【コース】
秋風が心地よい新城にようこそ 長篠の戦いの地へいざ出発!
長篠城駅〜長篠城址史跡保存館〜馬場美濃守信房の墓〜鳥居強右衛門の墓〜信玄塚〜設楽原歴史資料館〜馬防柵〜織田信長戦地本陣跡〜新城駅(ゴール受付)(約12.3km)
![]() (国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成) |
すばらしい秋晴れに恵まれた11月2週目の日曜日。西尾市の名鉄ハイキングに引き続いて,新城市をめぐるJRのさわやかウォーキングにチャレンジします。飯田線に乗車して長篠城駅からスタートします。1時間に1本程度しか電車がないので,行くのにもなかなか苦労です。
織田信長と武田勝頼の戦いで知られる長篠の戦いの舞台の1つとなった長篠城址です。豊川の断崖上に設けられた要塞で,日本100名城にも指定されています。バスツアーのお客さんも来るなど人気のスポットになっています。資料館は長篠城や長篠の戦いの解説もあり,戦国ロマンにひたることができました。
細い畑の裏の路地を通って馬場美濃守信房の墓があります。新城市の史跡にも指定されており,長篠の戦の際に武田方が敗れて敗走する際に,しんがりをつとめてこの地で朽ち果てた馬場美濃守信房の首をこの地に埋めたといいます。
国道に出て,その先の豊川を渡って進んでいきます。この付近は豊川は深い峡谷になっており,長篠城を守る天然の堀のようになっていることがよくわかります。
豊川を渡って左折し,新名神の横の細い路地を進んでいくと,飯田線の踏切の手前を左に入っていったところに鳥居強右衛門の磔の地があります。命をかけて長篠城の味方に援軍の到来を告げた強右衛門の話は有名で,案内板も設けられています。
先に進んだ新昌寺には鳥居強右衛門のものという墓があります。信長が立派に作らせたというなかなか見事な墓です。近くにはこの戦いで命を落とした武田方の武将の墓も設けられています。
先に進んだ鳥居駅の前の踏切を渡って,さらに工場地帯を抜けて進みます。ちなみに鳥居駅の名前の由来は,鳥居強右衛門だそうです。
国道に出て南下し,新名神高速道路の新城ICの入口のところには,この付近で有名なスポットである道の駅もっくる新城があります。五平餅などのグルメや奥三河の農産品が購入できる人気スポットで,多くのお客さんがいました。フリーマーケットなどのイベントも行われていて,駐車場もいっぱいで車待ちの列もありました。親子連れのための遊び場も設けられ,子供にも人気です。
国道の上り坂をさらに進んでいって,左手には首洗池があります。設楽原の戦いの際にこの池で首や血刀を洗ったことから,ずっと赤い色が消えなかったという伝説があります。
先に進んだ先には信玄塚があります。長篠の戦いの際に武田方の戦死者を埋葬した場所といい,新城市の史跡に指定されています。どうして信玄塚と呼ぶようになったのかは諸説あるといいます。
設楽原・長篠の戦いに関する展示や火縄銃に関する展示が充実した資料館です。ここでも戦国ロマンを感じることができました。
資料館から西に進んだ先には,長篠の戦いで活躍したという馬防柵が再現されています。この柵を設けるために木材をわざわざ運んだといいます。ここで武田の騎馬隊と織田信長・徳川家康の鉄砲隊が衝突した歴史の舞台です。
馬防柵からはきれいな山並みを眺めながら織田信長が陣を敷いたという茶臼山をめざしていきます。
急な坂道を登っていって,信長が陣を敷いた茶臼山の頂上に行きます。頂上には案内板と稲荷社が設けられていました。
山頂からは新東名高速道路の長篠設楽原パーキングエリアを望むことができます。せっかくなので休憩がてら立ち寄ることにしました。
パーキングエリアからは設楽原の景色を一望することができます。眺めがよいこの場所に陣を敷いたというのも納得です。
茶臼山からは急な階段を下って戻っていきます。道がせまくてなかなか難儀しました。
茶臼山からゴールの新城駅までは約4.1km。眺めはいいですが,ゴール受付の15時を過ぎてしまいそうなので,あわただしく進んでいきます。
無事にゴールの新城駅に到着。ゴール受付の時間は少し過ぎていましたが,お客さんがたくさんいたためにまだやってくれていて,ピンバッジももらうことができました。駅では地元の物産なども販売されていました。久しぶりに飯田線に乗って帰宅です。距離の長いコースなので,かなり疲れてしまいました。来週もがんばってチャレンジしていきます。
作成者 Rintaro Nagano
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