本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県清須市:春日コースHARUHI

2015年5月探訪。2016年7月30日作成

【コース】 距離:約8.4km
市北部の旧春日町をめぐります。農村の庶民信仰が感じられる社寺と,はるひ美術館など新しい文化の発信地となっている施設をめぐります。

名古屋市バス・平田住宅バス停〜野田町神明社〜栄寿院〜天桂寺〜法瑞寺〜春日八幡宮〜阿弥陀寺〜掉舟院〜夢広場はるひ〜明仙寺〜鍬山神社〜春日公民館〜仏音寺〜八剱社〜蓮乗寺〜宮重大根発祥の地〜あしがるバス・宮重町バス停

【補足】桜の時期に訪れた五条川周辺の様子は,名鉄のハイキング2016/4/3のページに掲載しています。


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名古屋市バス・平田住宅バス停



 スタートの平田住宅バス停は,地下鉄鶴舞線の終点(あるいは名鉄犬山線の)上小田井駅からのバスが便利です。小田12,名駅26,栄11,山田巡回の4系統が利用でき,本数も1時間に4〜6本程度あるのでアクセスは容易ですが,バスの時間は調べておくと安心です。平田住宅は,ちょうどバスの終点になります。名駅26系統は名古屋駅から,栄11系統は栄からの直通バスになりますが,本数は1時間に1本程度で時間もかかります。しかし,都合があえばこれらのバスを利用するものよいでしょう。

野田町神明社と灰取街道
春日野田町81



 平田住宅バス停を降りたら,まずは旧春日町に向けて歩き出します。バス停から西へ300mほど進むと国道22号線の名岐バイパスに突き当たりますので,突き当たる直前の筋を右折し,さらに2本目の筋を左折しぐるりと回り込んで国道22号線をくぐる地下道を進んでいきます。地下道をぬけたらそのまま約200m進んだ3本目の老人ホームの先の交差点を左折し,さらに2本目の筋を右折して約150m先の突当りを右折すると,少し先の左手に野田町神明社があります。勧請は正徳元年(1711年)といい,末社に天王社を持ちます。神社には灰取街道の案内板があります。灰取街道は正式には小牧街道といい,清須と小牧を結んでいました。海部郡方面から灰を運ぶ荷車が多く通り,道に灰が多く落ちていたためにこの名前がついたといい,津城(三重県)の藤堂氏が参勤交代の際に,小牧の正眼寺に参詣に向かった道でもあることから「藤堂街道」とも呼ばれます。ここから先の天桂寺付近までは街道のおもかげを残す場所として貴重です。神社の先には石仏もまつられ,庶民信仰が生きる昔ながらの空間を感じることができます。

栄寿院
春日天神110





 野田町神明社から100m進むと歩行者専用道があるのでここを直進し,大きく左折するところまで進んだら,ここを右折すると栄寿院(浄土宗鎮西派)があります。元々,東京深川にありましたが,明治24年(1891年)に現在地に移転しました。その当時霊観の寄付によって建てられたという本堂は,濃尾地震で倒壊したため,現在の建物は明治32年(1899年)に再建されたものといいます。本尊は阿弥陀如来座像で,他に円空仏の僧形合掌像[市文化]を所有します。円空は全国を行脚して,素朴な仏像をおよそ12万体彫ったとされますが,この像は円空の最盛期の延宝年間初期(1675年頃)の作品で,僧が合掌した形の珍しいものです。

徳源寺
春日天神108-1



 戻って栄寿院から西に50m強進むと,右手に徳源寺(浄土宗鎮西派)があります。寛政11年(1799年),丹羽彌曾八による寄進で堂を建立し,円成寺(現在津島市)から堂号を譲り受け,阿弥陀堂と言われたことに始まります。その後,堂は廃堂となりますが,明治32年(1899年)に京都上京区の元和元年(1615年)創建という徳源寺を移し,名前も徳源寺に改めて現在に至ります。現在は掉舟院の住職の兼務となっているといい,本尊は阿弥陀如来です。





 徳源寺の先の筋を右折すると,道なりに100m弱進んだ先に右手に天神社があります。創建は不詳ですが江戸時代以前の創建といい,西に建てられた郷蔵も並んで,昔ながらの神社の様子を伝えています。祭神は菅原道真です。天神社の前,下ノ切公民館の前には3体の石仏が安置されており,昔ながらの信仰を感じさせます。

天桂寺
春日高札3-3 [公式HP(外部リンク→)]





 天神社の左側を北上し,そのまま道なりに北上する道を選んで250mほど進み,やや太い県道まで出たら右折して50mほど進むと左手に天桂寺(曹洞宗)があります。守保山と号し,小牧の正眼寺の末寺です。応永26年(1419年)に正眼寺3世の天先祖命が開山し,桂広国が開基したといい,両者の頭文字から天桂寺と名づけられたといいます。その後荒廃しますが,承応3年(1654年)に正眼寺21世蘆州英萩禅師を開山として雪嶺印継和尚が再興したといい,現在の本堂は昭和3年(1928年)に再建されたものといいます。本尊は木造の釈迦如来です。入って左手には秋葉殿があり,三尺坊大権現が祀られています。寺伝によると永禄11年(1568年)にこの付近に大火があり,民家のほとんどが焼失し,その際に信長の家臣であった森可成が被害を受けた。そこで信長は静岡の秋葉神社の御神体を勧請し,復興につくさせたのが由来といいます。また,その左側には室町期という宝篋印塔の基礎が残されています。寺には,鴛鴦(おしどり)伝説が伝わり,弓でつがいの鳥を殺した白弓忠右衛門という人物が,その罪を悔やんで白弓山鴛蔵寺という寺を建て菩提を弔ったというもので,鴛蔵寺は廃寺となりましたが,その白木の弓などは天桂寺に受け継がれたというものです。そのため,天桂寺は別名「おしどり寺」の異名を持ち,毎月鳥供養・動物供養が行われています。



 西方向に戻って約100m進むと,左手に神明社・冨士社があります。創建は不詳ですが江戸時代以前からの歴史を持つと考えられ,大正9年(1920年)に冨士社が合祀されたといいます。その先には2体の石仏がまつられています。

法瑞寺
春日冨士塚137-2





 神明社・冨士社からさらに300m弱進むと,右手に法瑞寺(真宗大谷派)が見えてきます。宝林山と号し,明応7年(1498年)に道永の開基といい,元々は中島郡目比(現,稲沢市)にあって法林坊と称したといいます。その後,現在の法瑞寺となり,延享2年(1745年)(享保年間という説もあり)に現在地に移されました。本尊は木造阿弥陀如来といいます。

春日八幡宮
春日冨士塚3





 法瑞寺の先の「春日橋」の信号を右折して川沿いに県道を100mほど進むと,右手に春日八幡宮があります。創建は不詳ですが,最も古い棟札で天正17年(1548年)のものが残されており,長い歴史を有します。天正18年(1591年)(慶長11年(1606年)説もあり)には,秀吉の正室北政所とその母朝日殿が社殿を再建したといい,その後清洲城主松平忠吉が重修したとの記録も残されています。元々は五条川をはさんで反対側にあり,寛文10年(1670年)に現在の春日八幡南に移されたといいます。しかし,五条川の対岸にあって参拝に不都合が生じたのか,地租改正を機会に土地の交換がなされ,明治11年(1878年)には現在地に移されました。本殿などは明治期の建造といい,昭和に改修されたもので,幣殿は昭和31年(1956年)に新築されたものです。

阿弥陀寺
春日冨士塚41-1





 春日八幡宮の東側の鳥居から出て左に進み,次の筋を右折します。さらに100m強道なりに進んだ2本目の筋を左折すると,少し先の左手に阿弥陀寺(浄土宗西山派)があります。寺伝によると明和3年(1766年)に智乗尼がこの地に参り,小庵を立てたのが始まりで,名古屋極楽寺の光専和尚が天明7年(1787年)に小牧玉林寺の釈迦堂を譲りうけて阿弥陀堂にしたといいます。その後2世専明尼が多くの弟子を持ち,堂を発展させました。境内の大樟は,甚目寺の釈迦堂へ経書を学ぶために向かう途中に,樟の実を専明尼がまいて育てたと伝わっています。本尊は阿弥陀如来で,入口の南には嘉永元年(1848年)に創建された観音堂があり,阿弥陀仏と三十三の観音像がまつられています。



 阿弥陀寺から100m強進むと,右手に縣社があります。創建は不詳ですが,江戸時代と考えられ,祭神は国県大神です。

掉舟院(とうしゅういん)
春日県11





 県神社のところを左折(すなわち神社の境内から直進方向へ)し,次の筋を右折,続く筋を左折して少し進むと,右手に掉舟院(浄土宗鎮西派)があります。元々,三河国の後の徳川家の菩提寺となる大樹寺の境内に,徳川家の祖先となる松平長親(掉舟院殿)が建立しました。明治19年(1986年)には大樹寺と合併してしまいますが,その後明治24年(1891年)に小川直左衛門養母むらの発願で大樹寺からこの地に移され,松平長親の法名から寺号を掉舟院としました。本尊は阿弥陀如来で運慶作と伝えられています。

夢広場はるひ [一部有料施設]
春日夢の森1 [公式HP(外部リンク→)]



 掉舟院の左側の道を進み,先を左折,右折として,さらにその先の突当りを左折すると「学校橋」の信号があります。ここを右折して,150mほど進むと,清須市春日支所があります。この前には蓮花寺山の案内板があり,この付近が巨大な松林だった名残を伝えています。子どもたちの遊び場で遠足にも多く訪れましたが,太平洋戦争中に松根油を取るために伐採されてしまい,姿を消したといいます。



 「学校橋」交差点に戻って右折して橋を渡り,その先の左手には,夢広場はるひがあります。はるひ夢の森公園,清須市はるひ美術館,清須市立図書館の3施設からなる総合文化施設で,平成11年(1999年)に旧春日町の施設として開業し,平成21年(2009年)に春日町が清須市に合併してからは清須市の施設として再出発しています。はるひ夢の森公園[公式HP(外部リンク→)]は,子ども連れなどで賑わう多目的広場を中心に,能が上演されることもできる野外ステージがあってイベントが行われます。土曜休日はバッテリーカーや自転車,一輪車などの貸し出しも行われています。また,この付近の五条川は見事な桜並木が続き,春には多くの人々が花見に訪れます。



 清須市のアートの拠点となっている清須市はるひ美術館[公式HP(外部リンク→)]は,現在は3年に1回行われている「はるひ絵画トリエンナーレ」など,積極的に全国に向けて作品募集を行うイベントを開催し,文化意識の向上や新興を図る活動も行っています。収蔵品はトリエンナーレの作品のほか,五条川右岸収穫図,夏渓水禽図,朴樹小禽図[ともに市文化]の文化財の寄託も受けています。



 清須市立図書館[公式HP(外部リンク→)]は,かつては春日町の図書館でしたが,現在では清須市の中心の図書館として機能しています。図書館内には歴史展示資料室があり,時期ごとにテーマを変えて清須市関係の歴史資料などを展示しています。

明仙寺
春日屋敷38



 図書館と美術館の間の出口から出て西に進み,2本目の筋を左折します。200mほど進んだ5本目の筋を左折した少し先に明仙寺(曹洞宗)があります。青峯山と号し,創建時は不詳ですが開山の南嶺が慶応元年(1865年)没のため,その,少し前と考えられています。元々は釈迦堂と呼ばれ,天桂寺の住職の隠居所として始められたといいます。その後,6世仙丈のときに現在の名前に改称されました。本尊の観音石仏は,元々は集落の辻堂にあったものを明治27年(1894年)に移したもので,木仏の三十三観音を両脇に安置しているといいます。





 明仙寺から戻って,そのまま西方向に直進する方向へ200m弱進み,突当りを右折すると神明天王社があります。創建は不詳ですが,ともに江戸時代以前の創建といい,元文4年(1739年)に神明社が天王社に合祀されて現在の姿になったといいます。周辺が住宅開発されてますが,昔ながらの姿を残す貴重な空間です。





 さらに進んで突当りを左折すると,50mほど先に大国霊社があります。創建は不詳ですが元々蓮花寺地区内にあり,明治20年(1887年)に現在地に移されました。境内には津島社と秋葉社がおかれています。

鍬山神社
春日弐屋敷13





 神社から200mほど直進して突当りを右折し,さらに150mほど進んだリハビリ病院の手前の2つ目の交差点を左折し,先の「春日新橋西」交差点を渡ります。さらに直進して突当りを道なりに左折し,さらに次の筋を右折,その先を右折し左折して,さらに突当りを右折し,その先の突当りを左折すると,50m弱先に鍬山神社があります。創建は不詳ですが,この蓮花寺地区の氏神として慕われています。元々は御鍬神社と山神社という別々の祭神でしたが,昭和2年(1927年)に合祀して鍬山神社となりました。境内社に秋葉社,神明社,住吉社,津島社がありましたが,大正15年(1926年)に合祀され,本殿内におさめられています。神社の東側には御嶽神社もまつられています。拝殿は明治22年(1889年)建築で,昭和56年(1981年)に修繕。本殿は平成12年(2000年)に新築されたものです。

清須市春日公民館郷土資料室
春日東出8-2



 鍬山神社の先の突当りを右折し,そのまま150mほど道なりに進んで堤防を上がり,その先の橋を渡ります。橋を渡ったら左折し,次の筋を右折して100mほど進むと,左手の清須市春日公民館があります。公民館の4階には郷土資料室があり,旧春日町を中心とした歴史と民俗が紹介されています。主な展示内容としては,農業に利用する農具や,朝日遺跡などで出土した出土品のレプリカ,特産品の宮重大根に関するものなどです。春日町の歴史や文化を知るのにぜひ活用したいところです。



 公民館のところを左折して進むと,清須市春日B&G海洋センターがあります。体育館やテニスコートなどを備えた,春日地区では一番の体育施設になります。

仏音寺
春日落合305



 体育館から500mほど進むと,正面に秋葉神社があります。文化13年(1816年)に勧請され,落合地区の氏神となっています。境内社には鍬社,恵比羅社があるといいます。







 秋葉神社のところを左折し,100mほど先の突当りを左折し,次の筋を右折すると,正面に仏音寺(曹洞宗)があります。松雲山と号し,永正11年(1514年)に小牧正眼寺の17世が開山しました。本尊は十一面観世音菩薩で,これは寛政元年(1789年)に中島郡本神戸村(現在の一宮市今伊勢町)にあった薬師堂とともに譲り受けたものといいます。また楼門も市内唯一の貴重なもので,16体の木彫羅漢像が安置されています。

八剱社
春日落合132-1





 仏音寺から左手の五条川沿いに出て右折し,川沿いを50mほど進むと,右手に八剱社の入り口が見えてきます。旧落合村の総社として風格を備えた古社で,かつては立派な社叢を持ち老樹が茂る神域の雰囲気を出していましたが,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で多くを失いました。その翌年には改修されて遷宮式が行われています。創建は不詳ですが,室町時代の社宝を持つことからこのころからの歴史を持つと考えられ,かつては仏音寺と一体だったと考えられます。社宝には寛永14年(1637年)の銘を持つ獅子頭があり,力強い彫刻で江戸初期文化のたくましさ健康さを物語る絶好の史料といいます。また,他にも室町末期の作という一対の狛犬があり,一体は補修された跡があるといいます。

蓮乗寺
春日落合305



 八剣社から川沿いの五条川春日緑地の歩道を150mほど進みます。この付近も桜並木があり,春には見事な景色が広がります。



 県道に着いたら右折し,200mほど進んだ歩道橋のある交差点を左折し,続く筋を右折すると50m強先に大杉社があります。元禄3年(1690年)に勧請されたという宮重の氏神です。境内社に洲原社と秋葉社があります。





 大杉社のところを右折すると,約50m先の左手に蓮乗寺(真宗大谷派)があります。楠木山と号し,稲沢市下津の阿弥陀寺の末寺で,本尊は阿弥陀如来です。創建は不詳ですが,開山は楠木正成の子孫で織田家に仕えていた西光(楠木正虎)といい,当初は春日分地にあって西光坊と称しました。元和3年(1683年)に現在地に移り,寺号も蓮乗寺に改めました。

宮重大根発祥の地
春日宮重





 蓮乗寺から100mほど進んだ2本目の筋を右折し,先の突当りを左折し,続いて右折して100mほど進むと,左手に宮重大根発祥の地碑があります。宮重大根は青首大根の元祖と言われ,尾張藩主の徳川吉通公が八剱社で鷹狩りをした際に,昼食して出された大根の風呂吹きが大変気に入り,宮重大根と名づけて,毎年清洲の代官所を通じて献上するように命じたといいます。戦後になって病気の発生や嗜好の変化から栽培されなくなりましたが,平成になって保存会が発足し,昔ながらの宮重大根に近いものが復活しています。

ゴール:きよすあしがるバス・宮重町バス停



 戻って突当りを左折し,約150m先の3本目の筋を右折した50m強先の宮重町バス停がゴールです。きよすあしがるバスのオレンジルートが清洲駅方面に運行されていますが,1日3本しかありませんので利用する場合は時刻を調べましょう。鉄道利用の場合は,先の突当りを左折して大杉社から八剱社の北の稲春橋に戻り,橋を渡って約600m進んで右折し,600m弱進んだ「稲沢駅東」を左折した先にJR東海道線の稲沢駅があり,宮重町バス停から徒歩約25分です。ここからなら名古屋駅までJRで約12分です。

写真使用数:45

←前:朝日コース / 愛知県清須市 / 次:[あま市]萱津コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>