CG――コンピュータ・グラフィックスは、アニメーションを劇的に変化させました。 特に最近目につくのが、リアルな描写、画面の精密さです。 先般、劇場公開された『ベイマックス』でも、背景やメカニックなどは本物と見紛うばかりです。人間や生物などのキャラクターを除いては、ですが。 もっとも人間までリアルに再現されてしまえばアニメーションである必要はありません。 しかし、視覚的な描写がリアルであること、だけがCGの、引いてはアニメーションのあるべき姿でしょうか? 答えはもちろん《NO》です。 沼田友監督のアニメーションが、その一つの《NO》です。 沼田友監督の作品の画面は、シンプルなCGで構成されています。リアルとは対極にありますが、沼田監督でしか作り得ない世界です。 むしろ要素がシンプルなので、この世界を作家がどう捉えているのか、がダイレクトに出てきています。 そして登場人物たちの造形も、動きもシンプルです。 最小にして適切な動き、間、《動》よりむしろ《静》の重視――。 これはそのまま、歌舞伎や文楽に通じます。 これらの日本の伝統芸能は、日本のアニメーション(特にTVアニメーション)を語る上で、過去にも度々引き合いに出されてきました。 沼田監督の作品には、特に《文楽》を強く感じました。 あの登場人物たちはCGで描かれた人形と言えないでしょうか。 沼田監督は、かつてこう語っています。 「作品1本に一年、二年をかけるのではなく、ミュージシャンっぽく作品を増やしたい。」 つまりは、沼田監督の要求が、結果、シンプルなCGが画材として選ばれた、そういうわけです。 そもそも、日本のアニメーションも、リアルを拒否したわけではありません。手塚治虫が目指したのは、ディズニーの本物を凌駕する、滑らかで華麗な動きだったはずです。でも、低予算、製作時間の短さが、セル画を最小に押さえ、最大の効果を生み出す手法を産んでしまった。それが、日本の伝統芸能の特徴と合致してしまったわけです。 そして、量産されたが故に、ストーリーは多種多様化され、奥行きの深いものになっていきました。 沼田作品のストーリーの特徴は、その視点と切り口です。 誰もが経験してきたこと、身近なこと――題材は特殊なものではありませんが、モノの見方と若干奇妙なスパイスを加える事によって立ち上ってくる。そんなストーリーです。 歴史は繰り返す。時にはバージョンアップされながら。 沼田監督のスクリーン・ライブで、その感触の一端を感じていただければと思います。 |