1999年劇評

目次


宮教演劇をよろしく

お名前: 悪役太田   

 ネームが変わっておりますが、去年までの「太田憲賢」です。ネームを変えた経緯は、「仙
台演劇ベスト3」欄を御参照下さい。
 宮教大さんが3月、4月と続けて公演をなさるとのこと、今からとても楽しみです。胸をワ
クワクさせて、お待ち申し上げます。
 また、昨日「升孝一郎とがらくた本舗」さんの「ワガクニ」を鑑賞してきまして、この作品
についての劇評は、また改めて書き込みたいと思っているのですが、宮教大演劇部から客演さ
れていた高橋美峰子さんの演技が大変素晴らしいものだったことだけは、取り急ぎこの欄で報
告した方がよろしいかと思い、こうして書き込みさせていただきました。彼女は、シバタさん
が上記で紹介なさっている高橋菜降子さんの妹さんに当たるとのこと、姉妹そろって見事なも
のです。『perfect lives』では、他の役者さんで紹介したい方がたくさんいらっしゃった
ので、彼女については言及しなかったのですが、ミツバというアネゴ肌の颯爽とした研究者を
実に格好良く演じておられたものでした。
 今回は、ちょっと頭がポーッとしている天然ぼけの可愛い大家さん、とい『perfectlives』
とは打って変わった役どころだったのですが、これも観客を惹きつけるかわいらしさで好演。
役者としての引き出しの多さを見せつけてくれました。はっきりいうけど、関・升の両名は食
われてましたよ。例えるなら、ルーキー松坂の輝きの前にくすんでしまっている西武ベテラン
投手陣、とでも申しましょうか。この2人も、昔は輝いていた時期があったんですけどねえ。
 
 客出しの時伺ったところ、美峰子さんも今年は4年で就職活動のため、演劇部には出ない予
定とのこと、とても残念です。せめて、3月の卒業公演で、姉妹そろって花道を飾っていただ
けないものでしょうか?
 

[2000年1月24日 9時26分4秒]

  お名前: シバタ・テツユキ   

 初めまして。昨年の宮城教育大学演劇部本公演『perfect lives』において演出を勤めました、
シバタテツユキと申します。太田さんがウチの大学の公演を大変好意的に見てくださっていることは
部員一同存じており、大変うれしく思っております。
 さて、本日何気なくネットサーフィンをしておりこのページにたどり着いたのですが、水上さんの
劇評、大変堪えました。私はあの公演には大変思い入れがあり、役者の力を最大限に引き出した今の
宮教演劇部においてできる最良の作品を作ることを目標としておりました。しかし私の公演日までの
日程の詰めの甘さと、創造力の至らなさが役者の力を引き出しきれず、私にとって大変変辛い公演
となり、公演後私はお金を払って見て下さったお客様に会わせる顔がなく一人楽屋口で涙をこらえて
じっと耐えておりました。しかし芝居後のアンケートには好意的に書く方が多いせいか、その後私の
耳に入るのは大変うれしいお言葉ばかり、「あの芝居は成功だったのか?」私の中での苦い思い出が
薄れてきた今日この頃、ガツンと来ました。今苦しくて死にそうです(苦笑)とくに最後のお言葉、
「もうここの芝居は見ない。」それはご勘弁を…。私もMOTHERの『perfect lives』を見ており、
水上さんがおっしゃる通り似たシーンが多いことは否めません。しかし、ウチなりに作り上げた
シーンも多いんです。オープニングはまるっきり違いますし、ダンスは曲を変更し、振り付けは
部員によるオリジナル。音効もMOTERと同じ物は作品上残さなければならないものに限定し、
一部部員が作曲しております。台本もより効果的に作品を伝えるために一部手を加えております。
ですからこの努力をかって再度ウチの公演に足をお運び頂けないでしょうか。お願い致します。
 さてさて、只今我が宮教大演劇部では三月上旬に卒業公演と題しまして、本年度卒業予定の
部員中心による、高泉敦子作「ライフレッスン」を予定しております。場所、チケット代(多分無料)
等まだ未定ですが、『perfect lives』でナノ役を務めました高橋菜降子(本学四年)。
ナガミネ役を務めました菅野準(本学三年)などが出演致します。詳細が決まり次第様々な形で
広報致しますので、どうか足をお運び下さい。
 また四月中旬には宮教大演劇部第四回春公演と題しまして、古城十忍作、「ONとOFFのセレナーデ」を
本学講堂にて無料で上演致します。詳しい日程はまだ未定なのですが、どうか頭の片隅においといて下さい。
宮教も世代交代がおこっております。常に部員一同更なる飛躍を目指して日々練習に励んでおります。
どうか皆さんお忙しいことと思いますが足をお運び下さい。そして私もよりいっそうの精進を心がけていきます。
 長くなりましたが最後までつたない文章にお付き合い頂きありがとうございました。
 

[2000年1月24日 0時33分58秒]

 

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鳥の庭園 西瓜ソロ公演「野火」 

お名前: 水天堂    URL

舞踏は「死と再生」がテーマだと以前何かで聞いたことがあります。
全てがそうではないのでしょうが、今回の「野火」は、正に「死と
再生」の舞踏であったと思います。
前半は、死と生の狭間にいる者。後半はそこから再生し、生き生き
と躍動する者と私は感じました。
いつもの西瓜さんの舞踏だと、さらに死への狭間に行きかけて終る
ことが多かったように思うのですが、今回はちょっと違い、なんとも
優しい感じに終っていたように思います。
仙台でこれだけ踊れる舞踏家は寡聞にして他に知りません。
また、場所もいわく付きで、衣装も面白い。
面白かった。
 

[1999年12月27日 1時43分3秒]

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もしもしガシャ〜ンプロデュース「逃げようよ・そ・そ」 

“70年代のテレビドラマか。”

お名前: あんもないと   

 
 これはロケットハウスの劇評からの言葉だが、本公演に関して感じたのは、
なぜ、この若手ユニットが、往来のテレビドラマ風芝居に取り込むのか、
70〜80年代風人情的スチュエーションから新しい発展はあるのだろうか。
芝居が始まってから考えていたことはその一点だった。
 
 現在の芝居がより、映像的であることは私たちがTVやマンガというマス
メディアからカルチャーの洗礼を受けたことの影響は大きい。だからといっ
て、映像世界の持ち味をそのまま舞台にあげていいのだろうか?という疑問
を持ち続けていた。しかし物語が進むにつれ、実は私が感じているホームド
ラマ的物語から既に次の段階に入っていて、同じドラマを舞台と客席から見
ていながら「もしもし」の人たちは違う映像を結んでいるのではないかとい
う思いがしてきた。
 太田氏も書いているように、全編通して保たれた「緊張感」は芝居ならで
はのものであり、ホームドラマが持つ着地点がはっきりしている安心感とは
相反するものである。彼らがあえてあのホームドラマの構造に緊張感(着地
点がはっきりしない不安感)を持ち込もうとしているならば、それは「静か
な芝居」への次のステップになりえる。 
 ただし、今回の「緊張感」という持ち味に関していえば脚本や演出のため
とは言い切れず、それぞれ役者が持つキャラクター性に頼ったところが大きい。
 
 特に私が注目したのが、渡辺氏である。
私が同氏の芝居を見たのが今回で2度目になり、新月列車「地上まで200m」
での役が印象的だったことを差し引いても、彼は自分で想っている以上に存在感
がある。
 存在感というより今回に限り「威圧感」と言い換えていいかもしれない。最初
たかはし氏との何気ないやりとりにさえも、必要以上に「期待(次に何が起きる
のかという不安)」を感じてしまう。それはたぶん「ため」「間」を置いてやり
とりをしてしまうせいではないだろうか?どうしても、同僚との軽妙な会話とは
言い難い。また、彼は目で芝居ができる人だと想うのだが、「地上まで〜」でい
かされていたその目の演技も、今回のような、自然なシュチュエーションの中で
は「威圧感」としてマイナスに目立ってしまったようだ。
 そしてもう一点、劇中で営業マンとしてシーン(例えばナツミへの応対など)
「日常を演じながら、イレギュラーな日常を演じるシーン」でどうしても必要以
上の力みが見えるような気がした。営業マンを演じているというのが逆に演じて
いる渡辺氏を浮き上がらせているように感じてしまうのである。
 その点、たかはし氏のナツミへの応対はより自然に思えた。
 演出/構成の点でいえば、ラスト近くで、ナツミしか知らない社長との
やりとりを回想する前に「3週間前」という文字看板を持たせたことはどうして
も違和感を覚えた。前半で述べたように映像的には「あり」な手法かもしれない
が、せっかくナツミが一人になるという場面で、しかもキーワードになる「林檎」
もあるのだから、彼女の回想、モノローグとして描くことは出来名なかったのだ
ろうか。
 社長とのエピソードがどうしてもラストにくるというのは、構造上よくわかるのだが、
「文字」の提示によって、劇中の時空間がゆがんでしまう。まして、この芝居は
時系列に丁重に語られてきたはずである。
 その点だけが大変気になった。
 今後、渡辺氏をはじめとする役者陣がこの「ホームドラマ的静かな芝居」にど
う取り組んでいくのか、より自然に、より緊迫感をもっていくのか、大変楽しみ
である。
 

[2000年1月28日 17時1分45秒]

お名前: たかはしみちこ   

あたってる、かな。
 

[2000年1月22日 20時44分20秒]

お名前: 太田 憲賢   

 2時間の公演を見終わったあと、ひどく肩が凝るというか、ああ、疲れたなあ、と思わ
せる芝居であった。なぜそう思わせるかといえば、最初から最後まで芝居に緊張感がとぎ
れなく続いていたためであり、その意味では、ダラダラと緊張感なく展開する退屈な芝居
が多い仙台演劇界においては、本作の演出家・奈尾真君の才能は高く評価すべきだろう。
しかし、見ている間退屈しないのはいいとしても、見終わった後、疲労感が第一印象とし
て強く残る(感動や満足感よりも)ということは、ベターではあってもベストの芝居とは
いえないように(ゼイタクな要望かもしれないが)私には思えるのだ。
 では、なぜ本作ではそれほどまでに緊張感を観客に強いるかというと、結論から言って
しまえば登場人物の性格設定にある。ここ何件か、私は「自分探し」をテーマとした作品
を高く評価する劇評を書いてきた。なぜ、「自分探し」をテーマとする芝居に私が感動す
るかといえば、「自分探し」をする登場人物に、私が自分自身を重ね合わせる、つまり感
情移入をしているからである。これに対し、なぜ本作が疲労感を持たせる芝居になってい
るかといえば、登場人物の性格が私に緊張感を強いるからだ。要するに、登場人物が私に
とって「他者」である、つまり自分を重ね合わせられないからこそ、緊張もするし、感情
移入までいかないのだ。
 わかりやすい例を挙げよう。例えばあなたが人見知りをする人間だったとしたら、初対
面の相手には緊張するだろう。もちろん、人見知りをしない人間だったとしても、やはり
初対面の相手と何かの都合で会うときは、すぐに打ち解けるというのは難しいものだ。ま
してや、相手が何を考えているかわからない人間だったり、見るからに怖そうな人間だっ
たりしたら、なおさらだろう。で、本作に登場する人間達は、1人の脇役を除いて(取引
先の社長)、みんなある意味何考えてるかわからなくて、コワ〜イ連中ばっかりなのだ(あ
くまで私にとっては、だけど)。
 この「もしもしガシャ〜ン」というユニットは、奈尾真君と渡辺淳君の二人で立ち上げ
たものだそうだ。この二人については、この1年で急速に伸びた印象が強いが、今年見た
彼らの作品、例えば「熱海殺人事件」にしろ「ポレポレ鳥」にしろ、あるいは渡辺君だけ
が出演していた「地上まで200m」にしろ、彼らの役どころってみんな怖いモノばっか
りなのだ。じっと無表情でうつむいている。あるいは笑顔で話をしているが目だけは笑っ
ていない。そして、突然の暴力!殴る!蹴る!。同じ「静かな演劇」でも、映画に例える
なら、決して大林宣彦ではなく、間違いなく北野武的ムード。この二人が中心となるユニ
ットである以上、今回の「逃げようよ・そ・そ」にも、同様の雰囲気が舞台を満たしてし
まうのは、ある意味必然といえよう。
 そして、奈尾君が演出である以上、この役作りは他の役者にも伝播する。本作は、小さ
な骨董屋を舞台にしたもので、ある日社長の奈尾君が気まぐれで採用した女の子が、突然
会社にやってくるところから物語は始まるのだが、この女の子を演じた久慈貴子さんが、
また怖い。彼女は劇団ピアスからの客演で、「夏の砂の上」の時は、カワイイんだけどダ
ラダラした演技をするなあ、という印象が残っているのだが、今回はその能面のように張
り付いた笑顔が、心底では何を考えてるかわからない恐怖感を見るものに与えており、実
際、彼女は社長の奈尾君が丹誠込めて作りかけていた商品のタンスを、いきなり、衝動的
にハンマーで破壊しようとしたり、得意先の社長が、自分の妻と奈尾君が駆け落ちしたの
ではないかと心配になって奈尾君の会社を訪問した時も、突然狂気じみた哄笑を発したり
するのだ。
 私の愛する女優、たかはしみちこさんにも同じことがいえる。彼女の場合、場の雰囲気
を無視してまで自分の個性を強調しない演技をすることが、長所でもあり場合によっては
欠点にもなっていると思うのだが、以前に私が「静かな演劇にもチャレンジするべきだ」
と書いたとおり、少なくとも「埋み火の駅」や「熱海殺人事件」よりも、本作の静かなム
ードに合わせた演技をすることが、彼女の良さを生かしていたことは確かだ。しかし、同
時に私が「女優論」で引き合いに出した、大林映画的センチメンタリズムを彼女から引き
出す演出ではない以上(先にも書いたように本作は北野的だったから)、彼女の静けさは、
むしろ見るものに「突然切れる怖い女」という恐怖感を先に持たせるものになってしまう
(実際、顔で笑っていながら、誰も見ていないところで未使用の鉛筆を素手でまっぷたつ
に折ることがストレス解消法だったりする役なのだ)。
 私が思うに、たぶん奈尾君という人は、ダンディズムを強く持った人で、自分の弱さを
さらけ出したり、自分の内面を他人に見せたりすることは、とってもカッコ悪いことだと
いう気持ちが強いのではないだろうか。深読みかもしれないが、本作の冒頭が、アニメ「ル
パン三世」のオマージュになっていたことも、彼のダンディズムを象徴していることのよ
うに思われてならない。だから、必然的に彼の作る作品はハードボイルド的なものになら
ざるを得ず、自分の弱さをハッキリ出すような人間は、逆に笑いの対象にされてしまうの
だろう。本作でいえば、取引先の社長がそうだ。彼は骨董屋に来る度に、自分の若い妻の
ことを、のろけるのを楽しみにしているような人間だ。のろけるという行為は、おそらく
奈尾君的ダンディズムの基準からいえば、格好悪いことだろう。しかし、思わずのろけず
にいられない、という社長の内面の弱さに私は好感を持ったし、妻が奈尾君と駆け落ちし
たのではないか、とおろおろするシーンでも、残りの登場人物は奈尾君の味方だから、彼
が困っている気持ちも無視して大笑いするわけだが、私はこの可哀想な社長の方に強く感
情移入せずにいられないのである。
 最後に念のため書いておくが、本作は作と演出が、同一人物(奈尾君)のものであった
が、例えば演出を「ロケットハウス」の人がしたら、ずいぶんと印象の変わったものにな
ったのではないだろうか、という感想を持った。売れない骨董屋に集う似たもの同士が送
る日常、というテーマは、ロケットハウスの志向しているものに似ているし、おそらく彼
らが同じ本作を演出したら、とっても暖かい感じのほのぼのとした作品になったような気
がするのである。その意味で、柔軟性があり、解釈の幅の持てる脚本だと思うので、他の
劇団が本作を再公演するのを見たい気が強くする作品であった。
 

[1999年12月24日 17時11分29秒]

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IQ150公演「夢幻少女'99」 

お名前: Miss   

 

夢幻少女は、よしえという少女、少女といっても二十歳を越えているのだが、その少女の追憶作品として作られた。

それからどんどん変わってきて、今回は東京公演もするそうだ。

ちなみに私が一番好きなところはゲットアップとドカタです。

よしえちゃんがなんか可哀想なかんじですね・・・・・

 

[1999年12月16日 18時50分14秒]

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劇団*翔王シアター 「全自動サンタ機」  

お名前: 関ステレ夫   

 

すいません。細かいことなんですが、学天則は帝都大戦ではなく帝都物語にでてきます。

二代目黄門さまの博士が泣かせます。では。

 

[1999年12月6日 17時52分51秒]

 

 

お名前: 関 ステレ夫   

 

やっぱり、書いてしまうのねん。

さて、下町ロボット物である。

この手の話には弱いのだ。がんばれロボコン、ロボット八ちゃんなど、機械ゆえ人には

できないことが出来てしまうが、機械ゆえの悲しさか人の世界では失敗ばかり。

なれど、その一途さで人の忘れていた何かを思い出させてくれる。

そういえば、帝都大戦の学天則などもよかったですなあ。

 

 途中、西岸良平かあ!!(漫画家 代表作 三丁目の夕焼け・蜃気朗など)とつっこみも入

れたくなったが、年季を感じさせるいい芝居だったじゃありませんか。台詞もぐっとき

たし。

 

惜しくは、ラストの三段がまえはちょっと間延びに感じた。

 あと、ラストのサンタの袋にはプレゼントが入っていて、なんだ会場に配るのか、と

勝手に期待してたらそんなことはなかったので、ちょっとわくわくした自分が恥ずか

しくなった。ああ、罪作りな演出だ。だって、スポットで袋が置いてあって、メリー

クリスマスって書いてあるのだよ。期待したっておかしくないじゃないか。ああ書い

てたら、また恥ずかしくなってきた。

 

しかし、今年の翔王は前回のRED ZONEといい好調だったなあ。

 

[1999年12月6日 17時48分18秒]

 

 

お名前: 瀬戸紫帆   

 

”劇評”とか大それた事は言えませんが、翔王シアターの芝居は、好きです。

私は、役者がとっても気に入っています。特に「誰がすき」と言う訳ではなく、

毎回違うキャラクターを(当然かもしれませんが)それぞれがなりきっていて、

私達が安心してストーリーに入っていけるのです。

今回もきちんと笑わせて頂きました。また次の作品が楽しみですね。

 

[1999年12月5日 18時2分42秒]

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宮城学院女子大学演劇部公演「センチメンタル・アマレット・ポジティブ」 

お名前: 太田 憲賢   

僕はこの「センチメンタル・アマレット・ポジティブ」という作品が、すっごく好きで

ねえ。今まで3回見てるんですけれども、何回見ても飽きません。それどころか、見る度

に感動が大きくなってくるような気さえします。

 初めて見たのは、作者の前川麻子本人のプロデュースによるもので、2度目に見たのは

翔王シアターB−6unitによるものでした。特に初めて見た時というのは、もう7年

前の、やはり12月のことでして、僕は当時東京に住んでいて、会場が高円寺の明石スタ

ジオだったのですが、終演後に前川麻子本人と手塚とおるの2人による即興劇が、プラス

1000円のオプションで見られたという、今にして思うと信じられないくらいゼイタク

な公演でしたねえ。

 以前に宮教大の「Perfect Lives」について、水上駿さんが僕に対する反

論として、オリジナルとの比較として良くない旨のことを書かれていらっしゃいましたが、

僕が今回の「センチメンタル・アマレット・ポジティブ」を見て思ったのは、むしろ逆の

ことで、原作が名作だと、たとえアマチュアや学生劇団が公演しても、やっぱり感動させ

られるんだよなあ、という感想を持ったのでした。それは、クラシックに例えるなら、今

ぐらいの年末になると、どこでもベートーベンの「第九」が流行るのですが、やっぱりア

マチュアの合唱団の歌でも、歌い手の情熱や曲に対する愛情が伝わってくると、曲自体の

名作の度合いと相乗効果を上げて、感動を観客側に与えてくれるんですね。

 こんなことを書くと、今回の出演者の演技がイマイチだったのか、という誤解を与えて

しまうかも知れません。しかし、決してそんなことはなく、登場する4人の役者さん、皆

いい演技を見せて下さいました。特にニ子役の伊藤美樹子さん!往年の筒井美筆さんを思

わせる美形キャラで、こういう人がボソボソと、自己嫌悪のモノローグを語るシーンには、

本当にこちらの胸がズキズキ痛くなってくるのでした(そういえば、筒井さんも確か宮学

演劇部のOGだったはずですよね・・・)。

 ストーリーを御存じない方のために、簡単に紹介しますと、登場人物は女子中学生3人

(イチ子、ニ子、サン子)と、イチ子に片思いをする青年・シロウの4人。表面的にはカ

ル〜イのりで毎日を過ごしている3人の女の子ですが、シロウの登場によって、自分の内

面にある自意識過剰と自己嫌悪が明らかになっていき、3人の思いが雪だるま式にシンク

ロすることで膨らんでいくことによって、最後は3人で飛び降り自殺をする、という内容

です。

 僕がこの作品をなぜそんなに愛するかというと、僕自身が自分で自分のことを大っきら

いな人間だから、後半の登場人物達がモノローグによって繰り広げる自己嫌悪の嵐に、も

のすごく反応してしまうんですね。以前に無国籍の「口実クリーニング」について、僕は

「(自殺志願者達が)心に抱いている屈折が見えない」という劇評を書いたのですが(こ

の劇評は別の部分が論議になってしまいましたが・・・)、「口実〜」で見えなかった、

死にたい人間の内面描写の模範解答を、本作はこれでもか!これでもか!と見せてくれる

ところが素晴らしいんですよ。ラダ・トロッソの安藤敏彦さんが、僕の問題提起に対する

御意見として、最近自殺者が多い中高年者を登場人物にしなかったからではないか、とい

う趣旨のことを書かれておられたのですが、僕は、いや、そういう経済的なものという理

由がハッキリしている自殺と、「口実〜」で登場人物の言う「ぼんやりした不安」といっ

た内容の自殺は、質的に違うんではないか?という疑問を持っていたのですが、例の別の

議論の方が盛り上がってしまってので(苦笑)、そのまま反論を書かずじまいにしていた

んですよ。そういう若者が中心に持ちがちな、「ぼんやりした不安」というものの具体的

姿が、この「センチメンタル〜」に見られる、自意識過剰と自己嫌悪なんだと、僕は思い

ます。そんな僕が、安藤さんの脚本による、老人の死を題材にした「his icon」

を、何となく見る気がおきないなあ、とサボってしまい、宮学の「センチメンタル〜」に

は、喜んでいそいそと見に行くのは、だから必然的帰結なんですよ。

 あと、ストーリーとは直接は離れますが、この作品の魅力はなんといってもセーラー服!

以前にB−6unitが公演した時は、茶色の幼稚園児が着るようなスモッグを3人の女

の子が着ていたのですが、確かにあれも可愛かったんだけど、やっぱり女子中学生といっ

たら、今回の宮学のように、黒のセーラー服の胸に赤いリボン、これが王道でしょう!。

と、美少女大好き人間の太田としては、強調しておきたいところですね(笑)。

 一つだけ残念だったのは、宣伝が足りなかったせいかお客さんが10人ちょっとしか入

っていなかったこと。今日(12月15日)の6時30分からも、エル・パーク仙台ギャ

ラリーホールで公演がありますので、そこの自分で自分がキライでしようがないアナタ!、

それからそこの肥大化した自意識を押さえきれないアナタ!、是非見に行って下さいよ。

見終わった後、死にたくなること請け合いですよ〜!(笑)。

 

[1999年12月15日 9時34分57秒]

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劇団ウインドカンパニー第3回公演「誘惑の天使」 

お名前: 太田 憲賢   

 

 下の書き込みで私は、「まだ3回しか公演していない彼女らが、これだけのストーリーを書

き上げているとは」と書きましたが、実は本作は以前に宝塚で公演された脚本だそうです。

 誤った情報を書き込み、関係各位に御迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げ、並びに訂正

させていただきます。

 

 それにしても、宝塚ってあのようなB級の味わい深い作品を公演していて、しかもそれが、

好評を博しているとは・・・(12月17日「OH!バンです」より)。宝塚、あなどりがた

し!!と言わざるを得ませんねえ。

 

[1999年12月21日 9時55分50秒]

 

 

お名前: 太田 憲賢   

 

 ここのところ、私が扱う劇評は「自分探し」をテーマとしたものが多かった。もちろん、

私自身がそういったテーマに関心があるということも採り上げる理由なのだが、では、逆

にそれら小説でいえば純文学的なものとは対照的な、徹底したエンターテイメント志向の

芝居が嫌いかといえば、そんなことはない。娯楽作品には娯楽作品の面白さがあるし、多

様な価値観を同時に愛することができるのが、本来人間というものだろう(少し、大げさ

な言い方かな?)。実は、これから紹介する劇団ウインド・カンパニーの「誘惑の天使」

という作品が、まさに徹底的にエンターテイメントを極めた大河ドラマ的傑作だったのだ。

 舞台はソヴィエト崩壊後のロシア。主人公のミハイル・コルサコフは元バレエ・ダンサ

ーだったが、今は元教会を改修したクラブの店長になっている。そんなある日、かつての

プリマドンナで、彼の相手役だったタチアーナが彼のもとを訪れる。2人はかつて共に亡

命を計画したのだが、彼女だけが成功し、失敗した彼はKGBの手により収容所へ送られ

たという苦い過去があったのだ。彼女は亡命先の米国で、亡命を手助けしてくれた米国人

・レオナードと結婚したのだが、商用でロシアを訪れたレオナードが突然行方不明になっ

てしまう。彼女は手がかりを求めてモスクワの町を歩いているうちに、ふとした偶然から、

ミハイルのクラブを訪れたのだった・・・。

 どうです、設定からしてドキドキワクワクさせてくれる内容でしょう!。そして、物語

はロシア正教で用いられる、天使が描かれているイコン(宗教画)に秘密の暗号が隠され

ている(天使にそれぞれ番号がついているという設定が、「天使は瞳を閉じて」にシンク

ロしていていいですね)、旧KGBがスイス銀行に残した多額の隠し財産をめぐり、ロシ

ア・マフィア、旧KGB、新興宗教団体の3つどもえの争いが展開し(レオナードも実は

その争奪戦に1枚噛んでいたことが、のちのち明らかになっていく)、ミハイルも次第に

その争いの中に巻き込まれていくことになる・・・。

 これら各種団体の暗躍や、ミハイルと彼らとの戦い、そしてバレエダンサー時代の思い

出や、さらには歌や踊りが次々と舞台上に織りなし、見ている観客に退屈する隙を1分た

りとも感じさせないのだ。まだ3回しか公演していない彼女らが、これだけのストーリー

を書き上げているとは、本当に驚かされる。だらだらしたテンポの芝居を繰り広げる退屈

な劇団が仙台には数多いが、ぜひウインド・カンパニーの芝居をみて、学ぶべきところは

学んでほしいと痛感した次第だ。まだまだできたばっかりの劇団に、どうして我々数年の

キャリアがある劇団が学ばねばならないのか、などという下手なプライドは捨てるべきだ。

仙台高校の芝居をみて、30代の太田が高校生に教えられた、という劇評を以前に書いた

が、本当によりよいものを作りたい、と各劇団の皆さんが思っておられるのなら、キャリ

アや実績など二の次と考えるべきではないだろうか。

 まあ、そうはいっても、以前に「的を外す楽しさ」でも書いたが、屈折した私が彼女ら

のストーリーをストレートに受け止めてだけ楽しんだのではないことは事実である(笑)。

マンガでいうなら、「巨人の星」で、目の中に炎が燃えているシーンが、のちのち「すす

めパイレーツ」や、ほりのぶゆきの短編などでパロディー化されたように、大仰で味の濃

い作品というのは、どうしてもパロディー化した視点で、笑いの対象として楽しまれてし

まいがちである。ウインドの芝居も、国際舞台を背景にした、怒濤の愛と野望が渦巻く世

界なわけだから、これはどうしても大げさな場面が頻出してしまい、つい笑ってしまうシ

ーンもまた続出するわけだ。もちろん、これは彼女たちの芝居が劣っているということで

は決してなく、太田の視点が、いわゆる「オタク的屈折」に満ちているというだけの話な

ので、ウインドの方々には、私の笑いを決して失笑とは受け止めないで、自信を持って、

今の路線を続けていって欲しいものである。

 とはいいつつも、ついつい書いてしまうのが太田の業なのだが(笑)、実は元KGBの

三人組のリーダーは、金髪が多い役者陣の中で、黒髪の七・三分けに、黒ブチ眼鏡、それ

にこげ茶のスーツといういでたちだったんだけど、なんか元KGBというより、どっかの

人口五万ぐらいの市役所の庶務課長って感じだったぞ(笑)。私の隣で見ていた佐々木久

善さんが(最近、休筆が長いので、ぜひ本作の劇評は書いて欲しいです)、「シア・ムー、

えずこシアターと並ぶ、今年の仙台演劇界の三大課長だ!」と言っていたのが、なんとも

爆笑もんでした。そして、この元KGBの三人が「KGB復活の歌」というのを熱唱する

のだが(「この世に秩序は必要だ〜」とかなんとかいう、なんだか物凄い歌詞だった・・

・)、なんか昔のタイムボカンに出ていた例の三人組みたいで、そのトホホ感がなんとも

たまらない!(笑)。いい味だしてたなあ、本当。

 さらに、それを上回るトンデモだったのは、後半登場する新興宗教・ルシファー団の教

祖様!。純白のゴージャスな衣装に身を包み、拉致したレオナードに向かって、「君と僕

はずっと一緒だよ・・・」と、甘く囁きかけるところなんか、まさに「やおいマンガ」的

世界が爆発!って感じで、もうサイコー!(笑)。絶対、ミイラとか作っていそうな怪し

い雰囲気プンプンだったもんなあ(笑)。

 

[1999年12月5日 12時16分16秒]

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劇団 猫原体 第3回 「月への慕い」 

お名前: 関 ステレ夫   

 

 パラレルワールドに迷い込んだOLさんのお話で、嫌いではない(基本的にほのばのしたSF

は個人的に好き).

 

 パラレルワールドに迷い込んだOLさんが、理不尽な現社会システムをデフォルメしたような

パラレルワールドの世界のなかで翻弄される。その世界ではイリーガルな酒、タバコ(見つかっ

たら死刑)を取り扱う地下バーでの店のママ、常連客達との交流(常連客の1人が恋に悩みOLさん

のアドバイスを言葉以上に間に受け王子さまにコスプレして登場しバー内で寸劇がはじまるのが

面白かった。)を通して本来の明るさを取り戻していくのだが、常連客(前出の王子様)の逮捕を

きっかけにママは店を閉め、自殺してしまう。混乱する主人公は、店の常連であったアキラにマ

マのメッセージを伝えれられ、元の世界に帰り、自分の力で世界を切り開いていこうと決意す

る。

 舞台効果に気を使ったムードのあるつくりを感じさせる。転換には引き幕、落とし幕(これは

効果)を用意し(会場にはその設備はない。)効果をあげていた。

 

 できとしては、作品全体の解釈が脚本部、演出、役者個々人、に未整理な部分が多かったの

ではないかと感じた。しかし、見所も多くこれからが楽しみな面々である。

 

 月と言う言葉には、何かしらノスタルジックな別世界の響きがある。まあ、ルナティクといえ

ば狂気の意でもある。

  [1999年11月27日 18時56分30秒]

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宮城教育大学演劇部「Perfect Lives」 

お名前: 太田 憲賢   

 

 しかし、水上さんって僕が感動したっていう芝居でことごとく寝る人だよねえ(笑)。単に

睡眠不足なだけじゃないの(笑)。

 僕はオリジナルを見てないので、オリジナルとの比較は何とも申し上げようがありません。

きっと、オリジナルはこの公演を越えるものすごく感動的なお芝居だったのでしょう。そうい

うお芝居を見られた水上さんに対しては、素直にうらやましいなあ、と思います。

 そういうわけで、ここで水上さんの書かれている「模倣が中途半端」というご意見には、な

んとも反論のしようがないのですが、要は100点の芝居を見た後で80点の芝居を見ても、

物足りないと思うのに対し、もともと80点の芝居を見てない人間は、80点でも感動するっ

てことじゃないですかね。それ以上は、「何を見ていたのだろう?」と聞かれても、最初に書

いた以上のことは書けませんねえ。

 

[1999年11月25日 10時17分56秒]

 

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お名前: 水上 駿    URL

 

 はっきり言ってオリジナルのまんま(笑)。正直言って途中で寝た。太田と言う人は何を見て

いたのだろう?

 ひどいのはオリジナルを模倣しようとして模倣し切れなかった中途半端な出来。

 真似して楽しい?って感じがした。もうここの芝居はみない。

 

[1999年11月24日 16時54分23秒]

 

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お名前: 太田 憲賢   

 

 私は常々、作り手の視点とは違った視点での楽しみ方などを提唱していることもあり、皆様

にはひねくれた鑑賞法ばかりしている奴のように見えるかもしれませんが、作り手の作品内容

が素晴らしいものであれば、なにもわざわざ屈折した見方をせず、素直に感動するのは当然の

ことです。ただ、そういう芝居がなかなか少ないという現状を私は指摘したいのです。

 しかし、これから紹介する宮教大の「Perfect Lives」は、ストレートに見て

も感動する希有なものでした。こういう芝居が見られると、本当に心から嬉しく思います。

 舞台は近未来のクローン人間を秘密裏に開発している研究所でのもので、五年間の記憶を消

された主人公の科学者が、何者かに襲われ逃亡しているうちに、ある恐るべき秘密計画が浮か

び上がってくる。その中に恋あり、友情ありといった盛りだくさんなもので、2時間10分の

大作でした。

 学生演劇で2時間以上なんて途中でだれるんじゃないか、という懸念を隣に座っていた佐々

木久善さんなどは開演前におっしゃっていたが、私はそんなに心配していませんでした。とい

うのは、前回公演の「天使は瞳を閉じて」は2時間30分と、もっと長い芝居であったにもか

かわらず、最後まで飽きさせず見せることに成功していたからです。

 なぜかといえば、この劇団の役者のレベルがみな高いからです。ストーリーの中にギャグを

ちりばめているシーンがかなり多いのですが、いくら脚本のギャグが面白くても、肝心の役者

が「ボケ、ツッコミ」のタイミングなどをうまく演じなければ、客席は白けてしまい、かえっ

て本筋とは関係ないシーンが多いことが、だれる原因になる危険性にもつながるのですが、彼

らの笑わせるタイミングは、実に絶妙なのです。「ピアス」や「山全」の役者陣など、弟子入

りして一から教えてもらったらいいんじゃないか、と思ったぐらいでした。

 もちろん、ギャグだけが素晴らしいのではありません。例えば主人公役を演じた菅野準さんは、

善人と悪人の1人2役というとても難しい役どころであり、しかも2時間10分ほとんど

出ずっぱりにも関わらず、見るものに不自然さを感じさせず演じ分けていたんだから本当に大

したものでした。また、クローン人間で、成長が普通の人間と違い、1週間で死ぬように設定

されているという悲劇のヒロイン役を演じた高橋奈穂子さんも、役柄の関係上、少女からギャル、

おばさん、老婆のすべてを一つの物語の中で演じ分けなけらばならなかったのだが、これ

がまた巧いんだ!例えていうなら、まるで松坂慶子を見ているような感じでした。

 それぞれの年齢がどれも不自然なく演じているんだから、ビックリしてしまいました。こん

な上手な女優さんが仙台にいたなんて!しかも4年生で今回が最後の公演だなんて!今までど

うして学生演劇だというだけで、アマチュア劇団よりレベルが低いんだろうな、というレッテ

ルを勝手に貼って見なかったんだろう、と後悔することしきりです。その意味でも、今回の演

劇祭でも高校演劇を特に熱心に見ているようにしているんですけどね。本当に、学生演劇に弟

子入りした方がいいんじゃないか、ていうアマチュア劇団たくさんありますよ!これからは、

社会人劇団は本当に好きな数劇団だけを見て、後は学生演劇鑑賞に専念しようか、とすら考え

ているくらいです。

 もちろん、今述べた主役級クラスに宇限らず、準主役、脇役もみな上手で、いちいち書いて

いたらキリがないので、以下申し訳ありませんが省略させていただきますが、個人的好みで1

人だけ紹介しますね。研究員の1人で、天然ボケ的なキャラクター役の笹本愛さんが、とても

かわいくてよかったです。前回の「天使は瞳を閉じて」でも、ぼけるシーンでの演技がとても

面白かったのですが、その時はシリアスな役柄だったため、その魅力を完全には出しきってい

なかったのです。でも、今回は役柄がもともとの彼女の個性にあっていたようで、とても楽し

く拝見することができました。トロンとした大きな瞳が、手塚のぶ絵さんを連想させますが、

彼女をさらにグレードアップした力を持っているように感じました(手塚さん、引き合いに出

してごめん。でも、本当によかったんだ、この子)。

 最後に1つだけ残念だったこと。前回「天使は瞳を閉じて」で天子役を演じて、私がこの欄

で「涙が出た」と書いた吉田みどりさんが今回は裏方に回られて出演されていませんでした。

もちろん、いろんな経験を積まれることはとても大事なことだと思いますが、僕は彼女の何と

もいえないオーラがとても好きなんだよなあ。一観客のわがままな希望として聞き流していた

だいてもかまいませんが、次回公演では再び役者としての御出演を、ぜひお願いします!

  [1999年11月15日 11時51分11秒]

 

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三角フラスコ公演#009「ミカン」 

お名前: 太田 憲賢   

 

 例えば冷たい日本酒を飲んだ時って、その場では大して酔っぱらってないなあ、と思ってい

ても、後になってからジワジワと効いてくることってあるじゃないですか?お芝居の中にも、

そういう冷や酒みたいなのがあるんだよねえ。例えば、去年の演劇祭で見た「在」(現「山

全」)の「あいたいよー」。物語のテンポがメチャクチャ悪くて、見てる時はものすごく腹立

ってたんだけど、後になってから思い出してみると、登場人物達の孤独な心が、だんだん胸に

染みてきて、「あれって、ホントはいい作品だったんだよなあ。」と、自分の心の中での評価

が徐々に上がってくる。今回の三角フラスコの「ミカン」もそんな作品でした。

 主人公の実香は、複雑な家庭環境が原因で、いわゆる「引きこもり」状態になっている女の

子。しかも、「電波系」の症状も出ていて、巻き貝の貝殻を電話の受話器と思いこみ、そこか

ら流れてくる「ミカン」という人からの「電波」と話をすることを、毎日の楽しみにしている。

 なんで実香が「引きこもり」になってるかというと、彼女と同居しているかな子って女性が

実香の父親の後妻なんだけど、実香とほとんど年が違わなくって、しかも実香とは幼なじみで、

もっとショッキングなことには、どうも実香が中学時代から既に実香の父親と加奈子は同棲し

ていたらしい、という回想シーンが出てくるんだ。これは屈折するよねえ。だって、言葉悪い

けど、「ロリコン親父」じゃないですか。

 この実香の回想シーンで、ロリコン親父がセーラー姿のかな子を抱きしめて、デヘヘヘヘな

んて笑ってる姿でも出てくれば、実香の屈折が、より明確な形で観客にもわかったと思うんだ

けれども、そういう生々しいシーンを出さないのが、生田さんの美学なんでしょうねえ。この

シーンは、実香の一人芝居で処理されていました。もちろん、三角フラスコが今までファンタ

ジー的な雰囲気を重視する劇団であり、そういう生々しいシーンはあまり出したくない、って

いう気持ちはわからないでもない。でも、そういう(あくまで実香にとっての)醜いシーンで

も、それを明らかにすることで、実香が「ミカン」へと逃避する理由もより明確に見えてくる

し、むしろその「ミカン」との幻想シーンをより美しく見せるためのスパイスになりうると思

うんだよねえ。まあ、個人的な好みの問題といわれれば、それまでなんですけどね。

 あと、「引きこもり」っていうのはアダルト・チルドレンの人に似た屈折だと思うんだけど、

通常のアダルト・チルドレンと呼ばれる人たちの物語の場合は、登場人物達は淋しいもんだか

ら、いろんな人たちと接触しようとするんだけど、彼ら本人も歪んでいて人を傷つけやすいし、

また、心の弱い人たちのことだから、普通の人ならそんなに傷つかないところでも必要以上に

傷つくという性癖があるため、結果的に人間ドラマが生じやすい。それだけ、観客が感情移入

しやすいシーンも増えてくるわけだけど、「引きこもり」の子の場合は、内面的にはそういう

アダルト・チルドレンの人たちと同じ寂しさを抱えてるんだけど、彼らとの最大の違いは、も

うあきらめてる、ってことなんだよね。アダルト・チルドレンの人たちみたいに「居場所」や

「自分をわかってくれる人」を探すために一生懸命にならない。つまり、自分を受け入れてく

れる人や場所なんてないんだ、とあきらめているから「引きこもり」になってる。気持ちはわ

かるんだけれども、でも引きこもってばかりいると、今述べたような自分探しをするアダルト

・チルドレンとは違って、ドラマが生じにくいんだね。去年の演劇祭での「すばらしいメガネ」

でも、やはり今回と同じ瀧原弘子さんが主人公だったんだけど、自分の家に「引きこもる」キ

ャラクターだったため、退屈なお芝居になってしまったと思うんだ。

 良かった芝居といってる割には、批判的な文章になってる?それがまさに「ミカン」の冷や

酒的な特長なんですよ。芝居の流れから言えば、だらだらとした退屈なものになっていた。だ

から、実際に見ているときにはイライラしてしまうんだけど、終わった後になってから主人公

の孤独な心を思いやると、ふと涙が目ににじんでしまう。そういう意味で、「ミカン」は「あ

いたいよー」にとてもよく似ているし、心に屈折を持っている人でなければわからない、客を

選ぶ芝居だと思うんですね。

 だから、ある意味エヴァ論争と似たところがあると思うんですよ。わからない人には、「な

んだ、あの作品は!」という怒りの対象になるし、同じ屈折を持つ人には「涙が出た!」とい

う程の高いシンクロ率を示す作品。でも、僕は以前に「わからない奴はわからなくていい!」

という文章をここで書いて批判されたけど、「ミカン」のことをわからない、っていう奴に無

理にわかってもらう必要は本当にないと思うなあ。泣ける人は、自分の心の中に大事にとって

おきなさい、と言いたくなる作品でした。

 

[1999年11月4日 10時9分0秒]

 

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劇団山全「スラップスティック・エロティック」

太田 憲賢   

このお芝居のテーマは、チラシや当日パンフにも書いてある「機械を使わずに子供を作

れるの?」というものだ。舞台は近未来。DNA操作が現在より発達し、子供は全て人工

受精によって生まれる社会で、あえて遺伝子操作をせず生まれた「野生児」の若者7人を

当局が拉致し、機械を使わず子供を作ることができるか実験するという内容であった。

 演劇が「作り物」である以上、現実とは違うフィクションを織り込むこと自体は当然責

められるべきものではない。もし、リアルでなくなるからと全てのフィクションを否定し

たら、SFなど存在自体を否定されてしまう。問題は、メインの設定にフィクションを持

ち込んでも、枝葉の部分にまでウソが満たされれば、今述べたリアルさがなくなるという

危険性が出ることだ。だからこそ、脚本の中には現実に近くしなければならない部分もあ

ると私は考える。

 例えば、「12人の優しい日本人」という芝居がある。これは映画化もされたので御存

じの方も多いと思うが、もし日本にも陪審制度があったら?というフィクションを基にし

た内容であった。ここで、登場人物が皆アメリカ人のように議論好きで、何でも白黒をは

っきりつけたがる人間達であったなら、物語は面白くなくなってしまう。つまり、登場人

物が、議論によって人間関係がギスギスするのを避けたがる典型的日本人であるというリ

アルさが、観客が登場人物に共感させるために必要な要素なのだ。つまり、外的条件にフ

ィクションを入れても、登場人物の心情はなるべくリアルであることが、観客が感情移入

する上で望ましい、と私は思うのだ。

 ひるがえって今回の「山全」である。冒頭に述べた「機械を使わずに子供を作る社会」

という設定はいい。問題はそれに派生して、登場人物が皆セックスの方法を知らない、と

いうフィクションが生じていたことだ。作者は、子供を機械で作るようになれば、人は皆

セックスしなくなるだろうと考えたようだが、本当にそうだろうか?

 私が思うに、これは近未来に限らず現在既におこっていることだが、人間にとって性欲

とは、既に生殖行為から離れて、娯楽・快楽として使われているという事実を本作は見落

としているのではないか?たとえば、ピルやコンドームといった避妊具が現実に販売され

ているのはそのよい証拠だし、また、ソープランドなるものが実際に存在し、女子高生の

援助交際が社会問題となっているのも、やはり人間が性欲を本来の目的から離れた娯楽と

して利用している証明である。

 例えば、これを食欲に置き換えればわかりやすいだろう。昭和30年代頃の「サザエさ

ん」に、近未来では人間はビタミン剤で栄養を摂取するようになる、という四コマがあっ

たが、現実にビタミン剤やカロリーメイトなどが当時より商品として増えた現代でも、食

欲は単に栄養を摂取するという本来の目的を離れ、グルメと称して、よりおいしいものを

食べようとする人間は現実にたくさん存在するのだ。だとするならば、例え機械で子供を

作るようになったとしても、快楽に対して積極的な人間がセックスをしなくなるとは、現

実に考えられないではないか。

 つまり、私が冒頭で言った人間の心情に対するフィクションを本作は行ってしまい、そ

れが作品からリアルさを失わせてしまったように感じるのである。

 ただし、唯一感情移入できる点があった。それは、登場人物のうち2人の男性が1人の

女性を好きになる、いわゆる三角関係になった場面である。1人の男性は、とてもストレ

ートにアタックし、もう1人はムードづくりを巧みにすることによって女性に近づく。で、

結局女性は後者とくっつき、とうとう子供も作ってしまうのだが、前者のストレートな男

性は、正直であることがアダになり、ストーカーに対するのと同じような非難まで浴びて

しまうのであった。「彼は正直なだけなのになあ。」と、似たような経験を何度も持つ私

は、いたく同情してしまったのであった。

 

[1999年10月27日 12時28分11秒]

 

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演劇部隊シンデレラボーイズ「誰よりも高く翔べる方法」 

お名前: 林 公一   

 度々ついでにもう少し意見を。

私は仙台の演劇を良く観るのだが、今年の春にシンデレラに良く似た団体を観つけた。その名も

青葉玩具店である。私は家に帰って慌ててシンデレラのパンフレットをひっくり返したのだが、

ほとんど元劇団員で構成されているのには驚いた(芸名を変えたりしてはいるが)。で、思い出

すと彼らの芝居はシンデレラの模倣なのであった。考えてみれば当たり前の事で、元劇団員で構

成されていれば似ているのはむしろ当然の帰結であったように思う。

私はこの集団は何がしたいのだろう?と疑問にかられた。もし単なる仲間割れで分裂しているな

らこれほど愚かな事はない。色々劇団の事情があるのだろうが、新しい劇団を作ったのであるな

らば、新しい作品を提供しなくては仕方がないように思える。実は私は初日にシンデレラの芝居

を見にいったのだが、丁度青葉玩具店の方々が受付で差し入れを渡しているところであった。

そして私は劇終了後この両団体がどんな会話をするのだろうと、半ばやじうま根性で早めに客席を

出て141のフロア−で待ちかねていたのだが、シンデレラ側は笑顔で挨拶をしていたのに、

対して青葉玩具店側はシンデレラに何の言葉もかけずに顔を隠すようにそそくさと立ち去ったの

が非常に両団体の間にドラマを感じたのである。ちょっと穿った観方をすれば青葉玩具店は、今

度オリジナルを上演する。その偵察に来ていたのでは?などとイジワルな想像も働いたりした。

 シンデレラの模倣をしている青葉玩具店が次回もシンデレラの模倣から抜け出てこなければ、

私はこの団体の存在意義を疑うだろう。

 

 

[1999年11月24日 16時33分11秒]

 

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お名前: 林 公一   

 

 私は旗揚げからシンデレラを見続けている1人である。最近このフォーラムの存在を知って

覗いて見たのだが、シンデレラも劇評の対象になるぐらい認知されるようになったんだなあと、

感慨にふけっている。

 劇評の中でシンデレラは良くも悪くもシンデレラはキャラメルの様式に似通っていると意見が

あったが私はこれは違うと思う。

 というのも、シンデレラは実は10本も公演を重ねていてキャラメルボックスの芝居はたった

の2本しか上演していないのである。後はオリジナルを除けばショーマや三谷の戯曲を上演して

いたのである。私は一貫してこれらの作品群を見ているが、確かにキャラメルを上演している時は

似ているなあと思ったが、ショーマや三谷の作品群を上演しているのを見てこれが、シンデレラの

色なんだなあと痛感させられた。それも演出の「これで作品が似ているなら仕方がないな」

という叫びが聞こえて来た気がしたのである。だからこそ私はシンデレラはキャラメルには似ても

似つかない集団だと思っている。確かにダンスがあったり客席からすすり泣きや笑い声が聞こえて

来るのはキャラメルっぽい。だが脚本は似ても似つかないほどドロドロしている。キャラメルが

甘口の芝居なら、シンデレラは辛口の芝居である。それだけでも私はシンデレラは違うと思う。

だが、シンデレラを敬遠している劇評家は乱暴にキャラメルと似ている集団だと論じている

。むしろ私は劇評家の皆さんにはこの団体の良いところをもっと発掘してほしいと思っている。

 

付記:私も遠藤さんには期待しているが寒河江君も注目してほしいと思っている

 

 

[1999年11月24日 16時2分12秒]

 

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お名前: 太田 憲賢   

 

 シンデレラボーイズの正式名称が「演劇部隊」であるのを、「演劇集団」と間違って記載し

たことをお詫びいたします(私だって、こういう事実関係の誤りに関してはお詫びするのだ。

いつも意地になって謝らないと思ったら大間違いだぜ。)。

 それにしても、佐々木さんの「阿部さん、あなたの演じた山本つぐみはよかった。」という

お言葉、いいですねえ、泣けますねえ!これぞ、ファン心情って感じで、クーッ!

 佐々木さんも、こういう「心の叫び!」的劇評をもっと書いて下さいよ。そして、このコー

ナーを「女優バトル」にしちゃいましょう!(それって、やっぱりマズいか・・・)。

 でも、まじめな話、あのミモザを表した時の「宮城県の宝」以来の心に残る名言(by金野

むつ江)だと思いますよ、佐々木さん。ぜひ、次回も熱い劇評を!

[1999年10月12日 12時49分22秒]

 

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お名前: 佐々木 久善   

 

 まず最初に、太田さんの間違いを訂正しておこう。

 シンデレラボーイズは「演劇部隊」なのであって、「演劇集団」ではない。

 些細なことのように思われるかもしれないが、構成メンバーには深いこだわりがある

ことと思うので、ハッキリさせておこう(そんなたいそうな指摘でもないが)。

 さて本題に入る。

 この劇団の芝居は大好きでしばらく前からよく観ている。前は高橋いさをとか三谷幸喜

の作品などを上演していたが、前回からはMSFシリーズと銘打ってオリジナル台本をや

るようになった。

 そのときに思ったのだが、ここは演劇集団キャラメルボックスの影響をもろに受けてお

り、ほとんど様式模写のようだ。

 今回はその傾向がより深まった。ほとんどキャラメルボックスの作品といっても通用し

そうなくらいである。

 ほめているのか、けなしているのか、ハッキリしない書き方であるが、おそらくそのど

ちらでもある。

 よくいえば、飽きのこない構成と展開。肉体訓練の成果である体育会系の演技。センチ

メンタルな音楽。ハラハラ、ドキドキの2時間半を保証してくれている。

 部隊員のみならず客演者まで体育系に訓練してしまう徹底ぶりに、さすが「部隊」だと

感心してしまう。

 しかし一方その上手さが決して固有のものではなく様式模写によるものであるために、

描きたいものを少しゴマカシていないかという気持もある。展開のために必要な物語とい

うものはあるのだろうが、たとえ下手になっても心から描きたいものには、格別の感動が

あると思う。少し下手になってみるのも必要なときがあると思う。

 とにかく次回の『ラストヴェガ』は楽しみにしている。

 昔、仙台っこに「シンデレラボーイズのチェーホフが観たい」と書いたがその気持は今

も変わらない。

 太田さんにあわせて女優さんのことを書くと、私も遠藤裕美さんは好きなのだが、前回

の『君の瞳に星空は映っているか』に出演していた阿部真奈美さんが今回出演しなかった

ことがつくづく残念である。阿部さん、あなたの演じた「山本つぐみ」はよかった。

 次の舞台での復活に期待しています。

  [1999年10月8日 22時44分1秒]

 

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お名前: 太田憲賢   

 

遠藤裕美さんって超カワイー!

 私が女優のことばかり書いている劇評について、「かわいい女優しか見るべきところ

がなかった芝居」というネガティヴな評価を、嫌味っぽく書いていると思われている方

も多いかと思う。しかし、それは誤解だ。決して皮肉ではなく、他の諸要素に見るべき

ところが全くなかったとしても、女優の存在がとても魅力的なものであれば、私にとって

その芝居はポジティヴな評価を与えるべき芝居なのだ。

 だから、さる9月18,19日にエル・パーク仙台で公演された、演劇集団シンデレ

ラボーイズの「誰よりも高く翔べる方法」についても、私にとっては杉浦虎介役の遠藤

裕美さんが、ただひたすら可愛かったという感想しか持てないも