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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県津島市:津島駅コースTSUSHIMA STATION

2017年10月探訪。2017年10月19日作成

【コース】 距離:約6.9km
 津島駅東部の旧津島街道周辺と津島中心部の東側の社寺をめぐっていきます。昔ながらの古い町並みと津島神社周辺の信仰を感じながら歩きます。

 名鉄・津島駅〜津島市文化会館〜弘法寺〜津島一里塚跡〜浄蓮寺〜津島追分・鳥居跡〜埋田御小用跡〜伊藤家住宅茶室水鶏庵〜正楽寺〜南本町十王堂〜本住寺〜吉祥寺〜八劔社〜龍渕寺〜教津坊〜興禅寺〜今市場十王堂〜名鉄・津島駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄津島線・津島駅



 スタートは市の中心駅である名鉄津島線の津島駅です。佐屋・弥富方面行に乗車して名鉄の須ヶ口駅から約17分,名鉄名古屋駅から30分程度で行くことができます。津島駅はこの付近の中心駅で,特急も含めてすべての列車が停車します。本数は1時間に合わせて4〜6本程度運転されています。
 津島駅が設けられたのは,明治31年(1898年)に尾西鉄道(現在の尾西線)が開通したときで,その後大正3年(1914年)に名古屋電気鉄道(現在の津島線)が東から伸びてきて新津島駅が開業しました。昭和6年(1931年)に2つの駅が統合され,昭和43年(1968年)に駅が高架化されて現在の姿になりました。
 津島駅改札口から西に出たところには,津島総合案内所があります。津島市の観光用のパンフレットを手に入れることができるほか,津島の名産品などの販売も行われています。スタッフによる観光のアドバイスを受けることもできるので,津島市内を散策する前にここで情報を手に入れておくといいでしょう。(2017年10月現在,改修工事中です)

津島市文化会館
藤浪町3-89-10 [公式HP(外部リンク→]



 津島駅から西に出たところにある「藤浪町」交差点を右折し,続く筋を左折して,さらに続いて右折します。そのまま300m弱北上すると左手に津島市文化会館があります。地域の文化振興のために設けられた施設で,大小の2つのホールや会議室,視聴覚室などがあり,地域の様々なイベントが行われます。



 文化会館南側には,愛知県津島高等女学校跡の碑があります。大正4年(1915年)に設けられ,大正6年(1917年)に現在の文化会館の敷地に新校舎が建築されました。昭和24年(1949年)に最後の卒業式を迎え,その後は新制中学校,そして県立津島工業高校(現在の津島北高校)の校舎としても使われたそうです。この碑は高等女学校の同窓会(ふじなみ会)が建立したもので,「ここに津島高女ありき」の碑が当時をしのんでいます。

弘法(こうぼう)寺
藤浪町4-3





 文化会館のところの「文化会館北」交差点を右折して東に進むとすぐ左手に弘法寺(真言宗)があります。身代山と号し,知多四国88カ所霊場の43番札所である岩屋寺(南知多町)を中心とする尾張高野山宗の寺院です。本尊は岩屋寺奥の院からもたらされたという身代大師(弘法大師)で,聖天堂には奈良生駒山宝山寺からもたらされたという生駒聖天の分霊が祀られ,商売繁盛,所業成就の御利益があるといいます。津島霊場めぐりの4番札所に指定されています。

津島一里塚跡(清光院)
西柳原町1-52





 弘法寺から東へ尾西線の線路をくぐって200m強進み,「西柳原」の交差点を右折して500mほど南下し「今市場町4」の交差点を左折します。するとすぐ右手に津島一里塚の案内があります。津島一里塚はこの東にある津島追分から分かれて600mほどのところに設けられていた一里塚で,高さ1.8m,南北8.8m,東西6mの楕円状の小山が設けられていたといいます。大正時代までは塚の中央に大きな赤松が生えていて,根元に狐が住んでいたという穴と稲荷をあったといいます。昭和のはじめに耕地整理と道路整備により塚は跡形もなく取り払われ,現在塚のあったところは清光院(浄土宗西山禅林寺派)と幼稚園の境内になっています。

浄蓮寺
東柳原町2-31







 津島一里塚跡の先の筋を左折して100mほど進み,突当りを右折して100mほど進んだ右手に浄蓮寺(真宗大谷派)があります。究竟(きゅうきょう)山と号し,永正8年(1511年)頃に現常滑市大野町の光明寺門徒の在家道場として創建され,慶長7年(1602年)頃に寺号が定まったと考えられています。山号は宝暦13年(1763年)に本山から賜ったと記録があります。元々は苧之座(現在の天王通り)にあったと伝わり,その後長らく天王川公園近くの筏場町にありましたが,平成20年(2008年)に現在地に移されました。寺宝には室町初期か南北朝期の作という絹本著色阿弥陀・十一面観音・地蔵三尊画像[県文化]があり,浄土教の来迎図に十一面観音は珍しいといいます。また,天文8年(1539年)に京都の仏師の康秀の作という広目天・多聞天・増長天・持国天の4体の木造四天王像[県文化]は,製作年代が明確で補修も少ない,当時の姿を伝える貴重なものといいます。他には輪転式経蔵[市文化]があり,これは安永5年(1776年)に4回にわたって鉄眼版一切経が購入され,それを納めるために設けられたものです。創建年代は不詳ですが,天明4年(1748年)にはすでに存在していたとの記録もあります。輪転式経蔵としては県下でも最大級のものであり,蔵内に納められた聖徳太子像など5つの像もそのまま残されているといいます。

津島街道追分・鳥居跡
埋田町1-48付近





 浄蓮寺の先の「東柳原2」交差点を右折し,200m弱先の「東柳原」交差点に至ります。この交差点には藤島神社と古い建物が残ります。



 この交差点を南下して次の筋を左折し150mほど進むと,津島街道追分・鳥居跡[市史跡]があります。熱田から西に伸びている佐屋街道は,ここ埋田町で津島神社に向かう道と佐屋に向かう道に分岐しました。その分岐点である追分は,『尾張名所図会』にも茶店があり,多くの人々が行き交う様子が描かれています。残る石の道標には「右つしま天王みち」「左さやみち」「あつたなごや道 天和二年(1682年)建立,明和二年(1765年)再建立」などと記されています。道標のそばには常夜灯も設けられています。かつては津島神社の一の鳥居がこの付近に設けられていましたが,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で倒れて,今は根石のみが残っています。

明治天皇埋田御小用所跡
埋田町1-62付近





 追分・鳥居跡から50mほど進んだ左手に明治天皇埋田御小用所跡[市史跡]があります。明治元年(1868年),明治天皇が東京に移られる際,桑名から焼田港(弥富市荷之上)に上陸され,佐屋路を通って津島追分にかかったとき,この埋田町付近でご小用をたされました。後日,椿の枝をさしおいたところ大きく成長したため,これを記念して明治18年(1885年)に社が設けられました。



 埋田御小用所跡から先の突当りを右折し,続く筋を左折して100mほど進むと,埋田町遺跡の案内板があります。津島市の代表的な遺跡で,昭和43年(1968年)の調査では弥生時代後期の土器が出土しています。出土した古墳時代の銅鏃は,市の文化財にも指定されています。また,この埋田町は200年の伝統があるという七福神踊[市民俗]が伝わっているといい,現在は津島秋祭の際に七福神が伝統の踊りを行うといいます。

伊藤家住宅茶席水鶏庵
橘町4-70付近



 埋田町遺跡の案内板から西に戻って次の筋を左折し,続く信号を右折して700mほど進んだ「橘町1」交差点を左折します。100m強進んだ右手のコンビニの裏手には伊藤家住宅茶席水鶏庵[国登録]があります。伊藤家住宅は旧佐織町(現愛西市)出身の実業家である伊藤新左衛門(1904〜97)が設けた住宅で,昭和初期から整備されたものです。彼は美術品収集や茶道をたしなむなど風流な人柄で,複数の茶席をもったといいます。この茶席水鶏庵は明治元年(1868年)に弥富市松名の地主だった佐野家から譲り受けたもので,名古屋表千家好みといいます。昭和23年(1948年)に移築され,佐野家にあった景観を留めるように築山を作り,石造りの基壇を作るなどしたといいます。近くには同じく登録文化財になっている腰掛待合があります。かつてはこの付近に蕎麦処水鶏庵があり,重箱にうどんが入りその中にだし巻き・海老・鶏肉・ゆばなどの具が入った名物の重箱うどんが味わえたといいます。



 その先の「西愛宕町1」交差点を右折して少し進むと南津島神社があります。
 なお南東に700mほど進んだところには,佐屋街道と蟹江街道との分岐点にあたる愛宕追分の案内板があります。佐屋街道は耕地整理などでほとんど面影はないですが,この付近は少し街道跡が残されているといいます。





 南津島神社から100mほど進んで尾西線の踏切を渡り,さらに50mほど進んだ2本目の筋を右折して100m強進むと津島秋祭の石取採車[市民俗]の蔵があります。この明天町には北部・中部・南部の3台の石取採車があり,大正4年(1915年)頃に始まり,古くは8月14・15日の地元氏神の祭日に出されていましたが,現在は10月の津島秋祭の際に町を練り歩き,鮮やかに囃子が演じられます。山車の天幕には,北部は神武天皇と八咫烏,中部は竹と虎,南部は須佐之男命がヤマタノオロチを退治する場面があしらわれているといいます。



 石取採車の蔵から戻って西に進むと,少し先の左手には照日明珍大地蔵尊があります。

正楽寺
南本町1-22





 照日明珍大地蔵尊の先を左折して150mほど進むと右手に正楽寺(真宗大谷派)があります。井堀山と号し,元々は天台宗の寺院で中島郡儀長村(現,稲沢市)にありましたが,天正2年(1574年)に当時の住職祐信が顕如上人に帰依して浄土真宗に改宗し,現在地に移ったといいます。江戸時代は,美濃国海西郡成戸村(現在の岐阜県海津市)にあった報土寺だったといいます。宝暦4年(1707年)の地震で損壊したがその後再建され,山号は天保15年(1844年)以降に許されたものといいます。

南本町十王堂
南本町2-10



 正楽寺から進んで県道に出て左折し,続く十字路を右折したところには南本町の十王堂があります。十王堂は冥土で死者を裁くという閻魔王などの10王が祀られている神社で,外敵から侵入されるのを防いでくれるという信仰から津島の町の東西南北に十王堂が設けられたといい,この十王堂は南に位置するものになります。この南本町の十王堂は明治6年(1873年)に南本町の中で十王を2〜3体ずつ分祀されるという珍しい形をとり,町内の各地で信仰されています。地元では『おじょうどさん』と親しまれ,お盆や秋祭りには提灯やお供え物がなされます。

本住寺
南本町1-7





 県道を北に戻って100mほど進むと右手に本住寺(真宗大谷派)がります。鷲尾山と号し,京都の鷲尾蔵人によって海東郡萱津村(現,あま市)に建立されたと伝わります。その後,海西郡塩田村(現,愛西市)に移りましたが,慶安年間(1648〜52)に洪水にあったため,その難を避けるために寛文元年(1661年)に現在地に移されました。それ以前は昆重寺と称していましたが,移転を機に本住寺に改めたともいいます。寺宝に教如上人の自画像があり,これは長島一向一揆に戦功があったとして上人自身が描いたものといい,慶長11年(1606年)に海西郡の大須門徒だったこの寺が賜ったものといいます。寺宝には幕末期の住職である文化教養人として知られる諦霊に関する本住寺諦霊関係資料[市文化]があり,境内には樹齢100〜200年という巨大なイチョウがそびえています。

吉祥寺
中野町7 [公式HP(外部リンク→]





 本住寺の先の筋を右折して100mほど進むと左手に吉祥寺(真言宗智山派)があります。青龍山と号し,創建は不詳ですが慶長13年(1608年)以前といい,明治元年(1868年)に神仏分離するまでは,手前にある八剣社の社僧坊であったといいます。知多市南粕谷の知多四国71番札所の大智院が親寺になっています。本尊は不動明王で,津島では珍しい三十三観音がまつられています。この三十三観音は,かつてこの付近にあったという津島の色町の女性たちによって信仰されたといいます。庫裡と兼用の本堂は文政7年(1824年)の建築といい,津島霊場巡りの第3番札所に指定されています。

八剣社
中野町8





 吉祥寺に隣接して八剣社があります。創建は不詳ですが永正2年(1505年)の棟札があり,元々この南西の下構(現在の南本町)にあったといいますが,洪水にて中野町に流されて移されたと伝わっています。
 ここ中野町はくつわ踊り[県民俗]の発祥地として知られます。馬のくつわを手にもち,くつわを打ち鳴らす青年,朱傘を手に持ち紅絹の頭巾をかぶった傘踊り,銭太鼓をもった少年の3人4組が踊る伝統の踊りです。江戸時代には懸(かかり)踊りとも呼ばれ,最初は静かに四季の風景の歌を唄い,しだいに歌も踊りも拍子が激しくなってくることから,かかるが如くの風情があるのが名前の由来といいます。戦国時代以前からの伝統があり,元来は雨乞いの踊りであったと考えられており,江戸時代の記録にも残されています。かつて,津島は雨乞いや収穫の感謝を行う様々な踊りが行われていたようですが,現在はこれ1つになったといいます。



 八剣社の先3つ目の交差点を左折して少し進むと,左手に秋葉神社があります。金刀比羅宮や神明社も合祀されているといいます。

龍渕(りゅうえん)寺
瑞穂町1-8





 秋葉神社から南に少し戻った東に入る歩行者道を進み,その先の突当りを左折した先に龍渕寺(曹洞宗)があります。大珠山と号し,嘉吉元年(1441年)に常楽寺の2世の仙巌能範和尚により開山したといい,本尊は如意輪観世音菩薩です。近世は周辺が田んぼに囲まれ「田んぼ龍渕寺」と呼ばれたといいます。この地は15世紀以降,平野氏と呼ばれる武士が住んでいたことから,平野戸と呼ばれました。平野氏の中で有名なのは秀吉,家康に仕えた平野長泰で,この寺は彼にゆかりの深い寺院です。平野長泰は永禄2年(1559年)に津島で生まれ,天正7年(1579年)に秀吉に仕えて,同11年の柴田勝家争った賤ケ岳の戦いでは,賤ケ岳七本槍の1人として活躍し,3000石を与えられました。その後,小牧長久手の戦いでも活躍して文禄4年(1595年)には大和田原本5000石が与えられます。しかし,秀吉に冷遇されたために関ヶ原の戦いでは家康に味方し,田原本の領地が安堵され,その地で寛永5年(1628年)に70歳でなくなりました。



 龍渕寺の北には,朝日町の今市場の山車[市民俗]の山車蔵があります。今市場町には朝日町,小中切,大中切の3台の山車があり,津島秋まつりの際に町内を練り歩きます。『張州雑志』にも記載があり,天明年間(1780年頃)には存在していたといいます。朝日町には湯立神子,小中切には住吉明神,大中切には翁と唐子遊びのからくり人形が備わっています。

教津坊
今市場町2-54







 龍渕寺の先の左折し,100m弱進んだ突当りを右折するとすぐに教信坊(真宗高田派)があります。藤浪山と号し,本尊は阿弥陀如来で,津島市で唯一の高田派の寺院です。尾張名所図会によると越後高田の山田左衛門尉道顕という人物によって承元年間(1207〜10)に創建されたといい,往古は天台宗だったといいます。その後,嘉禎元年(1235年)に親鸞聖人が関東から帰る途中にこの地にとどまった際に帰依して改宗し,道顕を解明して高田慶信坊と称したといいます。その後,天正3年(1575年)に飛鳥井大納言から号を賜り,現在の文字に寺号が改められました。長らく境内は親鸞聖人の旧跡と呼ばれ,多くの人から信仰を受けたといいます。また境内には市内では珍しい菩提樹がそびえています。

興禅寺
今市場町3-22







 教津坊の入り口から北上して,県道の横断歩道を渡って右折して進むと,少し先に興禅寺(曹洞宗)があります。宝珠山と号し,本尊は薬師如来です。永徳元年(1381年)に万山寿一和尚が創建したといい,71もの末寺を持ち七堂伽藍も備わった大霊場だったといいます。天正13年(1585年)の大地震やその翌年の水害で諸堂は大きな被害を受けたといいますが,近世でも10の末寺を持つ津島の曹洞宗の中心となる寺院であり,『尾張名所図会』にも山門の額に「海東古禅林」とある名刹であることを記しています。津島神社とも関連が深く,津島天王社の筆頭社家である堀田右馬太夫(ほったうまだゆう)家の菩提寺となっており,堀田木吾の墓[市史跡]など家に関係する人物の墓もあります。墓に眠る堀田理右衛門紀知之(1719〜97)は和歌や俳諧を好み,与謝蕪村や井上士郎などとも交流があったといいます。寺宝には延文3年(1358年)の銘のある雲版[県文化]があり,これは海蔵寺(現,西尾市吉良町)の所有するものに次いで県内で2番目に古いもので,万福禅寺の刻印がありますが,この寺の所在などについては明確でないといいます。また,江戸時代末期の陶工として知られる大橋秋二による紙本著色涅槃図[市文化]も所有しています。大橋秋二(1795〜1857)は寛政7年に生まれ,元々医師であったが京都の尾形周平に師事して作陶を学び,美濃や尾張瀬戸にて活躍し,晩年は養老にて窯を持ちました。この絵は秋二が養父の追善供養のために描いたもので,文化12年(1815年)に津島の地蔵寺に寄進されたものといい,信仰心がしのばれる絵といいます。他に木造牛頭天王像[市文化]は元々津島神社の神像で,明治元年(1868年)に神仏分離の際に堀田家の菩提寺だった由来で授かったものといい,3面12臀で頭に牛頭を冠している非常に珍しい像といいます。



 寺の前には,今市場の小中切の山車蔵があります。

今市場十王堂
今市場町3-12



 興禅寺の入り口から西に進み,「今市場町3」の交差点を越えたところに今市場十王堂があります。津島の町の東西南北に設けられた十王堂のうち,東側に設けられたものです。本尊は地蔵で,地蔵は地獄で変身して閻魔王になるとされているため,地蔵十王堂とも呼ばれています。内部には今市場十王堂の仏像・仏画[市民俗]や安永5年(1776年)の棟札も現存しているといいます。



 今市場の十王堂の左側の筋を北上すると,錦町神社があります。元々は屋根神といい,伊勢・津島・秋葉の各神社がまつられています。

ゴール:名鉄津島線・津島駅

 100mほど進み,「藤浪町1」交差点を右折するとスタートした津島駅に戻ってきます。名鉄を利用して戻りましょう。須ヶ口・名古屋方面へは準急と普通を合わせて1時間に4〜6本程度,一宮方面にも1時間に4本程度運転されていますので,電車の時間に関してはそれほど気にしなくても大丈夫でしょう。


写真使用数:43

←前:神島田コース / 愛知県津島市 / 次:津島神社コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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