お名前: 演劇ファン
ありがとうございました。参考にします。
色々劇団について知りたいので、新しくお気に入りの劇団教えてを
書き込みます。
[2001年10月11日 23時50分18秒]
お名前: てーとく URL
お気に入りの役者。それは
男性:奈尾 真さん(もしもしガシャ〜ン)
最上 純さん(学生)
菅原 壮一朗さん(学生)
女性:たかはしみちこさん(もしもしガシャ〜ン)
亀 歩さん(学生)
の方々といったところでしょうか。うむ。
下に書き込みをしてらっしゃる方で、自分自信を
お気に入りと書いている方がいますが、その精神
とてもステキな事だと思います。自分が好きって
大事ですよね。そういう役者さんだからこそ
みている側もきっと楽しく観れるんでしょうねぇ。
[2001年10月9日 14時51分9秒]
お名前: たかはしみちこ URL
もしもしガシャ〜ンに所属していますたかはしです。
自分の劇団の俳優でわるいんですけど…
やっぱり 代表 奈尾真 です。
わたしは彼のファンになってからここまで一緒にやってきました。
空気ですね、やっぱり…
あとは、 斉藤智。(やっぱりうちの劇団なんですけど…)
かれの「目」にはのまれます。
大好きな俳優と一緒に演劇をできるというのは幸せ!です。
女優では、「あたし」です。いや、本気です。
ほかの劇団ですと…
すいかさん。(鳥の庭園)空気がすごい女優さん。
小畑次郎さん。(ちわんとぺるSHOW)しぶいけど変なおじさん…すてきです。
白鳥英一さん。(オットープレゼンツ)おにーさんにしたいです。
升孝一郎さん。(がらくた本舗)うーん。とにかくシャープなかっこよさ。
寺島さん。(IQ150)かわいいです。
仙台以外の劇団でよく仙台にくる劇団では…
劇団カタコンベ。ここのスピード感はたまりません。
劇団どくんご。ここはすごいです。3年に一度くらいくるそうです。
[2001年10月8日 16時36分24秒]
お名前: 今野信一 URL
ナインゲージ代表今野です。
僕は5年半ほど東北大演劇部にいるんで
その期間に出会ったステッキーな役者さんを
紹介します。つーか芝居あんまり見に行かないんで
身の回りの人多いけど皆さん面白いですよ。いや、マジで!
男の役者さんは
奈尾 真さん!(もしもしガシャーン代表)
室野 尚武さん!(東北大OB)
以上!
女の役者さんは
武田 亜紀子さん!(東北大OB)
後藤 史織さん!(東北学院大演劇部)
以上!
うわっ少なっ!
でもこれマジみんな面白いですよ!!
びっくりマーク(→!)2個語尾に付けちゃうほど!!
見るべき!
室野さんは現在社会人で見る機会無いんですけどそれでもオススメ!
他の人たちは活動してるし見るべき!損無し!!いや、マジで!
女優二人はナインゲージ12月公演に出るんで見るべき!
これ宣伝じゃなくてホント。
宣伝にもなってるんだけどホント面白いから!
大体本当に面白い人だからこそ芝居に誘っちゃうんですよね!
ね、魚類の薔薇の小野さん!(面識ないんだけど)
[2001年10月8日 1時12分41秒]
お名前: 小野深雪・魚類の薔薇代表
私が書くと、宣伝かよっ!と怒られてしまいそうなんですが…。
うちの女優さん達は素敵ですよ。
まるでビアン的な目で見つめている、綺麗な女の子大好きな私のお気に入りの妖精達ですから。
あ、役者的技巧に優れた云々という人を求めているのでしたらごめんなさい。そうゆうのでは
ないです。本人の表面的な美しさと、内面の深さ、存在感で舞台を形造っているものですから。
団体名は、魚類の薔薇 と申します。最近は「劇団」の冠は外しております。
どうもその言葉から連想される空気に違和感を覚える作品を創っているな、と思いはじめたので
…それはさておき、その1・桜桃(さくら・もも)25歳、5年間位ずっと私のミューズです。
全くの未経験だったことが信じられない位の舞台度胸。引きずり込まれるでかい目とよい声、
小さい身体に凝縮された光をもつ、看板女優。次回は少年役です。
その2・みずたまり(新人)19歳、最近余所のワークショップ会場で見つけてナンパしたのです。
見た目超癒し系美人、そのくせ芯の通った気の強い娘です。感受性がすごく豊かで言葉を愛してくれる。
きらきらするビーズのネックレスのように繊細。次回が初舞台、闇の少女役。どう育つのか楽しみ楽しみ。
ちなみに公演は11月24日、鬼ばばDueにて。くわしくは告知の方を御覧ください。
[2001年10月4日 10時20分40秒]
お名前: アイドル評@太田
演劇ファンさんが、どういうタイプの役者さんのファンなのかわかりませんが、私・太
田の場合は、HNに「アイドル評」とある通り、若手の女優さんを主な得意分野としてお
ります。そういうわけで、これから書くお勧め役者さんは思いっきり偏っておりますので、
もし、演劇ファンさんが、大人・ベテランの味のある演技をなさる役者さんをお捜しでし
たら、どうぞ僕の意見は無視していただいて、他の書き込まれる方の御意見を参考になさ
いますよう、お願い申し上げます。
僕の場合、お勧めの役者さんはたくさんいるのて、全部の方を紹介すると、とてもじゃ
ないけど書ききれないというところがありますので、とりあえず直近で、今週の週末にあ
る「宮城県高校演劇コンクール・泉宮城野地区大会」(10月6〜7日、仙台市青年文化
センターシアターホールにて開催)から、3人ほどピックアップさせていただきます。て
いうか、今の僕は、週末のこのコンクールのことで頭がイッパイなので・・・。
・佐々木麻衣さん(白百合学園演劇部3年、6日土曜日14:40より出演)
・亀 歩 さん(泉松陵高校演劇部3年、7日日曜日10:00より出演)
・小畑奈々絵さん(仙台育英学園演劇部1年、7日日曜日11:10より出演)
サマイさん(佐々木麻衣さんの愛称)は、去年のコンクール、今年の、劇団@ドットコ
ムの旗揚げ公演とで2度、お芝居を拝見しているのですが、とても高校生とは思えない、
大人の雰囲気を持った役者さんです。ものすごくアンニュイなオーラを体中から発散され
ていらっしゃる方で、プライベートでお会いしても、とてもファッションセンスが抜群!、
いつも圧倒される思いがいたします。しかも、二枚目な役だけではなく、ギャグのセンス
も上手。今年のコンクールでは、「何でも望みを叶える魔物」役で出演とのこと。きっと
大人の雰囲気を漂わせた、カッコいい魔物であることでしょう。
亀ちゃん(亀歩さんの愛称)は、なんといっても、去年のコンクールで、たった3人の
部員で、一部下馬評ではほとんどノーマークだった松陵演劇部を、なんと東北大会まで進
出させ、「ミラクル松陵」「奇跡の松陵」の名を一部で高らかにした、松陵演劇部のエー
ス女優さんです(ここで書いている「一部」とは、全部私・太田とその知人友人関係のこ
とです)。
彼女の役柄は、とっても元気のいい女の子なんだけど、その元気のよさに、どこか健気
さが隠し味として垣間見え、それが泣かせる持ち味となっているところでしょう。小柄な
体を縦横無尽に動かしてで、いつも一生懸命!という言葉が本当に似合う女優さんです。
最後の小畑奈々絵さんは、まだ1年生ということもあり、顧問の渡部先生から、「まだ
推薦するには時期尚早」と、お叱りをいただきそうですが、まあ、「先物買い」というこ
とで、ご容赦いただければと思います。
小畑さんを見たのは、今年の春の育英単独公演「眠れる森の死体」での、麻酔医役だっ
たのですが、とても1年生とは思えないような、大人っぽい演技ぶりで、やはり思わず目
を引き付けられてしまったのでした。
先に挙げたサマイさんも、僕は大人っぽいと形容しましたが、サマイさんの大人っぽさ
が、アンニュイさだとすると、小畑さんの場合は、むしろ「シニカル」という言葉が似合
うような気がします。それは、手術医としてはワキ役であると自分では思っている麻酔医
というところから来る役作りなわけですが、それがとてもハマっている微妙な微笑ができ
ていたんですね。
今度のコンクールでも医者役ということなので、やはり今からとても期待しているとこ
ろなのでした。
[2001年10月3日 1時39分53秒]
お名前: 演劇ファン
これから仙台で、色々演劇を見たいと思います。
お気に入りの俳優を教えて下さい。(所属劇団も)
よろしくお願いします。
[2001年10月2日 15時32分52秒]
お名前: KIT URL
下のサイト、札幌江別近郊演劇情報
の管理人氏よりメールをもらいました。
> あ。もうかなり一段落してしまいました。でも
>あれこれ他所のお知恵も借りたいので、書き込み
>も歓迎の方向でかきまわしもあおってもらってい
>いっす。
とのことでした。
札幌圏には仙台の演劇人フォーラムのような団体がないので個人の
努力で運営しているサイトです。
[2001年9月22日 9時59分58秒]
お名前: KIT URL
こういった件について、この談話室でいろいろ発言があったと思いますが、
札幌近郊の演劇関係者やお客も色々考えているようです。
札幌江別近郊演劇情報内の談話室 「SaEKinフリートーク」 で最近
あった議論が読めます。他の地方の人たちが考えていること、意見の出し方、
いろいろ参考になるかも知れませんよ。一度読んでみたらいかがでしょうか。
(いきなり乱入したらあちらもびっくりするでしょうから、静かに読んでみる
だけにしておいた方が良いかも知れません。)
…これって告知板のほうが良かったかな?
[2001年9月21日 0時9分15秒]
お名前: 今野信一 URL
度々すみません。
復旧しました。
皆様のご来場をお待ちしています。
[2001年9月18日 20時11分45秒]
お名前: たかはしみちこ
おもしろい試みだとおもいます。
復旧次第、読んでみたいとおもいます。
[2001年9月18日 11時48分40秒]
お名前: 今野信一 URL
只今、サーバーのシステム異常のため下の書き込みのURLからは
脚本を読むことが出来ません。この書き込みのURLからは
何とか読むことが出来ます。システム復旧次第またお知らせします。
れぽさん、管理人様ありがとうございます。
それではご感想・ご意見お待ちしています。
[2001年9月18日 0時52分45秒]
お名前: 井伏銀太郎
れぽさん、ありがとうございました。
ご意見を募集するなら、こちらで結構です、おもしろい試みですね、
今後このページでも、仙台の劇団の脚本を載せていきたいと思っています。
現在、シナリオガレージというページに、
http://www2c.biglobe.ne.jp/~taone/scenario/index.html
がらくた本舗 升 孝一郎さんの「ワガクニ」
劇団猫原体の第4回公演で使われた いしどおたいち作
Analog Note 〜次は宇宙の中心で会おう〜
が掲載されています。
[2001年9月14日 1時1分46秒]
お名前: れぽ
大変面白い試みだと思いますが、
今野さんはここの掲示板で意見を求めるおつもりですか?
内容的に告知板に移動なされた方がよろしいんでは・・・。
とお節介ながら思ってしまいました。
あえて、意図してここに書き込んでいらしたらごめんなさい。
私もナインゲージさんの作品を見たことがあります。
次回作、期待してますね♪
今日は読んでいられないので、感想は後日にでも。
失礼しました。
[2001年9月14日 0時42分20秒]
お名前: 今野信一 URL
劇圏ナインゲージ代表・今野と申します。
当方ホームページでは次回第五回公演(今年度内予定)
「第146番ウォータ=パライソ」の未完成脚本を掲載しています。
皆さんの意見、感想を頂きたく書き込みしました。
筒井康隆氏の「朝のガスパール」において試みられている
読者、観客との対話を目標としています。
皆さんの意見を反映・考慮させて頂き、
書き直し又、結末を決定したいと思います。
どうぞホームページにおいで頂いて一読されることをお願いしたい所存です。
[2001年9月13日 20時14分53秒]
お名前: 早瀬 俊 URL
色々ありがとうございます。アンケートひとつ書くのも意外と皆さん相手がどういうものを
求めているか気遣って書いているんですね。
自分はどうもがさつなせいか「正直に何でも書く」ことが誠意だと思っていたのですが、確
かにケースバイケースであることはよく分かりました。
であれば、アンケートに、「厳しい劇評を書いて下さい」と入れた方が皆さんも書きやすい
のでしょうね。また、厳しい劇評を求めるならそれにふさわしい芝居をやらなくては、という
ご意見。ごもっともで、胃が痛くなりました(苦笑)。
アンケートはあくまでも参考にはしますが、それによって芝居をアンケート結果よくなるよ
うに変えるつもりは勿論ありません。ただし、色々な人の観方や考え方を知ることは大切だと
と考えています。
そして、やはりいい芝居やって、次回も観に来てもらう。これが最も大切ですね。
改めて思い直しました。ありがとうございました。
[2001年9月7日 23時46分8秒]
お名前: 草芝居
> それからアンケートを書く方で、あえて厳しいことを書かないようにしている方も大勢いる
> と聞きましたが、それはやはり気を使ってのことなのでしょうか?それ以外に理由があれば教
> えて下さい。
舞台を見て「この人たちは批評を求めていないな」と感じる時は誉め言葉だけ書きます。
お稽古不足がはっきりわかるとか役者に舞台に対する真剣さが見られないとか、そんな時も誉
めるだけ。
そいういう劇団さんには舞台に立つことを楽しんで欲しいし、良いところを伸ばして欲しいか
らです。
もし本当に厳しいアンケートが欲しいのなら、厳しいアンケートを書いてもらえるような芝居
をすることではないでしょうか? 私はそう思います。
どんな先生だって、好い加減にえへらえへら笑って流している生徒には本気で指導したくはな
いでしょう。
「この劇団は真剣にやっているな」「お客さんとの対話を求めているな」そう感じれば真剣な
アンケートも書きたくなるというものです。
中傷と感じる言葉の中にも真実はあります。中傷の中にこそ、かもしれません。
言われてムカつくことほど真実だったりしますよね。
首をひねるようなアンケートがあることは否定しませんが、玉石混合のアンケートの中から玉を
見極めて拾える能力があるかって事も、役者さんとして大切なのかなと思います。
変なアンケートに気を取られて振り回されて怒っても、上達しないでしょうから。
[2001年9月7日 13時33分3秒]
お名前: れぽ
私もアンケートには思った事をストレートに書きません。それはこれを打ち上げ後に読むんだ
ろうなと思えばこそ、遠慮しているというのもあります。ただ、私は劇を批評しに見に行ってる
訳ではないので、基本的にお疲れ様としか書かないというのが率直な理由ですね。ただ批判を書
くときは自分の名前をしっかりと書きます。それは自分の作っているものに自信があるというわ
けでは全くなく、それが劇団に向けて批判する時の責任かなと思っているからです。(劇評は劇
団向けての批判ではないので匿名でいいと思ってます。)
私は演劇は上演しっぱなしで、客がどう感じたかを求めて公演を打つわけではないと思ってま
すので、アンケートが作品に繁栄されなくても、そもそもアンケートなんだから読み流してもら
っても構わないものとして書いています。ただ、アンケートという形でお客の感想・意見を求め
ているんだろうなと思うからこそ、不快な表現を避け、率直な意見をオブラートに包んで書きま
す。(矛盾してます(笑))
私個人の考えでは、芝居のうっぷんをアンケートにぶつけるのは最低で。もうその劇団は見に
行かないという態度で十分な気がします。お客は様で、明らかにありがたい存在ですが。はらっ
た時間とお金に見合った作品を見せるという意味で。劇団に応えてもらえば十分で。私はそれ以
上劇団側にへりくだってもらう必要はないと思っています。
最後に、私の意見はアンケートに対して私の意見を述べたわけで、不特定の劇団のアンケート
を指しての発言ではない事をここに断っておきます。内容がそぐわない場合は削除して下さい。
失礼しました。
[2001年9月7日 0時31分58秒]
お名前: あんもないと
早瀬氏の書き込みを見て思い出したことがあります。
以前劇評バトルの私の文章を読んだ方から頂いたメールに
「あなたの文章は論者として弱すぎる(偽善的だ)」という一文がありました。
たぶん私が、書き直しをやっている間に、言い回しを選んで論点をぼかしてしまうから
なのでしょう。それは、ネット上で書き込んだ文章がどこの、誰に読まれているかわか
らないということから、出来るだけ誤解がないようにしたいという考えがあるからです。
そういう意味では、アンケートの文章の方が、簡潔(なんせ、退場時間内に書くのですから
)でわかり安いものが多いかもしれません。(あくまで私の場合ですが)
ネット上での文章は直接はなすのと違い、細かなニュアンスが伝わりにくいところがあります。
「むかつきました」などの一言ですませて、本人は軽くきつめの台詞のつもりでも、
誰かが読んで、ぎょっとするようなことは多々あります。
アンケートにしろしかりです。そういう点では私個人は柔らかな表現をつかいがちです。
しかし、「酷評」と「中傷的な文章」とを、読み手も劇団の方も一緒くたにしていると感じる
ことがあります。もちろん、書いている人も表現に気をつけるにこしたことはないのでしょうが。
そこらへんが難しいところですね。
早瀬氏の答えにはならず失礼しました。
[2001年9月6日 22時14分29秒]
お名前: 早瀬 俊 URL
仙台で今年、劇団を結成した者です。まだ、劇団結成から間もないし、たった1回しか公演
を行っていないのですが、他の劇団の皆さんや、アンケートをお書きになる方にお聞きします。
まず、私は個人的には酷評ほど大切にしようと思っています。アンケートだと大多数が「よ
かった」とか「面白かった」とかと書いてあるのですが、どうも本当だろうかと疑いを持つこ
とが多いもので。
たまに酷評があると緊張して読めます。今回も特に演技に関して率直な批判をいただきました。
仮に自分達が意図的にやったことでも、観客の皆さんが素直に受け入れられなかったとした
ら自分達のやり方に問題がなかったか検証する必要があります。今回は実際自分でまあまあと
思っていたところに大きな落とし穴があったことに気づかされて、大いに反省しました。
また、前回の公演では「この芝居は観ていて気分が悪かった。客に対する嫌がらせですか?」
なんていうのもあったのですが、こういったものを見ると観客がどういうものを求めているか
一概には言えなくても参考になります。
向上心のある劇団にとっては、酷評こそ宝物だと思いますし、自分もそうありたいと願って
います。
ある劇団では、「酷評は無視することにしている」というのも聞きました。自分達の信じて
いることを多少の意見で曲げたくないというのも分るのですが、アンケートを書いた方にして
みればどういう気持ちになるのでしょうか?
それからアンケートを書く方で、あえて厳しいことを書かないようにしている方も大勢いる
と聞きましたが、それはやはり気を使ってのことなのでしょうか?それ以外に理由があれば教
えて下さい。
いずれにせよ、「劇評が劇団を育てる」という意味から言っても厳しい劇評を大切にしなく
てはいけないし、その劇団のために厳しい劇評や感想を書くということは大切だと考えるので
すが・・・。厳しいことを書きにくい雰囲気は絶対に排除しなくていけないのではと思うこの頃
です。
フォーラムでは私が何か書いても皆さんあまりレスしてくれません。(ひがみかな)私は自
分の意見が間違っていればすぐに反省する人間なので、ぜひ私の意見に対して鋭い指摘をお願
いしたいと願っているのですが・・・。
以上、大きな独り言でした。
[2001年9月6日 15時28分57秒]
お名前: 井伏銀太郎
今引っ越し準備中ですが、貴重なご意見ありがとうございます。
「観客席」のガイドラインを製作中なのですがご意見お願いします。
ガイドライン
「観客席」
劇の内容と全くかけ離れた感想、明らかなひどい個人攻撃、特定個人のプライベートな部分への
誹謗中傷などがあった場合、削除します(メールのある方には連絡の上)
速報性は重視しますが、まだ公演中に書き込みするときは、どんでん返しや、ストーリー、
ネタがばれる恐れのある部分については、書き込みの冒頭で断って書き込んでいただけたらと思います。
寸評でも結構ですが、他の感想、劇評に対する意見は
一言レス(一言での否定など)はやめてください。
論には論で返してください。
このページはあくまで一個人の責任の感想、劇評であって、いかなる権威もありません。
一観客の意見、感想、劇評と考えていただきたいのです。
(しかし自由に不特定多数の方が見れるというところがありますので、他の投稿者、読者、または対象の劇団
にたいして、個人的にマナーを守って投稿して下さい)
[2001年9月7日 13時20分30秒]
お名前: あんもないと
れぽさん、KITさんがおっしゃるように、ツリーでは細分化されて全体像が見えにくい
という点がありますね。
途中から見た人には話題に入りにくい、とっつきにくいという点も。
私は掲示板というと、ツリー形式オンリーか、劇評バトルのようなタイプ、両方を二窓で見る
タイプしか使ったことがないのですが、ほかでそれぞれの欠点を補うようなものってあるん
でしょうか。
また、私も書きましたが、れぽさんの
>ねたばれあり、なし、や、肯定派、否定派
を表記するのも一案ですが、肯定派・否定派を明示すると、意見が二分にしかされなく
なるおそれがありますよね。今の劇評バトルもそうですが、応答が一対一になりやすい・・・。
(ネタばれあり、ナシの表記はまた別ですが)
雑多でいいから多くの人が参加できる形での掲示板ってほかにもありそうなんですが・・・。
[2001年9月7日 13時7分13秒]
お名前: KIT
ツリー形式、私も面白いと思います。
ただ、よく見るツリー形式の掲示板は元の発言から一部だけを抜き出して
枝が発生したりするので、ややもするとミクロの水掛け論や揚げ足取りの応酬
に陥りやすいという特徴があります。
大切なのはどう運用するかってことですよね。
それから「劇評の掲載時期について」すれっどで井伏さんが書かれていた
「観客席」構想に賛成です。私はバトルって名前には引っかかりを感じていまし
たので。
[2001年9月7日 12時42分12秒]
お名前: れぽ
すみません。下の補足します。
時間が不鮮明:書いた時間は表示されるんですが、ツリーの場合は書き込みがどれに対する返事かを
重要視するため、どういう順番で書かれたか、一見分かりずらい。という意味でした。
[2001年9月7日 0時7分10秒]
お名前: れぽ
私はツリー形式に少々疑問を抱いています。確かにストーリーに触れているのか、いないのか
は分かりやすくなると思いますが、ここがバトル形式で運営されている場合は、バトルを複雑化
すると思うからです。私が劇の感想を述べる際は、総合的に感想を言い合います。例えば照明的
に問題があっても、それを演出効果でカバーしているとか。色々相互に関係していませんか?あ
と、ツリー形式は書き込んだ時間が不鮮明になる事も気になります。また、ツリーの場合はいく
らでもスレットがたつので、最初から5つも6っつもたったら読みにくくてたまりません。私は
あんもないとさんが書き込んだとおり、ねたばれあり、なし、や、肯定派、否定派なんてのを最
初に選択する欄をだす事で解消されると思っているのですが、いかがなもんでしょう。
[2001年9月7日 0時3分37秒]
お名前: 井伏銀太郎
ご意見ありがとうございました。
ただいま引っ越し準備中なので参考にします。
ただ、掲示板は普通のHTMLとはちがいCGIを使った物なので、
ただいま勉強中です。
もうすぐ引っ越しますが、新しい劇評コーナー「観客席」は
準備ができるまでは、しばらくこのままで、
準備が整い次第変えたいと思います。
[2001年9月6日 19時6分39秒]
お名前: キャスター
私も、この議論を興味深く見ていましたがツリー型にするというのは
とても素晴らしいと思います。他のスレッドでも論戦があるようですが
その劇団の劇評を見ようと思ったときに全部が展開されるのはちょっと嫌ですね。
書いた人や内容によっては読みたくない劇評、読みたいなという劇評あります。
だから読み手に選択の自由をあってもよいのではないかと思いますね。
やはり書き手だけでは成立しないのが文章ですから…。
ちょっと演劇をかじった私にはツリー型という提案は嬉しいです。
[2001年9月6日 12時35分50秒]
お名前: たかはしみちこ
なるほど…
それは面白いかもしれないです。ツリー形式。
わたしも賛成です。
管理人の井伏さん、どうおもわれますか?
[2001年9月6日 12時1分18秒]
お名前: あんもないと
とんびさん、ありがとうございます。
自分で提案していてなんですが、イメージが湧かずにいましたが、なるほど書き込み題名が
分かれば脚本(ストーリー)について、舞台美術についてなど一つの芝居に対して複数の部門
での劇評(感想)が読めますね。
個人としては、実はツリー形式は馴染みにくい部分もあるのですが、ツリーでの表示と、全体で
の表示が出来ればなお、使いやすいかと思います。
(よく見に行く恐怖体験談掲示板(笑 がこのスタイルで検索も使えて非常に読みやすいですよ。)
[2001年9月6日 11時2分32秒]
お名前: とんび
お初にお目にかかります。
いつもこのウェブページを拝見させて頂いていますとんびと申します。
このようなことは管理人の方の仕事とは思いつつ、色々な意見が出たほうがいいのでは
ないかと思い、投稿します。
私は「劇評の掲載時期について」のスレッド内にあるあんもないとさんの意見に賛成で、
書き込みの題名が表示されるツリー形式など、それぞれの書き込みのテーマや主旨が簡単に
分かるようにするといいと思います。
書き込みの中には劇評の根拠を示すために分量の多くなってしまいっているものもあり、
それによってテーマがボケてしまっていて誤解を受けてしまったり、本来の主旨とは別で
あると思われる個所に対する反論によって、お互いに感情的になったりする事もあるように
思います。テーマや主題を明示する事により、そのような状況を防ぐ事ができるのでは
ないでしょうか。
また、ツリー形式のような形態を採用すれば、一つの芝居の劇評に対して複数のテーマを
それぞれのテーマ別に論じ合う事も容易になるし、ストーリーに関係してしまう劇評
(最近多い気がします)を、まだ観ていない人が見てしまう(一種のネタバレ)も
防げると思います。
テーマや主旨を題名と言う形で明示し、複数のテーマについて分けて書けば、それぞれの
テーマについて深く論じ合うことができ、劇評バトルの本来の目的にも添うと思うのですが、
いかがでしょうか?
[2001年9月6日 0時47分49秒]
お名前: 管理人井伏銀太郎
川島さんから返答が寄せられましたので、こちらはページが
重くなってきたので、新に「劇評倶楽部って何?第2」
を立ち上げましたので、そちらにお書き下さい。
[2001年10月7日 16時15分25秒]
お名前: 管理人井伏銀太郎
ここまでの議論を、川島さんに郵送しましたので、川島さんのご意見は
もうしばらくお待ち下さい。
それまで自由に書き込んでいただいて結構です。
[2001年9月27日 1時30分14秒]
お名前: ペッパー
うーん、色々な考え方がありますね。
私も、行かないのならそれなりに連絡を入れて欲しいと思いますね。自分だったら何かしらきつくても批評を
聞きたいと思いますし。行けないなら、電話一本いれるとか。ただ、佐々木さんはあれだけ、謝っておられるのに、
会長さんがああいう風に逃げるのは、嫌ですね。だったら初めから自分が見に行きたくないのは行きません。って
書いて欲しいし。「ななしさん」だって、行けない事を怒ってるわけではないと思いますし。
佐々木さんはこちらにはあまり書き込みしないんですね。最近名前をみてなかったので。今回の事で
わかったので良かったんですが、このページを見てるだけだと、休んでるようにしかみえなかったです。
劇評してる人も、大変だなぁと思います。でも、会長さんの書いている文ってほとんどがっかりですね。
自分の見たいものを(出来れば、ただで)見て、自分の意見を、自分の良心に基づいて、言いたいだけ言う。
でも、お金は貰ってない、ただの倶楽部だと逃げる、、、。これはずるいと思います。チケット一枚買って
もらうのって結構大変ですよ。送るのだって80円はかかるんです。
確かに見たくない作品も、自分のジャンル(?)に合わないものも有るでしょうが、自分が書けるだけの物を
書くというのが「誠実」なのではないかなと思います。(特に招待状を貰うなら)
最後に話はずれるかもしれませんが、「匿名」ということについて。私も匿名希望ですのでお茶会には
出席できません。自分の文章には責任を持っているつもりですが(短気な所はいつも反省)、はっきり
いって、会長さんは恐いです。信念を曲げないって感じがしますし。前に読んだものに、「先生なのに」
とか、「フォーラムの会長なのに」的な文章がありましたから。劇に対する評価ではなく、そんな風に
言われるとつらいですね。自分が誰なのか分かった時に、自分だけでなく「劇団」の方に鉾先が向いても
困るので。(技術もないくせにとか。言い掛かり付けてとか)
長くなりましたが、私も何人かの方が書かれていた様に、別に「この倶楽部」がなくなればいいと思っている
わけではありません。これを「言い掛かり」ととるか、「痛いけど良い意見」ととるかで、だいぶ変わってくると
思います。「劇評」と一緒で。ここに書いた方はほとんど、お互いに良い方向に行けるようにと書かれていると
思います。敵ばかりではありません。どうぞ、その真意をきちんと受け止めて下さい。
[2001年9月25日 23時53分55秒]
お名前: 美遥世
川島さん、肩に力を入れずに、無理をせずに活動して欲しいです。
19日の川島さんの書き込みは決してコドモのケンカには見えません。むしろ、
大学の講義を90分受けているような、自然な気持ちでそのご意見読ませていただきました。
共感できる部分もあったり、自己に問うように「そうなのか…な?」と疑問を持ったり。
どんなご意見も私を触発するほどの高い意識から発せられるものなので、その存在は
私からすれば貴重に感じます。3年前のような大病を患ってなければよろしいのですが。
劇評はどんな方のも読むのは好きです。読み手からすれば、逆にこの批評なさる方が
どのような趣味嗜好がある方なのかを推察したり、誰が好きなのか、どのくらい時事に
通じているのかが分かって、「私はどんな感想を持てるかな」と試しに観劇に行くこともたまに
あります。批評が酷いものならば、「それなら面白そう」と勇んで出かけることもあります。
「全然あの批評は違うじゃない、来てよかった!」と思うこともあります。
酷く批評されているものほど観たいという、コワイもの観たさの物好き性格は否定しません。
感性が違う他者は他者ですし、批評は参考にしかしません。本気でお怒りになるという方々は、
きっと、頑張ったことは褒めてもらいたいという幼稚性をはらんでいるのではないでしょうか。
こんなふうに書く私も酷いバッシングの言葉を受け取った経験があります。演劇経験者です。
でもそんなに腹は立たなかったです。芸術性を高めることを優先している身としては、
『そんなこと』に屈服してしまう弱い自分ではダメだと思えて仕方がないからです。
むしろ、ムッとしたら自分のエネルギーに変化させたいと思っています。川島さんを
傷つける人間が多いとおっしゃるならば、やはり文化の向上よりも自分が可愛い人が
多いという証拠ではないでしょうか。そこに何が生まれるのでしょう、果てしない課題ですね。
劇評を続けるのが大変になることは、劇評倶楽部を立ち上げた時点で予測すべきことの
一つであったでしょうが、ならば月一にとか、書き手を交替しながらとか、この劇団担当は
この方で、とかのなんらかの策を用意して、継続はして行ったほうが良いです。応援します。
相撲のニュースレポーターは本人にインタビューなどして体調の良し悪しも考慮しながら
対戦の模様を報道しますよね、それを盗んで、批評などの中に裏側事情も取り込んだりすれば、
劇団さんにも読者に対しても、身近な存在としてもっと距離が近くなり、このような
弁明ばかりの事態に行き着くこともなくなるのではないでしょうか。あくまで提案ですが。
なんにしても、川島さんの文章からは本当に疲れている気配がしてきますので、案じています。
元気で頑張って欲しいと思います。(私は川島さんとは面識がありません、悪しからず)
[2001年9月23日 19時22分49秒]
お名前: 劇団CUE 森 和彦 URL
川島さんが提示された仙台劇評倶楽部設立の目的は「その一つは演劇人の良心を標榜し、
公正中立な劇評を目指すことです。またもう一つは、仙台演劇界の発展に寄与するために
劇評以外の活動もすることです。」ということでした。つまり、仙台演劇界をリードする
存在たらんことを宣言したと考えていいと思います。しかし、実際には「招待券を送った
のに来てくれない」「有名な劇団ばかり劇評しているのではないか」等の様々な意見が出
てきており、果たして活動がその目的にふさわしいものであるのか、それが多くの方々に
とって問われていると思えます。多くのご意見は、この「公正な劇評」「仙台演劇人の良
心」という目標に対する期待があったことと、それが履行されていないのではないかとい
う不満が感じられたからです。
私は一個人が、あるいは一サークルが自由な劇評活動を展開している以上、招待されて
も行くことができなかったり、そういうことが起きてくることはやむをえないと思います、
その辺の厳しさについては川島さんも述べられている通りで、よく理解できるものです。
また、場合によっては個人的な趣味や趣向の色濃く反映された劇評が出てくるのも、その
個人なりサークルなりの特色なのだから良いと思います。
しかし、仙台演劇人の良心を標榜し、中立公正な劇評をめざすという目的を掲げてある
以上は、それはまた話が別になるのではないでしょうか。
たとえば川島さんは次のように書かれています。
>例えば、前述したような笑いだけを狙った漫才、劇画と見間違うばかりの恰好良さ、唯々
>スピード感を与えようとするスポーツ狂、そしてこうした見せることへの技術だけを志向
>する人々に私の声は届かないでしょう。現実に、彼らはこうした技術をマスターすること
>が演劇に対して一生懸命努力していることなのだと誤解しています。
これを「誤解」といいきる根拠を示さないのは、その根拠が川島さんにとって自明なこと
だからでしょう。しかし、これを自明と感じることのできない人もまた多いはずで、私も
その一人です。川島さんは何か絶対的な信念を持って演劇に接していらっしゃることはこ
こからもわかるのですが、そういう信念にたって、劇をその信念から近いか、遠いかだけ
で判断することが果たして公正といえるのかという問題が常についてまわると思います。
川島さん個人がこのようなご意見を展開されることはまったくのご自由ですが、川島さん
は必ずどこかで「公正」「良心」という視点をそこに入れていらっしゃいます。つまり、
劇評倶楽部の目的が「公正な劇評」「仙台演劇人の良心」である以上、上記引用のような
ご意見ももまた「公正」な見方に基づいたものだという読み方をされかねない。私がなん
どか川島さんに対して議論を御願いしてきたさまざまな問題も、つねにこの点が引き金に
なっているような気がしているのです。極端な話ですが、公正だなんだと言わす、堂々と
「これは俺の意見だ、文句あるか」と言ってくれるなら、それはそれでいいのですが。
「仙台演劇人の良心」「公正な劇評」を看板にされている以上、「ちょっとまって、それ
は違うんじゃないの」といいたい気持ちを押さえられなくなります。
これは次の問題にもあきらかです。
せっかく招待券を送ったのに(その結果現金収入が減るという演劇関係の方のご意見があ
りましたが、それは痛切に理解できます)個人の都合で来れないとはどういうことか?と
いう苦情がありました。これは、一個人として自由に劇評をしている立場の人には決して
寄せられない苦情だと思います。多くの反論を寄せられた方も、全ての芝居を見て劇評を
することの困難さは容易に理解されているはずです。しかし、劇評倶楽部の目的が前述の
ようなものである以上、多くの劇団はそれ以上のものを期待するのは当然ではないでしょ
うか。
たとえば、川島さんは招待券を送られても行かない理由の中に次のようななことがある
と書かれています。
>「原則的ですが、明らかに私たちの演劇とは異なる漫才や落語、或いは面白おかしくする
>ことだけを狙った公演や催しには参りません。演劇とは何か」と言った命題を忘れている
>ような気がします。従って抵抗の意味を含めて、此の手のご招待にはご返事も出さず参加
>しないようにしています。但し、それはこのような芸術を否定しているのではなく、演芸
>の別のジャンルの芸術だからです。ですから私もそれを目的としてそのような演芸を見に
>行くことはあります。
>公演の内容を観劇しなくても予測出来る場合です。
>佐々木氏は「仙台で心から良いと感じた演劇はない」と述べられておりますが、これは余り
>に極端ですが、基本的には共鳴しています。そして幾ら劇評しても改善の兆しすらない状況
>に困惑しているのです。
また、有名な劇団の劇評が多いのではないかという疑問については次のように書かれています。
>仙台全ての演劇を鑑賞することは不可能ですから、必然的に前公演での評価を基準として観
>劇する傾向にあります。そしてたまたまその中に高名な劇団が多かったと言うことでしょう。
上記のような意見も、本来であれば「見方の一つ」と尊重すべきものかもしれません。しか
し多くの方が期待している「公正さ」がここにあるのかということが大きな問題なのではない
でしょうか。 「私たちの演劇」と違うから劇評しないというのが公正なのでしょうか。勝手な
予測で劇評をするしないを決めるのが公正といえますか。前公演の評価を基準として劇を見な
いことが公正なのでしょうか。これは公正であるどころか、「バイアス(偏向)」以外の何物
でもありません。ましてやこれが仙台演劇の良心たりえると本当にお考えなのでしょうか。
川島さんにはぜひ気づいていただきたいのですが、多くのクレームを寄せた方々は、川島さ
んを否定しているわけではない。劇評を強要しているのではなく、怠慢を責めているのでもな
く、劇評倶楽部が無意味だと言っているのでもありません。あなたの訴える「公正さ」が本当
に成り立つのか?それに疑問を提示しているように思えてなりません。
繰り返しになりますが、本来「忙しいから劇に行かない」のも自由でしょうし、「あいつは
嫌いだから絶対に見に行かない」もアリでしょう。招待券など送るほうの勝手、行く行かない
は俺の勝手というのもいたく正当な意見です。ただし、川島さんの提唱された目標をもう一度
見直していただければ、川島さんたちがそういう意見を述べられることで、憤慨したり、話が
違うと思われる方が多くでてくるのも当然ではないでしょうか。
川島さんが岸田戯曲賞の作家の名前を知らなかった点を指摘された方も、川島さんがある劇
団をさして「日の当たらない無言劇」と書かれた点に対して、言い方を訂正すべきだと主張さ
れた方も、一見あげ足取りのように見えるかもしれませんが、そのお怒りは当然だと思います。
仙台の演劇人の良心を標榜する人が、公正な劇評を追及しているという人が、そんなことをし
ていていいのか・・・こういう感想をもつことはごくごく自然なことではないでしょうか。
以上から、私は「公正な劇評」「仙台演劇人の良心」という目標が現実的でないのではとい
う点を申し上げておきたいと思います。仙台劇評倶楽部の存在は決して不要ではないと思いま
す。ただ私は、劇評倶楽部もまた一つの劇評サークルとして、自由きままに劇評を発表する中
から、仙台の劇評を活性化する方向を模索したほうがいいのではないかと思います。公正な劇
評といいますが、私はそれは「多くの主観を提示しあう場所をしっかりと確保すること、そし
て最終的な判断は読み手にゆだねること。そういう環境を総合的に整えること」以外にありえ
ないと思っております。
川島さんの理想も、なかなか個人的な事情や時間の制約、経済的問題で実現が難しいように、
仙台の演劇人の多くも、同じような問題に直面しながら、それでも劇を作り続けています。で
すから、川島さんだけがこのような問題に直面しているわけではありません。現状にあきれ、
絶望し、自粛するなどと言わずに、川島さんにも一個人の立場として、ご自分のご意見を思う
存分に述べられたほうがいいのではないかと私は思っています。
[2001年9月23日 14時48分13秒]
お名前: 管理人井伏銀太郎
下の佐々木さんの書き込みで誤解が解けたようなので再び書き込みます。
(佐々木さんありがとうございます)
太田ファン1号!!さんへ
川島さんは観劇モニターの責任はちゃんと果たしています。
観劇モニターの条件は、すべての衝劇祭の公演を無料で観劇できる。
(これは東京の黒テントさんも協力していただきました)
見たい公演をご覧になって、書きたい公演の劇評を2本以上
1200字程度で書く、というものでした。
川島さんは「未来樹シアター」と「劇団麦」の劇評を2本書いていますので、
観劇モニターの責任は果たしています。
それに劇評は書いていませんが、公開劇評会ではご覧になった公演は各劇団に
色々ご感想を言って下さいました。
川島さんは下の書き込みで、見たい劇団だけ見て、自分が「私たちの演劇」と
判断できないものは見ないし、招待に対しても全てに対処することは不可能だと
書かれています。
劇評倶楽部は現在このページで不特定多数の劇団の方に招待の依頼をされています。
もう一度劇評倶楽部のページを確認して下さい。ページより抜粋
[無料招待券を貰うのって、如何なの?]
厳しいところを突かれました。確かにそれは劇評の中立性を疑われることに繋
がります。でも余りにたくさんの舞台を観劇するため、全てを有料で観劇する
ことは不可能なのです。例えば無名の小劇団などはなおざりになりがちです。
でも其処にも素晴らしい演劇が上演されている筈ですし、そういった演劇は自
費で観劇し劇評しているのです。
[劇評を依頼したいときはどうするの?]
下記の所へ連絡ください。一人でも複数でも出かけて行きます。
[会員同士で観劇したりするの?]
全員に演劇無料招待券が配られたとき等は、みんなで観劇して劇評しあいます。
劇評倶楽部に招待券を送れば観劇して批評していただけると言う誤解を生みかねません。
それがトラブルの元になっているのでは無いでしょうか。
川島さんが、下の書き込みで、前公演の判断で十分な結論を出せる、公演の内容を
観劇しなくても予測出来るとしているなら、川島さんが前もって見たいと判断した劇団に
個別に直接招待依頼をなさった方がよろしいのではないでしょうか。
そうすればせっかく招待券を送ったのに、連絡も無しに観劇に来なかったというトラブルは
避けられると思います。劇団関係の方いかがでしょうか?
ご意見をお願いします。
[2001年9月23日 12時16分33秒]
お名前: 訂正依頼
下の書き込みを見て驚きました。川島氏の
無言劇で余り日の当たらないとされた「鳥の庭園」
というのを訂正していただけないでしょうか、「鳥の庭園」は無言劇ではありません、
西瓜さんの舞踏公演をすることはありますが。基本的にセリフはあります。
「奇妙な果実」もちゃんとセリフがありました。
しかし「日の当たらない」という表現はあまりに失礼ではありませんか?
鳥の庭園ファンより。
[2001年9月23日 0時7分45秒]
お名前: 太田ファン1号!!
実名で投稿できないのですいません、でも匿名だから本音が言えるということで許して下さい。
太田さんの劇評はすごく偏っています。でもそれを認めているところが好きです。
自分が公平中立などと言わずに、ご自分の劇評の立脚点を明確にしているからです。劇評ではなく
アイドル評でしたね。(笑い)
どんなつまらない公演の中からも、カルト的なおもしろい点や、良い女優(女優だけのところが凄
い)を必死で探そうとしているからです。
私達の劇団は衝劇祭に参加しました。普段は評論家の人達には、下に書かれているもしもしの高
橋さんのように招待状は送っていません。
お金を払って見ていただいて、一般のお客さんと同じ立場で見ていただきたいからです。
(生意気言ってすいません)
今回、衝劇祭に参加するにあたって、プロデューサーの井伏さんから、観劇モニターのお話を聞き
ました。まあ演劇祭でもあるし、色々な意見を聞けるのもいいいし今回だけは良いかなと思い、
10名分の招待券を事務局から出していただきました。これって私達のような(弱小劇団?)にと
っては、一度に10名よけいに招待をするというのは以外と大変なんです。その分現金収入が減る
からです。
川島会長は下の文章で、書き込みを自粛していると書いていますが、色々ご意見を聞きたくて無理
して招待したのに、劇評を自分の都合で勝手に自粛するのはどういうわけでしょうか。
劇評倶楽部の会長として劇評を自粛したり、個人的に劇評を自粛するのは勝手ですが、会長は観劇
モニターですよね。それなら何故観劇モニターになったのですか?他にも色々公演を見て劇評を書
きたい人はいたと思います。それなら他の人に権利を譲るとかしたほうがよかったのではないでし
ょうか、観劇モニターとしての責任は感じていないのですか?
太田さんは観劇モニターとして10本以上書かれてますよね、早瀬さんという方は劇評は初めて
だったみたいだけど苦労してたくさん書いてらっしゃいました。このような劇評を期待していたの
です。(お疲れさまでした。)
劇評倶楽部の熱い思いが劇団に伝わらないと書いていますが、私達のような劇団の思いが劇評倶楽
部の方に伝わらなかったのが残念です。
公平中立って大変だと思います、衝劇祭の未来樹シアターさんの「フローズン・ビーチ」では、ケ
ラリーノサンドロビッチを外人と勘違いして、
> 他に原作者の外人風の名前には苦労させられた。私の勉強不足のため本名を知らないで
> 観劇したのだが、最後まで作品を翻訳物として考えていたためとても苦しんでしまった。
> そしてこれは私の責任だけなのだろうか。
と書いていますが、ケラの本名は私も知りませんが、ケラって岸田戯曲賞作家ですよ。劇評倶楽部
というからには観劇する前に下調べするとかして、仙台の演劇人に笑われないような劇評を書いて
下さい。これって期待し過ぎなんでしょうか?・・・生意気言ってすいません。
劇評倶楽部の小野さんがとても温かい目で書いてくれださったのが救いです。 劇評家の方が厳しい
目で公演を見ているように、私達も劇評を厳しい目で見ているのです。
劇評はアンケートと違ってゆっくり時間をかけて書いて下さるので、とても大切に読んでいます。
太田さんはじめ劇評を書かれている方これからも頑張って下さい。
[2001年9月22日 20時39分18秒]
お名前: アイドル評@太田
僕がこれから書く文章は、先のたかはしさんの御意見に対する僕の見解なので、たかは
しさん自身が「争点とずれている」と書かれている文章へのレスですから、やはり当初の
議論内容からは、かなりずれたものになるとは思います。しかし、それでも内容としては
「仙台劇評倶楽部」に関わりのある文章を書かせていただきますので、なにとぞその点を
御容赦いただければ、と思います。
川島氏が、今回たかはしさんが書かれたとおり、「仙台の演劇の向上を目指して」仙台
劇評倶楽部を立ち上げたのは、僕もよく承知しております。ただ、僕の場合、まさにその
「向上を目指す」ことに違和感があったからこそ、現在に至るまで「仙台劇評倶楽部」に
参加していない、ということもまた、今まで何度も申し上げたところでございます。
当ホームページのバックナンバー欄に、管理人さんのご厚意により、僕の劇評を集めた
コーナーがございますが、そこでの自己紹介欄に、なぜ僕が「仙台劇評倶楽部」に参加し
ないかについて、理由を書いております。長くなりますが、引用します。
「太田は劇評を書く理由を『自分の中にある業』と考えている。つまり、作家には本来、
自分の中に『書きたい』というやむにやまれぬ創作意欲があり、それが作品を生みだして
いることと同様に、劇評を書く人間も、自分の内面に『書きたい!』という欲求があるか
ら書くものであり、それがたまたま物語という方向に行くか、批評・感想という方向に行
くかは、本人の得手、不得手の差であるという考えを持っている。従って、『劇評を書く
者が仙台演劇界の良心を標榜する』ことは、必ずしも必要なことではなく、むしろ、相対
的価値観たるべき劇評に、絶対的『正しさ』という下駄を履かせる危険性や、『業』に過
ぎない劇評を、『良心』という名の偽善と化する問題点があると考えている。太田が仙台
劇評倶楽部に属さないのは、上記の理由からなのである。」
もちろん、川島氏のように、「良心を標榜する」ため、「仙台演劇界の向上を目指す」
ため、劇評を書かれる方が中にはいらっしゃってもいいとは思います。しかし、劇評を書
く人間がみんながみんな、川島氏と同じ考えで劇評を書いているわけではない。むしろ趣
味で文章を書きたい、ということは、やはり内面のモチベーションという動機のみで書く
ものであろうし、それで決していけないことではないだろう?という思いがあったため、
あえて、ずれた書き込みをした次第です。その点、なにとぞ御了承ください。
なぜこんなことを書いたかというと、後に続く「団結して向上していこう」という御意
見が、僕にはどうも違和感の残るものだったからです。僕は以前にもどこかで、「自分は
各論重視の人間だ」と書いたことがあるのですが、もし、「仙台演劇界の向上」を、「面
白い(人によっては「質の高い」というかもしれませんが)芝居をする劇団が、仙台にた
くさん増えること」と定義するなら、それは個々の劇団が、自分たちの芝居を面白くする
ために、それぞれに磨きをかければいいことであって(もちろん、それは劇評を書く側に
もいえます。いかに面白くわかりやすく、かつ説得力のある文章を書けるか、それぞれが
磨きをかけること)、「団結」をする必要性というものを、僕はそれほど強く感じていな
いのです。つまり、個々の劇団の実力向上→総体としての仙台演劇界の底上げ、という考
えを僕は持っているわけで、そのために「団結」という言葉に、強い違和感を覚えてしま
うのです。
劇団で芝居をしたい!にしろ、劇評を書きたい!にしろ、それってそれぞれの個人が持
つ内面的モチベーションだと思うのです。以前に「劇都を考える」のコーナーで、僕は「町
内会活動はうっとうしい」という意見を書きましたが、「フォーラムの会合に5〜6人し
か人が集まらない。」「各劇団が各劇団でいっぱいいっぱい」というのは、むしろそれら
参加しない劇団の方々の気持ちの方に僕はシンパシーを持ってしまうし、「いっぱいいっ
ぱい」に各劇団が、それぞれの自分の芝居の向上に力を割いているのなら、それは結果的
には会合に参加しなくても、仙台演劇界の向上に寄与している、と僕は思うのです。
つまり太田という観客にとっては、「フォーラムの会合やシンポジウムに積極的に参加
するが、実際の芝居はつまらない劇団」よりは、「会合やシンポジウムにはろくに参加し
ないけど、面白い芝居をたくさんする劇団」の方が、より望ましい劇団なのです(もちろ
ん、「会合に出席してなおかつ面白い劇団」や、「会合に出席しないでなおかつつまらな
い劇団」もありますから、一概にこの2パターンだけしか存在しない、とはいいませんが)。
もう一点。インターネットとお茶会の違いについてですが、僕にはインターネットでは
言いづらいことが、お茶会なら言える、という考えには、違和感を持ちます。
これは、現在たまたまインターネットが主流となっておりますが、要は「文字を媒介と
して議論」することと、「直接会話をして議論」することとでは、どちらがより望ましい
か、ということだと思いますが、僕は「文字を媒介」派です。
なぜなら、「会話」の場合は、相手がその場で言った意見に対して、即座に当意即妙に
反論なり同意の意見を言わなければなりません。頭の回転がいい人ならいいですが、たい
ていの場合僕は、例えば「ム?この意見にはちょっと違和感があるな?」と思っても、そ
の場で即座に反論としての理論構築をするのは難しいです。むしろ、相手の意見が文字と
いう形で示された方が、その文章をじっくりと分析し、なおかつ自分の考えも時間をかけ
て、整理し、なおかつまとめることが可能になる点で、より望ましいと思います。それは、
例えば、自分の意見が思いっきり強い調子で批判された場合にも有効です。こちらも頭に
血がのぼっていると、即座に反論するというのは難しいものです。むしろ、文字という形
で応対する方が、冷静に頭を冷やす時間を作れるという意味でメリットがあります。
インターネットの場合、匿名か匿名でないかを「疲れる」原因としてたかはしさんはあ
げられていらっしゃいますが、「匿名だと誹謗中傷的文章を書きやすい」ということは確
かにあるでしょう。しかし、疲れる内容は、その文章が「誹謗中傷」であることに問題が
あるはずで、むしろ匿名でもしっかりした内容の文章を書かれる方も中にはいらっしゃい
ますし、逆に実名でもひどい文章を書く人は書くものです。その意味で、匿名性が高いこ
とを理由に、インターネットでの議論を忌避することは、僕には正直、納得のいかないと
ころであるのです。
[2001年9月22日 14時36分54秒]
お名前: たかはしみちこ
えーと…したの書き込みは、随分争点とずれていたかと思いますが、
なにが言いたかったのかと言いますと
劇評される側もする側も、仙台の演劇をよくしようと思っていることには変わりない
と思いますので、ここでこういう風に劇評倶楽部にたいしての疑問点が解消したりする
ことは、今後の活動にとって意味のある事だと思いました。
[2001年9月22日 0時41分38秒]
お名前: たかはしみちこ URL
なんだか場違いの書き込みかもしれませんが(最初の「劇評倶楽部って何?」から
は大きく外れていますので。)少しわたしなりに意見を持ちましたので、
書き込みさせていただきます。
わたしは演劇をする側の人間ですので、こちら側からの意見しか言えませんが…
下の劇評倶楽部の会長である川島さんの書き込みや、佐々木さんの書き込みをみまし
て、わたしも誤解していた面がたくさんあったことが分かりました。
劇評される側である私たちの側も、ときには謙虚に受け止めるという姿勢を忘れて批判
されると頭に来てしまうことが確かにあります。しかし、彼らも仙台の演劇の向上を目
指して、一緒に、批判される痛みに耐えながら頑張っているのだということを忘れてい
ました。
わたしは、劇団も仙台というところでやっている以上、団結して向上していこうと一緒
に考えて行かなくてはならないと考えています。それが、演劇人フォーラムという
団体にもなっているんだと思います。素晴らしい試みだと思います。毎月会合もやって
いるそうですが、現実は、会合に5〜6人という現状らしいです。わたしは会員ではあ
りませんが2・3回お邪魔したことがあります。毎回同じメンバーで、毎回「もっと人
が来ないと話にならない」という話が出ていました。この話は管理人である井伏銀太郎
さんが別のところで提案していましたから分かると思います。
川島さんの言われる通り仙台の演劇の向上という意味では満足のいくようにはやれてい
ないのが現状です。各劇団が各劇団でいっぱいいっぱいで、他のことには全く無関心に
なりがちであると思います。まずこちらは劇評を書かせたい劇団にならなければならな
いし、頑張っていれば、耳にも聞こえ、観劇していただけるとおもいます。
わたしは、特に招待券などは送付いたしません。それは、お金を払ってでも見たい劇団
になりたいと思っているからです。なかなかなれませんが…何年でも頑張るつもりで
います。
インターネットへの書き込みはたしかに気軽にできます。
ここの管理人である井伏さんが一生懸命そのように頑張っておられると思います。
しかし確かに名前を名乗らない方へ書き込みは大変に疲れます。相手が見えないから
です。必要以上に批判の方が多くなってしまうものだと思います。川島さんが最後に直
接あってお話しましょう、ということはそういうことだと思います。質問した方が
そう言っている以上はぜひ疑問をもったかたはお話を伺いにいったほうがいいと思いま
す。もしくはお手紙などで…
劇評倶楽部は劇評倶楽部としてきちんと名前を出して活動している以上、ある程度の
責任はとっていると思います。
なんだか思った事をそのまま書きました。乱筆乱文お許しください。
[2001年9月22日 0時34分42秒]
お名前: 佐々木 久善
劇評倶楽部の会長である川島さんが、参加してきたことで少し議論が複雑になってし
まったようですので、まず事実誤認のあるところから確認をしていきたいと思います。
最初に、劇評倶楽部が公演への招待をお願いしたのか否か、という点です。
これは間違いなくお願いしております。仙台演劇人フォーラムの会報やこのページを
通じてお願いしているのです。理由としては、できるだけ多くの公演を観るためです。
各会員のポケットマネーで観ることのできる公演の数は限られてしまいます。
私自身、年間に100を超える公演を観れば20万円以上は使います(本当は50万
以上かかる年もあります)。これを仙台の演劇を育てるための必要経費と考えるか、
バカな道楽と考えるかは、いろいろと意見があるとしても、劇評倶楽部の会員全員にこ
れだけの出費を強いることができるのか、どうか、という議論があって、少しでも負担
を軽減し、お互いに多くの公演を観ることができる環境を整えよう、という意図で行っ
たものです。
結果として、ご招待をいただいた公演については、会員が鑑賞し、例会で議論の対象
となったりしております。
ただし、それ以外の公演の鑑賞については、全て会員の任意に委ねられることとなる
ため、観た、観ていない、という議論以前の問題となってしまっております。
私個人としても、観たくない劇団の公演というものがありますし、毎月の支出を鑑み
て、鑑賞を諦めることもしばしばあります。
仙台の演劇の動向を記録していこうとするときに、こういうことは絶対に望ましくな
いことなので、それを避ける意味での依頼であったと思っております。
残念なことに、その意図は一部の劇団の方にしか理解していただけなかったと思いま
す。
そして、私が非常に申し訳なく思っているのは、そのご理解くださった劇団の公演に、
ただ一回とはいえ、お伺いできなかったことがあったということです。
(本当はもう一つ遠方過ぎて伺えなかったこともありますが)
先に、書いたことの繰り返しになりますが、本当に申し訳なく思っております。
さて、ここから先は、私の本音になりますが、このページに書き込まないと活動停止
というのは、このページが広く認知されてきたことの結果であるとは思いますが、その
他のメディアでの活動が多い私には、随分と悲しい現実であると思います。
「仙台タウン情報」や「河北新報」などの他にも、私が編集の方の多大の好意でもっ
て続けさせていただいている「仙台っこ」のように地道なメディアが存在しています。
経済効果という面からみれば芝居の記事の連載なんて旨味があるはずもなく、それを
長年続けさせてくれているというだけで、私は感謝しておりますが、これが全く周知さ
れていないとなると、今後は如何なるのか、少し心配です。
[2001年9月21日 22時34分34秒]
お名前: ?っ?
あらあら。何かすごい事言っちゃったみたいですね。
川島さん、あなたの年齢はわかりませんが、
大学を出ている以上それなりの年齢なんでしょう?
「答え」の中に「社会人として〜」という文章がありますが
あなたの言っていることもななしさんの言っていることも、
中身は違いますが同じだと思いませんか?(ななしさんすいません)
文章を読んで「怒」の感情はとても伝わってきます、が
もっと何か違う伝え方、言いまわしがあるんじゃないでしょうか?
別に川島さんの事を責めているわけじゃありません。
私はどちらの意見ももっともだと思います。
ただお互いケンカ腰ではなく意見を言い合えば先に進めるのではないかな
と思います。
今のままだとちょっと知識のついた子供のケンカか
頑固なおじいちゃん同士のケンカで終わっちゃいませんか?
また余計な事を言ってしまいました…。
[2001年9月20日 18時23分21秒]
お名前: 管理人井伏銀太郎
川島さんにお答えします。
>また管理人さんは、恰も私たちがこの方に直接招待を依頼したと
>誤解されるような書き方をなさっていますが、これは問題があります。
>それは一年以上前の倶楽部発足当時、会員の経済的負担を軽減する目的で
>不特定多数の方々にお願いしたことであって、間違ってはおりませんが
>正確ではありません。
先の下の文章で、私は
>仙台劇評倶楽部のお知らせの中で、劇団に無料招待券交付を
>お願いしている
と言う事実を書いただけなのですが。
それのどこが誤解を生むのでしょうか?
もう一度劇評倶楽部のコーナーを確認して下さい。
これは川島さんの文章をそのまま載せているものです。
劇評倶楽部はこのホームページを通じて、招待券の依頼をしています。
(これは不特定多数です。)
仙台の劇団に対しても直接、演劇人フォーラムの月報やEメールで
何回か招待状の依頼をしていたのではないでしょうか?
これは不特定ではなく、特定する仙台の劇団だと思います。
その月報やメールを受け取った劇団側からすれば、劇評倶楽部から直接
招待券の依頼があった、とするのは当然ではないでしょうか?
[2001年9月20日 2時12分9秒]
お名前: 仙台劇評倶楽部代表 川島文男
2001年9月14日
御質問へのお答え
暫く書き込みを自粛していたのですが、本月八日、管理人さんより以下の質問が届いて
いるので返事を出して欲しいとの要請があり久しぶりに書くことに致しました。質問が多岐
に渡りますのでかなりの長文となりますが、今後も自粛を続ける積もりなので我慢してお読
みになって戴きたいと思います。また御質問の文書は原文のままと致します。
「一」九月五日及び六日付 ななしさんへの返書。
「1」「劇評倶楽部つて何をしてるとこなんですか」
「お答え」・お答えする前に、貴方は佐々木氏に「初めは随分えらいことをかかげて立ち上
げているんだから、演劇人に何か言われたからといって急に弱気になるのもどんなものかな」
と述べておられる。と言うことは、倶楽部の事情を少しはご存じなのに何らかの意図をもっ
て御質問をなさっている。また私たちの倶楽部を侮辱なさった言い方をされているのも気に
なりますが、この欄をご覧になっている他の皆様のためにお答えします。
私たちは二つの大きな目的を持っております。その一つは演劇人の良心を標榜し、公正中
立な劇評を目指すことです。またもう一つは、仙台演劇界の発展に寄与するために劇評以外
の活動もすることです。
「2」「今は活動が休止中なんですか?」
「お答え」前述した通り、暫く書き込みを自粛していたので尤もな質問だと思います。お詫
び致します。お答えを以下の「A」「B」「C」の三点に纏めました。
「A」疲れきってしまったと言うことです。
これでは納得していただけないとは思いますが、いつわざる感想です。私たちは仙台の若い
演劇人のためにより良い環境を次代へ残そうと考えておりますが、現実には、余りに報われ
ない徒労の毎日に深い挫折感を味わってしまったのです。しかし、これは会員が佐々木氏と
二人になってしまったこととは関係ありません。以前から会員数が問題なのではなく、「劇
評の質」こそ重要だと主張しておりますし、佐々木氏の優秀な劇評眼にも満足していますの
で二人で十分役割を果たせると思っています。しかし、問題は私たちの熱い思いが仙台演劇
人に伝わらないと言う「いらだたしさ」なのです。勿論、その責任の大部分は私にあると思
いますので批判は甘んじて受けなければなりません。しかしどうあれ、意欲のなくなった者
に劇評することは出来ません。そしてその原因については書くのが馬鹿馬鹿しい程の内容な
ので省きます。
「B」同じ内容の劇評を継続して書かなければならない辛さです。
私は仙台の劇団が抱えている問題は、大凡「書き手」と「演出」の未熟さにあると確信して
います。そして中でも「書き手」に重大な欠陥があると思います。またこれから述べる私の
主張には異論の方も多数居られると思いますので、一般論として聞いて戴きたいのですが、
「書き手」にはそれまでの人生で積み重ねてきた経験や鋭い洞察力が必要です。また社会に
対する批判の目や芸術に対する深い造詣がなくてはなりません。しかしそうした経験や資質
のない若者が余りに多くの戯曲を乱創し、極めて稚拙な演出で彼らの友人たちの将来を希望
なきものにしているように思えるのです。しかも優れた先達たちは遠ざかり、見て見ぬ振り
する自分たちの利害だけを追求する先輩たちが席巻し、惨憺たる状況を呈しているのです。
そしてこうした私の主張は芸術に対する弾圧だと罵られ、「自由な芸術」の美名の元に混乱
に陥れられているのです。しかしこうした環境では役者がどんなに素晴らしい演技を試み、
舞台美術家がどんなに立派な装置に挑戦しようと、観客の視線に耐えられるような作品を生
み出すことは極めて困難です。現実に多くの劇団は恰も何かに追われるように年に数度の公
演を行ない、役者の二股出演を許し、時として台詞すら入ってない舞台を観せています。
またスタッフの場合も同様で、脱兎のごとく諸劇団を掛け持ちして約束をこなし、創造的な
舞台装置を見ることなど凡そ不可能なのです。更に書き切れないほどの悪弊が生じておりま
すが、こうした現実を目にした時、私たちの劇評に対する意欲は益々萎えてしまうのです。
つまり皆さんの舞台を劇評する以前に、皆さんの演劇に対する真面目な姿勢が感じられなく
なり、それでもなお殆どの劇団に共通した同じ趣旨の劇評を書き続けねばならない辛さが極
限にあると言うことなのです。
「C」またもう一つの問題は、皆さんは余りに身勝手だと言うことです。つまり社会の中の
一員としての自覚が足りず、自分とか自分たちの劇団に関しては誠に真剣なのですが、仙台
演劇界とか仙台に住んでいる人々については殆ど無関心です。そしてこうした自己中心的な
考えは公演会場で集めた劇評だけを信じ、他の意見を聞き入れようとしない現象にも表れて
います。つまりその内容は誉め言葉で満たされ、世界の名優ともなれる内容なのに「これは
おかしい」と言った疑問も持たなくなってしまっているのです。そしてその劇評家「?」の
実体は、関係者の親戚や知人で占められ、しかも高校生や二十代の演劇を知らない若者たち
が殆どです。これが仙台の演劇は高校演劇と何ら替わらないと言われる理由なのです。
また九月二日に私が進行役をした「劇都を考える討論会」では、某演劇人が「オペラの予算
は多額なのに私たちの演劇予算が極めて少ないのは何故か」と言った質問を「青年文化セン
ター」演劇振興係の只野係長にしました。ところが氏に「予算は議会で決定する」と一蹴さ
れてしまいました。私たちはこの回答をどのように受け取ったら良いのでしょうか。私は皆
さんに考えて戴きたいのです。十一年前に僅か二十五のグループで始めた「仙台ジャズフェ
スティバル」が、今年は二百九十ものグループが参集して盛大に行なわれ、しかもその中に
は私たちの演劇グループも参加していたことを。私たちは考えなければなりません。
その成功の陰にピンクチラシの撤去や西町公演のトイレ掃除まで行ない、社会への貢献と
融合の中に自分たちの主張を通そうとしている涙ぐましい努力を。それでも私たち演劇人は
高額な予算を要求し、立派な劇場を建てよと要求出来る程の努力をしていると言えるのでしょ
うか。私は思います。演劇の発展に永い道程を要するなら、過去にはあった希望が失われつ
つあるいう点で、今の仙台演劇界は間違いなく後退期に入っていると。
「3」「名前が売れているところしかみにいってないのかなぁ」
「お答え」質問の一部は事実だと認めますが、大半は誤解です。
事実だと申し上げた点は、高名な劇団を観劇する機会は多いと言うことです。何故なら、仙台
全ての演劇を鑑賞することは不可能ですから、必然的に前公演での評価を基準として観劇する
傾向にあります。そしてたまたまその中に高名な劇団が多かったと言うことでしょう。
しかし、昨年私たちの実施したプレ演劇賞では、無言劇で余り日の当たらないとされた「鳥の
庭園」の女優さんを最優秀賞に選びました。そしてこれは貴方の主張する意図とは明らかに異
なります。また御質問を私なりに分析すると、私たちの活動が権力に偏っているのではないか
と疑問を持たれているようですね。でもそれは全くの偏見で、むしろ貴方たちの「演劇人フォ
ーラム」への不参加などが権力の横暴を許してしまう原因になりかねないことに気付いておら
れません。つまり、私たちの活動への批判はあって当然だし健全だとは思いますが、また仙台
演劇界全体を憂えて批判するのなら結構ですが、自己や自分たちの劇団を中心に据えて批判す
るのなら許せません。
「4」「倶楽部の人同士で意見が違う事も無いのかなぁ。よくわかんないです」
「お答え」この劇評欄同様、私たちの劇評はどのような場所でも、「これでは拙い」と思うぐ
らいそれぞれの意見が分かれており、御質問の根拠が見当たりません。また意見の対立のない
ところは余りに危険ですし、劇評は存在しないとさえ思っていることを書き添えます。
「5」「知り合いが全員に招待券送ったけど誰も来なかったし、その後何の反応もなかったっ
て聞いて・・」
「お答え」この質問には疑問を感じます。まずは貴方が当人ではないこと。聞いた話であるこ
と。対象となる公演が特定されていないこと。また貴方が感じているほど御当人は怒りを感じ
ていないようであること等のためです。これだけ不確かな条件で仮に貴方が私たちに謝罪しろ
と仰るなら、またこれだけの条件で私たちが謝罪したとしたら、それは早計だし適切とは思え
ません。しかし念のため、仰る通りだとしたらその方に深くお詫び致します。そして今後のた
めに以下の「A」「B」「C」「D」の四点を申し上げます。
「A」原則的ですが、明らかに私たちの演劇とは異なる漫才や落語、或いは面白おかしくする
ことだけを狙った公演や催しには参りません。
最近、こうしたものでも演劇の範ちゅうだと誤解なさっている方が多いようですが、「演劇と
は何か」と言った命題を忘れているような気がします。従って抵抗の意味を含めて、此の手の
ご招待にはご返事も出さず参加しないようにしています。但し、それはこのような芸術を否定
しているのではなく、演芸の別のジャンルの芸術だからです。ですから私もそれを目的として
そのような演芸を見に行くことはあります。
「B」公演の内容を観劇しなくても予測出来る場合です。
佐々木氏は「仙台で心から良いと感じた演劇はない」と述べられておりますが、これは余り
に極端ですが、基本的には共鳴しています。そして幾ら劇評しても改善の兆しすらない状況
に困惑しているのです。勿論、私も出来るだけ多くの公演を見ようとはしてますが、今程度
の演劇なら前公演の判断で十分な結論を出せるでしょう。
「C」佐々木氏は一月より先月までに五十回もの公演を見たそうですが、これを八カ月で割
ると月に六回以上の計算となり頭の下がる思いがします。しかしこれほど観劇をこなす努力
をしていても、なおかつ貴方が指摘するように本人の日常生活を曝け出して弁明しなければ
ならないような非難を受けるのです。つまり、皆さんの公演は年に二回であっても私たちに
とっては毎週のことなのです。まして劇評することが職業ではありませんしそのための報酬
も得ておりません。従って如何に好きとは言え、また一部の皆様からの招待状があるとは言
え、大切な時間や出費の殆どを自前でこなし、更に非難される謂れは何処にあるのでしょう。
貴方の質問中「劇評倶楽部なのだから・・」と言う文書がありますが、「劇団なのだから必
ず公演しろ」と言われたら如何しますか。
「D」観劇しない場合は連絡をすべきではないかとのご指摘。
前述した通りです。しかし全てに対処することは不可能だと言うことをあらかじご了承戴き
たいと思います。現在でも、知人とか直接依頼された場合は出来るだけのことはしておりま
すし、見覚えのない方々からの突然のご招待に全て叶うようなことはお約束出来ません。
また管理人さんは、恰も私たちがこの方に直接招待を依頼したと誤解されるような書き方
をなさっていますが、これは問題があります。それは一年以上前の倶楽部発足当時、会員の
経済的負担を軽減する目的で不特定多数の方々にお願いしたことであって、間違ってはおり
ませんが正確ではありません。また貴方は倶楽部発足に尽力し、月例会にも欠かさず出席し
て御招待券を戴いている立場なのですから、余り他人のような言い方をなさると違和感を覚
えます。
「6」「如何して会員の人が減ったのか、演劇人から攻撃されていると感じるのか」
「お答え」・如何して倶楽部内部のことをそこまで突っ込んで質問なさるのか理解出来ませ
んが、姓名を名乗らず、何でも自由に質問できるインターネット活用の悪い例だと諦めてお
答えします。
勿論、佐々木氏も述べられたように私たちへの攻撃は日を追って強くなっております。しか
しそれは知名が認識され始めた証とも解釈されますので、私の場合それほど大きな問題とは
なっておりません。そしてこれはインターネットを持たない良点でもあり、劇評すると決め
たときに覚悟していたことですから。しかし会員が減少してしまった理由について言えば、
女性会員に関してこのことは大きな理由の一つになっていると思います。また小野氏が退部
した理由についてですが、今回のバイク事故が日をおかずして二度目であったこと。また本
人退部申し出の少し前、私の替わりに倶楽部代表をお願いしたことも原因の一つと考えられ
ます。とは言え最も大きな要因は、私の指導力不足にあったと思いますし非難されても結構
です。
「7」「劇の感想を言い合うだけでなく、劇評の書き方について論じてって欲しい」
「お答え」・この質問も額面通り素直に受け取ることは出来ません。つまり、純粋に書き方
を論じろと仰っているのか、それとも他人を劇評する前に自分たちに劇評する力があるか考
えてみろ、と仰っているのか判断がつきません。そして前者なら、この欄で語るのは不可能
であることを認識して戴きたいと思います。余りに大切な議論だし、余りに膨大な時間を必
要としますからこの欄で十分な議論をすること等不可能です。また後者であるなら、私たち
は劇評の専門家ではありませんし[参考・管理人さんは「劇評家」という文字を多用してい
ますが、私はこうした質問が出ることを懸念して何度も「家」と言う文字は使わないよう要
請しているのですが、納得して戴けないようです]、劇評を好きで行なっている同好会です。
従って専門的知識を持ってる者も居りませんし、今後も不快な思いをさせることがしばしば
あると思いますのでお許し願いたいと思います。[参考・私は明治大学の演劇科を卒業し、
東宝芸術座の演出家の元で演出と役者の勉強を少々踏まえましたので少しは経験者と言える
かも知れません]
「二」九月六日付 れぽさんの御質問へ。
「8」「劇評倶楽部のメンバーに書き込んで欲しいとねがっている者の一人です」
「お答え」この書き込みは私たちにとってほっとする大変有り難いメッセージです。
しかし前述した理由で、以前と同じような劇評を継続することは困難となってしまいました。
勿論、書きたいと思う気持ちは今でも変わりませんし、今後も変わらないでしょう。しかし
書くことが正しいとばかりは言えなくなってしまったのです。恐らく、この文書も誤解して
読まれる方が多いと思いますし、どんなに注意して書いても読み手にその心がなければ同じ
ことなのです。そしてその原因は「私たちの演劇とは何か」と言った問題を議論していない
ことの一点に尽きます。例えば、前述したような笑いだけを狙った漫才、劇画と見間違うば
かりの恰好良さ、唯々スピード感を与えようとするスポーツ狂、そしてこうした見せること
への技術だけを志向する人々に私の声は届かないでしょう。現実に、彼らはこうした技術を
マスターすることが演劇に対して一生懸命努力していることなのだと誤解しています。そし
てこれは演劇に関する知識の豊富な先達が極めて少なく、彼らに何も教えなかったことを示
しております。もしそうした先達の指導を一度でも受けていれば、彼らは全くの別人になり
うる可能性を占めているのです[私自身も同じような経験があります]。
また私の投稿しないと言う決心が、仙台演劇界発展の進捗に水を差すことにならないかと
の危惧は持っておりますが、全く書かないと言うわけでもありませんし、御要望があればそ
の都度判断して対応したいと思います。ただ、今は永い道程の中で、暫く冷却期間を持つの
も大切なことではないかと考えているのです。どうぞご了承ください。
有り難うございました。
「後書き」
れぽさんが仰っていたことに便乗しての提案ですが、もし私の意見に興味をお持ちになった
方々が居られるなら、演劇全般を話し合うお茶会を持ちたいと思います。人数が少なければ
どこかの喫茶店で、多ければどこかの会場を借りて行ない、正しい仙台演劇界にするための
火種になりませんか。現状では各々の劇団が孤立し、それぞれの主張を繰り返して先行き不
透明です。つまり、観客が満足する演劇を実践するには、劇団単位の勉強ではどうにもなら
ず、個人の能力を発揮して結集するしかないのです。
私への連絡先 TEL211ー1719
[2001年9月19日 22時37分35秒]
お名前: ななし
? っ? さん、すいません。昨日書いた時、管理人さんのしかのってなかったんで、また、きつい書き方しました。
今みて、ちょっと汗が、、、。ちなみに、前出の知り合いはそんなに文句をいってたわけじゃありません。ただ
聞いた時に個人的に頭にきたんで。まわりでがんばっている人はたくさんいるし、結構厳しい事聞きたがるし。
そういう人達を無視した感じとか、みた人が難しい事は書けないからって劇評を書かなくなったって話も聞いて
そこまでいうなら、書いた事は責任もって実行して欲しいって気持ちで書きました。 やっぱ、偉そうですね。
すいません。
[2001年9月8日 1時49分40秒]
お名前: ななし
言いたい事は管理人さんが答えてくれたので書きません。劇評倶楽部のとこをみてもらえば、ちゃんと書いてありますよ。
フォーラムへの劇評の書き込みも書いてあるし。演劇人だって真面目にやってるんだから、劇評家にもそれに答えて欲しい
って思うのは駄目な事ですか。何かあると仙台の演劇人は〜って言う前に、その辺も少し考えて欲しいっていうのが
正直なところです。(そんな事いくら言ったって良い方に変わんないだろうし、それこそ誤解されるだけだと思うんで)
[2001年9月7日 1時20分38秒]
お名前: ?っ?
管理人さんありがとうございます。
劇評倶楽部側から招待券を求めていたのですね。
知りませんでした。ななしさんえらそうにな事言ってすいません。
しかし、このコーナーのテーマとは関係ありませんが、
仙台の劇団というのは、私のわかる限り、
趣味の劇団が多いみたいですね。それともここがそういうところなのかな?
[2001年9月7日 0時24分14秒]
お名前: 管理人井伏銀太郎
劇団側にとって劇評家に招待券を送るかどうかは自由だと思いますし。
劇評家にとっても招待券をいただいたからといって劇評を書くのは
自由だと思います。
しかし仙台劇評倶楽部のお知らせの中で、劇団に無料招待券交付を
お願いしている以上、せっかくいただいたのに観劇出来なかった時は
それなりの挨拶を劇団にすべきだと思います。
劇評倶楽部の要請に基づいて色々意見を聞きたくて招待しているのに
劇評を書く書かないは別として、観劇もしない、挨拶もないでは
なんのために要請に応じて招待したのか分からなくなるでしょう。
そうしないと、招待券をもらうのは当たり前と誤解されると思います
[2001年9月7日 0時8分36秒]
お名前: ?っ?
はじめまして。まず管理人さんへ
テーマと関係ないかもしれないのでそう思ったら消してください。
ななしさんへ 「劇評を書いてもらう事を前提に招待券を送ってる」
ってあなたは何様ですか?(すいませんきつい言い方で)
もしななしさんと劇評倶楽部の方が知り合いなら余計な口出しかもしれませんが。
私は別に観に行けなかったからといって、フォローも必要ないと思いますよ。
馴れ合いじゃないんだから。ななしさん(の友達?)は劇評が欲しいと
言っている以上遊びで演劇をしているわけじゃないんでしょう?
だったらななしさんの言っている事はあまりに子供な意見じゃないですか?
これ以上は説教っぽいと思うので書きません。
でもそんな事理解できない、とかもっとわかりやすく書いてほしい
なんて意見があったらまた書き込みします。
[2001年9月6日 22時41分33秒]
お名前: ななし
返答ありがとうございます。でも、やっぱり納得いきません。招待券については、劇評を書いてもらうことを前提に
送っているんだから、行けないならそれなりに後でのフォローが必要かと思う。(ここで言い訳する前に)
それに初めは随分えらいことかかげて立ち上げているんだから、演劇人に何か言われたからといって急に弱気になるのも
どんなものかな。どうして会員の人が減ったか、演劇人から攻撃されていると感じるのか、もう少し考えて欲しいと
思うし。劇評倶楽部というなら、劇の感想を言い合うだけでなく、劇評の書き方についても論じてって欲しい。
いろいろ書いたけど、別になくなって欲しいとか、辛口をなくせといってるわけじゃない。厳しくてめちゃくちゃ書かれても
愛情感じる、信じれるって人いますよ。憎まれても良いものをつくってって欲しいからって書き続けてるなら、ちゃんと
みてる人まわりに増えると思いますけど。
[2001年9月6日 15時47分46秒]
お名前: 佐々木 久善
今朝に引き続き、書かせていただきます。
その前に、ななしさんの書き込みにあった、倶楽部のメンバーが誰も行かなかった
公演の件は、私自身、反省しております。
当日は(2日の公演があったわけですが)、初日は佐沼の登米祝祭劇場での芝居と
時間が重なっており、また二日目も広瀬文化センターでの舞台技術アカデミーの公演
と時間が重なっていたために、行きませんでした。この日は自動車で移動ができれば
行ったり来たりはできたはずですが、我が家には車が1台しかなく、妻が用事で使用
していたために、行くことができませんでした。
もう少しきちんとフォローをしておくべきであったと深く反省しております。
ということで、劇評倶楽部の成り立ちについて、少し書かせていただきます。
もともとは、仙台演劇祭での劇評モニターをしていたメンバーが、その活動を継続
して行うために組織したものです。
最初は女性も含めて5人ぐらいいましたが、次第に脱退する方が出てきて、今は会
長の川島と私の二人だけになってしまいました。
朝に書いたトラブル(くわしいことは興味があればお答えしますが、今は省略しま
す)から、仙台の演劇人は本当は評価なんて全然求めていないのではないだろうか、
と思い、インターネットへの書き込みを少し自制しています。
実際、何の権限があって人の芝居を評価するのか、と言われたこともあり、仙台の
演劇人は傷付き易い人が余りに多いと思い、正直な意見を書き込める気分にはなかな
かなれないというのが、今の気持です。
本当の気持を書き込んで、後を引くのは、自分自身であることに気がついてしまっ
たというところでしょうか。
今年も50本以上の芝居を観ましたが、本気で惚れ込んだのは、残念ながら仙台の
芝居ではありませんでした。
観て、すぐ評価、という状況は仙台では、人を見ないとまだまだダメだと思います
ので、私としては、活字のメディアでの仕事が多くなってしまいます。
不思議なことに、こちらには過激な手応えというものが全くないのですね。
先にも、書きましたように、倶楽部のメンバーも二人だけになってしまいましたの
で、この先、どのようになってしまうのか、不透明な状況です。
ただ、私自身、仙台劇評倶楽部のいいところは、芝居について愛情と知識のある人
たちが、ざっくばらんに意見を交換することができることだと思います。
人それぞれ、意見は異なり、平行線ということも間々ありますが、それでも同じ芝
居について、真っ向から議論する「場」として倶楽部が存在することは、面白いこと
だと思います。
[2001年9月6日 0時25分15秒]
お名前: れぽ
私も劇評倶楽部のメンバーに書き込んで欲しいと願っている者の一人です。今の書き込みは太
田さんが多くを占めていますよね。私は太田さんの書き込みが好きなのですが、その理由は立場
が見えるところにあります。一般的な劇評と太田さんの劇評の違いは太田さんが中立を気取って
いないところにあるのではないのでしょうか。しかし、私には残念ながら他の劇評倶楽部の方の
お芝居の好き嫌いが見えません。私も芝居を少しかじっているのですが、余り満足行かなかった
作品を語るのは好きではありません。しかし、それを語らない事により、いいとしか見えてこ
ず、その人が本当にその作品をいいと思っても、世間のいいという考えに便乗しているようにか
思えません。
また書き込みの少なさから太田さんの劇評が、図らずとも大きな影響力を持ってしまい、作り
手が一個人の劇評に一喜一憂するような事になってしまうのではないのでしょうか。太田さんは
このまま書き続けて頂いていいんです。ただ、他の方々も自分の好きな演劇のタイプなどを表明
して頂き、あくまで個人の感想でしかない劇評を、偏ってるという前提でばしばし書いて欲しい
です。
そのために劇評倶楽部の方も匿名で構わないのだと思います。匿名でも可でバシバシ倶楽部の
参加メンバーを募集し、より多くの劇評がここに書かれることを望みます。そして、あの人には
いいと書かれなくても、この人には満足して欲しい!なんて感じでここを作り手が意識できる
と、作り手にも良い刺激になるのではないのでしょうか。そんな風に感じました。内容がそれて
いたらすみません。
あと、客がどれほど入っていたかや、自分の立場(社会人OR学生など)からチケット代をどう
感じたかを書き込みの際に教えて頂けたら、制作的に参考になると思いました。蛇足まで。
あと、ご招待券はあくまでご招待なので、来る来ないは個人の自由だと個人的には思います。
ただ、見た作品には短くともコメントをつけて頂きたいです。失礼しました。
[2001年9月5日 23時49分22秒]
お名前: ななし
このページに入っているんで、誤解している人、多いと思いますよ。それにちゃんと接続出来る人がいるなら、その人に
まかせてリンクはってもらった方が良いと思います。名前が売れてるとこって書いたのは、そういうとこにしか劇評書いて
ないような気がしたからです。それに知り合いが全員に招待券送ったけど誰も来なかったし、その後何の反応もなかったって
聞いて、それって失礼じゃないかって思ったのもあったんで。
[2001年9月5日 14時7分53秒]
お名前: 佐々木 久善
劇評倶楽部のメンバーの佐々木です。
発足以来、少しずつメンバーが減り続けて、インターネット環境を整えているのは、
私だけなので、結構、劇評バトルへの書き込みは少ないですね。
具体的な活動は、定期的に話し合いを行い、各々の意見を交換しています。
意見は全く違います。時々、皆でムッとしながら、話し合っています。
私個人としては、昨年、評の内容でトラブルがありましたので、少しこのコーナーへ
の書き込みを自制し、活字メディアでの仕事を中心としています。
名前が売れているところしか…、ということですが、書き込みがないとよくわからない
ですよね。実際には、売れていないところのほうが(行った劇団さんゴメンなさい)
大好きで、入場無料とか千円以内の公演へ足を運ぶことの方が多いと思います。
今朝は、今から仕事なので、また書き込みますね。
[2001年9月5日 6時47分17秒]
お名前: 管理人井伏銀太郎
演劇人フォーラムの中の団体ではありません。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~set/club/club.html
で紹介しています。
衝劇祭のシンポジュウムや公開劇評会を手伝ってもらってます。
劇評クラブの会長はインターネット環境が無いため、すぐには質問に
答えられません。
近日中に答えていただけるように連絡します。
[2001年9月5日 1時31分6秒]
お名前: ななし
劇評倶楽部って何をしてるとこなんですか。演劇人フォーラムの中の団体なんですか?劇評バトルにも
全然っていっていいほど書き込みないし。今は活動が休止中なんですか?それに名前が売れているところしかみにいってないのかなぁ。
って感じだし。倶楽部の人同志で意見が違う事も無いのかなぁ。よくわかんないです。
[2001年9月4日 22時7分9秒]
お名前: FLIPPY
太田さん、ご返答ありがとうございます。
先日の「客観的評価として受け止める」という表現は、少々正確でなかったかもしれません。
むしろ、「それが主観的評価だとは分かっていつつも、大きく影響されてしまう」
と言った方が良かったでしょうか。
人間が何かを知ろうとする場合、手に入る情報を総合して自分の中で整理・分析し、
できるだけ客観的にそれを認識しようとしますよね?
まだ見ていないある芝居について知ろうとする場合、劇評は唯一の情報源です。
それが評者の主観に基づいていると分かっていたとしても
読み手にはそれだけしか手がかりがない訳ですから、
例えば「面白くない」という劇評しか見れなかったとしたら
どうしてもその読み手のその芝居に対する認識は「面白くない」という方向に傾くでしょう。
それは文章読解力のレベルという問題ではなく、必然的なものです。
少なくとも私自身はそうだし、「そうでない」と言いきれる人がいるとは信じられません。
ここで一つ明言しておきたいのは、
私は主観的な劇評を否定しているわけではありませんし、
絶対数が少なかったとしても、どんな酷評であったとしても、少しも問題ないと思っています。
ただ、「公演中の劇評」ということに絞って考えた場合
そこに「観客動員」という要素が絡んできてしまう、その点だけを問題にしているのです。
実際劇評は観客動員を左右する影響力を持っています。
それは、どれだけ「この劇評は『主観的見解』である」と明言していてもです。
下に書き込まれたトワさんのような方もいらっしゃいますし、
これは当然ありうる事です。
僕も「劇評される側」の人間です。
見に来てくれた方からの厳しい意見はいくらでも歓迎します。
ですが、その意見をいただく機会すら失われてしまうのであれば、それは悲しいです。
「公演中の劇評を書くな」と言ったのは言い過ぎだったかったかもしれません。
ただ、公演中の劇評には観客動員という要素が絡んでくるのを踏まえ、
「自分と違う視点で見たらこのような面がある」というような
より客観的(相対的にですけど)で幅広い書かれ方をしていただけたら、と思います。
[2001年9月9日 20時22分10秒]
お名前: アイドル評@太田
FLIPPYさんの御質問にお答えします。
「もし自身の評価が客観的な意見として取られても構わないとお思いな方がいたら、そ
れは思い上がりであり、それこそ『自己満足』だと思います」というお考え、僕も賛成で
すし、実際、僕自身、自分自身の劇評は、あくまで自分の主観に基づいて書かれたものだ、
ということを、今まで何度も劇評の中で説明してまいりました。
ただ、「『間違いではないが正解でもない』はずの1つの主観が客観的評価として受け
取られ、そのような事態が起こるとしたら、それは正当なのでしょうか?」との御意見に
は、必ずしも賛成いたしかねます。なぜならそれって、仙台の演劇ファンは、主観的評価
である劇評を客観的評価の文章と読み違えてしまうほど、文章読解力のレベルが低い、と
いってることと同じではありませんか?私は、仙台の演劇ファンがそこまでレベルが低い
とは思っていないし、劇評を主観的文章とわかりつつ、観劇の際の参考資料として利用し
ていると信頼しているからこそ、公演中の劇評を書いています。
でも、そうはいっても、もしかしたらFLIPPYさんの周りにいらっしゃる友人関係
の方で、「劇評とは客観的文章だと思っていた」とおっしゃる方がいた、という実体験に
基づいて、FLIPPYさんは今回の文章を書かれたのかもしれませんから、ウカツなこ
とはいえないかもしれません。確かに、これだけアクセス数の多い当ホームページですか
ら、中には劇評を客観的文章とみなして読んでいらっしゃる方が、全体の何%かはいらっ
しゃる可能性はあるでしょう。
しかし、そのような実際にどの程度いらっしゃるかわからない方に配慮するために、あ
らゆることを遠慮していったら、今回の事例に限らず、「世の中にはこれこれこういう人
もいるから、この件についてはは遠慮した方がいいだろう」と、次第に遠慮の枠が広がっ
ていって、しまいには、本当になにもできなくなってしまうという危険性がないでしょう
か?そうやって、遠慮の枠を拡大していくことで、劇評を主観的文章とわかりつつ利用し
ている人が公演中の劇評を読めなくなってしまうデメリットの方が大きいのではないか?
と私は思っているのです。
また、もし劇評を客観的文章と勘違いして読んでいらっしゃる人がいたとしても、実際
に太田の劇評なりを読んだ後、芝居を見に行って違う感想を持つことは充分あり得るでし
ょう。そういう経験が重なっていけば、そのような方々も劇評とは主観的文章なんだな、
と次第に気づいていくのではないでしょうか?つまり、そのような方々にも試行錯誤を繰
り返し経験を積んでいくことによって学んでいく機会を提供するという意味でも、劇評は
あった方がいいのでは?と思うのです。
また、「現状は公演中から多くの劇評が寄せられる環境ではない」との御指摘ですが、
今回の衝劇祭は、劇評モニターとして私以外にも10人の人選をしたとうかがっておりま
す。実際、衝劇祭が始まった当初は1つの芝居に、短い期間で5件6件と劇評がついてい
たように記憶しております。しかし、衝劇祭も後半になるに連れ、次第に太田以外の劇評
が書かれることが少なくなってしまった。まあ、これは太田がかなり特殊な人間で、普通
の方は長期間に渡って劇評を書き続けることが苦痛だということなのかもしれません。そ
ういう意味では、衝劇祭の期間を今より短くするなどして、劇評モニターの方が書き疲れ
ることのないような配慮は今後、必要なのかもしれません。
ただ、劇評が5,10と増えていくには、まず最初の1が必要だ、と僕は思っています。
複数ないのなら0の方がマシという考えでは、いつまでたっても劇評は増えていかないの
ではないでしょうか。1があってこそ、次の2,3が生まれる。そうあって欲しいと思っ
て、僕は劇評を書き続けているのです。
[2001年9月8日 16時6分59秒]
お名前: 早瀬 俊 URL
このコーナーができてから、気になっていたことがあったので、ある本を読み返しました。
80年代のものなのですが、芝居の初日(あるいは早い時期)に観てその感想や客席の反応
を、その公演の終了までに公に出すという趣旨の『初日通信』というやつです。
この本を見ると、確かに芝居を絶賛していて、『ぜひ見に行くべきだ』と書かれているのも
あるし、『この芝居は明らかに失敗である』なんていう厳しいものもあります。
ですが、よく読んで見ると、なぜ、失敗だとある劇評家が感じるのかの根拠を明確にしてい
るし、それはあくまでも自分の主観であるから・・・「もしかししたらそれは成功なのかも知れ
ないし、あえて冒険しているのかも知れない」などと・・・逆に、その人が失敗だと思う箇所を
観客がぜひ自分の目で確かめて見たくなるような文章になってることに気がつきました。(全
てではないですがほとんどがそう読めました、)
やっぱり、芝居を作る側としては、たかはしさんの気持ちは理解できます。何が正しいとい
うことよりも最後の舞台が終わるまでの役者の心境というのを劇評家の方は理解してあげてほ
しいと思います。でないとその劇団を、役者を潰すことが目的なのか?と勘違いしてしまうこ
ともあると思います。
『初日通信』読んで思ったことは、基本的には劇団の観客動員に対するフォローと芝居の
見所の示唆であると思いました。そのような、劇評あるいは感想ならぜひ公演の早い時期に
出されるべきだと思います。
関係ないことかも知れませんが、余計なことをまた書かせて頂きました。
[2001年9月8日 9時28分11秒]
お名前: FLIPPY
初めて書き込みいたします。
私も西郷似のゴルゴ似さんの意見に賛同します。
劇評とは結局、一人の観客が主観的に見た芝居の一つの側面でしかないですよね?
ある人にとってとても感銘深かったシーンが、
別の人によって「退屈だった」の一言で片付けられてしまう。
劇評ってそういう側面をはらんだモノなんだと思います。
別に劇評が主観的であることを否定しているわけではありません。
また、皆様そのような側面を認識された上で劇評を書かれているのだとも思います。
ただし、
発し手が主観的なものとして書いたはずの劇評が時として客観的評価として
受け止められうる、ということを評者の方々には認識して貰いたいです。
多数の劇評が存在していれば、受け手はそれを総合して消化することができます。
しかし、そこにただ1つの主観しか紹介されていなかったら?
太田さんは「ニーズ」について述べておられましたが、
観客側の求める「ニーズ」とは、「客観的な」評価のことではないですか?
好意的な意見がたまたま公演後に書かれ、否定的な意見がたまたま公演中に
書かれたとしたら、その一面的な情報は「ニーズ」を満たしていると言えるのでしょうか?
速報性は重要でしょう。
しかし、現状は公演中から多くの劇評が寄せられる環境ではなく、
従って「速報」は一面的になる可能性を強く持っているのではないでしょうか。
(もし自身の評価が客観的な意見として取られても構わないとお思いな方がいたら
それは思い上がりであり、それこそ「自己満足」だと思います)
劇団側にとって観客が減る事は死活問題です。
「間違いではないが正解でもない」はずの1つの主観が客観的評価として受け取られ、
そのような事態が起こるとしたら、それは正当なのでしょうか?
公演中の酷評はそのような破壊力を秘めている、
劇評を書く上でその点を認識し、
公演後まで発表を待つ配慮があってもいいのではないでしょうか。
(少なくとも公演中には十分な量の劇評が寄せられない現状では)
「劇評される側」の一個人としての意見です。
キツイ表現がありましたらご容赦ください
[2001年9月8日 3時22分54秒]
お名前: たかはしみちこ URL
ここに書き込みしてくださった方々へ。
往生際がわるいか…そうか。そうか。そうですね。
観て欲しいから、往生際、悪かったです。1人でも増やしたかったから。
お客様が来ないのは本当に何の意見ももらえず、何もしていないのと同じで…
公演途中にでる劇評は、正直、不安で不安でたまりません。
それは、
どんな劇団でもどんなに頑張っていてもあると思います。劇場に入ってしまえば
あとはお客様をお待ちするだけです。でもどんな意見でも制限してしまえば
ゼロになってしまうということですよね…。
不安な気持ちをそれ自体分かってくれというのはあたしのエゴでしょう…。
西郷似のゴルゴさんの否定的意見より生産的意見という部分、
なんだか見失っていたものがみえました。
あたしは良いものを作って、頑張るしかないのだと、思いました。
あたしはなにはともあれ、
観に来て欲しいだけでした。
お客さまの意見を決し無視している訳では有りませんでした。
そのためにアンケートを毎回とり、残りの公演にいかせるようにしています。
それが公にでて参考にされてこられる方がいるということが、
とても怖いです。
西郷さんのいわれる通り、以後はこのようなことを言わず、頑張っていくしかないのでしょう…。
お客さまをふやすためにどうしたら良いのか分からない。
いいものを頑張っているつもりでもだめなときはだめだ。
頑張って行くしかないのでしょう。
みなさんいろいろとご意見、ありがとうございました。
とても参考になりました。
[2001年9月8日 0時23分8秒]
お名前: たかはしみちこ URL
ここに書き込みしてくださった方々へ。
往生際がわるいか…そうか。そうか。そうですね。
観て欲しいから、往生際、悪かったです。1人でも増やしたかったから。
お客様が来ないのは本当に何の意見ももらえず、何もしていないのと同じで…
公演途中にでる劇評は、正直、不安で不安でたまりません。
それは、
どんな劇団でもどんなに頑張っていてもあると思います。劇場に入ってしまえば
あとはお客様をお待ちするだけです。でもどんな意見でも制限してしまえば
ゼロになってしまうということですよね…。
不安な気持ちをそれ自体分かってくれというのはあたしのエゴでしょう…。
西郷似のゴルゴさんの否定的意見より生産的意見という部分、
なんだか見失っていたものがみえました。
あたしは良いものを作って、頑張るしかないのだと、思いました。
あたしはなにはともあれ、
観に来て欲しいだけでした。
お客さまの意見を決し無視している訳では有りませんでした。
そのためにアンケートを毎回とり、残りの公演にいかせるようにしています。
それが公にでて参考にされてこられる方がいるということが、
とても怖いです。
西郷さんのいわれる通り、以後はこのようなことを言わず、頑張っていくしかないのでしょう…。
お客さまをふやすためにどうしたら良いのか分からない。
いいものを頑張っているつもりでもだめなときはだめだ。
頑張って行くしかないのでしょう。
みなさんいろいろとご意見、ありがとうございました。
とても参考になりました。
[2001年9月7日 23時4分12秒]
お名前: 西郷似のゴルゴ似
久しぶりに書き込みます。
劇評によって、その芝居を見に行くかどうかを決める、という意見、
たしかにそういう人がいるんだなー、というのは発見でした。
たしかに、私も全く知らないラーメン屋には進んでは入りません。
入ったことのある人に、どうだったか聞いてから、決めます。
それを私が芝居を見るときにはしてないだけで、ほかの人がそうしているのだと考えれば、
私的にはとっても自然な気持ちなんだなぁ、と思います。
ただ、もったいないのは、ここの意見がすべてではない、ということです。
ここに劇評を書き込む方の多くは、自分の主観で書いているのだと思います。
それで、2、3人の人が酷評しているからといって、「自分にとって」酷評する芝居か。
それは、やっぱり見てみないとわからないのが実際でしょう。
自分の意見といつも一致する人の劇評だけ参考にする、というのなら、やっぱり一致する可能性は大ですが。
ラーメン屋だって、美味しいと言われて、そうでもなかった事があります。
それは単に皆にとっては美味しくても、自分にとって、美味しくなかった、ということなんです。
食べてみないと、本当のところはわからないんです。
だから、特に、初めて見に行く劇団の芝居は、劇評を気にせず見に行くのもいいと思いますよ。
劇評に、いい劇評とか、奇抜な視点の劇評、というのはあっても、
正解の劇評、なんてないんですから。
唯一、自分で書いた劇評が、書いた瞬間の、自分にとっての正解なのだと思います。
公演期間中の劇評でもそれを読みたい人がいるなら、やはり書くこと自体は制限出来ないのではないでしょうか。
ネタばれ等の保護さえ気をつければ、全然いいのだと思います。
また、劇評を見て、見に行くかどうかを判断する人は、
あまりにもそれを100%信じるのは、自分の感性に劇団を見つけるチャンスを失う事もあるかもしれません。
前に見たことのある劇団なら、いいと思いますが、はじめてみる劇団は、まず自分で確かめてみてほしいです。
たかはしみちこさんの気持ちもわからないではないです。
でも、その意見をのむことは、ここの意義を失わせてしまうことにもなりかねません。
ツリーにしたらどうか、など、いろんな意見がでていますが、
ここの意義を失わない改善策を、たかはしさんも考えてみてください。
否定的意見より、生産的意見を。
それが、その時点では苦しくても、あとでよい方向に変わっていく道のひとつではないでしょうか。
たかはしさんが感じるその痛みを、自分以外にも感じる人が出ることのないように、と思えば、ね。
[2001年9月7日 14時5分55秒]
お名前: KIT URL
見苦しい書き込みをしてしまい、失礼しました。やはり1回は読み返さないとダメですね。
削除願えると嬉しいのですが…書き直します。
私の主張はその前の長文で書いたとおりです。その中で触れなかった太田さんの評につい
ては、まあ許容すべき範囲の「書き方」かなぁと思いました。あれは配慮といくらかの信頼
感までほの見える書き方だと言えませんでしょうか。文章なんてひどい書き方をしようと思
えばいくらでもできるでしょ?すごい実例を他の土地で見たことがあります。
ただ、私は公演の最終回を見たのですが退屈しませんでしたので、太田さんの評の「内容」
については、ピンと来ません。「はあ、そんな人もいるのか。なぜなんだろう?」です。
一般論です。劇評の掲載時期と内容について、お金を払って見てくれたお客なら何を言っ
てもらっても構わないんじゃないでしょうか。このサイトで制限したって他の所へ移るだけ
だし、口コミに干渉しようとする愚かな人はいませんよね。実は口コミこそがお客一人一人
にとっては一番影響力のあるメディアなんですが。いずれにしても、これから見る人に対す
るネタバレは、そんな輩の話全体が聞くに値しないというだけですよね。
本当はこのサイトでの発言が他での発言より重いように感じること自体が変なんです。
(実はそう言ってる私自身が、ここで大変評価されたりすると震えが来るほど感激してしま
うんですが。)
それから、私も含めて、このサイトではどうも理屈っぽくなってしまうのはナゼなんでしょ
う? 自戒「…芝居って理屈じゃないのに。」
[2001年9月7日 3時6分15秒]
お名前: トワ
初めて書き込みます。
私は太田さんの劇評を見てもしもしガシャ〜ンを観に行くのをやめました。
退屈な芝居を見てお金をドブに捨てるのが嫌だったからです。
劇評の速報は芝居の結果がいいにしろ悪いにしろわかるからお客にとってはバロメーターになる
ので助かります。
でもその後に書き込んでる劇評を見てひとそれぞれだなと思いました。行けば良かったなと後で
思いました。
はっきり言ってたかはしさんは往生際が悪いです。
芝居見た人はいろいろ思うし、人に伝えるし、劇評を書きたいと思ったら書くんです。
あなたは表現をやめろと言われてやめるんですか?
何言われても確固たる自分を持って芝居をすべきだと思うのですが。
それだけの覚悟がなく舞台に立たれるとは非常に残念ですね。
もしもしさんの芝居が良いと思った方も、これではガッカリだと思うのですが。
[2001年9月7日 0時48分52秒]
お名前: アイドル評@太田
昨日も書きましたとおり、僕の意見にたかはしさんが納得できるか否かよりも、たかは
しさんが僕に納得できるように御意見をしていただくことが、この場では必要なのではな
いでしょうか?
残念ながら、ここまでのたかはしさんの御意見を読むと、太田なり他の書き込まれた方
の意見に対して、「納得できない」と受け身に答えられているばかりのように思われます
が、それでは太田を説得し、たかはしさんの御希望通りに行いを改めさせることは、いつ
までたっても不可能ではないでしょうか?
今回書かれた「自己満足」という御意見も、その理由がわからないと、単なるレッテル
貼りにしか見えません。昨年秋、石川氏が「劇評バトル」に書き込まれた一部の方に「馬
鹿文章」と書き返して物議を醸したことがございましたが、レッテル貼りという意味では、
今回の「自己満足」も、先の「馬鹿文章」と変わるところはない、ということに、気づか
れていらっしゃいますでしょうか?
そもそも、僕が劇評を書くのは、自分の中に書きたいという欲求が、まず第一にあるか
らで、そういう意味では、自己を満足させるために劇評を書いていることは事実です。で
も、仕事か義務でイヤイヤ劇評を書いているわけではないんだから、まず自己満足である
ことは、ある意味当然じゃありませんか?
また、この間の書き込みを見てもおわかりいただけるとおり、公演中でも劇評を読みた
いという観客側からのニーズも、現に存在しています。ここで、たかはしさんが「自己満
足」と言われるのは、「作り手側に届かない劇評」という意味で書かれていらっしゃるの
でしょうか?でも、劇評を読むのは、作り手ばかりではありません。というより、むしろ
僕は以前から何回も書いているように、「観客同士の意見交換」としての劇評を第一義的
に書きたいと、常々思っており、作り手に自分の意見が届くには越したことがないけど、
届かなくても、作り手側にだってそれなりのポリシーがあってやっていることだろうから、
まあそれは仕方のないことだ、とずっと考えながら劇評を書き続けてきました。
たかはしさんが「自己満足」と書かれるのは、劇評をめぐる人間関係は、芝居の作り手
と劇評の書き手の2者しかいないという想定のもとに言っていませんか?だとしたら、今
回の太田の劇評は、確かに「自己満足」かもしれません。しかし、作り手と書き手以外の、
ここをROMしている観客のニーズも含めて考えれば、「自己満足」とはいえないのでは
ないでしょうか?
その意味で、今回のたかはしさんの「自己満足」発言は、第三者たる観客を無視しては
いないか?観客不在ではないのか?という疑問を抱きました。
[2001年9月6日 15時53分57秒]
お名前: あんもないと
お二人の論争に横やりを入れるようで恐縮ですが、みちこさんが問題とされているのは
『ネタばれありの劇評を公演中に発表すること』でしょうか?
『批判的な劇評を公演中に発表すること』でしょうか?
前者であれば、現・劇評バトルの形式の問題点ですから、今後ツリー形式にするなり、現状の
ままなら文章のはじめに「ネタばれを含みますあります。」などの表記することで解決できます。
後者であれば、それは無理な注文です。
公演前に劇評が書かれてしまった。あるいは集客を妨害する中傷めいた内容であったならば、
大問題ですが、今回、太田氏の劇評は、正当に公開された芝居を見に行って書かれたもののはずですが・・・
(内容も読みましたが、決して辛辣な批判だけの文章ではなかったはずです、個人的には今回の公演
を見ていないのでどこまでがネタばれであったかは分かりません。しかし、少なくとも
その文章によって芝居に行く行かないを第三者に決定づけるような言葉は見あたらないのですが)
その公演で何を感じたか(批判であれ、好評であれ)を発表するのは、もはや個人の自由のはずです。
そうでなければ、ここだけでなく、ネット上の全ての劇評(感想)が否定されます。
(芝居に託した演劇人の)プライヴェートって意外と伝わってない。
客は客のプライヴェートで拾っていってるでしょう。違う物語が絶対見えてるわけだし。
というのは野田氏と松尾氏の対談の一説ですが、正に観客が持ち帰るものは個々な訳で、それが
主宰した演劇人と意見が違うからということで否定されると、劇評自体が、いえ観客の意見全てが
否定されてしまう。
公演中のネットでの劇評公開を問題視されているのであれば、劇評バトルをネットでやっている
価値が速報性にあることを理解されていないようですね。
また、公演中の役者に対する批判的な劇評からのダメージということが問題であれば、それを
公演中の役者が「見ない」という選択もあるわけです。
(劇評を書く人間は、何も相手の目をこじあけて劇評をつきつけている訳ではないのですから)
『太田氏の劇評になっとくがいかない』
ということが問題であれば、それは是非劇評バトルの方で理論を展開して頂ければ、よりよい
意見交換が出来るかと思いますが。
[2001年9月6日 12時58分57秒]
お名前: KIT
すみません、あわてて書いたもので。
下の発言の『今回はそうではなかったですが』は私の編集ミスで残ったものです。
どうかその部分、ないものとして読んで下さい。
[2001年9月6日 12時35分12秒]
お名前: KIT URL
先の太田さんの評は、妥当な書き方だったと私は思っています。
今回そうではなかったですが、あれがネタバレだったとも書き捨てだったとも思いません。
配慮を感じます。
時間がないので続きは後ほど。
[2001年9月6日 12時32分14秒]
お名前: たかはしみちこ
太田さんの意見は、
納得できないものはなっとくできません。
みんなそうしているとしてもわたしはいやなのです。
やっぱり公演中の劇評は自己満足でしかないとおもいます。
終わってから書くぶんには一向に構いません。
今回のもしもしでは太田さんの批評に対して今回はおーみさんの批評が出ましたが、
両方の意見がいつも出るとは限らないですし。
[2001年9月6日 11時55分10秒]
お名前: アイドル評@太田
うーん・・・。たかはしさん、あえて言わせていただきますけどね。
この議論はもともと、たかはしさんが、1つの要望を実現するために始めたものですよ
ね。だとするならば、たかはしさんが「なっとくいく・いかない」という問題よりも、逆
に、太田をはじめとした、書き手側に納得のいく理屈をたかはしさんが提示できるか?と
いうことが、むしろ重要だったのではないでしょうか?その意味でいうなら、僕にとって
も、たかはしさんの文章は「なっとくはいきません」ものでしたよ。
そもそも、たかはしさんが御自身の主張の根拠として今回挙げられたのは、「劇団に対
するマナー」です。これに対し、僕が主張した根拠(の1つ)は、「(一部の)観客側の
(事前に劇評を読みたいという)ニーズ」だったわけです。で、問題は、この「マナー」
というものが、観客側の「ニーズ」を制限してでも実現されなければいけないものなのか?
ということなわけですよね。
そもそも、「マナー」というものは、法律などの強制力がない、いわば「礼儀」的なも
のを指すわけです。しかし、観客側の「事前に劇評を読みたい」という要望は、まあ、あ
まり堅苦しい言葉は使いたくはないのですが、「知る権利」ともいえるものですよね。「礼
儀」と「権利」を比較した場合は、やはり、「権利」の方が優先されるべきではないでし
ょうか。
もちろん、「知る権利」があるということは、同時に「知りたくない権利」というもの
も存在するわけです。しかし、それは観客自身がどちらかを選択すればいいことであって、
劇団側の「要望」に、観客側が従わなければいけない「義務」的なものではないはずです。
だから、事前に劇評を読みたくない観客は、もちろん自らの意思によって、たかはしさん
の御要望に応えるべく、事前に劇評を読まずに観劇に望むでしょうし、実際にそういうお
客さんも、たくさんいらっしゃると思いますよ。
これは芸術・芸能ジャンルの中でも、演劇が、短期間で終わってしまうという特殊性を
持っているため生じた問題だと思います。例えば、僕はクラシック音楽も趣味でよく聴く
のですが、音楽雑誌にはCD新譜の批評が毎月載っているわけです。もし、演劇と同じ考
えをCDに当てはめたとするなら、そのCDの内容に触れた批評は、そのCDが廃盤にな
るまで遠慮しなければならないという理屈になってしまいます。しかしそれでは、客はC
Dを買うための情報が非常に制約されることになってしまいます。このCDのケースを演
劇に当てはめれば、演劇に限って内容に触れた批評は終演まで遠慮しろ、という考えは、
かなり不自然なものであることがおわかりいただけると思います。
また、例えば、芝居を見た後、作り手側が望む感想を観客側が必ずしも持たないことは、
今回の僕の劇評に限らず、いくらでもあることです。観客側には「解釈」する自由が与え
られているはずですから。それは、観客側が作り手側に従属するものではないということ
を意味するもののはずです。だとするならば、事前に劇評を見る・見ないという選択肢を
観客側が持つこともまた、観客側が作り手側に従属するものではないという原則を考えれ
ば、妥当なことといえるのではないでしょうか?
さらに言うなら、そもそも「内容に触れる劇評」を書くことが、劇団に対するマナーに
反するのか?という根本的疑問もあります。
つまり、劇団側が「内容に触れる劇評」を書いてほしくないという要望を持つのは、先
入観なく観客に芝居を見てほしい、という希望から出たものでしょう。しかし、今述べた
ように、一部の観客には、たとえ先入観になっても事前に劇評を見たいという希望を持つ
人もいるし、一部の劇評を書く人には、それに応えたいという希望を持っています。
つまり、これは矛盾する希望を持った3者間の利害を調整する問題と考えるのが妥当で
あり、そこで、劇団側が自分たちの希望を一方的に優先させることがマナーに適うことだ、
と主張するのは、やはり僕には、どうにも不自然な考え方に思えるのです。
[2001年9月6日 0時1分3秒]
お名前: たかはしみちこ
いろいろご意見ありがとうございます。
まあ、書き込みも予想どおりでありました。
なっとくはいきませんがしかたない。
しかし、内容にふれる書き込みや(ネタばれは)
劇団にたいするマナーとして、さけてほしいです。
[2001年9月5日 13時10分46秒]
お名前: あんもないと
私の提案だと太田さんがおっしゃる通り、自己申告制になるかと思います・・・。
(提案と言っても具体的なものではなくて、自分でもイメージしにくいのですが)
そこは書き手に委ねてかまわないのではないでしょうか?
管理人が縛りをかける訳にもいかないでしょうし、勿論、話題に上がった劇団が
規制をかける訳にもいかないでしょう。(実際問題、出来ませんし)
制作側のみちこさんからの発言に対する答えとしては適切ではないかと思いますが、
ここは「書き手」(掲示板に書く側)と「読み手」(掲示板を見る側)の間で選択権
が生まれるだけでも、だいぶ現劇評バトルの使いがってが違うのではないかということです。
下記に書いたように、
こちらにとって見所と思ってお薦めしても、制作者側にとってはふせておきたい場面
だったりするわけですし、制作者側の意向を100パーセント理解して劇評を書くことは
出来ないですしね。
私個人としては、公演中の速い時期での劇評は嬉しいですね。
特に、今見てきました!という感想は内容に触れていたとしても
(それが好評であれ、批評であれ)見に行くきっかけになりますから。
[2001年9月5日 9時17分12秒]
お名前: アイドル評@太田
あんもないとさんの御意見ですと、ネタバレのある・なしは、書き手側の自己申告制という
ことになりますでしょうか?
そうなると、書き手側と作り手側の「ネタバレ」に対する考え方に開きがあった場合、ちょ
っと困ってしまいますね。
個々の芝居によってケース・バイ・ケースで作り手側の意識も違うだろうし、あるいは作り
手側がOKでも、ROMしている観客側で、「ここまで書いて欲しくなかった」という意見が
それぞれの個人差で出てくるかもしれない。
そう考えていくと、少しでもストーリーに触れてしまったら、機械的に「ネタバレ」に持っ
ていくしかない、ということにするしかないということなのでしょうか?
[2001年9月4日 19時39分56秒]
お名前: 管理人井伏銀太郎
貴重なご意見ありがとうございました。
もうすぐオリジナルドメインを取って引っ越す予定です。
リニューアルする際の参考にします。
今野さんの劇評の書き込みにもありましたが、劇評と言うと
何か抵抗がある。ましてバトルとなると反論が怖いという意見を
いただいていましたので、引っ越し後は、「観客席」と言う名前の
掲示板を設置して、お客様がもっと自由に感想を言いあえる場所に
したいと思っています。自由な感想の中から少しずつ劇評が
生まれればと思っています。
劇評に関する要望や意見、書き込んで下さい。
[2001年9月4日 18時19分44秒]
お名前: あんもないと
管理人の方に提案なのですが、
ネタばれ・なしが分かる形式で(例えばツリーなどで表書きにネタのあるなしが表示が出るもの)を考えてはいかがでしょうか?
私も公演中の劇団については、中身に触れないように書きますがどうしても触れてしまったり
、見所として紹介しても、それは主催者側にしてみれば「隠し玉」だったりといったことがあります。
選択できれば、書く側も気兼ねなく書けますし、見る方も選んで見ることが出来ますが。
[2001年9月4日 15時25分47秒]
お名前: KIT URL
仙台圏は公演が多いので木戸銭を別にしても体が2つか3つないと見切れないこと
が結構あります。また、見たことない劇団の公演を見ようかどうしようかと迷った時、
このサイトの評はすごく参考になると思うんです。公演中の芝居の評ならかなり参考
にしています。
愛のない書き捨てとネタバレだけは勘弁して欲しいですが、私は公演中でも書き込
んでくれる人が幅広くいるなら色々書いてもらった方がいいという立場です。
「ホアグラの木」の評について言えば、私は近江さんの評を読んでから公演に行く
日をすごく楽しみにしていました。(もとから行くつもりでしたが、公演に間に合う時
間になんとか起きられたのは近江さんの評のお陰かも知れません)行けて良かった…。
私が近江さんの評を信じたのは、私が「もしもし…」に感じていた特徴や惜しい部
分(失礼;)を遠回しながらずばり指摘していたからです。それが脱皮したぞと書いて
あったら期待が高まるってもんでしょう?
否定的な評が途中で出たとしても、そう思わない人が別の評を書き込んでくれるな
ら、ここを訪れる人は両方から判断できるから良いんじゃないかと思うんですが…。
否定的な評ばかりで良い評が出ない公演があったとしたら、きつい言い方になりま
すがお客を動かす力がなかったんだと思います。評を読んで「違うよ」と思う人がい
ても、結局だれも書き込まずに終わったなら、その程度の芝居だったとあきらめるし
かないでしょう。
今回も非常に好意的な評が出た。私はそう言った意味でお客を信じたいんです。
評を書く人はそれぞれです。私も自分なりに公平に書こうとはしていますが「そう
じゃないだろ」って人もいるかも知れませんね。だからこそお客さん達は「自分の」
感想に自信を持って欲しいんです。そして気楽に感想を書いてもらえたらなと思いま
す。
動機が第一、センスが第二、表現は後から付いてくる…よね?
[蛇足1]
実は、書評、劇評、映画評みなそうですが、書いてある字面だけじゃなくて行間か
ら「どんな背景の人が何を考えて書いたのか」まで読みとることが結構大切なことも
ある気がします。
よく読むとキツい言い方ですごく評価してる評、当たりの良い言い方なのに実は最
悪だぞと言っている評もあったりして…。「評論はそれ自体が表現」だから一人歩き
をすることもありますし。
結局自分と近いセンスを持った書き手を捜し当てる事が評論を楽しむコツなのかも
知れない…。
[蛇足2]
作る側から絶対言っちゃいけないホントの話に「芝居は生もの」ってのがありまし
て…。(だってハズレた回のお客にこんな失礼な話はないでしょ?) 毎日、毎回、
極端に印象が変わる公演がたまにあるもんですから難しいです。
多少の酷評が出てても見に行ってあげると、悔しさをバネに(?)「大化け」した舞台
を見られることがたま〜にあります。これだから芝居を見に行くのはやめられないん
ですけどねぇ。
[2001年9月4日 2時18分22秒]
お名前: アイドル評@太田(衝劇祭観劇モニター)
今回、僕は「衝劇祭」のモニターに参加しまして、速報性を重視するということを、モニタ
ーの趣旨の1つとしておうかがいしていたので、即日劇評を書き込んでいました。
劇評は基本的に、劇団の宣伝のために書いているものではないのだから、「見どころ紹介」
「お勧め」のみを紹介し、ネガティブなものは公演終了まで遠慮した方がいい、というのは、
僕には不公平なものに感じられます。公演中の催しに対して、褒め系のものばかりではなく、
批判的なものも含めて読んで観劇に行くか否かの参考にしたい、という人もいると思うし、
以前、実際そういう御意見を「談話室」になさり、「公演中の書き込みは御遠慮ください」と
言っていた劇団に疑問を示す投稿をされた方もいらっしゃいました。
また、衝劇祭とは直接関係ありませんが、以前にも書きましたが、高校演劇コンクールで地
区大会終了後、県大会に進出した高校について批判的に劇評を書くことも、今回の御提案だと
遠慮した方がいいということになるのでしょうか?しかし、それは逆に「最優秀賞」というレ
ッテルだけが、先入観として残ってしまう、という問題点もあるように思われます。
「内容に触れる」という意味では、どこまでがセーフなのかが、今一つ明確にわかりませ
ん。「もしもし」さんの劇評については、どういう結末になったかは書かないように配慮しま
した。中盤までの展開はわかるような書き方はしてしまいましたが、この作品にとって重要な
のは、やはりクライマックスへ向けての後半部分と認識しましたので、自分としてはここまで
はセーフではないか?という判断のもとに書きました。
また、今回は書きませんでしたが、ラストまでストーリーを書かざるを得ない場合は、「ま
だ見てない人で、結末を知りたくない人はご遠慮ください」と冒頭に書いてから、書き込むよ
うに、なるべくしております。
ただ、もし別項の「初めての書き込みの方へ」で、今回の御提案がルール化されるというこ
とであれば、個人的感情は別として、一参加者として、それには従う所存です。
[2001年9月3日 22時3分24秒]
お名前: たかはしみちこ URL
衝劇祭も わたしたち もしもしガシャ〜ンで全日程終わりました。
ご来場になった方々、ありがとうございました。
さて、提案なのですが、
劇評の掲載時期についてなんですが…
公演が終了するまで内容に触れる劇評は控える方向でいってほしいなと
つねづね思っていました。皆さんの意見をお聞きしたいです。
公演終了までは、見ていない人にたいして見どころを紹介したり、
お勧めしたりとそういうもののみの掲載にしてほしいと
思うのですがどう思われますか?
[2001年9月3日 10時19分4秒]
お名前: 高校演劇マニア@太田
御存じ、高校演劇大ファンの太田です。
ゴールデンウィークは、各学校とも授業がお休みで動きやすいこともあってか、各高校の
単独公演が多いですねえ。マニアな僕にとっては嬉しい限りです。
管理人さんがお忙しいのか、「公演カレンダー」に載っていない情報も含めて、私が「河北」
の夕刊やら、仙台タウン情報やら、県内各会館の催し物案内やらで知ったデータを基に、
ゴールデンウィークの高校演劇情報をお知らせしましょう。
4月29日(月) 富谷高校「ハックルベリーにさよならを」
エルパーク仙台 12:30〜、15:30〜
前売¥350、当日¥400
5月4日(金)、5日(土) 三高三女合同公演「かくれんぼ」
戦災復興 4日17:30〜、5日14:30〜
前売¥350、当日¥400
5月5日(土) 常盤木学園「常盤木戦隊ゴレンジャー」
多賀城市民 14:00〜、18:30〜
無料
5月12日(土) 尚絅女学院「〜いちばんぼしってどんなひと〜」
エルパーク仙台 16:30〜
最後の尚絅さんはゴールデンウィークからは1週外れるけれど、まあせっかくの情報なので、
一緒に書いておきました。
それにしても、この中で僕が最も心躍らせ、ワクワクしながら本番を楽しみにしているの、
どれだかわかります?はい、もうなんといっても「常盤木戦隊」ですね!もう、この題名を
「河北」の夕刊で見たとき、思わずぶっ飛んでしまいましたよ!う〜む、なんかやってくれそう
だなあ、常盤木。「オペラ座の怪人」よりスゴイらしい、かもしれない・・・(笑)。
[2001年4月27日 21時26分39秒]
お名前: もしもし たかはしみちこ
このはなしは大変に参考になりました、そして大変反省いたしました。
確かに最低でも二、三日前に電話連絡、基本ですよね。
忘れていて慌てて会場に持っていくことの多いわたしは、とても反省いたしました。
こちらの身分もきちんとわかるようなものなど用意したり、改善していきます。
もしもしでは、折り込みのチラシは当日であろうといつであろうと、
できる限り協力いたします。
私のように忘れっぽい人もたくさんいると思うので…。
でもほとんどの劇団は電話の連絡をきちんとしてからいらっしゃいます。
差し入れなども頂いたり、とてもきちんとした対応の方が多いです。
今後は気をつけたいと思います。
[2001年5月9日 15時22分4秒]
お名前: アイドル評@太田
この件に関しては、基本的に作り手側の方々で情報交換する内容だと考え、観客側の私
はこの間静観していたのですが、あまりにもどなたからもレスがないのは、ちょっとどう
かと思ったので、本来の趣旨から外れるかもしれませんが、観客側の立場からの意見を書
き込みたいと思います。
まず、観客の立場からの折り込みチラシの有用性について言いますと、これは断然あっ
た方がいい、というのが個人的見解です。といいますのは、例えばインターネットなり、
あるいは新聞・タウン誌なりで情報収集するとなると、自分からアクセスする必要があり
ますよね。これに対し、折り込みチラシで情報が入ってきますと、受動的に情報が入手で
きるわけです。御存じの通り、私・太田という個人的レベルでは、偏執狂的なくらい情報
収集にはマメなタイプの人間ではありますが、すべてのお客さんがマメなタイプであると
は限らない、少しでも多くのお客さんに情報を伝えようと考えた場合は、受け身のお客さ
んにも情報を伝達できる、という意味で、折り込みチラシは非常に有用な手段だと思うわ
けです。実際、仕事関係でコンサートや演劇公演を開催した場合、例えばTVのような巨
大メディアを同時並行に使っても、会場アンケートを集計すると、これら巨大メディアに
負けないくらい上位に、情報入手手段として「チラシ」がくることが多いのです。
ただ、問題は身元不詳の劇団にチラシを依頼された場合、ということですよね。
まず考えられる対策法としては、「こちらも折り込み依頼をしないが、相手方の折り込
み依頼も断る」という方針を、劇団として固めるというのはあるでしょう。そもそも、あ
の折り込みは基本的にギヴ&テイクの精神で成り立っているものだと思います。こちらも
宣伝の機会を提供するから、そちらが公演するときも助けてね、という。その意味でいえ
ば、自分たちが宣伝するとき、折り込み依頼を一切行わない腹をくくれば、逆に先方の折
り込みを拒否したとしても「仁義を欠いた行為」とはならないことには理屈上なります。
実際、CUEさんの場合は、他劇団の公演で折り込みチラシを拝見したことがないので、
この方針を実施しても批判される筋合いはないものと思われます。
ただ、客の立場で言うと、そのような方針を実施する劇団が増えてしまうと、情報収集
の手段が減ってしまう、というデメリットが生じてしまうので、できれば避けていただき
たいなあ、という気持ちもあるし、劇団としても、いくらギヴ&テイクの原則には反しな
い、とはいっても、あまり他劇団に対してカドがたつ行為は行いたくない、というお気持
ちもあることでしょう。
そういう意味では、やはり最初に森さんが書かれたように、頼む側もチラシ依頼を当日
急に持ってくることなく、2〜3日前に電話連絡を、頼む側の最低限の礼儀として習慣づ
けるようにする。受ける劇団側も、簡単な身元確認程度の質問はする、というのが一番妥
当な線ではないでしょうか?
もちろん、これでも完全な防御策とはなりえないかもしれません。しかし、「完全」を
志向した場合の、折り込み全面廃止のデメリットを考えると、現状では最もベターな選択
ではないか、と思うのですが、いかがなものでしょうか?
[2001年5月7日 17時18分18秒]
お名前: 劇団CUE森 URL
3月に行われた劇団CUEの公演で多くの劇団の方々からチラシの綴じ込みを依頼されました。
ご依頼を受けたチラシは全部綴じ込んだ形でお客様に配布(お断りしたものも含めて)させて
いただいたのですが、次の点で複雑な気持ちになりました。
どのような団体かもわからず、どういう趣旨の公演かもわからない状態で、
パンフの綴じ込みを承諾してもいいものだろうか?
東京で演劇をやってる友人が、公演当日に綴じ込みを依頼され、快諾したものの、後にそれが
某危険団体の関係する劇団だったことが判明し、知らずに足を運んだお客様から、チラシを
とじこんで配布した友人の劇団にクレームが来たということがありました。
仙台では割に当日突然チラシ持参で会場へやってきて「綴じ込みをお願いします」というのが
一般的になっているようです。わざわざおいでいただいたので、どういう劇団なのか、どうい
う公演なのか簡単にお尋ねした上で、今回は綴じ込みをさせていただきましたが、正直なとこ
ろ、「これでいいのかなあ」という気持ちと、「わざわざ来ていただいたのに、こんな意地悪
な質問をするのは気の毒だよなあ」という気持ちで、とても複雑な思いをいたしました。
不愉快な思いをさせてしまった方には、ここでお詫びをさせていただきます。
現状のように割に気軽に綴じ込みを依頼できる雰囲気はよい点があると思います。
ただ、そのチラシをパンフレットには綴じ込んでお客様に配布する以上は、こちらにも配布し
た責任が生じてきます。わざわざ来ていただいたのにお断りするのもなんだからと、次々と
綴じ込みをお引き受けしましたが、今回は正直なところ「これでいいのかなあ」という不安も
感じました。
ある劇団の公演の当日にチラシを持参し、「これをパンフレットに綴じ込んでください」と
いう宣伝方法は、果たしてこのままでいいものでしょうか。私自身かなり不安を感じました
が、ほかの劇団の皆様はその辺どのような対応をされているでしょうか。
今後のためにぜひその辺の対応のあり方をお教え願えればと思います。
[2001年4月23日 19時58分7秒]
お名前: KIT URL
「再演」の定義ですか?私は同じ劇団が時間をおいて、同じ題名で公演を打てば「再演」
かと思ってました。
そういえば他の芸術なんかではそういう用語はあまり使わないかも知れませんね。
(私は演劇をあえて芸術とは呼ばないようにしているのですが、それはまた別の機会に。)
「脚本至上主義」の仙台との話が出ましたが、私は特にそういう印象を持ったことはない
です。でもたしかに日本では、脚本家の居ない劇団ってオリジナリティーがないと見なされ
るのか、地元以外ではなかなか評価されにくい感じですね。(あ、他の国の事情を知ってい
るわけではないです。)
それに迎合しているわけではないんですが、自分はまだ1本しか書いていないので、バン
バン書いている脚本家の多い仙台が私はうらやましいですよ。
[2001年4月23日 23時54分29秒]
お名前: W..S
再演というのは、何をさして「再演」というのか。よく分からないですね。単に同じ脚本を
もう一度やるというのなら、演出・役者が変われば当然全然芝居は変わるものですおね。また、
以前好評だった芝居を同じ演出・役者でやるというのも厳密には「再演」とはいえませんよね。
同じ芝居を同じ期間で何回かでやる場合でも、そのときによって、全く違う芝居になるという
ことは真面目に芝居をやっている方から言えば当然のことだからです。
そういった意味で芝居には厳密な意味で「再演」という言葉は成立しない、というのが理想
であり現実ですよね。その言葉が成り立つということ自体が、すでに「再演」というもの失敗
を意味していると思われます。
昨年、このテーマで演劇祭が行われましたが、どういった意味でやたのか私は知りたいと
思います。どなたかお答えいただければ幸いです。
ここには、まだまだ脚本至上主義の仙台演劇界の実態があるような気がするのは私だけでし
ょうか。
[2001年4月14日 3時38分34秒]
お名前: KIT URL
私は宮城に来て日が浅いので在仙劇団の初演と再演を見比べたことはないのですが…
仙台に限らず、再演というものは、前回よりも良い舞台を創れる自信があってこそやる
べきものです。
ご存じかも知れませんが、芝居というのは極度に労働集約的な娯楽でして、お届けする
側は大変な精神力と時間とを必要とします。
仙台の劇団はほとんどが赤字体質に近いアマチュアだと思います。公演を打つたびに赤
字の危険にさらされるわけです。
また、中央のメジャーなら利益を上げるためにあるいは存在を誇示するために、代わり
映えのない再演をすることも実際ありえますが、アマチュアは「やりたいから」やってい
るのだと思います。意にそまない公演はやらなくていい、これがプロに対するアマチュア
の優位性です。
アマチュアの芝居は高校野球に似た所があって一回一回が真剣勝負です。競争の激しい
仙台では一度でもつまらない公演を打てば確実にお客は離れます。プロ野球のように長期
で一定の成果が上がれば負けても良いなんてことはないんです。
ですから再演についても、どこの劇団も前回とは違う何かしら大きなプラスアルファー
を見込めるという見込みと自信を持ってお届けしているはずです。惰性で再演を持ってく
る劇団なんてないと私は信じています。
それでもお客の期待に添えなかったとしたら、見る側お届けする側、双方にとって不幸
なことですし、劇団は力不足を深く反省しなくてはならないでしょう。
黒田さんは「再演」をご覧になって、どのようにがっかりされたのでしょうか?自戒の
意味を込めて、参考までにお聞きできれば幸いです。
[2001年4月11日 23時8分58秒]
お名前: 黒田
仙台のお芝居をよくみているのですが、よく「再演」ってありますよね。お芝居を見る人
お芝居をする人はこの「再演」をどう考えているのでしょうか?
私は仙台の劇団の「再演」で面白いと思ったことがありません。その劇団にとってよっぽどの
作品で無い限り「再演」は控えるべきだと思います。「ああ、またか。」と思ってしまうと
もう劇場に足を運ぶ事も無くなってしまうでしょう。
1つの作品を突き詰めるのはけして悪い事ではないと思うのですが、仙台でそれが出来る
ほどの力をもった劇団は少ないと思います。
新しくいろんな事を提示していくことが仙台の演劇を形成していくのではないでしょうか。
若輩物の意見ではありますがこの事について演劇を見る人、演劇をやる人の考えを知りたく
書き込んだ次第です。賛否両論様々な考えが書き込まれるのを楽しみにしています。
[2001年4月10日 17時12分43秒]
お名前: アイドル評@太田
前回、川島氏の私に対する回答で、「大変な負担を(劇評倶楽部側に)掛けることにな
る」ことを理由に「(劇評倶楽部側からの回答は)これを最後とさせて戴きたいと思いま
すし、これ以上は直接会ってお話下さるようお願い申し上げます。」との文章をいただき
ました。しかし、今回「劇評倶楽部賞創設に関する骨子」が発表されたことにより、状況
に変化が生じたと考え、新たに質問したい事柄が出てまいりました。そこで、劇評倶楽部
側が、「大変な負担」を理由に回答を拒否されたことを考慮し、@負担の小さいYES/
NOで答えられ、A議論ではなく、事実確認に限定した質問、を2つばかりさせていただ
きたいと思います。なぜ、今になって再質問をするかといいますと、今回の「骨子」によ
って、今まで私が参加を辞退していた理由がなくなった可能性があるため、回答次第によ
っては、劇評倶楽部賞審査員への就任を再検討し、受諾することも可能である、と判断し
たためです。質問は以下の通りです。
(1)今回の「骨子」と、以前に発表されていた「策定要項」との整合性です。今回の「骨
子」は、以前あった「策定要項」を改正したもの、つまり「策定要項」は「骨子」の成立
によって無効となったのでしょうか?それとも、「策定要項」と「骨子」は同時に存在す
るものなのでしょうか?
なぜ、このような質問をするかといいますと、前回、私が審査への参加を辞退した理由
が、前回出ていた「策定要項」の中にある「仙台で活動する演劇人がその励みとなるよう
願って創られるもの」という部分と、「総合芸術としての芸術性」という部分に引っかか
りがあったためだったものが、今回の「骨子」では、この文言が消失しているからです。
従って、もし「骨子」のみが「劇評倶楽部賞」の唯一の定義づけとしての文章だとしたら、
太田が審査員参加を辞退する理由は存在しなくなり、単に太田が意固地で参加を拒否して
いる、ということになってしまうわけです。
(2)「骨子」の中の目的1の中に書いてある「仙台演劇活動の益々の発展を願って企画」
と書いてある点ですが、この中の「発展」の定義は、審査員それぞれが別のイメージを頭
に描いていてかまわないものなのか?それとも、審査員の考える「発展」は、意思統一さ
れたものでなければならないものなのか?
この質問をする理由につきましては、先に「太田と川島氏の劇評に対する姿勢の違い」
の中で、詳しく論じておりますので、そちらを御参照ください。
以上2点の質問に対し、(1)「策定要項」は無効となった。(2)「発展」の定義は、
各審査員それぞれが別のイメージを持っていい。という御回答があった場合、私は劇評倶
楽部賞審査員就任の要請を受諾したいと考えます。劇評倶楽部側の御回答をお待ち申し上
げます。
[2001年3月28日 22時47分56秒]
お名前: 仙台劇評倶楽部代表 川島文男
「仙台演劇人への提言」番外編その2
2001年3月12日 仙台劇評倶楽部代表 川島文男
「仙台演劇賞」創設に関する骨子。
仙台で初めて行なわれる表記演劇賞の第一回仙台演劇賞選考委員会が開かれ、その骨子が
以下のように決定しましたので皆様へご報告致します。
「一」本演劇賞制定の目的。
1 この演劇賞は、「仙台劇評倶楽部」が仙台演劇活動の益々の発展を願って企画した
もので、選考には劇評倶楽部会員に加え仙台の演劇に興味ある人々の参加を戴いて
審査される。
新たに参加してくださる劇評倶楽部会員以外の審査員。
1 育英学園演劇部顧問 渡部進氏
2 現代美術家 近江俊彦氏
2 本第一回演劇賞受賞者に対する表彰は、現金等の支給は行なわず、賞状及び賞品の
授与に限定する。
3 受賞対象は、仙台市及びその周辺地域を中心に活躍している演劇人及び作品[以後
両者を含めて作品とする]とし、本年一月一日より十二月末日までの一年間に上演
された作品の中から、最も優秀と認められる作品を選定し表彰する。また審査の発
表は、翌年の一月十五日に行なう。
「注・例外的に東北各県で活躍している作品を対象とする場合もあるが、オペラ等
は対象としない」
「二」審査員の選考方法。
1 各審査員は作品を推挙するための投票権三票を持ち、一作品に対して三票全てを集
中的に投じることも、三作品に一票づつ分散して投票することも出来る。
2 最終決定までには二段階の選考過程を経る。即ち、第一回投票で選考された上位二
作品を受賞候補作品とし、更に投票による第二回選考を経て最終一作品を絞る。
3 但し、受賞決定時にその旨を本人へ通知し、受賞を希望する団体及び個人をのみ最
終決定者とする。
4 受賞となる対象部門は以下の通りとする。
A 最優秀作品賞「仙台劇評倶楽部賞」/総合芸術の演劇として特に優れていると判
断されたもの。
B 最優秀戯曲賞/シナリオとして特に優れていると判断されたもの。
C 最優秀演出賞/演出が際立って優れていると判断されたもの。
D 最優秀主演男優賞/主演者として特に優れた演技を披露した男優。
E 最優秀主演女優賞/主演者として特に優れた演技を披露した女優。
F 最優秀助演賞/主演者以外で優れた演技を披露した役者。
G 最優秀スタッフ賞/各部門の中から特に優れた作品を創造したスタッフ。
H 特別賞/演劇活動全般において特に優れた活動をしたもの。
[注・上記部門で該当する作品等がないと判断された場合は選出しない。また上記
部門以外に選出される場合もある]
「三」上に記されていない問題、或いは記されていながら新たなる問題が発生した場合は
関係者間で再度協議して決定する。
[2001年3月27日 18時51分47秒]
お名前: たかはしみちこ URL
公演期間のため、このようなことを良く考えます。
お客さまが、こない。
…こないのはわたしに知り合いが少ないせいか、宣伝が足りないせいか。
どうにかお客をふやしたい悪あがきでフォーラムを覗いたりしています。
表現している我々は観客ゼロのところではゼロの人に対する表現、
沢山はいれば沢山の人に対する表現に当然なると思います。
沢山の人が入れぱそれだけずはらしいものになるかといったら必ずしも
そうではないと思うし、突き詰めるところまでいけば表現するというのは
自分の中にあるものを吐き出すことで、吐き出すだけで表現となるといえば、
ひとりも観客なんていらないのでしょう。が、たぶん、人間だから、沢山の
人数のお客さまがいれば、違うふうになるだろうな。
なぜ、演劇には観客が必要なんだろうか、それも沢山必要だ。
必要なのは演劇だけではないのでしょう、表現すべてに観客が必要なのかな。
でも特に演劇には観客が必要です。
なぜなら、形に全く残らないから。(ビデオは別ものと考えます)
終わってしまったあと、なにも残らない。終わってしまえば、ただ、私にも
若かったころがあったのよ、といっているみたいなもので。全観客に満足して
頂いたとしても、なにも残らない。残そうと思うのが無理なのか。
しかも人間に完全な表現なんてない。完全な満足なんてない。だから、演劇を
続けるしかない。やり続けるしかない。やめてしまえばなにも残らない。
その点、なんかスポーツ選手と近いかもしれない。一試合ごとに命を削って、
その試合の凄さは見ないと分からない。生で見た時の感動はものすごいものだと思う。
ではなぜ見る人が少ないのだろう。その答えが分かれば、観客は増えるだろうと思う。
必ず私の叫びを聞いてくれる人間がいる、それを信じて表現している。
演劇を作る側の演劇の理想ってなんだろう、ここに書き込みをされた方々は、
それは自分の表現との戦いみたいなことを言っているような気がします。
それ自体、表現自体が他人から受け入れられないものだったらどうしよう、
と常に考えている自分がいます。こういうことを考えるのは考えが低いのだろうか。
沢山本を読み、沢山勉強し、そして沢山の人が素晴らしいとするものを見つけだし、
それを表現すれば、観客は増えるだろうな。自分に響かなくとも。
自分に響くことをする、そして、それを他人に見せる、それが、表現者?
そして、受け入れられず傷ついている。
稚拙な文になりましたが、要するに近江さんの最後の書き込みにえらく共感して
いるのですが、どう接していいかも分からないまま書き込みをしています。
ただ書きかったということで…。
女はだめだな。感情論で。
[2001年5月8日 7時46分35秒]
お名前: 近江 俊彦
さいですか、出だしがちょいと激し過ぎましたかね〜。
いやね、井伏がすぐにフォローを入れてくれるかと思っていたのですがトホホ。
仮想敵と書いたのは、皆それぞれの理想形や憧れがあるものだと思っていたからです。
それに、現在の状況が理想的だと考えている人は一人もいないと思ったからです。
これは、客の側からもいえることだと思います。恋人と食事をした後、演劇を鑑賞し、
その感想を語らいながらバーで一杯なんてね。
また、そんな客の側からみて都合の良い内容の作品を都合の良い時間に上演しろ!
とかね。
自分で表現にかかわっていない社会人に、演劇を観に行こうと声をかけると必ずどん
な内容ですか?と聞き返される。しかし、ろくに演劇を観たことも無いような連中に
何を説明しろと言うのだ!としばし絶句してしまう。ようするに、森首相がIT革命
を論ずるがごとく演劇のえの字も知らない連中は、演劇を論じ自分の中である程度理
解できた気にならない限り観にこようとはしない。(テレビで宣伝しているようなも
のだったら、作品の質の良し悪しは別にして大金を払って時間を惜しまず観に行くと
思うけど。そうか、仮想敵を劇団四季ぐらいにしとけば良かったかな?)
また別の視点から考えると、表現の世界に触れずに生きてきた社会人はとっても可哀
想だと思う。人生の楽しみの50%(右脳の活動部分ね)が抑制されているわけだ。
これを解放してあげるのも表現者の使命だと感じているわけです。だからって、集客
重視の姿勢をとる必要はないとは思うけど。
作品を作る側の論理、作品を鑑賞する側の論理、またそれを統合した考え方の論理が
加われば、いいなあと思っています。
それには、なにをおいても、それぞれの立場で勝手なことを言い合うことが第一歩だ
と思っています。だってそれが無ければ、なんぼ経営コンサルタントでも、考える端
緒が見つからないと言うもんでしょ。
この演劇人フォーラムで語られる客と言うのは、演劇を充分心得た?べつに特別なき
っかけなんか無くったって一人で観に来れる人を対象として語られる場合が多いけど、
本当に表現を必要としている人々とは、表現に触れ合うことが出来ずにいる、また、
表現に触れ合うことによって自分の悩みや壁を乗り越えることが出来るはずなのに、
触れ合えない状況にあるかたがただと思っています。そしてそういった人々は、県内
だけでも、昨年の演劇人フォーラムに載った公演に足を運んだ人数より遥かに多いと
思っています。
私は、単に集客だけのことを言っているつもりはありません。表現者は、表現しつづ
けるということはこんなに辛いんです。何の為にこんな辛い思いをしながらやりつづ
けているんですか?私はそこに商売ではなく純粋な表現の力と言うものを信じている
のです。その力を必要な時に必要な人に提供してこその表現の意味があるということ
を最近痛切に感じるようになってきています。そう行った意味で、演劇人フォーラム
としてもそう言う視点もあって良いのではないかな、というのがこの投稿の動機でし
た。
演劇人がどの様に考えているかはよくわかりませんが、美術家はこういった視点でも
のごとを考えています。だから、迷惑がられても演劇の力を存分に発揮できるであろ
う方策を考えたらどうでしょうかとけしかけています。そんなわけでした。
[2001年3月21日 0時10分0秒]
お名前: アイドル評@太田
ここに取り上げられている話題について、いつもなら、やたらあちこちに書き込みをし
て、積極的に議論に参加する私が、今までなんで何も書かなかったと言いますと、自分に
とってこのテーマが積極的に興味を持ちうる題材ではなかったからなのです。では、何で
自分はこの話題に対して興味をかき立てられないのだろう?と、今までずっと考えていた
のですが、先日、「学徒出陣」の井伏氏の劇評に対し、自分の意見を書いたときに、「あ
あ、そうか。ここに今書いていることが、まさに『演劇の理想とは』に自分が興味を持ち
得ない理由とリンクしているではないか。」と思い立ち、改めてここに書き込もうと思う
に至ったわけです。
私が思うに、当初の近江氏の問題提起において、「仮想敵」が設定され、その敵の例と
してディズニーランドなり、鹿島アントラーズが書かれていることを考慮すると、おそら
く近江氏の考える「演劇の理想」とは、集客が現在よりも大幅に伸びている状態を指して
いるように予想されます。もちろん、これらと演劇との違いは、単に集客のみに限定され
るものではないでしょうが、イメージとして真っ先に浮かびやすいものとして、大ざっぱ
ではありますが、ここでは「集客」に括らせて話を進めさせていただきます。
さて、「学徒出陣」の劇評バトルで、井伏さんのご意見に私がまさに異論を述べた点が、
この「集客」についてでした。井伏さんは公演の成功のため、一人あたり20人の客を呼
ぶべきだった、と書かれたのに対し、私は、その手のチケットノルマを課すことによる成
功は、自分にとっては望ましい成功ではない、という趣旨のことを書いたわけです。この
ような意見を私が述べた理由としては、私という人間のパーソナルな部分が根拠としてあ
ります。つまり、たとえ観客がたくさん入っている公演だからといって、自分にとってそ
の芝居がつまらないものであれば、それは成功した公演とは思えないし、逆に10人ぽっ
ちしか客の入っていない公演でも、自分にとってそれが感動的な作品であれば、それは太
田にとっては成功した公演になるわけです。
しかし、これは考えてみれば、ずいぶんと手前勝手な話です。太田というパーソナルな
人間の抱いた成功、失敗の基準が、客観的なデータとしての成功、失敗に置換できるもの
でないことは、私自身重々承知しているからです。つまり、客観的データとして集客がな
った演劇公演が多く続いたことをもって、もし演劇の理想(の一部)が達成された基準と
見るならば、自分にとっては、過激な言い方になってしまうかもしれませんが、そんなこ
とはどうでもいいことなのです。逆に今から5年後、10年後、多数の集客を誇る劇団が
つぎつぎと衰退していき、10人程度しか客が入らない劇団ばかりになった近未来が訪れ
たと想定します。しかし、その10人程度しか集客できない劇団が、みな太田好みの芝居
を展開していたとしたら、太田という人間にとっては「演劇の理想」が訪れた状態になっ
たということになります。
つまり、ここで議論されている「演劇の理想」が、例えば「集客」という客観的尺度に
基づいたものであるとするならば、太田が個人的に持つ「演劇の理想」とは必ずしも一致
するものとはいえない、ということが太田が今までここの議論に消極的であり、参加しな
かった理由となるわけです。
それはあまりにも自分のことしか考えていない、自分勝手な考えではないか、と批判さ
れる方がいらっしゃるかもしれません。しかし、私にとって本来、演劇を鑑賞したり、ま
た、劇評を書いたりする行為というものは、極めて個人的なものなのです。私のプロフィ
ールが当HPの別欄にありますが、そこでも私は、自分の中に書きたいという内的欲求が
あるから劇評を書いている、という趣旨の文章を書いております。そもそも、演劇鑑賞と
いうのは、趣味・余暇というジャンルに含まれるものでしょう。であるならば、それは本
来誰かのために奉仕するような、ボランティア的・利他的な行為ではなく、自分の楽しみ
というもののために行う、利己的な行為であるのが本質であるはずです。だとしたら、私
がここで「客がちょっとしか入らなくっても、自分にとって面白い芝居がたくさんある状
態が、自分にとっての演劇の理想といえる状態なんだ」という意見が、極めて利己的に写
ったとしても、それが趣味、という本来的に利己的な性質を持つものである以上、むしろ
自然、妥当なことではないでしょうか。
もちろん、私が利己的であることが、私以外の他人の方が仙台演劇界に対して利他的姿
勢で臨まれていることを否定するものでは決してありません。というより、そのような利
他的姿勢をとられている方々に対しては、むしろ私など頭の下がる思いがするわけです。
なぜなら、私の利己的欲求を満たしているのは、そのような利他的姿勢で仙台演劇界に尽
力されている方々の御努力に負う部分があるはずだからです。しかし、そのような利他的
姿勢で「仙台演劇界はどうすれば、もっと理想の状態に近づけるのか?」と日々、頭をひ
ねっていらっしゃる方に申し上げたいのは、仙台での演劇に関わっている人々すべてが、
必ずしもそのような利他的な姿勢を持っているとは限らないものであり、しかもそのよう
な利己的姿勢で演劇に(作り手であれ、客という形であれ)臨んでいる人々が、私を含め
てもし多数だったとしても、本来演劇というものが趣味として望むものである以上(現実
に演劇公演をもって生活の生業としている方は現在、仙台にはほとんどいないのが実情で
すよね?また、もし仮にプロの方が仙台にもいらっしゃったとしても、演劇をあえて職業
として選択したということは、その人の個人的好み、性向というものがおそらく反映され
ているはずです。自分は演劇はあまり好きではないけど、ボランティア精神で仙台演劇界
活性化のためにプロになろう、という人はほとんどいないのではないでしょうか?)、そ
のような利己的姿勢は非難されるべき筋合いのものではなく、むしろ当然のことという前
提条件の下に議論を進めていった方がいいだろうな、と思いますし、だから、このテーマ
についてほとんど意見が投稿されなかった理由は、もしかしたら、「俺は自分の劇団のこ
とで頭がいっぱいだ。演劇の理想などというグローバルで大きいテーマなんて考えたこと
もないよ。」という人が多数であったためかもしれません。しかし、それは私に言わされ
ば、極めて自然な意識であり、それを理由として、例えば、仙台の演劇人は問題意識が低
い!などと説教をされたりするようなものではない、と思うのです。
[2001年3月16日 22時14分49秒]
お名前: 劇団CUE森 URL
近江氏から大変興味深い話題定期がなされて一ヶ月。
このまま反応なしに消えてしまうのはとても惜しいと思い管見の一部を披露したいと思う。
(ちなみに劇団CUE森と名乗っているのは、劇団名のPRになればという意図以外にない。)
>アート表現者はアートの世界だけで考えていれば良いジャン!
>うむ、一見妥当な意見のようでもある。しかし発想はなるべく多
>い方が良いだろうと言う単純な発想で考えている。演劇の現場で
>も私のような視点の異なる者が発言する事により混血を繰り返し
>魅力的な表現に結実してくれる事を望みたい。また、そのおこぼ
>れとしてアートの世界を別の視点で眺められる眼を獲得できれば
>なおよろしい。そう考えている。
私が共感しているのは近江氏の上記の視点である。この点に共感したところから、私は
近江氏への賛成でも反論でもない、まったく独自の思うところを述べていこうと思っている。
近江氏は演劇を見直す新たな視座として「仮想敵」というものを提示された。つまり、市内
の演劇界の中で「表彰」などを導入してある種の「競争状態」をつくり、演劇を活性化させる
という視点ではなく、演劇以外の分野との競合を問題にし、演劇のあり方を見直す術を提示
されていると思える。
私がこれから提示したいのはそれとはまた別の視点である。それは近江氏同様に視点の異なる
発想から、演劇を新たに見つめなおす視座を確保したいというささやかな願いによるものだ。
ピーター、F、ドラッカーという経営学者がいる。この学者は非営利団体の経営について
大変示唆深い著書を多く書いているが、アマチュア劇団も立派な非営利団体だと考えるとき
ドラッカーの主張には傾聴すべき部分が多々あると思える。
「優れた評価をあげるべきだというが、優れた成果かどうかはどうやって判断すれば
いいのだろうか?」非営利団体には常にこういう疑問がついてまわる。これに対してドラッカー
は、そういう自己評価に必要な「5つの質問」というものを提示している。
(1)われわれの使命はなにか
(2)我々の顧客は誰か
(3)顧客は何を価値のあるものと考えているか
(4)我々の成果は何か
(5)我々の計画は何か
この5つの問いかけを常に続けることで、非営利組織は自己のあり方を評価し続けるべきだと
いうのがドラッカーの主張である。財務的な判定基準によって評価することが難しい非営利組織
だからこそ、常にこのような問いを発し続けることの必要性を説いている。
実は、これは劇団にも必要な視点ではないかと思える。演劇というものの特殊性を偏重し、
ともすると自己満足に明け暮れがちな劇団の現状を私自身、常に反省せざるを得ない状況におか
れているけれども、上記の五つの問いに常に答えを出し続けることの重要性を痛感している。
劇団同士の競争、仮想敵との競争。戦いは数多くあるが、私は最終的には上記の五つの問い
に常に答えを出そうとする闘いがもっとも必要なことではないかと考えている。よい芝居を
作ることだけが劇団の至上命題だというのもうなづける主張だが、ともするとそれは主宰者、
リーダーの芸術的感性にのみ振り回され、構成員には自分たちが本当に成果を上げているのか
実感としてつかめない部分が出てくるのではないだろうか。また、それゆえに劇団という形式
そのものが問題視されることが多くなってきているのではないだろうか。
構成員個々が常に上記の問いに答えを求め続けること。近江氏は「仮想敵」を想定するという
興味深い提言をされたが、私は上記の提言をして近江氏の意見に共感の意を示したいと思う。
[2001年3月7日 15時16分31秒]
お名前: 近江 俊彦
仙台における演劇の理想とはどこに存在するのであろうか。
戦略的マーケティングを通したブレーンストーミング学習法にて
検証していきたいと思う。
私の真の目的は、最終的には表現行為すべてにおいて理想的な、
環境の構築に結び付けて行けたらいいなと単純に考えている。
アート表現者はアートの世界だけで考えていれば良いジャン!
うむ、一見妥当な意見のようでもある。しかし発想はなるべく多
い方が良いだろうと言う単純な発想で考えている。演劇の現場で
も私のような視点の異なる者が発言する事により混血を繰り返し
魅力的な表現に結実してくれる事を望みたい。また、そのおこぼ
れとしてアートの世界を別の視点で眺められる眼を獲得できれば
なおよろしい。そう考えている。
手法として、大雑把にいかのように進めていく。
1.理想形を実現できている個人・団体・状況を仮想敵として特
定する。
2.特定した敵の強み/弱みを徹底的に洗出し、自分(仙台演劇界)
との違いを明確にしていく。
3.敵の強みを凌駕し、敵の弱みにつけこむ戦略を考案する。
戦略に従い効率的に実行する。
4.結果を出す。
なかば強引に、第一回目は、
「演劇にとって仮想敵とは?」
敵と言うと聞こえは悪いが、要するになりたい・なるべき姿を現
実のものとしている個人、団体、会社、社会、国家の事をさす。
だから、仮想敵を想定するにも演劇のあるべき姿を想定するため
にまず考えなければならない。
内部の人にとって考えにくい事であろうが、私のような第3者か
ら見ると適当に答えが出てくる。
小学生・・・・日曜日に近所で安い料金で観られる。退屈しない
演目。
中高生・・・・日曜日に街中で安い料金で観られる。
大学生・・・・いつでも、キャンパスの近くで安い料金で観られ
る。
扶養子供なし・デート(食事)のあとのロマンチックなものから
リキ入れて観に行く話題作。
扶養子供あり・なるべく遅い時間に開始する芝居。
託児所つきの芝居。
日曜日に街中で安く家族全員で楽しめる演目。
インフラとしてはこの全てを満たすものだ。
また、演劇を作る側としては、この制作だけでスタッフ全員が、
生活できる事が条件だ。
さあ、仮想敵はなんなんだ。
映画か、ディズニーランドか、テレビか、競馬場か、歌舞伎座か
宝塚か、ウイーン国立歌劇場か、いろいろ考えたあげく、鹿島ア
ントラーズを挙げたいと思う。
鹿島と言う町は非常に小さな町だ。こんなところに大人も子供も
皆で楽しめる日本一のチームがある。シーズンには平均して週に
一回づつ近所のスタジアムにテレビで見たスター選手と、近所の
グラウンドでトレーニングしているうちの町の選手が戦う場面に
遭遇できる。もう、毎週お祭りをやっているようなもので、住民
も楽しければ、他に誘惑のない選手もサッカーに打ちこめるし、
良い循環ですね。
とはいえ、皆さんも先刻ご承知のように、鹿島町はJリーグへの
準備の為に、なんと世界のジーコを招いてしまった。そして彼を
納得させるだけの環境を作り上げた。そして、町ぐるみの応援と
極めて良い循環を、この小さな町のスタッフが想像し創り上げる
事ができた、学ぶべき点の多い稀有な例だと思う。
スポーツと演劇は違う。1チームと多数の劇団を擁する体制も、
異なる点がおびただしい。
そうかもしれない。だから最初に適当に答えとことわった。
オフブロードウエイとくらべてどうなんだって?あいにくかの地
の状況は詳しくないが、アーウィン・ショーの小説などを読んで
みると、仙台の状況とはあまり合致しない点が多いように思う。
そんなわけで井伏君、今回のテーマについてどのように考えるか
ね?
[2001年1月29日 1時25分5秒]
お名前: 井伏銀太郎
プレ仙台演劇賞が発表されました。私は、仙台演劇人フォーラムの公報という立場から選考過程を
取材しました。
選考のシステムは、演劇賞のコーナーにある通りです。
今回は、来年の正式な賞のためのシステム作りや、審査の熟練を目的とするため「プレ演劇賞」
ということになりました。
11月の仙台演劇祭関連企画「劇評する側される側」でこの賞の企画が発表されてから色々な意見を
いただきました。
「何をもって、劇評をするのか?」「勝手に賞を作ったのでは?」「権威的なものでは?」などです。
元々この賞は 演劇人の励みとなるように、劇評倶楽部の1年間の劇評の総まとめとして企画された
ものです。劇評自体もそうですが、絶対的な評価というものはありません。賞にしても絶対的な評価
というものでもありません。
今回意見をいただいた意見の中には、行政の賞「県芸術選奨」との関係もありました。
そのような意見は「県芸術選奨」に対してはあまり問題意識は感じられませんでした。
先の「劇評する側される側」で話された通り「県芸術選奨」はどのような審査員がどのような選考
過程で選んでいるのか、全く透明性がありません。
演劇に対しては、審査員が県内のどのくらいの公演を見たのかも疑問が残ります。
演劇は集団で作っているにも関わらず、集団や作品そのものに対しての賞ではありません。
ほとんどが、劇団の主催者個人や俳優に対しての賞で、スタッフ関係には与えられていません。
又、賞を与えられた演劇人がその後活動をしていないなど選考に疑問が残るものもありました。
とにかく1年間演劇公演を見てそれを評論していき、そのまとめとして賞を発表したのです。
これは、ものすごく時間やお金がかかることです。劇評倶楽部の方は年間数十本から百数十本仙台
もしくは他地域で演劇公演を見て劇評を書いています。
行政で戯曲賞の計画が有ると発表がありましたが、戯曲賞はそういう意味ではいくつか一ヶ所に
集めて短期間に選べるので、1年間の総決算程時間がかかりません。
現在メンバーは最近入会した方を含めて4人です。
今回、人数的には川島氏、小野氏、佐々木氏の3人で選考しました。
未来樹シアター「みんな、待ってる」や翔王シアター最終公演「地球防衛軍-MITABI-」のように
今回選考過程の中でせっかく名前が出ていながら、一人しか見ていなかったので、賞に選ばれ
なかったものもいくつかあります。
もっとたくさんの方が入会して選考に参加していただけばいいと思いますし、次回からは劇評倶楽部
以外の演劇関係者を含めての選考を考えています。
今回の賞に対しても、結果的に納得できるものがあればいいと思うし、継続することで賞に対しての
信頼性も生まれてくると考えています。
プレ仙台演劇賞に対してのご意見ご感想をお待ちしています。
[2001年1月15日 12時57分24秒]
お名前: 仙台劇評倶楽部代表 川島文男
仙台演劇人への提言「番外篇NO・4」
「太田氏の質問への三度目のお答え」
[お答えする前に]
私は拙著「衝劇祭の功罪」での貴方の質問に、昨年の八月二十六日と九月二十五日の
二度に渡りインターネットでお答えしました。しかしこの時、同時質問者の森氏には納得
して戴きましたが貴方は納得してくれませんでした。そして今回の質問にも十二月十四日
にインターネットで一度、同月行なわれた「プレ演劇賞」予備会議の席上で一度と計二度
にわたってご説明致しました。しかし結果的にこれも納得して戴けなかったようです。
理由はどうやら、二度目のお答えがインターネットでお答えしなかったからのようです。
そのことを私は「一月二十三日の劇評倶楽部の会合でこの問題を取り上げて欲しい」との
貴方の要請で初めて知りました。そこで仰る通り、私達は貴方に再度お答えすべきか如何
か話し合いました。その結果、私達仙台劇評倶楽部が発足した際、どんな質問にも必ずお
答えすると宣言している以上もう一度お答えすべきであるとの結論に達しました。しかし
考慮して戴きたいのですが、今回の質問はこれを最後とさせて戴きたいと思いますし、
これ以上は直接会ってお話下さるようお願い申し上げます。
[質問一]私の一連の回答が劇評倶楽部を代表してるのか如何か。及び他の会員全てが
大田氏の意見を受け入れたら私は如何対応するのか等を答えて欲しい。
「お答え」貴方は既に演劇賞審査員への参加をお断りしてきておりますし、この質問が
私の心を少々傷つけているのにお気付でしょうか。議論すべき演劇賞の問題から離れ、
私の倶楽部の運営の仕方に言及していると思えるからです。とは言えこのような質問を
なさる背景には、私の回答が倶楽部を代表しているとは思えなかったからであり、私の
演劇賞への取り組みが専制的に思えるからなのでしょう。従ってその責任という意味か
ら、或いは前述した倶楽部会議の決定という観点からも、貴方の質問にお答えしなけれ
ばならないと考えました。
私は私の回答が倶楽部を代表していると信じておりますし、私の個人的見解を述べて
るとは露ほどにも思っておりません。しかし劇評倶楽部の会議で一字一句議論され決定
されたことでないことも確かです。何故ならこの文章の作成も自宅で行なっているよう
に、二時間余の会議でそのようなことを完全に議論することは不可能だからです。その
ため幾分個人的見解も含まれることになりますが、倶楽部の意向を踏み外していないこと
だけは断言致します。
また他の会員全てが私の意見と反対であったらとのご質問について、私は何も言わず
他の会員の意見を受け入れようとは思いませんし、自分の考えを主張いたします。でもそ
れもある一定のところまでで、それ以降は会員の総意に従います。しかし私が如何しても
納得出来ない場合は、自分の主義を貫き、そのことによって倶楽部に迷惑を掛けないよう
配慮しつつ代表を辞任致します。
[質問二]大田氏が審査員になろうがなるまいかは本人の自由であり「全てがあるか、
全てがないか等の考え方で推し量ることは出来ない」との御質問。
「お答え」何故上記のような質問をなさるのかが理解出来ません。私はそうした発言を
した覚えはありませんし、余りに荒唐無稽な質問に驚いております。結論から申し上げれ
ば貴方が審査員になろうがなるまいかは全くご自由であり、周囲で兎や角言う人など誰も
いないことだけは明白です。尤も、私が貴方に審査員になって戴きたいとお誘いしたこと
に対し「それは本人の自由だ」と返事をなされることはあると思いますが。
[質問三]「取り敢えず太田氏が三条件を取り下げ、演劇賞実行委員会[仮称]で
ご自分の意見を述べられ、その結果他の会員の同調を得られなければそれに従うべ
きである」との私の前回の説明に対し、大田氏は「自分は劇評倶楽部の会員でもない
し、それに従う義務もない。また会議で議論するよりインターネットで議論することが
望ましい」との主張。
「お答え」貴方が審査員になられた場合、御出席なされる会議は「劇評倶楽部会議」で
はなく「演劇賞実行委員会」です。従って仰る通り劇評倶楽部のルールに従う必要は全く
ありません。しかしどんな会議でもルールがある通り、この演劇賞実行委員会でも
「無決定の同様のルール」が存在する筈です。そしてそれは一般人として誰もが想定でき
る民主主義の基本的ルールではないでしょうか。即ち、審査員を了承するための幾つかの
条件を事前に並べ立て、それが受け入れられなければ会議に出席しない等と仰るのは、
如何考えても一般常識とかけ離れているように思えます。また貴方の三条件に関して、
私の一存では決定出来ないとお答えしているにも拘らず、それすら納得して戴けないのは
如何なものでしょうか。貴方はそれに対し「劇評倶楽部の会員でないのだからそのような
ルールに従う必要はない」との反論を寄せておりますが、それは論点が違いすぎるように
思いますし「誰もが自由に参加して欲しい」との私達の願いを逆手にとっているようにさ
え感じます。
また貴方は会議の席上で議論するより、インターネットで議論する方が望ましいと仰
られておられますが、それも貴方の自由です。しかし貴方のこの自由な選択には、議論す
るべき相手が必要であることをお忘れになってはいないでしょうか。つまり、場合によっ
てはその相手に大変な負担を掛けることになるのです。貴方は貴方の主張に反し、御自分
の考えを他に強要している一例がここにもあるのです。
[質問四]「表彰制度を認めた覚えもない。だから次の三条件を提示した」との御質問。
「お答え」貴方が表彰制度を認めていなかったとすれば、それは何方か一方の解釈の間
違いだったのでしょう。また貴方は三条件を認めなければ審査員を受け入れられないと
仰っていますが、それは[三]のお答えと重複しますので削除します。但し、再度申し
上げますが、私は貴方の仰っている三条件云々を問題にしているのではなく、貴方が民主
主義のルールに従って、結論へ至る過程を大事になさっているか如何かを考えて欲しいと
申し上げているのです。
[質問五]「社会人演劇より高校演劇の方が劣っているとするならば、それは間違いで
ある」及び「その考えを自分に押しつけて欲しくない」との御質問。
「お答え」全くその通りだと何度も申し上げております。一概に高校演劇が劣っている
とは思えませんし、むしろ若者の新鮮な感性は其処にこそあるのではないかと会議で申し
上げた筈です。しかしこれには「一概に・・」という前提条件が必要なことも確かです。
つまり、貴方は昨年度の仙台に於ける最優秀作品三点全てが高校演劇の上演作品だと仰っ
ておりますが、そうした選択は劇評する上で何か偏見を抱いていないかとの疑問を呈して
いるのです。貴方が貴方のホームページでそうした選択をなさるのは結構ですが、この演
劇賞を運営する責任者として、事前にそのことを貴方に伝える義務があると考えたので
す。にも拘らずこの判断が独断的であると解釈され、どのように考えようとも本人の自由
だと反論されるのは、最早私の回答の範囲を超えておりますのでお好きなようになさって
くださいと申し上げるしかありません。
また貴方が審査員になられた上で御自分の票を高校演劇の上演作品に投票するのは御
自由ですが、このことに関し「演劇賞の選考には公共性がある」と述べたことに対し、
貴方は公共性の解釈を履き違いしていると仰られる。しかしこれに関しても、インター
ネットをご覧になっている皆さんに判断して戴いたらと考えております。尤も、仙台演劇
人の中にはこの「劇評バトル」で、「演劇に公共性はいらない」と平然と仰る有力者が
居ることも事実です。そのため時として、私も平衡感覚を失うことがあります。
[質問六]劇評倶楽部が標榜する「演劇界の良心」について納得していないということ
を改めて確認する。
「お答え」何度も言いますが、貴方がどのようなお考えを持っていようとご自由です。
だから同様に、私達劇評倶楽部がどのような方針を持っていようと自由だと思うのですが
何故このような主張を声高になさるのでしょうか。ましてこの欄は演劇賞についてであ
り、劇評倶楽部のあり方とは切り放すべきだとは思いませんか。しかし折角そこまで仰っ
たのですから、この言葉の意図を再度御説明申し上げます。
私達「劇評倶楽部・是」には、この「演劇界の良心」の文言の前に「中立を目指す」
という文章があります。これは私のような若干老齢で演劇に携わるものが、演劇が過去に
於て如何に困難な時代を潜り抜けてきたかの一部を先輩に教えられ、また一部を実際に
体験してきているからです。そしてそれは一般大衆に与える思想という点で、演劇が大変
大きな影響力を持っているからに他なりません。戦争中、一部の演劇家は積極的に軍部に
協力いたしました。また戦前戦後を通じ、一部過激な団体によってその中立性を失いまし
た。そしてこのことはそんなに遠くない数十年前の出来事なのです。従って私達演劇に
携わる者、或いは特に劇評をしようとする者はその轍を踏むことなく、政治的にも常に
中立を守っていかなくてはならないと考えているのです。確かにこうした経験のない若者
にとってこれを重大な問題として捉えることは困難だとは思いますが、私達経験者がこれ
を黙って放置しておけば、大変危険な状態に陥る恐れがあるのです。それゆえ私達はこう
した中立を唱え、その心を「劇評倶楽部・是」の中心に据えたのです。
ですから結論的に申し上げるなら、貴方が何を持ってこの「是」に反対しておられるの
かが心配です。
「書き終えて」
この書き込みを終えて思うことは、残念ながらこの質疑応答が余りに不毛の議論だと
感じることです。しかしながらその中でも一点だけ興味をそそられた文章がありました。
それは大田氏が「演劇以外のジャンルにおいて、本来批評とは、作り手よりも読者に読
まれるものとして書かれている、という事実を演劇にも当てはめたい」と仰られている
ことです。勿論、私はこの考え方に共鳴するものではありませんが、こうした思考を幾
つも重ねていくことは大変大切なことだと思います。何れにしろこうした今後の議論は、
より高い芸術的感性や演劇の素晴らしい香りを漂わせた論争をしたいものだと思います。
[2001年1月31日 0時48分0秒]
------------------------------------------------------------------------
お名前: アイドル評@太田
私が12月20日付けで書き込んだ再質問に対して、現在のところ回答が来ておりませ
んが、そのかわりなのか、「仙台劇評倶楽部賞」のコーナーが、当ホームページ内に別に
できあがっています。おそらく、ここに書かれている「策定要項」をもって、私に対する
回答にかえる、というのが劇評倶楽部側の見解ということなのでしょう。そのように判断
し、「策定要項」を拝読いたしました。
結論から申し上げれば、残念ながら、この「策定要項」では、私は審査に参加すること
はできかねます。理由は、「仙台で活動する演劇人がその励みとなるよう願って創られる
もの」という、この賞の趣旨ともいうべき文言について、自分が共感できないためです。
以前から何度も申し上げているとおり、私は、自分の中にある「業」、自分の中にある
「どうしても書きたい!」という創作意欲に基づいて、劇評なり年間ベスト10なりを書
いています。つまり、どこそこの劇団の励みにしてもらいたい、などという気持ちで劇評
を書いているわけでは、決してないんですね。むしろ、自分が劇団側の立場の人間だった
として、誰かに「おい、俺の劇評をお前ら、励みにしろ!」と言われたら、自分には「大
きなお世話」としか思えませんから。
もちろん、大変ありがたいことに、私の劇評を読んで「励みになった」とおっしゃっら
れる劇団関係の方もいらっしゃいますし、そのようなお言葉を伺ったときは、私も本当に
嬉しい思いに満たされます。しかし、それはあくまで副次的なものであり、私の劇評を書
くメインの理由ではないものなのです。つまり、私の劇評を誰かが読んで、結果として励
みにしていただけるのであれば、それを受け身の立場で感謝する気持ちは強いが、自分か
ら積極的に、「自分の劇評を励みにしてくれ!」と標榜する意思は持ち合わせていない、
ということです。むしろ、極端に言えば「太田が俺らの劇団を褒めようがけなそうが関係
ない。俺たちには俺たちの芝居を作るにあたってのポリシーってものがあるんだ。それで
太田が俺たちの芝居を気に食わないと見に来なくなったって構わない。俺たちの芝居を支
持してくれる客は、他にいくらでもいるんだから。」という考えを持っているからこそ、
演劇という表現を作り手側は選択しているのではないでしょうか?なんのポリシーもなし
に、他人の意見にフラフラと左右されるようでは、表現者としていかがなものか?という
思いもあります。
じゃあ、太田は自分のためだけに劇評を書いているのか?だったら、わざわざ発表せず
に、日記にでもつけとけばいいじゃないか?という疑問をお持ちの方もいらっしゃるでし
ょう。もちろん、私も劇評をこのような場に発表するからには、読者に読んでほしいし、
共感してくれる人が多いといいなあ、とは思います。しかし、これも以前に書きましたが
私は「観客同士の意見交換」としての劇評を書きたい、という考えを強く持っております。
それは、演劇以外の他ジャンルにおいて、本来批評とは、作り手よりも読者に読まれるも
のとして書かれている、という事実を演劇にも当てはめたい、と考えているからです。だ
から、なおのこと「仙台で活動する演劇人がその励みとなるよう」という、作り手側によ
り向いた形の、今回の「策定要項」には自分の劇評を書くにあたっての考えとの違いを感
じずにはいられないわけです。
また、「総合芸術としての芸術性」という基準も自分とは相容れないものです。自分に
とってのいい芝居とは、「自分が感動する・面白いと思う」か否かです。総合芸術である
かどうかは、そのための手段に過ぎません。「総合芸術」とはいえないけれども、自分に
とっては感動的な芝居、というものがあるかもしれないし、また、その逆の芝居が存在す
ることもあるかもしれません。その場合、この選考基準に照らし合わせてしまうと、自分
にとって最も感動した芝居を、「総合芸術」という選考基準を理由に、順位を下げなくて
はならなくなる可能性が出てきますが、私はそのような振る舞いはとりたくないのです。
以上の理由により、残念ではございますが、私は仙台劇評倶楽部賞の審査には参加しな
いこととさせていただくことと致しました。
[2001年1月11日 23時7分10秒]
------------------------------------------------------------------------
お名前: アイドル評@太田
仙台劇評倶楽部・川島会長より、下記の通り御回答をいただきました。これについて、
若干不明瞭な点がいくつかあるので、さらに劇評倶楽部側に再質問申し上げ、その結果如
何によって審査参加の諾否を決定したいと思います。
1.私の最初の文章が、誰に対していっているのか不明瞭とのことですが、これはもちろ
ん「仙台劇評倶楽部」という組織に対して言っているものです。従って、今回の川島会
長の御回答が、川島会長の個人的見解なのか、劇評倶楽部会員3名の合議の上による会
としての公式見解なのかを、確認させていただきたい。また、もし、これが川島会長の
個人的見解で、残り2名が私の提案を受け入れると表明した場合、川島会長としてはど
う対応されるのかについても、併せてお教えいただきたく、お願い申し上げます。
2.「貴方の仰っていることは絶対確かなのだから、それに従えないような倶楽部は間違
っていると脅迫していることと何ら変わらないのです。」とありますが、なんでそのよ
うな結論になるのか意味不明です。川島会長が太田の意見が絶対確かでないと考えるの
は川島会長の自由ですし、川島会長がそう考えることをやめさせる権利は太田にはあり
ません。また、太田が「そのような倶楽部は間違っている」と決めつける権利がないの
も当然のことです。太田が「劇評倶楽部賞」に参加するかしないかは、太田の個人的見
解に基づくものであり、太田と川島氏の見解が異なって、太田が結果として当該審査に
参加しなかったとしても、それは太田が間違ってるとか、川島氏が間違ってるといった
オール・オア・ナッシング的なものではないと、私は考えています。それぞれが自分の
信条に基づいて、それぞれの信ずる道を進んだとき、どちらかの考えは絶対間違ってい
る、と無理に結論をつける必要がどうしてあるのでしょう?
3.「ですからまず初めに貴方がなさることは、取り敢えずこの主張を取り下げ、自分の
考えていることを会議で述べて賛同を得るか、或いは合意が得られなければそれに従う
よう努力すべきだと考えます。」→私は「仙台劇評倶楽部」に属する人間ではありませ
んから、「合意が得られなければそれに従う」努力をする義務はないはずです。従って、
私は今回の主張を取り下げる考えはありません。また、文章によって意見を述べること
と、会議で意見を述べる違いも理解できません。むしろ、その場で即答せず、相手の述
べた意見に時間をおいて検討を加えることが可能であるという点で、私は文章によるや
りとりの方が、こういった込み入った議論では、より望ましいものと考えます。
4.「現実に貴方は、あれほど強く主張していた反表彰制度について素直にその間違いを
認めてくださいました。」→私は、衝劇祭の際に議論をしたときにも、表彰制度に対し
てはオール・オア・ナッシング的態度はとっていない、と書いておりました。その意味
で私は、先の「衝劇祭」での議論の間違いを認めた覚えはありません。その一貫性を保
つために、下の3条件を私は挙げたのです。
5.「社会人の作品はそれ相応の訓練を経て上演されているわけで、当然それなりの評価
があるはずだと考えられるからです。にも関わらず、それらの作品が高校演劇のそれよ
り劣っているとすれば、それは些か見当違いをしておられと言わざるを得ません。」→
その川島会長のお考え自体が、川島氏個人の見解だと私は考えます。川島会長が太田の
考えを、「見当違い」と思われるのは、川島会長の自由です。しかし、川島会長と同じ
ように太田も考えろ、という意味でこのようにおっしゃられているのだとするならば、
それを受け入れるわけにはいきません。川島会長は「公共性」というお言葉を使われて
おられますが、Aという人間がBという人間に自分の思想を一方的に押しつけることが
「公共性」だともし思われているとすれば、それこそ「公共性」という考えを履き違え
ていると、私は考えます。
6.「またこうした貴方の選別が自分一人の自由な判断だから許されるとお考えでしたら、
それは選外となった人々に対し大変失礼な行為を行なったことになり、私達の目的を失
ってしまう事にも繋がりかねません。」→たとえ失礼に当たろうとも、自分の内面にお
いて、それが真実であるとしたら、それを貫くのが、いやしくも批評を書く者としての
ポリシーではないでしょうか?むしろ、川島会長のお考えは「社会人だから」「高校生
だから」という先入観によって、批評をする際の目が曇ってしまう危険性が大きいと考
えます。また、ここでいう「私達の目標」とは何でしょう?複数形である以上、劇評倶
楽部の目標という意味でしょうか?だとするなら、私は以前にも書いたように、劇評倶
楽部の目標である「仙台演劇界の良心を標榜する」という考えには賛同していない、と
いうことを改めてここで確認させていただきます。
以上が私からの再質問及び見解です。劇評倶楽部側の更なる御回答をお待ち申し上げます。
[2000年12月20日 22時16分2秒]
------------------------------------------------------------------------
お名前: 仙台劇評倶楽部代表 川島文男
アイドル評、大田様へのお答え
「演劇賞審査員」への参加協力のお願いについてのお答えで、大変無理難題を仰られる
と感じておりますが、取り敢えずその質問の一つ一つにお答えいたします。
「一」の質問へのお答え。
結論から申し上げると、貴方の仰る通りにすれば私達の活動はストップしてしまいます。
同時に、貴方の仰っていることは貴方の最も嫌っている「権威の押し売り」であることに
貴方自身が気付いておられないと感じました。例えば貴方は参加する条件に、「・・の
文言を入れないで欲しい」とか「・・の文言を入れてほしい」との要求を出されておりま
すが、誰に対して言っているのでしょうか。私自身に対してか、それとも私達の倶楽部に
対しなのか明確ではありませんが何れにしろ、そのための会議を開いて検討せよと仰って
いることに違いはありません。そして多分これから先もこのような主張が繰り返されるの
でしょう。つまり貴方の仰っていることは絶対確かなのだから、それに従えないような
倶楽部は間違っていると脅迫していることと何ら変わらないのです。そしてもし私達が
この貴方の主張を受け入れようとするならば、もはや民主的な運営は困難になることは
勿論、同時にこの組織は貴方だけのものとなってしまうのです。ですからまず初めに
貴方がなさることは、取り敢えずこの主張を取り下げ、自分の考えていることを会議で
述べて賛同を得るか、或いは合意が得られなければそれに従うよう努力すべきだと考え
ます。現実に貴方は、あれほど強く主張していた反表彰制度について素直にその間違い
を認めてくださいました。つまり私達を含め、まだまだ絶対的なものなど存在しないの
です。
「二」の質問へのお答え。
貴方の仰られる通り、この「演劇賞」の規約は合議でそのように決定しております。
しかしここで敢えて申し上げるなら、昨年貴方の選んだベスト3が総て高校演劇生徒の
上演作品であったとするなら、そしてそれが貴方の本心で今後もそれを貫くとするなら、
矢張り「自由な選択」と言った考え方を履き違いておられるか、演劇に対する視点が
余りに偏向を持っているとしか思われません。何故なら、社会人の作品はそれ相応の
訓練を経て上演されているわけで、当然それなりの評価があるはずだと考えられるから
です。にも関わらず、それらの作品が高校演劇のそれより劣っているとすれば、それは
些か見当違いをしておられと言わざるを得ません。またこうした貴方の選別が自分一人の
自由な判断だから許されるとお考えでしたら、それは選外となった人々に対し大変失礼な
行為を行なったことになり、私達の目的を失ってしまう事にも繋がりかねません。
つまりこのことは公共性を持っているかいないかの違いだと思いますし、余りに伎を衒う
手法も時としては慎むべきだと考えますが如何でしょうか。
「三」の質問に対するお答え。
これも「一」で述べたことと重複することになりますが、貴方の考えていることは
貴方と言う一人の人間の考え方であって、それを他の人々に強制することは出来ません。
作品の選出方法はそこに参加する人々の総意で決めることであって、貴方や私の一存で
決定されるべきものではありません。幸いにも、貴方が指摘している問題については
未だ議論の余地がありますので、そこで述べられたら如何でしょうか。
以上、貴方に参加して戴く条件についてお答え致しましたが、今でも私は貴方の
参加を期待しております。その理由はどんなに意見が異なっていても、貴方が演劇を
真剣に考えておられることに変わりはないと判断しているからです。そして貴方や
私達が願う「演劇人や観客のために」と言った大切な目的のために貢献してくださる
と信じるからです。
2000年12月14日
[2000年12月19日 19時52分37秒]
------------------------------------------------------------------------
お名前: アイドル評@太田
先日、仙台劇評倶楽部の佐々木久善さんより、「今年初めての試みとして行う予定の、
『仙台劇評倶楽部賞』の審査に入っていただけませんか?」とのお電話をいただいた。理
由は、選考過程で、劇評倶楽部会員が見ていない芝居を幅広く網羅するためには、地元の
演劇をたくさん見ている外部の人にも審査員として入っていただいた方がいいと判断した
ため、とのことであった。
私はバックナンバーの自分のプロフィールのところにも書いているとおり、現在の劇評
倶楽部のあり方に対して疑問を感じているため、当倶楽部に入会していないことを既に公
表している。また、衝劇祭の折には、川島会長の書かれた総括に対して反論を書いたこと
から、両者間で長期に渡って議論となったこともあった。そのような考え方の対立・相違
点を越えて、私を審査メンバーに加えたいという今回の申し出は、「劇評倶楽部さんも、
なかなか太っ腹なところがあるなあ」と感心し、かつ光栄に感じたものである。
しかし、今述べた衝劇祭の折の議論で、私は表彰制度について懐疑的意見を書いている。
もし、当該表彰制度に審査員として関わるということになれば、あの時の意見とは矛盾し
ないか?という問題が当然でてくることになる。
これに対する私の現時点での考えはこうだ。あの時の議論で私は、川島会長の「オール
・オア・ナッシング」的姿勢について批判し、自分が表彰制度に対して相対的考えをもっ
ていることを主張した。つまり、表彰制度がもつメリットとしての部分をまったく否定す
るつもりはない、ということだ。その理由として、私は、劇評と同様に個人の一相対的意
見として表彰制度が機能する=つまり、主観的な意見に、「権威」という下駄履きを行わ
ないということであれば、劇評がたくさん出ることが当フォーラムの活性化につながるよ
うに、表彰制度が演劇ファンの楽しみを増やすメリットとなる可能性もあると考える。そ
の具体的例として私は、当フォーラムで年末に登場する、「年間ベスト3」コーナーを挙
げたのである。だから、「年間ベスト3」の拡大バージョンとして、今回の「劇評倶楽部
賞」が機能するというのであれば、その試みは面白いものになるかもしれない。
また、この2ヶ月の間、地区予選から県大会まで高校演劇コンクールを熱心に見続けた
ことも、自分の中の矛盾として自覚せざるを得ない事実であった。だいたい、表彰制度に
批判的な見解を持っている者が、地区大会・県大会と表彰制度を前提として開催されてい
るコンクールに、誰よりも熱心に足を運び(当事者を除く)、その審査結果に一喜一憂し
ているというのは、矛盾も甚だしい振る舞いではないか。確かに問題点もあるが、表彰制
度が存在せず、ただ各学校が公演をするだけの内容だったら、当該コンクールに対して、
これほどまでに作り手側も、また観客である自分も盛り上がることはあり得なかっただろ
う。このことは、いかに表彰制度に懐疑的な理由をもつ自分としても、認めざるを得ない
事実であった。ここは潔く「コンクールは表彰制度も付随していたからこそ面白かった」
と認めよう、というものである。
ただし、今までの川島会長との議論で申し述べてきた私なりの考え方自体は、私自身の
ポリシーとして撤回できないものがあるので、以下の条件が認められた場合のみ、審査に
加わることを受託したいと思う。条件は3つである。
1.以前の衝劇祭についての論争でも書いたとおり、私は表彰制度を、個人の相対的主観
に、「権威」という下駄履きをするための行為であるとしたら、これを拒否する。従っ
て、「劇評倶楽部賞」の「定義」(「劇評倶楽部」本体の「活動方針」とか「綱領」に相
当するもの)に、「権威」とか「良心を標榜するため」とか「客観的評価」などという
文言を入れないでいただきたい。代わりに「当該表彰制度は、あくまで仙台の熱心な一
部演劇愛好家がもつ主観的意見の総和によるものである」という一言を入れていただき
たい。ただ、周りの方々が、当該表彰を「権威」とみなすことが、将来起こりうるかも
しれない。そのような、本人達が意図しなくても、周りがそうみなしてしまうことはや
むを得ないと思う。しかし、自分の方から積極的に「権威だ!」と標榜する行為は、厳
に慎んでいただきたい。
2.対象劇団は、「仙台市内の社会人劇団」に限定せず、高校演劇・大学演劇・仙台市以
外で活動する宮城県内の劇団も対象範囲内としていただきたい。私が、これら学生演劇
や仙台市外の劇団を高く評価してきたことは、この間の「劇評バトル」で何度も書いて
きたとおりであり、現に昨年の個人的年間ベスト3は、全て高校演劇から選んでいる。
3.審査は、審査員それぞれに公平に持ち点を与える形を取ってほしい。話し合いのみで
決定するとなると、「声の大きいものが勝つ」的な状況に議論が進む危険性がある。今
回、高校演劇コンクールの審査結果を初めて知ったが、各審査員が3点の持ち点を、3
校にそれぞれ1点づつ与えるのが一次審査で、同点が生じたときは、二次審査で、当該
同点校の上下を審査員間の話し合いで決める、というものだった(ただし、生徒審査員
はまず合議により3校を選び、それに、大人の持ち点分の2乗を付与するものとなって
いた)。また、映画の場合、「キネマ旬報」という雑誌での年間ベスト10が有名だが、
これも各映画評論家が1位10点、2位9点・・・10位1点、という持ち点制をとっ
ている。この持ち点制を導入した場合、他の人が推薦しないが1人が強く推薦した劇団
があったとして、それを各審査員がどの劇団に持ち点を投じたかを透明化することによ
って、個性的で万人には認めがたいが、一部には強い印象を残した劇団に対する評価を
フォローすることができることになる。
以上、3点の条件が満たされたとき、私は当該表彰への審査に加わりたいと考える。劇
評倶楽部側のお返事を楽しみに待ちたい。
[2000年12月2日 0時29分26秒]