本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県津島市:神島田コースKAMISHIMADA

2017年10月探訪。2017年10月19日作成

【コース】 距離:約9.9km
 市南部の神島田地区と神守地区をめぐります。日光川沿いの自然と,津島東公園,古くからの庶民信仰が生きる社寺や文化財をめぐっていきます。

 JR・永和駅〜鹿伏兎橋〜三月寺〜熱田神社〜半頭神明社〜円成寺〜中一色神社〜唐臼神社〜津島東公園・津島児童科学館〜千体地蔵堂〜十王寺〜百町矢塚跡〜蓮光寺〜白浜神明社〜金蓮寺〜高台寺薬師堂〜名鉄バス・高台寺バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄バス・神守口バス停



 スタートとなるJR関西線の永和駅へは,名古屋駅から四日市方面の普通列車でおよそ10分で到着します。普通列車のみの停車で,本数は1時間に2本程度なので時刻はあらかじめ調べてから利用した方がいいでしょう。

鹿伏兎橋
鹿伏兎町



 永和駅から南下して「大野」の交差点で左折して県道を西に進みます。県道を500m強進むと日光川を渡る橋にさしかかりますので,橋の手前を左折して日光川沿いを進んでいきます。この日光川流域は海抜0m地帯が広がり,典型的な輪中地帯が広がっています。洪水も多く,天明5年(1785年)に河川改修が行われて直線的な川に整備されましたが,現在でも満潮時に海からの逆流を防ぐために閘門が設置され,排水機場が設けられて強制的に水を伊勢湾に流す仕組みが作られているといいます。



 日光川沿いを400m強進んで堤防から降りると,新しく整備された鹿伏兎町の住宅街になります。津島秋まつりの際は,この鹿伏兎町からは2台の神楽[市民俗]が出てまつりを彩ります。神守・神島田地区は神楽屋台の宝庫で,獅子舞を納める箱を装飾することで生まれたという神楽は,江戸時代には竜や人などの装飾が施されるようになり,村の格を表すものにもなりました。屋台の後方には太鼓などが載せられ,鮮やかな音色が響き渡ります。この地区には21台もの神楽が秋祭りの際に巡行して賑わいます。鹿伏兎町では西之切と東之切の2台の神楽があります。



 そのまま東名阪自動車道をくぐって200m弱進むと「鹿伏兎橋西」交差点のところに出ます。ここを左折して県道を進んだところには案内板があり,明治末に橋がかかって蟹江町との交流が便利になったことや,昭和20年代までは川が多く船で農作業などを行っていたこと,家の周りにその名残が残っているところがあることなどが説明されています。鹿伏兎の地名は,川幅が広くなるという「河太」からだといいます。

熱田神社
鹿伏兎町西20



 鹿伏兎町の案内板の先の分岐で,一方通行の細い道に入り,2つ目のお堂のある交差点を右折します。





 そのまま道なり100mほど進んで左折し,100m弱進んだところに三月寺(真宗大谷派)があります。江戸時代の『尾張徇行記』には光徳寺として記載されている寺院です。





 100mほど進んだ右手には熱田神社があります。かつて神社の東隣には蜂須賀蓮華寺の末寺である真言宗の文殊院があり,かつては神社と同じ境内にありました。文殊院は正保元年(1644年)に快運によって再興されたといい,かつての境内には熱田・神明・富士浅間・諏訪明神・三狐社の5社が祀られていたといいます。文殊院の寺宝である金銅造文殊菩薩騎獅子像[市文化]は獅子の上に乗った文殊菩薩の像で,寛文12年(1672年)の造立といい,全体に優美な姿が印象的といいます。

半頭神明社
半頭町西之割





 熱田神社のところを左折して300m弱北上すると左手に入ったところに半頭神明社があります。かつてこの付近は永和村半右衛門新田と津島市頭長の2つの地区に分かれていましたが,合併の際にそれぞれの頭文字をとって半頭町となりました。半右衛門新田は,『尾張徇行記』によると寛永19年(1642年)に没したという長尾半右衛門が開墾したことからこの名前がついたといいます。この神明社も開拓した際に信仰のよりどころとして設けられたと考えられます。神社の横には半頭町の案内板が立てられています。

円成寺
中一色町西訳101





 半頭神明社の左側の筋を北上して300m強進み,3本目のT字路のところを左折して2本目の筋を右折して,突当りを左折すると円成寺(浄土宗鎮西派)があります。慈興山と号し,開基年代は不明ですが境内に南北朝時代の応安・永和年代の宝篋印塔があることから歴史ある寺院と考えられています。元々は西台山西方寺といい,慶安年間(1648〜52)に品誉上人によって再興されたといいます。品誉上人を継いだ照誉上人の高弟に関通上人(1696〜1770)がおり,13歳のときにこの西方寺で修行を行いました。その後,江戸増上寺での修行の後,この地で西方寺を円成寺と改め,伽藍を整備して念仏を称える浄土宗の道場としました。境内には梵鐘が釣られた竜宮型の鐘楼門があり,これは関通派の寺院で多く見られる様式といいます。



 昭和7年(1932年)に火災によって庫裡や僧堂などを失いましたが,本堂や曼陀羅堂,経蔵など多くの建物が残されています。左手にある重層の本堂には,本尊である阿弥陀如来坐像[市文化]があります。これは関通上人に帰依した名古屋の加藤伊兵衛による寄進といい,説法印の堂々とした高さ5mのもので,破損も少ない貴重なものといいます。



 曼陀羅堂には紙本著色観経曼荼羅図[市文化]が収められています。これは元禄(1688〜1704)の頃,無量居士なるものが大和国当麻寺の曼荼羅図を模写して京都知恩院に奉納したものが,伊勢国山田の清雲院を経て,享保12年(1727年)に関通上人が譲り受けたものといいます。4月の第2日曜日付近に曼荼羅図の御開帳(おまんだら)が行われており,良縁成就に霊験があるとして多くの人が訪れるといいます。津島霊場めぐりの第19番札所に指定されています。



 東方向に戻って,100mほど進んだ2本目の筋を右折した先に西方寺(浄土宗鎮西派)があります。

中一色神社
中一色町清光坊3



 西方寺から50mほど東に進んだところに中一色神社があります。特徴的な鎮守の森に,住吉大明神,白山,神明社が祀られています。このうち津島市内では海の神様である住吉大明神が祀られているのは珍しく,これは神社の東に流れていた川が日光川とつながっており,この付近が舟で物資が荷揚げされる舟湊だったといいます。この住吉社は百町から流されてきたものを合祀したとも伝えられています。



 中一色神社の右側の道を500mほど進み,突当りの信号の1つ手前の筋を右に入ったところに(中一色)神明社があります。



 信号まで進んで右折し,神明社の裏側に進んできたところには,おにえ橋の案内板があります。この付近の日光川沿い12の村々は,津島神社の例祭のときに日光川で取れた鯉を御贄(おにえ:お供え物のこと)として納めていたことから御贄組と呼ばれたといい,から橋の名前がついたといいます。12の村々は,北は愛西市の古瀬・千引,南は蟹江町の蟹江新田におよび,神社に納められた鯉で「鯉の真魚箸」の儀式が行われるといいます。

唐臼神社
唐臼町柳原1400





 おにえ橋の案内板手前の信号から北西方向に500m弱進んだ5本目のT字路を右折し,300mほど進んだ県道を越えた先の左手に唐臼神社があります。この地域の神明・八幡・天王社が合祀されて設けられた神社です。神社の御神体は唐臼石と呼ばれる真ん中に穴の開いた石で,元々は塔か宮殿の礎石であると考えられています。唐臼村という名前もこの石に由来するといいますが,海辺を思わせる軽洲(かるす)という地名が転じたという説もあります。毎年10月の津島秋祭りの際は,昭和31年(1956年)から唐臼町石採祭車[市民俗]が町を練りあるいています。

津島東公園
南新開町2-74







 唐臼神社から400mほど北上して,突当りを左折し,続く筋を右折するとその先に津島東公園があります。野球場やテニスコート,市営プールなどの体育施設がそろい,東屋などの休憩施設も充実した,この付近で拠点となる公園です。





 公園入口の左手には津島児童科学館があります。1階には「宇宙を目指す人間生活」をテーマに3つの展示室が設けられており,宇宙に関する興味関心を深めることができます。2階には観客100席のプラネタリウムがあり,星座の紹介などが行われるほか,個展などが行うことができる展示ロビーが設けられています。簡単なレストランも併設されているのでウォーキングの拠点として活用しましょう。

百町千体地蔵堂
百町中住吉22





 津島東公園から東に200mほど進んで日光川に突き当たったら左折して600mほど進むと「新おにえ橋西」交差点があります。



 なお,日光川沿いを北上して佐屋街道にかかる日光橋のところには昔の標柱と案内板が残されています。



 南下した先を左折して橋を渡り,「新おにえ橋東」交差点を越えて3つ目の筋を右折し,200m強先の突当りを左折すると,約100m先の筋を左手に鶴見酒造[公式HP(外部リンク→)]があります。明治6年(1873年)創業の老舗の酒蔵で,神鶴などのブランドで日本酒を生産しています。



 入る前に戻って南下したところには津島神社がまつられています。また隣接して百町花はす田があり,夏の蓮シーズンには鮮やかに花が彩ります。



 さらに50mほど南下した右手の空き地の向こう側に百町の千体地蔵堂があります。この地にはかつて,臨済宗の神護山徳成寺があったといいます。徳成寺は元々十二社熊野神社があった場所に建てられたといい,天和年間(1681〜84)に政秀寺(名古屋市中区)の徹源和尚が再建しました。しかし,現在は廃寺となって千体地蔵堂と三十三観音堂だけが残されています。千体地蔵堂には徳成寺の千体地蔵[県民俗]が整然と安置されています。享保5年(1720年)に百町村の大杉八左衛門が名古屋の仏師池田茂兵衛に作らせたものと記録があります。保存状態も良好であり,中尊地蔵の胎内には木版の細字法華経が,建立者の同族や召使などの名前が記された木札に納められており,庶民の地蔵信仰を知る上でも貴重なものとなっています。



 千体地蔵堂の先をさらに100mほど南下すると,春日神明神社があります。百町村の南部の人々の信仰の対象になっていたものです。隣接して市文化財の神楽の保管庫があります。



 春日神明神社から戻って,北側にある十字路を東に進み,50mほど進んだ公園を越えた先の民家の裏手に百町の矢塚跡が見えます。案内板などはないので注意してみましょう。昔,源義経がこの東にある下田地区(あま市)から矢を射たら,距離が百町(約10.8km)飛んでこの地に落ちたといいます。落ちた矢から根が生えて現在の藪になったといいます。この矢塚は,この付近の地名になっており,百町村の名前の由来にもなっています。

蓮光寺
白浜町林造52 [公式HP(外部リンク→]



 矢塚跡から200mほど進み,県道を越えた次の筋を左折し,2本目の筋を右折すると左手に蓮光寺(真宗大谷派)があります。現在,新しい本堂が工事中で,完成後はたたずまいが一新するようです。寺宝に絹本著色二河白道図[国重文]があり,この世と阿弥陀浄土との間にはむさぼりやこだわりを表す水の河と,怒りや憎しみを表す火の河があり,両者の間を浄土へ行くことを強く願う白い道が伸びているという浄土信仰の教えを表したものです。この図は鎌倉時代後期作と考えられ,同様の時期に作られたという文化庁本と呼ばれる図と近似した構図になっているといいます。

白浜神明社・八幡社
白浜町宮組63





 蓮光寺の先の十字路を右折し,道なりに100mほど進んで次の十字路を左折すると左手に白浜神明社・八幡社があります。白浜村の村社で,神明社と八幡社が合祀され,かつては牛頭天王も祀られていたといいます。東隣にはかつて聖霊山光明寺と呼ばれる真言宗の寺院があったといい,蜂須賀蓮華寺(あま市)の末寺で,慶長8年(1603年)に蓮華寺の義海が中興したといいます。無くなった光明寺の本尊はお地蔵さまがまつられている建物に安置されているといいます。また,立派な木造の銅版葺き蕃塀があります。

金蔵寺
高台寺町二王19





 白浜神明社・八幡社から100m弱進んだ突当りを右折し,続く筋を左折して200m弱進み,橋を渡ってから2本目の曲線の後にある十字路を左折して100mほど進むと左手に金蔵寺(浄土宗)があります。歌谷山神護院と号し,元亀2年(1571年)に伊勢の多度神社が火事になった際,神官が古い御面と太刀をこの地にもたらし,それらを社を建ててまつったのが始まりといいます。江戸時代には御面の霊験が大きく,近隣から多くの人々が祈願に訪れたといい,『尾張名所図会』にも書かれています。村人に言い伝えによると,村の猪飼家が神社から御面を戴き,そこから村人が御面を借りて子どもの玩具として与えたところ,大雨が降り続いたといいます。村人が慌てて御面を返したところ雨が降り止んだといい,以降,この御面は雨水の利益があると信仰を集めました。その後,猪飼家がお堂を建てて御面を安置したといい,これが現在の金蔵寺につながっているといいます。この御面には眼病にも御利益があると言い伝えられています。



 金蔵寺から50mほど進んだ右手には雨神社があります。かつては弁財天社と呼ばれ,皇諦神女という子どもと安産の守り神が祀られていました。それが水神である弁財天に似ていたことから次第にまとめて祀られるようになり,現在の祭神は宗像三女神だといいます。

高台寺薬師堂
高台寺町北浦62





 雨神社から先に進んだ突当りに高台寺薬師堂があります。元々この地区には医王山薬師寺という真言宗寺院(蜂須賀蓮華寺の末寺)がありました。薬師堂にある鰐口に「皇諦(こうだい)寺」と記載されていることから,薬師寺の旧名が皇諦寺だったと考えられ,これが現在の地名の高台寺の由来と考えられています。山門には津島市内で唯一という阿形・吽型の仁王像が立ち並び,赤の彩色が施されています。作像時期は不詳ですが,文政元年(1818年)に修理された記録があります。薬師堂には皇諦寺および薬師寺の本尊であった木造薬師如来坐像[市文化]が安置されています。室町中期の作と推定され,藤原時代の形式を忠実に追っている仏師の作と考えられています。光背が失われ,薬壺が後の時代に追補されたものですが,全体に保存も良好な貴重な仏像といいます。



 薬師堂の西側には村の氏神だったという神明社がまつられています。かつて高台寺村や神守村では,越津ねぶかと呼ばれるネギが名産だったといい,尾張名所図会の続編にあたる『小治田真清水』には,茎は白く柔らかであり,江戸の岩槻ねぎに勝るとも劣らない,中世から名産品として販売されていることが記されているといいます。

ゴール:名鉄バス・高台寺バス停



 高台寺薬師堂の右手の道を北上して200mほど進んで県道に出たところにゴールとなる名鉄バスの高台寺バス停があります。津島駅および名古屋地下鉄の岩塚駅および名鉄バスセンターまで名鉄バスが運転されており,津島駅まで約20分,岩塚駅まで約25分,名鉄バスセンターまで約40分で運転されています。本数は1時間に1本程度ですので,時刻に注意して利用するようにしましょう。

(プラスワン)立山社・白山社
百町北古農





 「新おにえ橋東」の交差点の1本東の筋を左折して,田園地帯を500mほど北上すると立山社・白山社があります。境内は田園地帯の中にある鎮守の森になっており,津島市内に残る貴重な自然状態に近い叢が残されており,津島市の祖先の遺産に指定されています。高さ約15mに及ぶケヤキとムクの2本の木を中心に,ツバキ,クロガネモチなどの樹木が照葉樹林を形成し,さらにクロマツ,サツキ,ソメイヨシノなどが植栽されて,自然を感じられる空間になっています。

(プラスワン)神尾(かんの)七所社
神尾町東之割118



 高台寺バス停から東へ800mほど県道を進んだ「神尾町東之割」交差点を南下して次の筋を左折すると神尾七所社があります。熱田七社の熱田本宮・八剣宮・高蔵宮・日破宮・氷上宮・源太夫社・紀太夫社がまつられています。かつては管割祭と呼ばれる行事が行われており,これは長さ5cm,直径3cmぐらいの竹の管を作物の数の30本用意し,まとめて紐でくくります。釜に米と小豆と水を入れて,さらに竹の管を入れて神前で12時間焚き,その竹の管に入っている小豆の数で吉凶を占うというものです。

(プラスワン)勝林寺
金柳町南脇13



 高台寺バス停から南東へ700mほど進んだ金柳町には勝林寺(曹洞宗)があります。無量山と号し,文禄3年(1594年)に現在の秋田県にかほ市三森の皓月因明尼が両親の菩提を弔うために設けたといい,当初は浄土真宗で四宝山と号したといいます。本尊は阿弥陀如来立像です。津島霊場めぐりの第18番札所に指定されています。

(プラスワン)日破社
大坪町壺里24



 神尾七所社から北北西に700mほど進んだ大坪町には日破社があります。日破社(日割御子神社)は熱田七社の一つで,熱田から勧請されたと考えられます。『尾張徇行記』には「明神社」と記され,永正元年(1504年)に氏子が再建したと伝えられます。祭神は日本武尊の御子神の稲依別王(いなよりわけのみこ)といい,農業の稲神という一面があるといいます。


写真使用数:49

←前:神守コース / 愛知県津島市 / 次:津島駅コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>