【コース】(東海の自然歩け歩け大会)
鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!
伊勢若松駅〜緑芳寺〜開国曙光碑〜大黒屋光太夫記念館〜心海寺〜宝祥寺〜光太夫らの供養碑〜若松緑地堤防(漂流記壁画)〜江島若宮八幡神社〜勝速日神社〜白子駅(約8km)
![]() (国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成) |
9月2回目の3連休の最終日は伊勢若松駅から鈴鹿市をめぐる近鉄ハイキングに参加しました。若松地区の大黒屋光太夫のゆかりの史跡をめぐるコースです。天気は薄曇りで暑すぎないなかなかのウォーキング日和でした。スタートの伊勢若松駅には光太夫の銅像も建てられていて,盛り上がっている感じでした。
大黒屋光太夫の菩提寺という真宗大谷派の寺院です。ただし,光太夫は晩年を江戸で過ごしたため,ここにはお墓はないそうです。
田園地帯を近鉄鈴鹿線・名古屋線を見ながら南下していきます。伊勢若松駅は名古屋線と鈴鹿線の乗換駅になっています。
南下して進んだ先には開国曙光碑があります。大黒屋光太夫の頌徳碑で,彼がロシアとの橋渡しをしたことが幕末の日本の開国にもつながっていったといいます。地元ではこの大黒屋光太夫はなかなかの人気のようです。
進んだ先には大黒屋光太夫記念館があり,彼の生涯が紹介されています。ロシアでどのような生活を送り,苦心の末に日本にたどりついたこともわかりました。入口には光太夫の銅像も建てられています。残念ながら内部は撮影できませんでした。
記念館から少し南にいったところにある真宗高田派の寺院です。大黒屋光太夫とともにロシアから戻ったという磯吉の菩提寺といいます。ガイドボランティアの方に熱心に説明いただけました。
ここも大黒屋光太夫とともに漂流したという小市の菩提寺といいます。彼は日本に戻った際に根室で亡くなったといいます。
進んだ先には供養碑があります。ロシアへ彼らが漂流してしまったので,全員死亡と考えられて供養碑が設けられました。鈴鹿市の文化財にも指定されています。
さらに進んで千代崎の港に進んでいきます。漁港らしくたくさんの船が停泊しています。
その先の若松緑地の堤防には,大黒屋光太夫の漂流した様子が描かれています。
漁港をぐるりと回って,堤防沿いの公園に進んでいきます。伊勢湾の眺めを楽しむことができましたが,海は漂流物が多くてあまりきれいではありません。
公園から進んだところには,ここにも大黒屋光太夫の頌徳碑が設けられています。
ここからはスクールゾーンのある細い道を通って,白子方面に南下していきます。
白子の町に入って,江島若宮八幡神社の手前で再び海沿いの公園に誘導されます。ここには家康が九死に一生を得て伊勢湾を渡った場所という案内板があります。隠れた名所といえそうです。
進んだ先にある江島若宮八幡神社は9世紀頃の創建という古社といい,この付近で生活する人々に氏神として崇敬を受けたといいます。多数の絵馬が奉納されていて文化財にしていされているといいますが,見学は予約制といいます。
ここから白子駅に向かって昔ながらの道を進んでいきます。途中の和菓子屋さんでは休憩している人が多くいました。
白子のまちを抜けて駅の近くにある勝速日神社に到着します。2年前にここの例祭を訪れるウォーキングにも参加しました。モータースポーツにちなんだ感じが使われた縁起のいい神社として紹介されています。
そのままゴールの白子駅に到着します。大黒屋光太夫の生涯にふれることができ,昔ながらの海の生活文化も感じられたウォーキングでした。白子駅は特急も停車する主要駅なので便利です。
作成者 Rintaro Nagano
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