
 
分探し」の結論として、他人や社会の役に立つ結論を選んだ古女の芝居の方が、個人の救
 
済にとどまっている仙台高校の芝居より、教育的見地からみて優れている、という理由か
 
ら、もし古女の方を上位にしたのだとすれば、それは演劇の本質的魅力とは別のレベルの
 
話じゃないか、という疑問が僕としては当然出てくるわけですよ。本当のところはどうだ
 
かわかりませんよ。だからこそ審査経緯を公開してほしいと言ってるわけなんですけどね。
 
 「自分探し」の結論っていうのは人それぞれのものだろうから、社会の役に立つという
 
結果にたどり着く人がいても決しておかしくはないと思いますけどね、でもそれにしたっ
 
て、「人の役に立つことによって、自分の満足につながる」という意味では、個人の救済
 
に限定された結論と比較したって、その人の内面的には両者の差異はないと思うんですよ。
 
むしろ、社会的正しさによって満足を得ようとするのは、何が正しいかよくわからなくな
 
っている今の複雑な世の中では見つけることが、かえって大変だと思うんですよね。だか
 
らこそ、看護婦の西崎は葛藤していたわけだし、今回のテーマとなっている臓器移植にし
 
たって、未だに賛否両論の議論が続いているわけでしょう?
 
 まあ、それはそれとして、話をギャグの方に移しましょうか。病院の院長役の佐々木愛
 
美さんが、長嶋茂雄の物まねとマッド・サイエンティスト的ボケぶりでお客さんの笑いを
 
とっていました。確かに面白かったですよ。でもねえ(とまた言っちゃいますけど)長嶋
 
の物まねってけっこうわかりやすいっていうか、「見えちゃう」ギャグですよね。一般論
として、同じギャグを2度、3度とづけるとマンネリになってつまらなくなってくること
 
からもわかるとおり、ギャグって意外性という要素がけっこう大事だと思うんです。その
 
点でいうと、けっこう宴会芸とかでいろんな人がやっていそうな長嶋の物まねよりも、突
 
然、槇原敬之の歌に合わせて、幼稚園児の格好をした集団が踊り出す育英とか、なぜかい
 
つもフラダンスのように手で波を作っている仙高・朝理恵のシュールさの方が、ギャグと
 
しては優れてるんじゃないかな、って考えちゃうんですよね。逆に、そういったわかりや
 
すさが安心感となって審査員の評価を高めているんだとしたら、そりゃあまりに保守的す
 
ぎんかい?って思うんですよ。
 
 なんか、高校生の部活動に対するものとしては、ちょっと厳しすぎる意見だったかもし
 
れません。でも、最初にも書いたとおり、面白いか面白くないか?って聞かれたら、面白
 
い方の部類に入るお芝居だったとは思っています。東北大会でも頑張って下さい。
 

[1999年11月27日 19時41分14秒]

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利府高校演劇部公演「あー!」 

お名前: 太田憲賢   

 実は僕は本作の作者である杉内先生の脚本による、せんだい太陽劇団の「Blood 
 
Orange Service」を昨年拝見して、たいへん感動した人間なのです。その
 
意味で、今回の「あー!」にも期待していたのですが、率直に言って「Blood〜」が
 
金なら、「あー!」は銅だな、という印象を、残念ながら受けてしまいました。だから、
 
審査委員長の高木豊平先生が講評で「参加12高校の中で、一番脚本がよくできていた」
 
とおっしゃっていたのに対しても、すごい違和感を感じてしまったんですよ。
 
  そもそも審査員の先生方って、1公演が終わる度にいちいち控え室に戻りますよね。終
 
わった後の「幕間討論」や、高校生達の雑談を聞いてると、審査員と高校生達のギャップ
 
のすごさって、とても感じましたよ。この利府高に対しては、「なんだかよくわからなか
 
った」「寝ちゃった」という声が、あちこちから聞こえてきましたね。
 
  もちろん、わかりやすければイコールよい芝居と単純に言い切れないということは、重
 
々承知しております。ただ、高木先生の脚本に対する評価が、わかりやすさという意味に
 
もつながっていると感じたので、それはちょっと違うんじゃないの、と思ったわけです。
 
  高木先生の脚本を褒める理由というのが、登場する生徒達が表面上はなぜ一緒にいるか
 
わからないように見えるが、実はクラスメートをいじめで自殺に追い込んでいたという事
 
実が最後に明らかになるのが良い、という趣旨に聞こえました。しかし、そういう風に答
 
が簡単にわかってしまうことによって安心することの方が、僕には違和感となるのです。
 
  石川さんが、「今年の脚本には自分探しが多い」とおっしゃったことは、古女の高でも
 
述べました。外に出られない不思議な教室に閉じこめられた登場人物達(高校生5人)が
 
もし「自分探し」をしているのだとしたら、「いじめ」はむしろ原因ではなく、結果なの
 
ではないでしょうか?つまり、「自分はなぜここにいるのか?」という理由がわからない。
 
そういった今の高校生(いや、実社会にいる私達も含まれましょう)の感じている不透明
 
で閉塞的な社会観を、「出られない教室」に象徴しているとしたら、「いじめ」はそのス
 
トレスの発散の一つと考えられませんでしょうか?だからこそ、「いじめ」は自分探しの
 
結果であっても原因ではないのです。もし、「いじめ」を原因と考えるなら、彼らはバチ
 
があたって出られない教室に閉じこめられたということになってしまい、それではあまり
 
に陳腐な物語に堕してしまうのではないでしょうか?
 
 ところで、僕が「あー!」を「Blood〜」に比べると物足りないと感じたのは、実
 
はその閉塞感だったりするのです。つまり、「Blood〜」の時って献血ルームに集う
 
人々の話でしたけど、けっこう登場人物の出入りが多かったんですよ。それが、緩急とい
 
うか、作品にメリハリをつける形になっていたし、登場人物1人1人の物語が場面毎にハ
 
ッキリ見えたんですね。この場面は熊谷君、この場面はいそさん、この場面は杉内先生、
 
というように。でも、ずーっと同じ舞台に同じ人間が長いことい続けていると、密室劇と
 
いうこともあってドラマが生じないんですよね。それで、優等生のミノリ以外のキャラク
 
ターは、特にマサオ・ユイ・アツコの3人は、人物の書き分けがうまくいってないという
 
か、それぞれの内面が見えてこない感がありました。逆に、みんな同じ様な行動をとる無
 
個性な他者の恐怖を描きたかったのかもしれませんが。肝心のストーリーが退屈になっち
 
ゃあねえ。
 
 芝居が終わった後の「幕間討論」でも、ストーリーのわかりにくさに対する質問が多か
 
ったです。中には、直接杉内先生に質問を希望する人もいましたが(たまたま本人がその
 
場にいなかったので、回答は得られませんでしたが)、演じている彼らも作者の意図を完
 
全に理解し切れていなかったような様子が見え、上手く答えられないで困っているという
 
感じでした。むしろ、部長の岸君とマサオ役の菅野君のかけあいの方が、本編の芝居より
 
も面白いという皮肉な印象を受けました。そういえば、やっぱり石川さんが、「どんなに
 
下手でも自分で作ったオリジナルの脚本は、自分たち自身の言葉である。それに対して、
 
既成の脚本を使ったところは、作家の思いを自分自身のものにするには演出や役者の力量
 
が特に優れていないと、高校生レベルではなかなかたいへんだと思う。」という趣旨のこ
 
とをおっしゃっていました。今回いろいろ石川さんの考えに異論を述べた僕ですが、仙高
 
や育英の芝居を見るにつけ、この件に関しては、僕も石川さんの考えに完全に賛成の意を
 
持ちました。杉内先生も、本当に自分のやりたい世界は「太陽劇団」の方でやって、利府
 
高の方は高校生自身にやりたいようにやらせてみたらどうだろう、と芸達者な岸君達を見
 
ながら、思わずにはいられなかったのでした。 
 

[1999年11月27日 19時39分41秒]

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仙台高校演劇部公演「今夜の君は素敵だよ」 

お名前: 太田 憲賢   

 育英の項でも書きましたが、本作は高校演劇コンクール県大会で生徒審査員賞を受賞し
 
ました。おめでとうございます。関係者の皆さんに心よりお祝い申し上げます。
 
 しかし、先に「transformation1999」に対し、今年「一番面白い」と私は評価しましたが、
 
それに対応した言い方をすれば、この「今夜の君は素敵だよ」は、私が今年見た中で「一
 
番感動した」作品だっただけに、最優秀賞を受賞できなかったのが、どうにも残念で仕方
 
がないのです。
 
 物語は1人の孤独な少女が主人公です。生まれつき身よりのない彼女は、あるチョコレ
 
ート工場に「実験台」として引き取られ、秘密裏に育てられます。彼らは、毎年めまぐる
 
しく変わる顧客のニーズに応えるべく、彼女に新製品のチョコレートをひたすら食べさせ
 
続けることで、時代のトレンドをつかもうとしていたのです。
 
 しかし、そんな不自然な生活は当然彼女の心をむしばみ、彼女はチョコレート中毒症に
 
陥り、チョコレート以外の食べ物を受け付けなくなってしまいます。健康を害した彼女に
 
対する贖罪の意識から、工場の人々は彼女に年格好の近い少年を工場の正社員として雇い
 
入れ、彼女の話し相手にするのでした。
 自暴自棄になり死ぬことばかり考えていた彼女は、初めて本当の意味での「他者」に出
 
会うことによって、自分の心の中にある「孤独」という別人格に打ち勝ち、生き続ける選
 
択を決意し、感動的に物語は終わります。題名の「今夜の君は素敵だよ」というのは、ラ
 
ストシーンで主人公と夜の庭を散歩する少年が、月明かりに照らされる彼女を見て言うセ
 
リフなのですが、泣かせる場面だったなあ。高校演劇コンクールでは、公演後に「幕間討
 
論」というのがあって、会場から出演者に質問するコーナーがあったんですけど、最後に
 
演出の古沢晋介君が「皆さん、家に帰ってから、今日のラストシーンのセリフをもう一度
 
かみしめてください。」って言ってまして、憎いこと言うなあ、と思いつつ、ウンウンと
 
頷いている自分がいたのでした。30代にもなって高校生に教えられて情けなくないかっ
 
て?いいんです。だって、10代のうちから花開いたアーティストなんて世の中にはいく
 
らでもいるじゃないですか。30代の凡人・太田よりも、高校生アーティスト・朝理恵さ
 
ん(本作の作者)の方が、人生の意義を知ってたっておかしくはないと思いますよ。
 
 それにしても今回は舞台装置もとてもファンタスティックで美しいものでした。チョコ
 
レイトと英語で書かれた、たくさんのパステルカラーの立方体や、主人公の「孤独」の別
 
人格を意味する男性が持っている風船など、小道具がとってもキレイなんだよねえ。メタ
 
セコイア化石林が長く活動休止中で、不思議感覚の芝居好きな私としては寂しい思いをし
 
ているんだけれども、久しぶりにファンタジーを感じさせる芝居を見せてもらったなあ、
 
と嬉しく思ったのでした。
 
 それから、ギャグのセンスもいい。育英の大江さんのようなパワフルさこそないものの、
 
「天使は瞳を閉じて」のケイ役で、とても高校生とは思えない大人の演技を見せてくれた
 
佐藤弥子さんは今回はオバサン役で頑張っていたし、いや、それ以上に驚いたのが、女医
 
役で登場した作者の朝理恵さんが、佐藤弥子さん以上の存在感を見せてくれたことです。
 
特に、何かギャグを飛ばす時に、必ずといっていいほど、両腕を波状に動かすフラダンス
 
のような動作が、何ともシュールで面白かったなあ。朝さん、もう最高っすよ!
 
 ところで、講評の時に審査員の石川さんが「設定が現実離れしている。ギャグとして笑
 
わすためには必要な設定だったのかもしれないが、もう少しリアルな世界にすべきだった
 
のではないか?」とおっしゃっていましたが、私は必ずしもそれにこだわる必要はないと
 
思いました。だって、今も述べたとおり、この作品にはファンタジー的要素も含まれてい
 
るんですもの。それに、例えばSFアニメなんかで、人類を滅ぼしそうな恐ろしい敵と戦
 
う少年に、自分探しを重ね合わせて感情移入する、なんて作品はよくあります。これだっ
 
て、非現実的な設定だけど、多くの人は登場人物に共感してるでしょ?要するに、チョコ
 
レイト工場に幽閉された少女、という設定は、「世間の大きな力に対して、あまりにも無
 
力である個人のペシミズム」を象徴してると僕は思って見ました、そういう意味では、と
 
ても共感できましたよ。同じ意味で、主人公に出会う前の少年が、自分が社会の役に立つ
 
という実感を得るために、ひたすら献血をするというエピソードも、私にはすごく共感で
 
きるのです(私自身は実際には献血してないけど)。
 
 あと、「前半がダレた」といった意味のことを、やはり石川さんが言ってましたけど、
 
後半の感動が前半のダレを補って余りあるものだったという認識が私には強いんですよね
 
え。まあ、審査員という立場としては、減点法的視点で見ないといけないのかもしれませ
 
んが、観客の立場の僕としては、やはりどうしても加点法的視点で見てしまうのでした。
 

[1999年11月25日 17時37分8秒]

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泉高校演劇部公演「Love Letter」

お名前: 太田 憲賢   

やっぱり中山美穂役は、1人2役で演じて欲しかった
 
 二女高の項でも述べたが、岩井俊二監督のヒット作映画「Love Letter」を演劇化したのが
この泉高校である。
 この映画を初めて見た時、関ステレ夫君と、「これを未来樹あたりで演劇化したら、ピッタ
リ似合いそうだよね。」と会話したのを覚えている。その意味で、今回の演劇化は、やはり同
じことを考える人がいるんだなあ、と感慨深かった。なんといっても、岩井俊二の名を一挙に
メジャーにした出世作であり、メタセコイア化石林の畠中志津枝様ですら、「私は中山美穂っ
て、好きじゃないんだけど、この作品は面白かった。」とまで言わしめた傑作なのである。
 ただ、重要な問題点が1つある。それは、物語の主人公・渡辺博子(東京在住)と、札幌に
住む藤井樹という2人の女性を、映画では中山美穂が1人2役で演じていることだ。実はこの
2人が瓜二つのそっくりさんであることが、物語の重要なキーとなるのだが(詳しいストーリ
ーを知りたい方は、レンタルビデオ屋へGO!だ。)、映画では技術的に可能なことも、演劇
ではどのように矛盾なく見せるのだろうか?はっきり言って、私の興味・関心はこの1点に絞
られていたといっても過言ではない。
 映画では2時間以上かかる作品を、1時間20分に圧縮したということもあり(コンクール
の制限時間の関係上)、2人が札幌の街で偶然すれ違うシーンがカットされていたのは賢明だ
ったといえよう。また、細かいストーリーでも2人が出るシーンはバラバラに設定されていた
ので、たとえ1人2役で役者が演じても、無理がないような脚本になっていたと思う。
 しかし、である。渡辺博子役と藤井樹役は別人が演じていたのである!なぜ?
 確かに主役1役だけでも大変なのに、1人2役なんてとてもじゃないが・・・、という気持
ちは理解できる。しかし、この物語では2人がそっくりでないと、そもそものストーリーが嘘
臭くなってしまうのだ。実際、渡辺博子が札幌の藤井宅を訪れるシーンで、たまたま樹が不在
で、応対に出た母親が博子を樹と見間違えるシーンは、2人の役者があまりに似ていないため
会場から失笑が漏れていたほどだ。
 1人2役が辛いのはわかる。しかし、1時間20分の短編に直しているのだし、部員が2人
しかいないという他の高校の演劇部で、この時間を2人や3人芝居で乗り切っていた所だって
あった。また、頭の固くなった大人と違って、高校生はまだ記憶力が優れているはずだから、
セリフ覚えも頑張れば何とかなったのではないか。作品のリアリティが大きく損なわれてしま
ったようで、酷な希望かもしれないが、私としては残念でならなかった。
 それはそれとして、個々の役者さんではいいなあ、と思える人は何人書いた。特に、映画で
はトヨエツが演じていた博子の恋人役を、小野菜美子さんという女性が演じていたのであるが
これが本当に濃〜いコテコテの関西人を見事に演じていて、実に味わい深かった。こういう、
見ているだけで楽しくなるような役者さんに出会えると嬉しい。それにしても、泉高校は共学
のはずなのだが、男性役を女性が演じていたということは、男性部員がいないということなの
だろう。共学の良さがいかされていないところが、もったいないなあと感じた。まあ、これば
っかりは本人達の責任じゃないから、仕方ないんだけどね。
 

[1999年10月22日 10時1分50秒]

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宮城県第二女子高演劇部モラトリアムの樹」 

お名前: 太田憲賢   

五十嵐香さんは「二女高のヒロスエ」だ!
 
 
 
 宮城県第二女子高演劇部(通称・二女高)の公演は、ピーター・パンに題材をとったオリジナル
作品「モラトリアムの樹」というものでした。
 
 物語はピーター・パンがウエンディを再び迎えに、彼女の家へやってくるところから始まります。
しかし、妖精にとっての時間の流れと人間のそれとは違うらしく、彼女がウエンディと思った相手は、
ウエンディの孫のマリアだったのでした。困った表情のピーターに対して、マリアは、祖母が言った
ネヴァーランドに自分も行ってみたいと、せがみます。そこで、ピーターはマリアをネヴァーランドへ
連れて行くのでした。
 
 ネヴァーランドはピーターを始めとして、大人にならない子供達の楽園です。そこでマリアは
子供達に、大人になることとは以前にできなかったことができるようになることだと説明します(例えば、
昨日は登れなかった木に、今日は登れるようになったとかね)。しかし、彼らが大人になることは
ネヴァーランドの存在を否定することになりますから、当然ティンカー・ベルあたりは、そんなマリアの
行動に激怒するわけです。
 
 このティンカー・ベル役の庄子多重子さんの演技がはまってるんですよ。高校生ぐらいの若さで、
こういう屈折した内面を必要とする嫌われ役的な役柄は難しいだろうなあと思うんだけれど、彼女はこの
「悪役」を憎々しげに好演なさっていました。まあ、僕ぐらいの年になると、いい子ちゃんぶったマリア
よりも、屈折しててモラトリアム世界を守りたいと願うティンカーの方に、グッと感情移入しちゃうんです
けどね。そういう意味でも、庄子さんの寂しそうな表情はよかったなあ。
 
  その後、実はピーターは、母親がクローン人間として自分の子供を再生しようとしているのを拒否して
ネヴァーランドに住んでいた、一度死んだ子供の魂であり、また、他の子供達は生まれる前にワケアリな
事情で自ら生まれることを拒否した水子だった!という驚愕の事実が浮かび上がり(この辺がなんとも
現代的な設定である)、ピーターが生まれ直すとネヴァーランドは消えてしまうということがわかります。
しかし、他の子供達は、たとえ自分達が消えてなくなる結果になっても、ピーターが生まれ直すよう、迷う
ピーターを励まし(ティンカーだけはふくれっ面だったところが可愛くていい)、ピーターも生まれ直す
ことを決意して物語は終わります。
 
 ところで、この物語のテーマは、僕は水子にあると思うんですよ。親に望まれないことがわかって
生まれることを拒否したピーターと水子達(正確にはピーターは自分でそう思いこんでるだけだけど)。
これって、先の三女でも書いたけど、自分が社会の他の人間の誰にも望まれていないダメ人間なのでは
ないか、というアダルト・チルドレン的屈折の暗喩だと思うんです。高校時代って、受験勉強とかで家族
からも「勉強!勉強!」ってヒステリックに言われる時だから、「勉強ができなければ自分には価値が
ないの?」というアダ・チル的葛藤って起こりやすい時期だしね。まあ、それが年をとってからもトラウマ
として残っちゃうと、エヴァを10回見てその度泣くという、太田のような屈折した人間ができちゃうワケ
ですが(笑)。
 
 ところで、ネヴァーランドの子供達の1人のラルムという役で出てきていた五十嵐香さんという女の子
が、ワキ役であったにもかかわらず、主役級以上に光るものを持っていたのでビックリしてしまいました。
もちろん、ピーター役もマリア役もティンカー役も、それぞれに上手でしたよ。でも、そういう上手い
下手とは別のオーラ的なものが五十嵐さんにはあるんだなあ。ショートカットで丸顔でカワイイ。あれ、
これってヒロスエの特長にそっくりじゃ・・・。そうです、まさに五十嵐さんは二女高のヒロスエなのです!
 
 彼女を主役にせず、あえてワキに回すというところに演出の渋さを感じますねえ。でも、ヒロスエ本人が
ウエンディって雰囲気じゃない役者であることを考えても、今回の配役は妥当ではありましょう。
ヒロスエって、お嬢様というタイプというより、「ユニ・セックスより、ややカワイイ女の子寄り」って
位置づけでしょうからね(始めてヒロスエ見た時、緒川たまきの妹か?って思ったもん)。そういう意味で、
今回五十嵐さんが少年の役を演じていたのは、アタリ!です。
 
 でも、やっぱり次では主役やってほしいなあ。今回、岩井俊二の映画「Love Letter」を演劇化していた
高校があったけど、今上映している「秘密」を演劇化するってえのはどうでしょう?でも、ヒロスエを五十嵐
さんがやっても、小林薫やれる女子高生はさすがにいないかなあ・・・。あの、シブイ中年役をできる女子高
生がいたら、それはそれでスゴいと思うぞ。ウーン。そういう意味では、やっぱり見てみたい気もするなあ(笑)。
 

[1999年10月18日 19時12分16秒]

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宮城県第三女子高演劇部公演「ラ・ヴィータ」 

お名前: 太田 憲賢   

 そもそも僕が高校演劇をチェックするようになったきっかけは、実は今から取り上げる三女
高演劇部さんなのである。
 僕は名取駅前のあるお店のインフォメーションに演劇についてのコラムを書いているのだが、
そのお店の常連に、たまたま三女高演劇部の方がいらっしゃって、「いつもコラム読んでます。
ぜひ、うちの公演も見て下さい。」とのお話をいただいたのが、そもそもの始まりなのである。
 それで、まあまだ高校生だし、一般の社会人の方々の演劇よりは多少レベルは落ちるんだろ
うなあ、とあまり期待しないでいったところ、ものすごくいい内容の芝居だったのでたいへん
驚き、「これは高校演劇もバカにはできんわい。」と、今年は高校演劇をなるべく多く見よう、
と思って今に至るのである。
 今回の「ラ・ヴィータ」。その、お店の常連の「たね」さんが主役である。まもなく死にゆ
く老人が、自分の死のステージを演出する、というストーリーは高校生には似つかわしくない
ようにも思えるが、それをいったら作者の高泉淳子さんだってまだ老人には遠い存在だし。要
するにこの物語は、一生自分が他人に認められない人間のまま終わったらどうしよう、という
恐怖感がテーマなんですね。
 主人公は芸術家なんだけど、ヘンテコなものばかり作っているので周りからなかなか認めて
もらえない。それで、死にいく間際に、過去に自分と関わった父・母・弟・妻・愛人から、
「おまえはダメ人間だ」のなんだの、さんざん責められる。この辺って、いわゆる「人格改造
セミナー」っぽい(あるいはエヴァの最終2話)。それで、最後に自分の理想とする作品がで
き、母親に「良くできたわね」とほめられて、物語は終わる。
 つまり、「自分は周りから必要とされていないダメ人間なのではないか?」という恐怖感は、
老人に限らず持っている人は持っているものだから、エヴァもヒットしたわけだし、この作品
にも32歳の太田も、高校生の出演者も共感できるわけだ。老人というのは「手段」なんだね。
 主人公を演じた「たね」さんは、前回のとぼけた駅員とはうって変わった役だったが、見事
な熱演だった。ちょっと、OCT/PASSの堀カナンに感じが似てるんだけれど、堀カナン
よりずっとナチュラルな演技をしていたよ。
 あと、前回公演では「銀河鉄道」のカンパネルラ役をやった伊林麻希さんは、今回も主人公
の少年時代という役だったけれど、少年の役が好きなのかな?でも、けっこうかわいい女の子
なので、一度、女の子役も見てみたいです。
 あと、ママ役の佐藤美沙子さんと、愛人役の沼田希実さんは、とても高校生とは思えない、
大人の色気を出しておられた。スゴイナア!
 予選、受かってるといいですね。次回作も楽しみにしています。
 P.S 「たね」さんが食らってたビンタ三連発、痛そうだったなあ(笑)。
 

[1999年10月14日 13時41分50秒]

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仙台育英学園高校演劇部公演 

お名前: 太田 憲賢   

 3p両論さん、レポートありがとうございます。
 OCT/PASSの座長(このフォーラムの代表でもある)石川さんは、コンクールの審査
員だったので、その場にいたんですよ。2日目に全公演が終わったあと、審査員による講評が
あって、たまたま育英の講評を石川さんがなさってたんですが、「参加12劇団の中で、一番
ギャグが面白い。このまま、エルパークに持っていって、社会人の劇団と同じスタイルで公演
しても、充分通用する。」とおっしゃってました。やったね!さすがに石川さんも、見る目あ
るじゃん!
 そういう言い方は石川さんに対して失礼?いやいや、劇評バックナンバーのOCT/PAS
S新人公演の項で関ステレ夫君が書いていたけど、モナド企画が活躍していた頃、石川さんっ
てモナドに批判的だったんですよね。当時、モナドの熱狂的ファンだった太田は、関君同様、
「なんだい、喧嘩売ってンの」と、一緒になってキレていたわけです。まあ、関君とはその頃
からの縁で親友になったわけですが、閑話休題、そういう意味でも、石川さんが育英のギャグ
を認めたっていうのは、意外でもあり、嬉しくもあったわけですよ。ただ、「吉本風ギャグ」
って言い方を石川さんはしていたけれど、速いテンポでギャグが続くと、すぐ吉本風っていう
のは、安直じゃない?僕は、最初の書き込みで大江さんのことを、久本雅美と比較して論じた
けど、むしろ育英のギャグって、ワハハ本舗に代表されるような東京・下北沢風のセンスを感
じたんですけどね。
 それはそうと、審査結果では育英は東北大会に出場できない方の優秀賞、つまり実質3位だ
ったんですが、上位2校が塩竃、古川女子で、育英がその次っていうのは、どうにも納得いか
ないんだよなあ。講評の最後で、審査委員長さんが、「今回、はじめて生徒審査員制度という
高校生自身が審査する制度を作ったが、我々審査員と、生徒審査員の間で、大幅なギャップが
あったのは、意外だった。双方、歩み寄りが必要だと思う。」という、異例?のコメントを寄
せていたのですが、その生徒審査員賞を受賞したのが、今回、育英以上に感動させてくれた仙
台高校の「今夜の君は素敵だよ」だっただけに(ここの劇評も、機会があれば書いてみたいと
思ってます)、「絶対、上位2校は仙高−育英だろう!」と確信していた僕としては、生徒側
の見る目の方に強くシンパシーを感じたのでした。
 まあ、僕も今年で32歳ですし、十年以上年の離れている高校生の気持ちを代弁なんてでき
る立場じゃないかもしれないけど(「アンタみたいな大人に俺らの気持ちが代弁できるかよ」
って言われそうだよね)、それでも今回の審査結果には納得いかないものを感じたので、ぜひ
今回の審査員の先生方には、審査経緯を情報公開していただきたい。最近、行政の情報公開が
話題になっているけど、高校演劇コンクールだって、ある意味公的な組織なんですからね。少
なくとも、石川さんは当フォーラムの代表なんだから、ご自分の知りうる範囲の経緯はご説明
可能ですよね?
 あと、生徒審査員の中で、このHPを読んでいる方がいらっしゃたら、ぜひ経緯を教えて下
さい。劇団ミモザの後藤尚子さんが生徒審査員に入っていたようですが・・・。勿論、僕だっ
て自分の言っていることが絶対に正しいなんて思っていません。僕がここに書いている劇評も
突き詰めれば僕自身の好みの問題に還元されますから。だから、納得のいく審査結果の情報公
開がなされれば、僕だって了解しますよ。石川さん、ひとつよろしくお願いします!
 

[1999年11月24日 9時53分0秒]


3p両論   

太田さんのこのメールを見て観てきました。彼等は、今後も演劇に関わっていくのか劇後の
インタビューで聞いてみたんだけど、コメディエンヌ大江は、就職決まってま〜す。
ドクター高橋君は、東京へ行きます。下手にいた主人公君は、大学受かったら演劇同好会
覗いてみます。質問の仕方が悪かったのか、大江氏の動向は?会場にはオクトパスの座長
がいらっしゃってたので、たぶん太田さんこのメールで、スカウト???下衆な憶測。
 

[1999年11月21日 15時41分23秒]


お名前: 太田 憲賢   

 「演劇祭通信」第5号に、高校演劇コンクール県大会出場校一覧が掲載されてありましたが
育英は予選突破しておりました。おめでとうございます。並びに審査員の先生方の御見識に、
心より敬意を表します。
 というわけで、育英のお芝居、予選で御覧にならなかった方も、ぜひぜひ御覧になって下さ
い!11月20日(土)の最後の回に登場とのことですので、だいたい7時前後と思われます。
 他校のスケジュールについても、「演劇祭通信」第5号の4ページに載っていますので、そ
ちらも要チェックですよ!(別に主催者から依頼されてるわけでもないのに、なんでそんなに
一生懸命宣伝するかって?それだけ面白いってことですよ、下手な社会人のアマチュア劇団よ
りよっぽどレベル高いもんね)
 

[1999年11月15日 10時32分51秒]


お名前: 太田憲賢   

仙台育英学園高校演劇部公演「Transformation1999〜
バルタン星人はギンギラギンにさりげなく」
恐るべき高校生、大江有美!
 
  この10月9日(土)〜11日(祝)の3連休の間、青年文化で開催されていた高校
演劇コンクールに入り浸っていました。もちろん、演劇祭期間中ですし、他にチェック
したい一般劇団の公演もあったので、全部を見られたわけではないのですが、それでも
社会人劇団よりよっぽど面白い、レベルの高い高校をいくつか発見することができたの
は、大きな収穫でした。
  中でも今から紹介する仙台育英学園高校演劇部公演「Transformation1999〜
バルタン星人はギンギラギンにさりげなく」は、今年見た全ての演劇(もちろん社会人の
劇団を含む)の中で一番面白いばかりではなく、正直いって始めてモナド企画を見たとき
に感じたもの以来の衝撃を受けたのでした。特に部長の大江有美の、久本雅美をさらに
パワーアップさせたかのようなコメディエンヌぶり!岩佐絵理(SteamTV)も、
川原田智子(福祉大)も、大江には歯が立たないのではないか?「アンタ、いったい何物
なんだ!?」。恐るべき高校生、大江に私はそう叫びたい衝動にすら、かられたのでし
た。
  みなさん、私の女優に対する評価は「カワイイ」と「セクシー」の2種類しかないと
思ってるでしょ?もちろん、その手の女優さんが好きなのは事実ですけれど、きちんと
した芸のできる女優さんに対して正当な評価をすることだって、忘れてはいませんよ。
ただ、現実にはそういう「ウマイ!」と思わせる人ってなかなかいませんからね。
そういう人に、まさか高校演劇で出会おうとは思わなかったので、衝撃だったのです。
  物語は記憶喪失で精神病院に入院している1人の青年が、徐々に過去の記憶を思い出
していくというもので、ラストでは、実は幼なじみで片思いをしていた女の子を殺してい
たというショッキングな事実が浮かび上がるという悲劇なのですが、こういう話をギャグ
で埋め尽くすだけ埋め尽くしておいて、最後にどんでん返しとして主人公の悲しみに感情
移入させるという、ウーム、うまいねえ。しかも、これオリジナルのストーリーなんです
よ。ホント、社会人劇団の公演が、退屈で見られなくなりそうで怖いですよ。
   特に面白かったのが、主人公の過去のトラウマをさかのぼるという趣旨で、幼稚園で
の誕生祝いの記憶を蘇らせる場面。ここで、先生役の大江さんが「さあ、みんなで誕生
祝いの踊りを踊りましょう!」というと同時に、出演者全員が幼稚園児の格好で一糸
乱れず見事なダンスを披露するシーンの、もの凄さ!しかも流れるBGMが槇原敬之
(シャブ中)の「ハングリー・スパイダー」(笑)。さすがに一人の園児が、「先生、
この曲を幼稚園で流すのは、マズイんじゃないですか?」と質問すると、大江さん「彼が
復帰できるように、みんなで応援してあげてねー!」と絶叫(爆笑)。この面白さが文章
で説明できないのが、実に、実に残念です。ぜひ、彼らが本選に進出することによって
、皆さんにも見ていただきたい。審査員の先生方が、もし育英を落とすようなことが
あったら、その見識を疑いますよー!審査員の目はフシ穴で、大バカ者揃いだと、
さんざん言いふらしてやる(笑)。
 

[1999年10月13日 22時14分28秒]

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