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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県弥富市:弥富北コースYATOMI NORTH

2015年7月探訪。2016年12月11日作成

【コース】 距離:約10.4km
市北西部の荷之上・五之三・鯏浦地区などをめぐります。重要文化財の服部家住宅をはじめ,戦国時代以降の史跡や歌碑が多く見られる地域です。

近鉄・佐古木駅〜又八神明社〜一光堂五雲歌碑〜興善寺地蔵〜光蓮寺〜服部家住宅〜柴ヶ森〜金樹寺〜明治天皇焼田港御着船所跡〜五明神明社〜証玄寺〜弥富神社〜孝忠園・擔風先生筆塚〜専念寺〜薬師寺〜JR・弥富駅〜近鉄弥富駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:近鉄・佐古木駅





 スタート駅の近鉄名古屋線・佐古木駅には近鉄名古屋駅から約15分で来ることができます。準急と普通列車のみの停車ですので,名古屋駅から急行に乗った場合は,近鉄蟹江駅で乗り換えましょう。佐古木駅の北側出口から出てスタートします。

又八神明社
又八2-713-1



 佐古木駅北口を出て,突き当たる道を左手に進んで300m弱進んだ右手に又八神明社があります。創建は不詳ですが寛文10年(1670年)の棟札が残り,寛永17年(1640年)に犬山成瀬家の家来だった大島又八郎が又八新田を開拓した際に勧請されたと考えられます。



 境内には白文鳥発祥地碑があります。元治元年(1864年)に尾張藩の武家に奉公していた女が又八新田に嫁いだ際に桜文鳥のつがいを持参し,これがきっかけでこの地区で文鳥を飼う人が多くなりました。明治初年ごろ突然変異で白い文鳥が生まれ,その後飼育にも成功して,弥富は白文鳥の生産地として全国的に知られるようになり,昭和40年代には,約250件の生産家があったそうです。残念なことに近年は生産量が激減し,平成21年(2009年)に弥富文鳥組合も解散してしまったといい,現在は3軒のみで生産されています。

一光堂五雲句碑
前ヶ平1-74付近



 又八神明社から200m先のJRの踏切を渡り,さらに150m弱先の信号の手前の筋を左折して,続く筋を右折します。ここから400mほど進むと左手に前ヶ平神明社があります。



 さらに先に進んだ突当りを左に入ったところに一光堂五雲の句碑があります。一光堂五雲は山岸儀左衛門の俳名で,寛政4年(1792年)に東条村(現在の愛西市佐屋地区)に生まれ,幼い時から読書習字にすぐれ,文化年間(1804〜18)から長きにわたって寺子屋の師匠をつとめて明治元年(1868年)に亡くなりました。碑に刻まれているのは「あわれさや 花を残して 帰る雁(かり)」という辞世の句と言われているもので,碑は門人たちによって明治23年(1890年)に建てられました。





 白鳥保育園の手前の交差点まで戻って,交差点を右折して南西へ200mほど進むと右手に弥富市白鳥コミュニティセンターがあります。建物入り口には加藤不倒句碑があり,「田に力 出て野上りの 神事あり」の句が刻まれています。加藤不倒は佐古木出身の俳人で,昭和53年(1978年)に亡くなられました。



 コミュニティセンターの入り口からさらに100mほど進んで,突当りを右折して100mほどで右手に東中地の秋葉社があります。

興善寺地蔵
荷之上町古堤385



 秋葉社からそのまま700mほど進むと国道155号線に「西中地」の交差点手前で合流します。「西中地」交差点を左折して200mほど進むと左手に難畑地蔵尊があります。この付近で信長と一向宗の争いがあり,そこで亡くなった人々を供養するために設けられたという地蔵尊で,争いの後人骨や武具などで耕作に大変難儀したことから難畑とこの付近が呼ばれました。かつては現在の東弥生台団地の一角にあったといいます。



 「西中地」交差点に戻り,国道155号線を北方向に300mほど進んだ2本目の筋を左に進むと,左手の墓地の入り口のところに興善寺地蔵[市文化]があります。かつてこの付近の白頭と呼ばれる地区には桓武天皇の勅願によって延暦14年(796年)に建立されたという荷上山興善寺という寺院があり,元は天台宗でしたが,文明年間(1470年頃)に浄土真宗本願寺派に改宗して,蓮如上人の孫である実正を養子に迎えるほどの由緒を持ち,70ヶ寺もの末寺を持つ大寺だったといいます。天正2年(1574年)の織田信長と一向宗との争いで寺が焼失し,再建されましたが寛永8年(1631年)の大地震で寺が倒壊したため,清洲へと移転しました。地蔵は明治24年(1891年)の後,寺跡の白頭池から掘り出されたもので,興善寺の地蔵として代々墓地に安置されてきました。毎年蓮如上人の命日にあたる3月25日付近に,現在は名古屋にある興善寺から住職を招いて供養祭を行っているといいます。



 興善寺地蔵からさらに400m強進んだ左手の荷之上公民館の右手には荷之上の力石があります。人々が力比べに用いたものといいます。

光蓮寺
荷之上町河原2782



 荷之上公民館の先の筋を左折し,続く筋を右折して200m弱進むと右手に光蓮寺(真宗大谷派)があります。名古屋聖徳寺の末寺で古くは海西郡東條村(現,愛西市佐屋地区)にあって,慶長13年(1608年)に海東郡諏訪村(現,愛西市佐織地区)に移り,明暦元年(1655年)に現在地に移されたといいます。この付近の大庄屋である服部家の墓所がある由緒ある寺院で門徒も多く,画像裏の断紙に明応4年(1495年)の銘がある阿弥陀如来画像や,蓮如筆という六字名号などの文化財も有しているといいます。

服部家住宅
荷之上町石仏419



 光蓮寺から100m強進むと,弥富市農村多目的センターに突き当たります。



 ここから右折して100mほど進むと,正面に服部家住宅[国重文]があります。服部家は初代正友が織田信長との戦乱の後,天正4年(1576年)頃にかつて荷之上城であったという現在地に居を構えたといいます。服部家は代々この付近の総庄屋をつとめた旧家で,新田開発などで多大な貢献があったことから苗字帯刀を許され,津島天王祭の際の市江車を再興して車屋をつかさどってきたといいます。現在残っている住宅はこの時期に建てられた400年以上経ったもので,ところどころ補修されているものの県内でも有数の古い民家で,当時から続く濃尾平野の豪農の居宅として貴重といいます。入口の表門は豪農の居宅にふさわしい茅葺の長屋門で江戸時代中期以降の構造といいます。中央には主屋があり,茅葺入母屋造で承応2年(1673年)に建て替えられたものと考えられていますが,住宅の造りは大黒柱を用いる形式以前の,四つ建て形式になっています。これは別名鳥居建て形式といい,屋内の柱を鳥居のような軸組みに組んで支える形式になっています。北に位置する離れ屋敷は平屋建て安永9年(1780年)の伊勢の戸津村(現,桑名市)から屋敷を買い取って移したもので,茶式の改造や東新座敷の増築などが行われて現在に至ります。現在も個人が居住しているため,通常の見学は弥富市歴史民俗資料館を通じた予約制になっています。最近では主屋で演奏会が実施され,文化財の新しい活用法として注目されています。

柴ヶ森
荷之上町柴ヶ森4172





 服部家住宅の表門から左手に道なりに進み,先の交差点を左折し,さらに次の交差点を右折します。100mほど先の突当りを左折し,続く筋を右折すると,道なりに100m弱で左手に柴ヶ森[市史跡]があります。平治元年(1159年)に平治の乱に敗れた源義朝は美濃青墓(現,大垣市)から知多の野間に逃れていく途中,平氏の検問をぬけてこの地に至った時に,もう大丈夫だろうと舟荷の柴木を上げたので,この地を荷之上,柴ヶ森と呼ぶようになったと伝わっています。現在の森は,その際に上げた柴が芽を出して盛になったと伝わっています。入口の柴ヶ森の碑は,旧佐屋町(愛西市)出身の内閣総理大臣であった加藤高明の著といいます。境内には源氏ゆかりの八幡神社が勧請され,宝永2年(1705年)の銘を持つ石燈籠などがあり,地域に信仰されていた様子が伝わります。一説にはこの神社を平安時代の延喜式の漆部神社に比定する説もあります。静かな境内で,この地で休んだ源氏の大将に思いをはせるとよいでしょう。

金樹寺
五之三町本田124





 柴ヶ森の入り口から南方向に300mほど道なりに戻ると,右手に金樹寺(真宗大谷派)があります。寺伝によると永正16年(1519年)に美濃安八郡野市場村(現,岐阜県海津市)に創建され,中島郡祖父江町を経て元禄3年(1690年)に現在地に移されたといいます。寛永年間(1661〜72年)の貴重な画像などの寺宝があり,浄土真宗の庭園も趣があります。



 なお,2本手前のやや広い筋を西へ200m進むと名鉄尾西線の五ノ三駅があります。本数は30分に1本程度ですが,場合によっては利用しましょう。



 金樹寺から道なりに100m,右に曲がりながら進み,突当りを左折して50mほど進むと右手に五之三本田の地蔵尊があります。



 さらに50mほど進むと右手に五之三神明社があります。400年ほど昔に福島の神明与六なる人物が天照皇大神を勧請して創建したといい,かつては樹齢300年ほどの老松もあったといいます。保元の頃(1156年頃)はこの付近は小島が連なる海域だったことが案内板に書かれています。五之三地区の鎮守神として篤く崇敬を受けています。

明治天皇焼田港御着船所跡
五之三町川平93



 神明社から北に戻り,次の筋を左折して道なりに進んだ次の筋を右折します。さらにその先の突当りを左折して300m弱,名鉄の線路を越えて進むと県道458号線に合流します。ここから200mほど進んだ2本目の筋を左折すると,すぐ先の交差点の左手には五ノ三川平の地蔵があります。



 さらに150m弱進んだ右手には明治天皇焼田港御発着所跡の碑があります。明治元年(1868年)に天皇が京都から東京に移られる際に,東海道を東に進んで桑名から佐屋まで尾張藩の軍船白鳥丸で向かわれることになった。しかし,浅瀬があって船がこの付近から進めなくなってしまったため,急きょこの付近の焼田港に上陸されたといいます。この碑は昭和42年(1967年)に明治100年を記念して建てられたものです。





 碑から先の細い路地に進んだ先には千代稲荷社があり,この付近には郁達夫漢詩碑があります。郁達夫(いくたっぷ)は中国出身の漢詩家で,大正2年(1913年)に来日し,大正5年(1916年)に第八高(現,名古屋大学)の在学時に弥富に訪れて服部擔風のもとで漢詩を学びました。この碑は平成15年(2003年)に地元の漢詩愛好家たちが建立したもので,擔風先生を訪ねて弥富駅を降りたときの様子を伝えています。

五明神明社(黒川治愿君功徳碑)
五明3-35



 漢詩碑から道なりに進んで2本目のT字路を左折し,さらに100m弱進んだ次の筋を右折すると突当りに水明テニスコートがあります。



 突当りを左折して100m強進んだ先を左折したところに五明神明社が見えてきます。かつてこの付近は伊勢国桑名郡に属し,その新田開発などが行われた際に建てられたと考えられます。



 境内には高さ153mにおよぶ巨大な黒川治愿(はるよし)君功徳碑が建てられています。かつてこの付近を流れていた間の川という木曽川の支流がたびたび氾濫していたため,村の有志が明治17年(1884年)に県知事に願い出て埋め立て工事の許可を得た。しかし,内務省が反対したため,県土木部の黒川治愿が自分の責任で工事を進め,その結果,この地域は洪水の心配がなくなり人々は大いに喜んだといいます。この碑は彼の偉業を称えるために設けられたもので,郷土の漢詩家服部擔風の筆で碑の建立の由来が長々と書かれています。

証玄寺
五明1-24



 五明神明社の正面から東に進んで突当りを右折し,東名阪自動車道の高架をくぐって,2つ目の筋を左折すると,100m強で証玄寺(真宗大谷派)が見えてきます。五明山と号し,この地の開拓の祖と呼ばれる伊藤家によって享保4年(1719年)に創建されました。境内には内藤十左衛門自刃之地の碑があります。現大垣市上石津出身の水行奉行西高木家の家臣であった内藤十左衛門は,木曽川の宝暦治水の現場監督に当たりましたが,地元で工事を手伝っていた庄屋との折り合いが悪く,工事がうまくいきませんでした。自分の責任ではありませんでしたが,工事がうまくいかなかったことを咎められて当主に御沙汰がないようにと,工事が竣工したのちの宝暦4年(1754年)に宿所としていた農家で自刃しました。



 証玄寺から100mほど進むと県道458号線に出ます。この正面の名鉄尾西線の線路が東名阪自動車道をくぐる付近に,かつて弥富口駅がありました。昭和8年(1933年)に開業し,近くにあった工場の工員などに利用されましたが,工場が閉鎖されて乗降客が減少し,平成18年(2006年)に廃止されました。現在でも高架のホーム跡が残っています。





 そのまま県道458号線を400mほど進むと右手にイオンタウン弥富があります。平成12年(2000年)に工場跡地に開業したショッピングセンターで,スーパーを始めレストランなどが集まっています。ウォーキングの中継点として活用するのもいいでしょう。

弥富神社
鯏浦町上本田135





 イオンタウン弥富に入るところの信号から北上して名鉄尾西線の踏切を渡って300mほど進むと左手に弥富神社があります。明治40年(1907年)頃に鯏浦の東・西・下・中・中六北・中六南・錦浦・小島の八村落の祭神を合祀して一社とし, 弥富神社と改称しました。毎年10月第2日曜日に行われる秋祭りは,弥富市でも最大規模のお祭として知られ,石取祭車や神楽も多数出て賑わいます。



 弥富神社の向かい側には,弥富市総合福祉センターがあります。ホールや会議室などがあってイベントも行われるほか,60歳以上の福祉サービスもあるそうです。



 駐車場の西入り口のところには前田進歌碑があります。明治42年(1909年)に十四山村鮫ヶ地新田で医師の子どもとして生まれ,高校時代から短歌に興味を持ち正岡子規の直門の岡麗に師事したといいます。「あかあかと 水田にあかり うつれるは 梅雨の雨間に 鯰とるらし」と水郷風景を詠んだ句が刻まれています。

孝忠園・擔風(たんぷう)先生筆塚
鯏浦町下本田32 [公式HP(外部リンク→)]



 弥富神社の先の信号を右折し,次の筋を左折し,すぐの筋を右折します。そのまま150mほど進んだ次の筋を右に入った先に孝忠園・擔風先生筆塚[市史跡]があります。服部擔風は慶応3年(1867年)に鯏浦の大地主の次男として生まれ,幼いころから漢学に親しみ,明治24年(1891年)には「梅花唱和の詩」を東京日日新聞(現在の毎日新聞)に発表して話題になりました。その後,この海部地方を中心に詩の講義や詩作の指導を行い,多くの人に親しまれたといいます。孝忠園は服部擔風の古希(70歳)を記念して昭和11年(1936年)に門人らに設けられました。碑には擔風の詩が刻まれており,「月に嘯き花に吟じて鬢糸となる 昭代を謳歌してまたなんぞ疑わん 人に向かって説き与う温敦の旨 子は孝 臣は忠 これ我が師」とあります。これは常に誠実で真心を説き,子は親に孝行し,臣は君に忠実であることが私の師とするところという意味で,このことから孝忠園と名づけられたといいます。また筆塚は擔風の三周忌である昭和41年(1966年)に門人らによって詩碑の隣に設けられました。

専念寺
鯏浦町下本田34





 孝忠園の先には専念寺(真宗大谷派)があります。創建は鎌倉時代にさかのぼるといい、当初は川島御堂という天台宗の名刹であったといいます。文明年間(1469〜86)にこの地に訪れた蓮如上人に帰依して浄土真宗に改宗しました。天正2年(1574年)の一向一揆の際に兵火で焼失しましたが,再建されたと伝わっています。門信徒が広い範囲におり,影響力の大きな名刹といいます。

薬師寺(鯏浦城跡)
鯏浦町上六49



 孝忠園の北に戻り,右折して150mほど進むと右手に中之割公園があります。





 公園を越えた3本目の筋を右折し,次の筋を左折し,さらに続いて右折すると,右手に薬師寺(曹洞宗)があります。鯏浦山と号し,かつて鯏浦城があったこの地に,城主であった織田信興(織田信長の弟)の御持仏をおさめる薬師堂が設けられ,これが明治初めに薬師寺になったといいます。本尊の薬師如来は20年ごとに開帳される秘仏で,他にも狩野探幽筆の観音画像も保存されているといいます。本堂前には樹齢600年以上ともいう見事な薬師寺の大楠[市天然]がそびえています。かつてはこの付近は海岸線だったことから磯部の楠とも呼ばれ,人々はこの楠の葉を用いて病気を治療していたとも伝えられています。織田信長が一向宗を攻撃する際にこの楠に舟をつないだとも,豊臣秀吉が舟をつないだともいわれています。樹下にはかつて鎮守の社(下の宮)が祀られて多くの参拝者が訪れたといいますが,明治時代に弥富神社に合祀されました。大楠の下に現在は鯏浦城跡[市史跡]の碑が立っています。鯏浦城はこの付近に勢力を伸ばした服部左京亮率いる一向宗の服部党に対抗するために,織田信長が永禄8年(1656年)に築いた城で,織田信興が城主をつとめました。しかし元亀元年(1570年),信興は小木江城(現,愛西市立田地区)にて服部党に攻められて殺されてしまいます。これを機に信長は,天正2年(1574年)に大軍を送り込んで服部党門徒を攻め,ことごとく焼き尽くして滅ぼしたといいます。この碑は昭和51年(1976年)に城跡の大楠の下に建てられたものです。



 薬師寺の先100mほどの3本目の筋を右折し,さらに200mほど先の交差点を左折します。200mほど進んだ信号を越えると,弥富駅前の商店街に入っていきます。少し先の右手にある大橋屋では弥富名物の金魚最中が売られており,話題になっています。

ゴール:近鉄・弥富駅(またはJR/名鉄・弥富駅)





 商店街をぬけて名鉄とJRの踏切を渡ったら,すぐに左折します。そのまま200mほど進むと,JR関西線と名鉄尾西線の弥富駅があります。JRを使って約20分で名古屋駅まで戻ることができますので,電車の都合がよければここをゴールにしてもいいでしょう。ただし,停車するのは普通のみで本数は30分に1本になります。弥富駅は海抜マイナス0.93mに位置し,地上で最も低い駅としても有名です。名鉄尾西線でも名古屋駅に行くことができますが,津島・須ヶ口経由のため時間がかかります。



 100mほど道なりに進むと,ゴールの近鉄弥富駅があります。近鉄名古屋線で名古屋駅まで急行で約15分,準急では約20分で行くことができ一番便利です。本数は急行が1時間に3本,準急が1時間に2本程度です。


写真使用数:47

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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