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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県清須市:新川北コースSHINKAWA NORTH

2015年5月探訪。2016年7月3日作成

【コース】 距離:約6.4km
 旧新川町の須ヶ口駅から西側の美濃路の史跡・文化財をめぐり,その後昔からの寺野,阿原の集落の社寺と,周辺のスポットをめぐります。

名鉄・須ヶ口駅〜正覚寺〜浄休寺〜外町神明社〜おはん長右衛門の塚〜松山神社〜清洲城土居の跡〜信教寺〜自閑堂〜浄楽寺〜三光院〜助七神明社〜キリンビアパーク名古屋〜カルチバ新川〜極楽寺〜河原神社〜城北線・尾張星の宮駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄・須ヶ口駅



 今回のスタートは名鉄名古屋本線の須ヶ口駅です。津島線と分岐する拠点の駅で,急行も停車します。名鉄名古屋駅から急行で約8分の所要で,15分ごとの運行です。名鉄須ヶ口駅の南口から出て,スタートします。今でこそ名古屋本線から津島線が分岐する形になっていますが,大正3年(1914年)に駅が開業した時は津島線単独の駅で,続いて清洲線が分岐する駅となりました。現在の津島線が分岐する形になったのは昭和16年(1941年)です。須ヶ口という地名も,清洲の入り口という意味でついたといいます。

正覚寺
須ヶ口332



 南口から出て右手に進み,次の筋を左折し,続く筋を右折して100m強進むと,右手に桂山寺(浄土宗)の入り口があります。先の正覚寺の受け持ち寺で,寛文8年(1663年)に正覚寺6世源周を開基とし,源周の隠居所になったといいます。その後すたれますが,再興されて千日堂と呼ばれました。境内は元々刑場だったといい,織田信長が今川義元の首を埋めたと伝わる塚がありました。今川塚と呼ばれる塚が現在は正覚寺に移されています。



 桂山寺から50mほど進み,突当りを左折して100mほど進むと美濃路に突き当たります。ここを右折して名鉄の踏切を渡り,100m弱進んだ左手に美濃路の須ヶ口一里塚があります。美濃路が熱田から出発して,古渡,江川を経て3つ目の一里塚になります。かつては橋にまたがり,エノキの大樹もあったといいますが,用水の改修で跡形もなくなったといいます。昭和30年(1955年)に現在の一里塚跡の碑が立てられ,美濃路をしのぶ史跡になっています。





 美濃路をさらに100m強進むと,右手に正覚寺(浄土宗)があります。大雄山と号し,関ヶ原の戦いの武功で清洲城の城主となった松平忠吉(徳川家康の4男)が,母の宝台院の菩提を弔うために,慶長8年(1603年)に先任地だった武蔵国忍庄(現在の埼玉県行田市)から移して建立したといいます。その後,慶長15年(1610年)に清須越が行われた際に名古屋大須に移され,忠吉の法号をとって性高院と改称しました(現在は名古屋市千種区に移転)。この正覚寺は,旧地に性高院の末寺として設けられたもので,境内には宝台院と性高院の霊を祀ったという宝篋印塔があります。本尊は,武蔵国から移したという阿弥陀如来座像で,寺宝には宝台院と性高院,および殉死した性高院の家臣4名の位牌,元禄4年(1691年)の銘のある当麻曼荼羅,性高院の一周忌法要に際して,徳川家康から下されたという制札などがあります。





 また本堂横には,平成19年(2007年)に須ヶ口から移された今川塚供養碑があります。これは永禄3年(1560年)に織田信長が今川義元を桶狭間で打ち破った際に,義元の首を厚く葬った今川塚が設けられましたが,のちに寛文元年(1661年)に正覚寺三誉上人などが生前供養の碑として建立したものです。また,碑の近くには慶応3年(1867年)に設けられたという釈迦の足跡を刻んで信仰の対象にした仏足石があります。寺の前には外町の一里塚があり,「北みのかいどう,是より西つしまかい道,南無阿弥陀仏」と刻まれています。



 正覚寺から美濃路を150mほど進むと,右手に曲げわっぱのお店である伊勢安商店と,ローソクを販売する薫香堂があります。伝統の技を伝える古くからの専門店で,建物自体も美濃路にマッチした古い建物になっています。

浄休寺
須ヶ口96



 薫香堂から50mほど美濃路を進むと,左手に浄休寺(真宗大谷派)があります。大矢山と号し,元は天台宗で中島郡千代田村大矢(現在の稲沢市南部)にあったため,大矢山の山号があるといいます。永禄年間(1558〜70)に蓮如上人に帰依して真宗大谷派に改め,浄専坊と称して現在地に移されました。天正9年(1581年),教如上人が当寺に滞在した際に浄休寺の寺号を賜ったといいます。この寺は清洲六坊の1つといい,これは慶長5年(1600年)に教如上人が東国から戻る際に,西国諸大名が西への道を遮ったため,清洲の6寺の住職が守護したと伝えています。浄休寺以外の5寺は,本成寺,正願寺,光専寺,久証寺,明源寺といいます。寺宝には本山より寛永7年(1630年)に下賜された本尊の阿弥陀如来立像や,それぞれ蓮如上人,および教如上人筆と伝わる六字名号などがあります。また,境内には天保〜明治初期にかけて寺子屋教育にあたった住職の山内恵教の頌徳碑があります。

外町神明社
西須ヶ口11





 浄休寺の先の筋を左折し,100m弱進んで県道の横断歩道を渡ってさらに少し進むと,右手に外町神明社があります。創建は不詳ですが,清洲城南の神社として栄えた時代があったと考えられています。



 その先には,おはん長右衛門の塚があります。おはんと長右衛門の心中事件は,歌舞伎の題材にもなった有名な話で,これを偲んで各地に供養碑が建てられたといいます。この塚は山田慶左エ門という人物が箱根でおはん長右衛門の塔婆の破片を煎じて飲んだところ病気が全快したことから,この町に戻って塔婆を立てたと伝わっています。江戸中期から疝気(せんき=下腹付近が痛くなる病気)が治るとして厚い信仰があります。今は小堂が設けられ,春と秋に大祭が行われています。

松山神社
鍋片2-207



 おはん長右衛門の塚から100mほど引き返して美濃路に戻り,左折して美濃路を北上します。その先の突当りのところは,街道が左折,右折と繰り返して外敵からの侵入を阻止する桝形になっています。



 突当りを右折して美濃路を離れると,100mほど先の踏切のところに名鉄丸ノ内駅があります。須ヶ口駅まで約2分で戻ることができるので,場合によっては中継地点にしましょう。





 踏切を渡ってさらに進み,200m弱進むと道を渡る横断歩道のある交差点があります。交差点を越えて次の筋を右折し,150mほど進むと左手に松山神社があります。昭和41年(1966年)に伊勢湾台風で荒廃した山神社と松蔭神社という2社を併合して誕生し,祭神は須佐之男命と大山祇命です。元々,山神社のあった境内を拡張して新社殿が作られています。山神社と松蔭神社の創建は不詳ですが,清須越しの後,慶長年間(1595〜1615)にこの地が清洲新田として開発された際に設けられたと考えられています。松蔭神社はかつて天王社と呼ばれ,織田信長が清洲城に在城時に祈願し,社殿を改築したとも伝えられています。





 松山神社の先を右折し,さらに2本先の横断歩道のあるところを右折して250mほど進んだ3本目の筋を右折すると,少し先の右手に清洲城土居の跡があります。かつては織田信長が居城していた清洲城ですが,慶長15年(1610年)の清須越しで廃城となりました。その外堀と土居(外堀の内側に設けらえた土の垣で,城を防御するもの)の跡が残されたもので,往時を偲ぶ貴重な遺構になっています。

信教寺
寺野元町50-1



 土居跡からさらに東へ約200m進むと,左手の信教寺(浄土宗)があります。清王山と号し,明暦3年(1657年)に正覚寺6世源周上人の開基で,その弟子の信教が住職を務めたといい,以降正覚寺の高弟が住職を務める末寺になったといいます。本尊は創建時からのものと伝わる阿弥陀如来立像です。入り口には享和3年(1803年)建立という子安地蔵尊があり,長泣きする子供に霊験があると伝えられています。他にも安永8年(1779年)建立の地蔵堂や宝暦14年建立の観音堂などがあるといいます。





 信教寺の先には,八剱社があります。慶長年間(1595〜1615)末期に清洲新田開墾の際に,熱田八剣宮から勧請して創建したと伝わり,祭神は日本武尊です。この付近にも,かつては清洲城の土居がはりめぐらされていたと伝わります。樹齢300年以上という松も境内にあり,住宅街の落ち着いた雰囲気の神社です。

浄楽寺
寺野元町145



 八剱社の境内から出て直進する方向に進み,先の突当りを右折すると,すぐ右手に自閑堂(曹洞宗)があります。清洲清凉寺の末寺で,尾張藩主の乳母であったという自閑が清涼寺の弟子になり,この地に一宇を建立したのが始まりといいます。本尊は地蔵菩薩で,中にある地蔵尊には自閑銘があるものもあり,寛延年間(1748〜51)の建立といいます。



 自閑堂から東に戻って,来たT字路を越えた先の左手に浄楽寺(西山浄土宗)があります。宝暦10年(1760年)に,下小田井から堂を譲り受け,阿弥陀堂と称しました。その後,風水害で損壊しましたが,寛政4年(1792年)に再興され,明治11年(1878年)に寺号の公称が許され,現在の寺号となりました。また,この付近の個人宅には新川開削に尽力した水野千右衛門の陳情書[市文化]が保管されています。

三光院
寺野元町202



 浄楽寺の先の筋を右折し,さらに先の突当りを左折すると,すぐ左手に三光院(浄土宗)があります。不老山と号し,元々静岡県浜松市に所在していましたが,明治27年(1894年)に土地の寄贈があったため現在地に移転しました。元々浜松にあったため,浜松西伝寺(現,浜松市南区)の末寺になっています。



 さらに100mほど進んで広い道に突き当たったら右折し,その先の横断歩道を渡って左折します。150mほど進んで新幹線の高架とJR東海道線の踏切をこえ,踏切を越えた先を右折して約400m進むと,左手に助七神明社があります。創建は不詳ですが江戸時代以前といい,この付近が助七新田として開発された際に氏神として設けられたと考えられています。

キリンビアパーク名古屋
寺野花笠100 [公式HP(外部リンク→)]





 神明社の左側の筋を進んで次の筋を左折し,400mほど道なりに進むと.県道に合流します。そのまま県道を約200m,城北線の線路をくぐって進むと左手にキリンビアパーク名古屋があります。キリンビール名古屋工場の見学をして,ビールの製造工程を知ることができ,AR(仮想現実)やワイドスクリーンを用いた紹介は見ものです。また,ビールの試飲を楽しむこともできます。また併設のレストランでもできたてのビールを楽しむことができ,話題のスポットになっています。見学の際は予約が必要な場合もありますので,問い合わせるといいでしょう。

カルチバ新川(清須市新川地域文化広場)
寺野美鈴60 [公式HP(外部リンク→)]





 キリンビアパークの前を来た方から見て右折して進み,先の城北線の高架下をくぐった右手にカルチバ新川があります。平成8年(1996年)に完成したスポーツ施設で,25mの温水プールや子ども用プールを備え,2階にはアスレチックジムやエアロビクススタジオ,3階には文化ホールも備えた充実した設備になっています。屋外には亜熱帯植物などが茂る温室や,木々の植えられた「ふれあい広場」もあり,現在はゲンジボタルの飼育の試みものカルチバの語源はCultivate(耕す,栽培する)で,芸術・文学・スポーツの交流の場として活用されています。

極楽寺
阿原宮東268



 カルチバ新川の先3つめの信号のある交差点を右折し,約250m進んだ信号のある分岐点を左に進んだ次の筋を左折します。100m弱進んだ次の交差点の手前左手には古くからの地蔵堂があります。この阿原地区は天正年間(1573〜87)の記録に「粟村」とあり,縄文・弥生時代の遺跡として名高い朝日遺跡に隣接する古い村と考えられ,古くからの地蔵などが見られます。現在は新しい住宅が次々と建ち,様子が変わってきました。



 地蔵堂のある交差点の次の交差点を左折し,その先の突当りを右折するところに古くからの水屋の倉が残ります。この地域は海抜2m程度で昔から水害も多く,保管された道具や米などを水害から守るために高い石垣の上に倉が建てられています。水害に悩んだ先人の知恵を残す建物です。



 水屋のところを右折したのちに次の筋を左折し,その先の突当りを左折して次の筋を右折した先の交差点にも地蔵堂があります。江戸時代ころに祀られたといいます。



 地蔵堂のある交差点を左折すると少し先に秋葉神社がまつられています。





 さらに社のあるところの先の筋を右折した先の左手に極楽寺(真宗大谷派)があります。安養山と号し,元々は宝林山極楽寺と称する浄土宗の寺院で,当時南寺町(名古屋白川公園付近)にあった光明寺(現千種区)の末寺でした。宝暦4年(1754年)に吉祥寺(現稲沢市)の薬師堂の号を譲り受けて真宗に改宗し,阿弥陀堂と称し,万延元年(1860年)に現在の寺号となりました。本尊の阿弥陀如来は古来より安産守護の御利益で知られるそうです。

河原神社
阿原宮東257





 極楽寺の前を左折して100mほど進むと右手に河原神社があります。通称,星の宮ともいい,創建は不詳ですが,尾張国神明帳にも従三位河原天神とある古い神社で,寛永17年(1640年)以来の古い棟札も残っています。現在は平成12年(2000年)に修復工事が行われ,きれいな境内となりましたが,拝殿は江戸末期から明治初期にかけての古い建物といいます。拝殿の左右にはかつて神眼池があり,眼病に効能があるとして多くの参拝客を集めました。今は池もなく,水槽のみが残されています。



 河原神社の左手の道を進んだ次の交差点にも辻地蔵尊があり,江戸時代中期の寛政5年(1793年)の銘があります。



 また,境内入り口東側には庚申堂がもうけられ,おこり(マラリア)が治るという言い伝えがあります。

ゴール:城北線・尾張星の宮駅



 河原神社の入り口から南下して1つ目の筋を右折し,次の筋を左折,さらに次を右折して100mほど進むとゴールの城北線・尾張星の宮駅です。城北線で枇杷島駅まで3分で行くことができます。本数は1時間に1本程度なので,あらかじめ時刻表を調べておくといいでしょう。

写真使用数:39

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作成者 Rintaro Nagano
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