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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県清須市:新川南コースSHINKAWA SOUTH

2015年5月探訪。2016年6月19日作成

【コース】 距離:約6.4km
 旧新川町南部の新川流域と美濃路周辺をめぐります。難工事の末完成した新川開削に思いをはせ,美濃路の旧街道の史跡・文化を感じられます。

名古屋市バス・豊公橋バス停〜光宣寺〜(下河原)八幡社〜月読神社〜覚明霊神居住跡〜土師野神明社〜飴茶庵〜瑞正寺〜阿弥陀寺〜清須市役所〜新川ポケットパーク〜長谷院〜(西堀江)神明社〜観音寺〜名鉄・須ヶ口駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名古屋市バス・豊公橋バス停



 今回のスタートは名古屋市中村区の名古屋市バス・豊公橋バス停です。名古屋駅から名駅25系統で,本陣経由の便で約15分,豊国神社経由の便で約20分です。地下鉄東山線の本陣駅からのバス便もあり,名駅25系統で約7分,中村巡回系統で約12分です。本数は各系統とも1時間に1本程度なので,時刻は調べておくといいでしょう。

光宣寺
下河原1089



 豊公橋のバス停を降りてそのまま県道を300mほど進むと庄内川にかかる豊公橋があるので,これを渡ります。北側には庄内川の堤防内に庄内川新川緑地が広がり,眺めを楽しみながら進むことができます。ゴルフ場やテニスコートなども備え,スポーツを楽しむ人も多いです。



 さらに300mほど進んだ次の信号を右折し,100m先の分岐を左の新川沿いの道に進んで清須市に入ると,右手に太閤天然温泉湯吉郎[公式HP(外部リンク→)]があります。温泉や食事を楽しむことができ,ウォーキング後に汗を流したりするのに活用できます。



 この左側は新川と五条川の合流点に当たり,川の眺めがいいです。





 さらに新川沿いを250mほど進んだ3本目の筋を右に入った先に光宣寺(日蓮宗)があります。享保15年(1730年)に実成寺(現,あま市)の末寺として創建され,当初は番神堂と称していましたが,昭和24年(1949年)に現在の寺号となりました。本堂は昭和3年(1928年)の建設で,境内には安永8年(1779年)の銘の供養塔があります。また,境内には樹齢200年以上という大イチョウがあり,新川堤防上に大きくそびえています。





 さらに新川沿いを200mほど進んだ2本目を右折し,100m強先の次の筋を左折すると正面に(下河原)八幡社があります。300年ほど前に明眼院(現,大治町)の一族が分家した際に鬼門除けに設けたといい,その後荒廃しますが寛政4年(1792年)に再建されたと伝わります。樫や松などの木に覆われ,雰囲気ある空間になっています。

覚明山(覚明霊神居住跡)
中河原130付近





 八幡社から出て左に進んで東に進み,100m弱先の突当りを左折し,200m先の3つ目の十字路を進んだ先右手に土器野共同墓地があります。墓地の中には迎え地蔵と呼ばれる明和9年(1772年)の銘を持つ六地蔵があります。六体並んでいるのは,六道輪廻の罪苦の衆生を慈悲の心で救うという六体といいます。



 戻って先の交差点を右折して北西に進むと,少し先に月読神社があります。享和元年(1801年)に,元々尾張藩主の邸内にあったものを馬島明眼院(現,大治町)にあっせんで明眼院の寺領であったこの地に勧請したと言われています。





 さらに100m強進んだ右手には,覚明山があります。御嶽開山で有名な覚明霊神が若かった頃に居住し,修行した場所といい,修行で用いた井戸が今も残ります。その後,安永7年(1778年)に御嶽開山の大発願を起こし,長い間かけて山道開発に成功しました。明治20年(1887年)に信者によって覚明堂が建てられ,多くの霊神碑が建てられています。

土器野神明社
土器野130付近 [公式HP(外部リンク→)]







 戻って2つ目の交差点を左折して北東に進み,200mほど進むと左手に土器野神明社があります。創建は不詳ですが江戸時代初期からある古社で,この土器野新田(かつては「かわらげのしんでん」と呼ばれた)の氏神として勧請したと考えられています。棟札によると寛延2年(1749年),嘉永3年(1850年)の遷宮,明治26年(1893年),大正3年(1914年)の改築といいます。かつては檜皮葺だったといいますが,昭和5年(1930年)や昭和26年(1951年)の葺き替え工事で現在の銅版葺きに改められたと考えられています。境内は,松などの樹木が生い茂り,樹齢300年余りと考えられる古木もあり神聖な雰囲気をかもしだします。



 境内には「文造寺」の交差点にあったという美濃路から明眼院(大治町)への分岐を示す道標があります。かつては新川橋の西詰にあった道標が移設されていましたが,現在は新川橋西の元の位置に戻されました。その他にも嘉永年間の常夜灯や浄水石など古くからの石造物が残ります。



 土器野神明社を出て正面の道を直進し,次の筋を右折すると少し先に坂町地蔵尊があります。子安地蔵と延命地蔵がまつられ,毎年8月には地蔵盆の祭が行われ多くの人で賑わいます。

瑞正(ずいしょう)寺
土器野342





 戻って200m強北東方向に進むと「文造寺」の交差点があり,ここを左折します。左折した先の道は名古屋と中山道の垂井宿を結ぶ美濃路に当たり,旧街道沿いの昔ながらの古い建物も立ち並びます。



 150m弱進んだ右手には古くからの長屋を改装して飴茶庵があります。駄菓子屋をモチーフにした店内は,昔ながらの駄菓子やくじが並び,散策の休憩ポイントとなります。地下にはギャラリーも設けられています。この民家の屋根にはこの地方特有の屋根神がまつられています。津島神社・秋葉神社・熱田神宮の3社を祀っており,厄病除け,火難除け,武運長久祈願の意味がそれぞれあるそうです。かつて,この美濃路周辺には屋根神を設けた民家が多くありましたが,今はすっかり減ってしまいました。





 飴茶庵の少し先には,瑞正寺(日蓮宗)があります。宝塔山と号し,境内には東京の鈴ヶ森にあるものと並ぶ,高さ4.5mの日本一ともいう宝塔があります。この北に寛文2年(1663年)頃から江戸末期まであった尾張藩の処刑場で処刑された罪人の菩提を弔うため,8年の歳月をかけて文化12年(1815年)に建立されました。刑場で罪人が処刑される際は,この宝塔に合掌礼拝し,その後に処刑されたといいます。かつては北にあったという「尾張藩刑場跡」の碑が隣に移されています。本堂右には清正公堂があり,巨大な竹材紙子張りの巨大な清正公大神祇像などがあるといいます。

阿弥陀寺
土器野343-1





 瑞正寺から50mほど先の右手に阿弥陀寺(真宗大谷派)があります。光寿山と号し,寺伝によると,元亀2年(1571年)に信長による比叡山の焼き討ちがあった際に,1人の僧が阿弥陀如来を背負って,兵火を逃れて中山道に逃れ,元和2年(1616年)に当地に一宇を設けて奉ったのが始まりといいます。その後,堂宇の建て替えを経て阿弥陀堂と称し,宗派も天台宗から浄土宗鎮西派を経て,延享4年(1748年)頃に現在の真宗大谷派になったといいます。江戸末期頃は無住となりこの北の浄休寺や,勝幡福応寺(現,愛西市)の僧が留守居役を務めたといいますが,元治元年(1864年)に京都光明寺の住職法潤が来て,幕末の混乱期に民衆をよく導き,信仰の道場としての護持をまっとうしたことから,明治12年(1879年)に現在の寺号の公称を許されました。本堂は大正4年(1915年)に建てられた趣のあるもので,美濃路に面した庫裡は明治25年(1892年)に改築された昔ながらのものが,平成25年(2013年)に真新しい建物になりました。

清須市役所
須ヶ口1238 [公式HP(外部リンク→)]





 阿弥陀寺から100mほど美濃路を進むと,新川に出ます。新川にかかる橋の前を右折すると,100mほど先には名鉄の新川橋駅があります。普通列車のみの停車で,30分間隔の運転ですが,場合によっては中継地点として活用しましょう。



 そのまま,新川沿いを進みます。新川はたびたび氾濫して名古屋城下に被害を及ぼす庄内川や矢田川の洪水を防ぐために天明4年(1784年)に開削された長さ約24kmに及ぶ人口河川で,地蔵川と庄内川が合流する比良(名古屋市西区)に洗堰を設け,庄内川の右岸を並行して伊勢湾に注ぎます。度重なる川の氾濫から,清洲14か村の総庄屋である丹羽義道(通称,助左衛門)が開削の嘆願運動をおこし,安永8年(1779年)の庄内川水害を経て9代尾張藩主徳川宗睦が開削を決断し,かねてから開削の必要性を訴えていた水野千之右衛門(士惇)と国奉行の人見弥右衛門を総責任者に任命して開削工事が始まりました。総費用40万両(現在で約180億円相当)もの莫大な費用をかけて,天明7年(1787年)に工事は完成しましたが,莫大な費用がかかった責任を取って,水野・人見両名は隠居を命じられたといいます。文政2年(1819年)には上流の久地野地区(現,北名古屋市)に功績をたたえて「水野士惇君治水碑」が立てられました。現在は,平成12年(2000年)の東海豪雨で大きな被害があったため,川の改良工事が進められています。この付近の新川沿いには現在清須市により「水辺の散歩道」が整備され,川沿いのウォーキングを楽しむことができます。



 新川橋駅から新川沿いに300mほど進み,川にかかる橋を渡った先には清須市役所があります。平成17年(2005年)に合併する前の新川町役場で,清須市の観光パンフレットなどが必要な場合などに利用するといいでしょう。



 役場前には新川開削200年を記念して建てられた頌徳碑,新川の水位計側に用いられていたと考えられる水位計があります。



 また,役場左手の道を少し進んだ先の駐車場入り口には,明治天皇が明治11年(1878年)に東海北陸御巡幸の際,土師野の旧家で休憩されたのを記念して建てられた明治天皇御駐蹕の記念碑があります。

新川ポケットパーク
土師野135付近





 清須市役所から来た道の対岸の新川沿いを戻る方向に400mほど進むと「新川橋西」交差点があり,この左手に平成18年(2006年)に完成した新川ポケットパークがあります。公園内には新川の歴史を開設した展示板があり,あずまややトイレも設けられていてウォーキングの休憩スポットにもなります。公園の入り口には津島街道の道標があり,1つは清洲五条橋の親柱を道標としたもので,もとは土師野神明社にあり,新川橋の親柱2つも横に建てられています。



 他の1つは天明8年(1788年)の銘のあるもので「右つしま,左なごや」とあります。



 奥の案内板の前には新川開削頌徳碑があり,新川の開削に尽力した丹羽義道と水野千之右衛門をたたえるための碑で,昭和36年(1961年)に篤志家によって建立され,この地域の農民を苦しみから救った大事業の完成をたたえたものになります。



 「新川橋西」交差点から美濃路を西に少し進んだ右手に,新川開削本陣跡の案内板があります。現在の銀行のある付近が新川開削の際の拠点になったといいます。



 さらに約100m進むと,右手に須佐之男社があります。慶長12年(1607年),この付近に住んだ織田家の家臣が住民とともに津島神社から勧請して創建したため,津島社とも呼ばれていました。境内はイチョウの大木もあって,美濃路の古い町並みにマッチしたたたずまいです。

長谷(ちょうこく)院
桃栄3-80





 須佐之男社の先の筋を左折し,500m弱道なりに進み,突当りの1つ手前の筋を右折すると,正面の長谷院(浄土宗)の正門が見えてきます。堀江山と号し,永享年間(1429〜40)に創建されたと伝わる古刹で,通称堀江観音とも呼ばれます。当初は堀江山新長谷寺と称する真言宗の寺院でしたが,小牧の戦いの際に兵火により焼失し,その後慶長18年(1613年)に浄土宗円周院と改め,承応3年(1654年)に現在の寺号に改めました。その後,元文3年(1738年)に再び火災にあったため,名古屋南寺町(現,名古屋市中区)の阿弥陀寺に本尊が移されました。その後天保3年(1832年)に僧誓阿が名古屋御園町の杉屋佐吉の援助を受けて現在地に再建され,尾張10代藩主の斉朝の寄付により,天保5年(1834年)に藩主下屋敷にあった仁王門,多宝塔などが寄付されました。現在の建物は,明治24年(1891年)の濃尾地震や,昭和20年(1945年)の戦災,昭和27年(1952年)の仁王門の火災などで失われたものが,その後再建されたものが中心になります。本尊は秘仏の十一面観音菩薩立像で,奈良長谷寺の本尊と同木と伝えられています。



 天保5年に尾張藩主から寄進された多宝塔は江戸時代から唯一残る貴重な建物で,瓦に三つ葉葵の紋があり,愛染明王が安置されています。建立時には地下から永享9年(1437年)銘の宝篋印塔の残片が出たといいます。また,境内には多くの石仏があり,古くからの道しるべ地蔵も安置されています。



 寺の西側には,嘉永7年(1854年)の銘のある津島街道の道標や,弘化3年(1846年)の銘がある堀江山観音道の道標が建てられています。





 長谷院の入り口から出て左に進んだ先に(西堀江)神明社があります。創建は不詳ですが長谷院の鎮守社として設けられ,祭神は豊受大神です。かつては立派な風致林とだったといいますが,現在は小さくなってしまいました。





 (西堀江)神明社の東側の出口から出て左手に進み,その先の県道に突き当たったら右折して200mほど進むと,右手に観音寺(曹洞宗)があります。桃栄山と号し,明治35年(1902年)にこの東の美濃路沿いに庵を結んだのが始まりといい,大正14年(1925年)に現在地に移り,昭和26年(1951年)に寺号を受けました。この付近が桃栄と呼ばれるのは,明治期にこの付近が桃の名所として知られたからといいます。

ゴール:名鉄・須ヶ口駅



 観音寺から100mほど進むと,ゴールの名鉄須ヶ口駅があります。旧新川町の拠点駅で,津島線と名古屋本線が分岐するため,急行も停車するためアクセスは便利です。名鉄名古屋駅まで,急行を利用するとおよそ8分で戻ることができ,本数は日中15分に1本程度です。普通列車でも12分ほどで名鉄名古屋駅に戻ることができます。

写真使用数:46

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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